1ー3

「どうぞ、ここが私のうちです。」

 リュウトは、ちょっとドキドキしながら玄関に入る。玄関には、左側に腰より少し上くらいの高さのシューズボックスが備え付けてあり、その上には女の子らしい、可愛い陶器でできた動物の置物が数点置いてある。

「どうぞ、お上り下さい。」

 そう言われ、リュウトは靴を脱ぎ、低い段差を越え、廊下に上がる。廊下の幅は大体0、9m程。長さは7m程。左右の壁には等間隔で2つずつ扉がある。おそらく玄関から見て、左側が部屋で、右側がトイレと洗面所・お風呂場だろう。そして突き当たりの扉の先は・・・20畳程のフローリングの広間だ。部屋の中央付近に低いテーブルがあり、その近くには2人掛けのソファーとウッドチェアが置かれている。壁側にある40インチ程のテレビは、イスに座ると丁度いい場所に設置されていた。更にこの広間には、入り口から見て右手側に対面式のキッチンがあり、大きい冷蔵庫と食器棚がその奥に並んでいる。

「ここがリビングです。今飲み物出しますんで、そこのソファーに座ってお待ちください。」

 そう言いながら糸子は、リュウトの目の前でおもむろに下着を脱ごうとし始める。

「ちょいちょい、待て待て待て。何してんだ!」

 糸子はキョトンとした顔をする。

「えっ、だって、うちに帰ってきたし、下着脱いでリラックス・・・あっ、リュウトさん・・・リュウトさんに見られてた?・・・」

 糸子の顔が、見る見る赤くなっていく。そして慌てて脱ぎかけの下着を元に戻す。

「ごめんなさい!変なことして。もう、うちでもむやみに下着脱がないように気をつけます!約束します!」

 よしよし。リュウトはホッと肩を下ろす。

 糸子は真っ赤な顔でリュウトを見る。

「あの・・・見えちゃいました?」

 リュウトは少し溜めてから、首を縦に降る。本当は何も見えてはいないが、少し灸をすえなくては。

 糸子は少し涙目になる。

「そうですか・・・では仕方ないですね・・・今の記憶を消すお手伝いをします。少し痛いですけど我慢して下さいね。」

 そう言うと、どこから取り出したのか、大振りの木槌を両手で持ち、振り上げようとする。・・・目が本気だ。口元を見てみると、声を発さずに動いている。『ごめんなさい』と・・・

「うそうそうそ!何も見えてないし見てないから。もう、ほんと大丈夫だから。」

 慌てて本当のことを言うリュウト。あんなので殴られたら、記憶どころか頭がどこかに飛んでいってしまう。

 糸子は躊躇いながらも木槌を下げる。

「本当・・・ですか?」

 疑う糸子。

「ほんとほんと。『迷える虎も腹が減る』だから。」

 そう言いながら、何度も首を縦に降るリュウト。

「・・・なら良かったです。」

 ニコッと笑う糸子。どうやらわかってくれたらしい。

「飲み物。飲み物でしたよね。待ってて下さいね。」

 糸子はキッチンにある冷蔵庫へ向かう。平静を装おうとしているようだが、未だ顔は真っ赤なままだ。

 しおりから前に聞いたことがある。従姉妹は物凄く頭が良くて、冷静で、しっかり者であると・・・しかし、実際の糸子は、聞いていた話の人物像より全然親近感が持てる。接しやすい女の子だ。

 糸子は、透明なコップに氷を3個入れ、冷蔵庫から出したジュースを注ぐ。シュワーっといい音が聞こえてくる。

「しおりちゃんから聞いたことがあります。確かリュウトさん、炭酸飲料好きなんですよね。」

 そう言いながら、リュウトの前にジュースの入ったコップを差し出す。

「はい、どうぞ。」

 リュウトは糸子からコップを受け取ると、

「ありがとう。」

 と言い、ニコッと微笑むリュウト。糸子は目を点にして、ポーッとリュウトの顔を見つめる。何故だろう、胸が熱くなってくる・・・

「で?話っていうのは?」

 リュウトが切り出した。糸子はハッと我に返り、いつもの表情に何とか戻る。そして、何故かリュウトの隣、2人掛けのソファーに腰を下ろす。すぐ右斜め前にウッドチェアが有るのにも関わらず・・・

「わざわざうちに来ていただいたのは他でもありません。・・・しおりちゃんの事です。」

 しおりの?確か昨日、ここにしおりは来たはず。何の話をしたのだろう。

 糸子はコホンと軽く咳払いをする。

「単刀直入にお聞きします。リュウトさんはしおりちゃんの事どう思っていますか?」

 真剣に聞いてくる糸子。

「好きだよ。とても大切な存在だ。」

 リュウトは特に考え込むこともなく、サラリと答える。リュウトにとっては当たり前の回答だった。

 胸の辺りがチクリと痛む糸子。この痛みは、何?・・・これはきっとそう、しおりちゃんがいずれ私の側から離れていってしまうかもしれない。その寂しさ、悲しさからきたものだ。多分・・・そうに違いない。・・・それとも・・・

 何故か色々考えてしまう。

「その答えを聞けて良かったです。私、しおりちゃんには幸せになってもらいたいですから。」

 私は1人でも大丈夫だから・・・今までも、そして、これからも・・・

 うつむき、自分に言い聞かせる糸子。

「あいつは性格も良いし、日に日に綺麗になっていくし。まあ、今のままでも十分可愛いけど。ほんと、自慢の妹って感じだよ。」

 得意げに話すリュウト。

 それを聞いた糸子は『ん?』みたいな顔をする。

「えっ、ちょっと待ってください。『妹』ですか?」

 グイッと前のめりで聞く糸子。

「そうだよ。大事な妹分だ。あいつのためなら何だってしてやりたい。幸せにしてやりたい。そう思ってるよ。」

 にこやかに言うリュウト。この人はしおりちゃんの気持ちをわかっていないのだろうか。糸子は少し悲しそうな表情を浮かべる。

「そう・・・ですか。でも、とても大切に思ってるんですよね。」

 糸子は念を押して聞く。

「もちろんだとも。君だって大事な人はいるだろ。例えば家族とか。」

 困った顔をする糸子。

「私は・・・しおりちゃんが大事な人です。家族は・・・お父さんとお母さんとお兄ちゃん、みんないなくなっちゃいましたから・・・」

 糸子の唇が震えている。まずい事聞いてしまったかな、とリュウトは思った。この子にはこの子の悩みや悲しみがあるのだろう。人間は皆そうだ。大小多少はあるものの、それぞれ色々な、多様な問題を抱え、それを何とか乗り越えようと努力して生きている。糸子はどんな悲しみを背負っているのだろう。

 うつむき、唇を噛んでいた糸子は、スッと顔を上げ、上目遣いでリュウトを見つめる。

「リュウトさん・・・」

 ガバッ!

 リュウトの胸に抱きつく糸子。一瞬驚いたリュウトだが、すぐに落ち着きを取り戻し、糸子の頭を軽く撫でてあげる。細かく震えている。・・・泣いているのだろう。

 糸子は震える声で話し始める。

「10年前、私がまだ幼稚園の年少だった時、お父さんはお兄ちゃんを連れて、突然いなくなったんです。」

 ん?10年前で年少?えっ、っていうことは・・・

 糸子は続ける。

「それからというもの、大変でした。お母さんは生活の為、私を育てる為に、昼夜を問わず働いて・・・2人が居なくなった、その精神的ショックからもまだ立ち直っていなかったのに。」

 リュウトの胸から少し離れる糸子。

「そんなお母さんを見て、私も頑張らなきゃって、早くお母さんに迷惑をかけないようになって、早くお母さんを支えていけるようにならなきゃって、死に物狂いで勉強しました。そうして、やっと何とかなったのに・・・遅かったんです。」

 糸子はまた、グッとリュウトの胸に顔を寄せる。

「おかあさんは3年前、無理がたたって・・・死んじゃったんです。」

 ボロボロと涙を流す糸子。そして、リュウトを見上げる。その顔には怒りが表れていた。

「だから私にもう家族はいません。お母さんを苦しめたあの2人を、私は家族だと思っていないし、絶対に許せないんです!」

 糸子の目には憎悪の色が浮き出ていた。さらに怒りはまだ収まらない。

「私が研究者 になったのは、あの2人を見つけ出す為です。研究者だったお父さん。きっと同じフィールドに立っていればいずれどこかで出会うはず。お母さんがどんな思いをしていたのか、どんなに苦しがっていたのか。何もわかっていないあの人達を・・・探し出して、復讐したいんです!」

 糸子は立ち上がり、リュウトと距離をとる。どうやら湧き上がる憎悪が抑えきれなくなっている様子だ。

「・・・許さない。許さない!絶対に許さない!!」

 右手で左腕を、左手で右腕をわしっと掴み、わなわなと震える。あんなに可愛らしく、可憐だった糸子はどこに・・・今は怒りと悲しみで張り裂けそうになっている。

 リュウトは糸子に駆け寄った。そして肩を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。糸子は目を閉じ、わんわん泣きだした。


 10分程経った頃、ようやく糸子は泣き止んだ。眼鏡を上にあげ人差し指で涙を拭う。そして、微笑みを浮かべ、リュウトの顔を見つめる。

「あ、ありがとうございました。お陰でスッキリしました。」

 そう言うと、今度は申し訳なさそうな顔をする。

「こんな話、人に言うのは初めてだったもので。取り乱してしまいました・・・お見苦しい姿を見せてしまってすみません。」

 リュウトは、心配はしているが、嫌な顔ひとつしていない。

 糸子は自分にびっくりしていた。リュウトには今まで人に言えなかった自分の胸の内を自然と言うことができる。これまで男性と付き合ったことはない。というより相手にさえしたこともない。しかしリュウトには・・・自分のことを全部知ってほしいとさえ思ってしまう。・・・この感情は、なに?・・・

 気がつけばもう夕方だ。赤い光が部屋に差し込みベランダに置かれている観葉植物の影を伸ばしていく。

「あの〜。話はもういいのかな?とりあえず帰った方がいいよな。時期夜になるし。」

 さすがに一人暮らしの女の子のうちで、2人きりで夜を迎え過ごすのは倫理上問題がある。特にこの子は・・・多分しおりより年下だし・・・

「ちょっと待ってください。ここからが本題なんです。」

 そう言うと、糸子はリビングから廊下へ出る扉の前に立つ。

「寝室に行きましょう。」

 真顔で言う糸子。

 リュウトの目が点になる。そして首を高速で横に振る。

「何言ってるんだ!君はもっと自分を大切にしなさい!今までの言動だって、俺じゃなければ勘違いして襲われてたかもしれないぞ!」

 リュウトは真面目に怒った。

「ごっ、ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんです。本当に寝室で相談に乗ってもらいたいことがあるんです。」

 本当か?疑うリュウト。全く、近頃の若者は・・・

 プンプンしているリュウトの側まで近づき、また上目遣いをする糸子。

「他の男性にこんな言動しませんし、したこともありません。それに、リュウトさんになら・・・べっ別に、襲われても・・・いいかなって・・・」

 恥ずかしそうに言う糸子。

 だから、今日会ったばかりの男になんて事言いだしやがるんだ!それが心配なんだって言ってるんだよ!

 そう言われそうなのを察したのか、ササっとリュウトの背後に回り、背中を押す。

「さっ、行きましょ行きましょ。」

 糸子に押されリュウトが辿り着いた先は、廊下を出て右側、2つ先の部屋だ。入り口の扉には『ネドコ』と書かれた札がぶら下がっている。

「ここです。さっ、入りましょう。」

 扉を開け、中に入る。部屋の中は暗かった。厚手のカーテンが日差しを拒むかの様に閉まっているからだ。しかし、暗いといっても真っ暗という程ではない。何となく見える部屋の中は、何とも殺風景だった。タンスや収納家具等は見当たら無く、あるのは壁に埋め込まれている60インチ程のテレビと、大きなベッドがドンっと部屋の真ん中に置かれている程度だ。

 ?

 ベッドに何か横たわっている。あれは・・・

 パチンッ

 糸子は入り口付近にあるボタンを押し、部屋の明かりを点ける。

 ・・・やっぱり・・・

 リュウトは、ハッキリとその『何か』の正体を確認する。

「・・・しおり・・・」





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