第6章 インターネットの出逢い!
庭へ出たところ、頭上には雲一つない秋の空が広がっていた。
天高く馬肥える秋。そう呟いて大きく伸びをしてから、さくらはしかし、澄み切った青空には不似合いな重い気分になった。もう十月に入ったので年末に迫る婚約の納期(!)まで後三カ月を残すのみ。それなのにプロポーズどころか、まだ付き合うべき相手も発見していない。
今日はこれから大学時代の女友達と映画を観に行くのだが、そんな時間の無駄をしていていいものだろうか、と考えないでもない。
それにしても、中国語講座の成果(?)を報告しようと立ち寄ったところ、昨晩おでん屋がいつもより早く閉まっていたのが気になる。ジョーの携帯に電話すればいいだけのことだけれど、このところおでん屋で顔を見るのを常としているので、どうもわざわざ電話するのが照れ臭くもあり
すると先ほど居間で電話をしていた母が、話を終えたらしく声をかけて来た。
「さくらちゃん、お母さんこれからちょっと慶子さんの家へ行って来るから、戸締りして出かけてちょうだいね」
母が何でジョーの家へ行くのか興味があったので、さくらは尋ねる。
「慶子おばさん、今日はお店を閉めているの?」
おでん屋は日曜日と月曜日が休業日で土曜日は昼夜営業しているはずだった。
「何だか
母がいう集まりとはご近所会と称する主婦グループで、老人ホームへの慰問とか寄付金集めのバザーなどの活動をしており、母のカラオケや食事会仲間のベースでもある。
それにしてもおばさんが調子悪い時に、息子のジョーはどうしたというのだろう。
「お母さん、ジョーは家にいないの?」
「なんでも学会でアメリカへ行っている最中なんですって」
さくらは口をあんぐりとさせる。
アメリカって、あの空の向こうのアメリカ?
何でそんな大事なことをこの私に言い残して行かないのだろうか。きっと出張の話なんてずっと前から決まっていたに違いないのに、海外へ行くなんて素振りもみせなかったことが、正直言って気に食わない。こちらは婚活大計画をすべて打ち明けているというのに、これは裏切りに近い行為ではないか。
安藤家の造りはこの一帯を開発した同じ不動産会社の設計なのでさくらの家に良く似ている。違うのは扉の色と窓枠の色。おばさんが明るい色にしたいと望んでいるとのことで、ジョーが大学生の頃にペンキでクリーム色に塗り変えた。さくらもペンキ塗りの手伝いをして、ジョーからバイト代を幾らかまき上げた憶えがある。
母がドアのベルを押すと、多少顔色が青醒めてはいるがいつもと同じく笑顔のおばさんがローブを羽織って顔を出し、大事ではないらしいと知ってさくらは胸を撫で下ろした。
「あら、さくらちゃんまで。ごめんなさい、ご心配かけて」
「慶子さん、寝ていらっしゃって。これ、お昼に稲荷寿司をいっぱい作ったから、よろしかったら食べていただこうと思って」
そう言うと、母はゴルフに行っている父の夜食にと取っておいたお昼の稲荷寿司を差し入れした。
「まあ、すみません。じゃ、ありがたくちょうだいします」
「慶子おばさん、ジョー、何時帰って来るんですか?」
さくらが尋ねると、おばさんは微笑した。
「あら、聞いていない? 今晩成田に着くはずよ」
どうやらおばさんはジョーが海外出張の話ぐらいこちらにしていると思っているらしく、さくらは気まずくなって苦笑する。後で彼をとっちめてやらなければいけない。
おばさんは遠慮していたが、母はお吸い物でも作りますと言い張って上がり込み、さくらは友達との約束の時間も迫っていたので安藤家を辞したのだった。お節介な母がしばらくおばさんの傍にいてくれるだろうから、一安心ではある。
駅に向かって歩きながらも、さくらの心は晴れなかった。婚活の件ではない。義兄弟のジョーが家を空けることを、それも海外へ行くことを教えてくれていなかったことが不満なのだ。
そういえば彼は去年の今頃やはり学会でアメリカへ行ったと記憶している。お土産を買って来て、とおねだりしたはずだから、あの時は前もって教えてくれたのではなかっただろうか。向こうの大学のロゴがついたトレーナーをもらったはずで、女性用とのことだったが大き過ぎて、着ると太く見えるので引き出しの奥に仕舞ったままだ。
「これからは科学的にパートナーを探す時代よ」
アメリカのラブコメ映画の後に立ち寄ったパーラーで、さくらの大学時代のクラスメート、直美は力説した。彼女は出版社に勤務しており、仕事がキツくて、そろそろ永久就職を狙いたい、とここ数年よく結婚願望を口にしているがまだ彼氏がいない。
モンブラン・パフェにトッピングされたマロングラッセの味わいを楽しんでいたさくらは、どういう意味かわからずに怪訝な顔をした。科学的な出逢いなどより、先ほどの映画に登場したみたいな自然な出逢いがいいに決まっているではないか。
主人公の男と女が大学のキャンパスで出逢い、デートを重ね、一度別れてから、やはり互いのことが忘れられなくてハッピーエンド。スクリーンに映し出される恋愛にどっぷり浸かり切り、あたかも自分が主人公に成ったかのごとくハラハラどきどきし、一緒に泣き笑いする二時間だった。
そして何故だか相手の男にジョーを重ねてしまったのだ。中国系の血が混じっているというアメリカ人男優が黒に近い褐色のぼざぼさ髪で黒い眼差しをしていたからかもしれない。好きなタイプの男優ではある。
さくらは妄想を振り切り、直美に尋ねる。
「科学的、ってどういうこと?」
チョコレート・パフェを食べていた直美がこちらに身を乗り出した。
「ネットで探すことにしたの」
「えーっ!」
さくらは愕いて思わず声を上げた。出逢いサイトといえば、見知らぬ男と女が出逢ってエッチする、あれではないだろうか。
勘違いされたことに気づいたらしく、直美が顔をしかめた。
「ちょっと、誤解しないでね。私が登録したのはお見合いサイト。真剣に結婚を考えている人が集うサイトよ」
そういえばその手のサイトの噂を耳にしたことがあるが、実際に利用している人に逢ったのは初めてだった。先日理系の柿原に聞いたところでは、フェイスブックなどのソーシャルネットワークは何十億の人が見ているということではなかっただろうか。
「でもそういうのって怖くない? 自分の写真とかを全世界に発信するって。悪用されたりヘンな人につきまとわれたり、とか・・」
さくらが怖気づくと、直子が笑いながら説明した。
「そうじゃないわよ。お見合い系出逢いサイトは登録会員の人だけが検索できるようになっているの。色々なサイトがあるから私も調べてみたんだけれど、会員数が多いということだけではなくてちゃんと身元証明をしてくれるところを選んだわ。ほら、三十歳独身とか称して開けてみたら五十の既婚者だったとか、困るじゃない」
なるほど、とさくらも直美の話に引きずり込まれた。
「それにね、有料のサイトにしたの。無料サービスとかもあるんだけれど、人生の一大事、結婚の相手を探すのにお金を惜しむような人が集まるところ、イヤじゃない。タダだったら冷やかし半分もいるかもしれないでしょう? 出費を厭わず本気で結婚する気のある人に出逢いたいもの」
直美の説明にさくらは深くうなずく。本当にその通り。ケチな男なんてご免蒙りたい。
結婚に関心がある人だけが集う、というのは魅力だ。それだったら、付き合ってもいいけれど結婚は敬遠する、みたいな不真面目な男は排除できそうで、お付き合いをすっ飛ばして、いや、短縮して結婚に漕ぎ着けることができそうな気がする。
年末までに婚約、とのキビシイ目標に向けて力強い科学の見方(!)を得られそうなことに喜んで、さくらは瞳を煌めかせた。
「で、直美、ネットのサービスってどうやって相手に出逢うわけ?」
「先ずは登録する時に自分のプロフィールをうーんと細かく記入するの。出身地、学歴、勤務先、家族構成、身長・体重、趣味っていったお見合いの釣書にありそうな項目の他に、結婚相手に望むこと、とか、どういう結婚生活を送りたいか、とか。ほら、例えば現実的な問題として、子供が欲しいかどうか、とか、親との同居がOKかとか。」
フムフム、とさくらはパフェのアイスが溶けはじめたのも忘れて熱心に直美の解説を聞いた。
こちらの条件にぴったり合った人を探し出してくれるとしたら、大変便利なシステムではないか。世の中には何百万人(?)もの花婿候補がいるはずで、どう考えてもその全てと偶然に出逢うとか全員と面談するなんて満員電車に何回乗ったとしても到底無理な話なのだから。
そこまで考えて、さくらはふと、コンプピューターが割り出してくれて条件がピッタリだったとしても逢ってガッカリでは意味がない、という肝心な点に思いを致す。
「で、やっぱりお見合いみたいに相手の写真が見られるの?」
「もちろん」
「年収とか、わかるの?」
「もちろん。ちゃんと給与証明書を提示している人もいるわ」
さくらが甚く感心すると、直美はまるでネットの出逢い会社の廻し者のごとく登録から出逢いまでの手順を詳しく教えてくれた。
その晩家に帰ると、さくらは早速自分の部屋に籠り、机の上のパソコンを立ち上げて直美に教わったインターネットの出逢い会社のサイトを開けてみた。
お見合いサービスの入会金はこれまで婚活に投資した様々な入会金と似たようなもので、月会費は一回の合コンより安いぐらいだ。いや、たとえ膨大な金額だったとしても、親に借金してでも入会したに違いない。なにしろ世界(日本全国)を相手に花婿探しができるのだ。さくらはサービスに即刻登録した。
さあ次は自分のプロフィールの記入だ。学歴、勤務先、家族などはササっと記入できた。ネット婚活先輩の直美によると、趣味や好きなモノなど、なるべく細かく記入する方が相手に自分を良く知ってもらえて良いとのことだったので、さくらは腕まくりしてパソコンに向かう。
「好きな食べ物」と尋ねられたら、和食だ。そこでふとジョーの顔などを思い浮かべてしまった。まったくアメリカに行くことを内緒にしていて、その上もう帰って来ているだろうに挨拶もない。さくらはちらりと机の上の置時計を見遣って、脳裏から温かいおでんの匂いと彼の面影を振り払う。
好きな食べ物はおでんとか惣菜料理、などと本音で書いたらケチな男しか集まって来ない懸念がある。フランス料理も大歓迎だし、イタ飯も大いに結構、中華や韓国料理も好きだ。しかし、何でもOK、と書いたりしたら意見のないツマラナイ女性だと思われてしまわれかねない。
「和食」と記入してから、年寄り臭く思われるといけないので、「おうちご飯」と付け足しておく。
一応料理教室に(一日だけ)通った身なので、ハッタリではあるが、趣味には料理と記入しておくことにしよう。これで素敵な彼氏が釣れたら(失礼!)あの料理教室に支払った入会金のモトが取れるというものだ。
さて「相手に望む条件」という項目を記入し始めてさくらはハタと考える。
直美によると相手の年収で該当する男性を検索することも可能だそうだが、お金があるに越したことはないにせよ、金持ちでも横柄でイヤなやつより、それほど稼いでいないにせよ性格が良い男、気さくで話しやすい男がいい。
さくらは再びジョーの面影を思い浮かべて、慌ててそれを脳裏から叩き出す。今、大事なプロフィールの作成中なのだから、彼のことを案じているヒマなどないのだ。
子供が欲しいかどうか。そんなことは今まで一度も真剣に考えたことがない。なにしろ奥手でエッチなことなど未経験なので、できちゃった婚を狙う女性達に比べてはるかに出遅れている。でも結婚したら子供を育てるのが当たり前だとは信じているし、それも一人っ子じゃなくて、やっぱり兄弟が必要だ。
さくらの脳裏にジョーの面影が執拗に入りこんで来る。彼だって小さい時は可愛かったのだ。
一緒にずいぶん遠くまで「探検」に出かけ、こっちがお菓子屋さんの看板や公園の花に気を取られてつい道に迷っても、ジョーは何時も正確に方角を憶えていて家へ帰る道を発見してくれた。任せておけ、といった自信に満ちた生意気なジョーの顔は、あの頃からあまり変わっていないかもしれない。
家族との同居。婿入りしてもらえるような格のある家ではないのでうちの親と一緒に住んでもらう必要はない。でも、やっぱり東京がいい。いや、愛があれば何処へでも行く覚悟はあるはずだ。
相手の親との同居? そんな問題は考えたことがなく、どうやら結婚というのは映画のように結婚というゴールインがハッピーエンドでそこで終わるわけではなく、そこから始まるらしい。
当たり前のことだけれど、そのことに気付いてさくらは微かなショックを憶える。だって、そこから長い歩みが始まるとしたら、後三カ月で婚約、とリキ入れているのが少し浅はかに思えてこないでもないからだ。
慶子おばさんの先ほどの青白い顔を思い起こした。ジョーがちゃんと予定通り帰宅しておばさんの面倒を見ているのか、ちょっと気になる。いや、本当のところは定例の金曜日に彼の顔を見なかったのでなぜか落ち着かないのだ。中国語教室の経緯も話していないし。
そこまで考えてさくらはいささか不安になった。自分達は血が繋がった双生子というわけでもないのに、義兄弟の片割れであるジョーのことがいつもなぜか気になる。そして、こちらが心配してあげているのに何も連絡して来ない彼に無性に腹が立ちはじめた。
さくらは携帯を取り出して、メモリーに入れてあるが滅多にかけることがないジョーの電話番号をプッシュする。どうやら彼の携帯はオフになっているらしく、メッセージを、との案内があったが、さくらは無言で携帯を切った。
今週のさくらはすこぶる機嫌が良い。
というのもネットのお見合いサイトに登録して以来、毎日のように交際申し込みなるメッセージが届くのだ。これは春子の結婚式で着飾ったところを友人に撮ってもらった写真のせいかとも思う。我ながら良く撮れているので母に見せたところ「お見合い写真になるじゃない」と太鼓判(?)を押された一枚なのだ。
苦節二十九年、この自分にもようやくモテ期が到来したのでは、と舞い上がりたくなる。これをどうしてジョーに報告(自慢)しないでいられようか、とさくらは意気揚々とおでん屋を訪れたのだった。
ガラス戸を開けると、カウンターの向こうでジョーが「おー」と迎えの言葉を吐いた。何も変わっていないらしいことにひとまず安心する。
カウンターの定番の席に座り、さくらはジョーに微笑すると、ビール瓶とグラスを差し出しながら、彼が照れ臭そうな顔で言った。
「この前お袋の見舞いに来てくれたんだって? 感謝するよ」
おっと、そんな素直な口を利かれると調子が狂っていささかやり難い。さくらは景気良くビールをグラスに注ぎ、彼を咎める目つきで見上げた。
「あのさ、こっちは兄弟同然のつもりなんだから、いなくなるんだったら一言挨拶してから行ったら?」
不機嫌を装ったつもりだったのに、ジョーの顔が明るくなったような気がする。
「さくら、それってさ、俺の顔が見られなくて淋しかった、ってことだよな」
まったく自分に都合のよい解釈ばかりするヤツだとは思いつつも、さくらは苦笑した。突き詰めてみれば(?)そういうことでもあるからだ。しかしそんなことを認めるのもシャクなので、さくらは姉貴分の沽券を保つべく説教した。
「そういう意味じゃないわよ。ただ、ジョーがいないと慶子おばさんが一人になっちゃうから、万が一何かあった時に困るじゃない。だから、連絡先ぐらい置いておくとか、してよね」
おでんの盛り合わせの皿をこちらに手渡しながら、彼が不思議な表情を浮かべた。唇をちょっと引き締めて、それは何か言いたいことがあるのに言わずにいようとの決意、どこか物憂げな眼差しだ。
「ジョー、何か、あったの?」
「いや、・・何でもないさ」
彼はすぐにいつもと同じ微笑を浮かべたけれど、さくらは間違いなく見たのだ。彼の瞳が一瞬こちらの胸に直接語りかけるみたいに暗く翳ったのを。すっかり忘れていたのだけれど、前にも彼がそういう表情を垣間見せたことを思い出す。そう、彼の失恋か何からしい、と推測した晩のことだ。
彼の女。厭な気分が胸の内に立ち込めて来たので、さくらは早急に話題を変えることにしてわざと朗らかな声を出す。
「ねー、私、すごいモテ期に入ったの」
ジョーはこちらの日本語がわからないと言う風に困惑の表情を浮かべた。
「あのね、ネットのお見合いサービスに登録したの。これがすごいんだ。年収一千万(六百万なんてケチな金額ではない!)以上稼ぐ人、とか検索すると、ザーっと候補者をリストアップできるの。それで、いいな、っていう人をクリックすると出逢えるっていうわけ」
いかにも不愉快そうな面持ちでさくらの話を聞いていたジョーはカウンターから身を乗り出すと怖い声を出した。
「おい、さくら、そういうのは絶対ヤメておけよ。だいたいネットなんて信用するな。どういうヤツかわからないじゃないか。もし変なヤツだったらどうするんだ?お前、殺されかねないぞ。知っているか? アメリカの連続殺人魔の被害者はみんなネットの出逢いサイトで知り逢ってフラフラ出かけて行ったバカな女達なんだ」
ジョーの真剣な顔つきにさくらは愕く。アメリカのラブコメ映画にはネットで素敵な相手に巡り逢った話があったと記憶しているが、現実の世界はそうではないのだろうか。
「ちょっと待ってよ。あのね、直美に教えてもらってちゃんとしたサービスに登録したの。男性の独身証明書とか勤務先の証明書とかもプロフィールについていて身元確認できるんだから」
ジョーはしばらくさくらをじっと見つめていたが、続けた。
「それだって危ないよ。大企業の社員がストーカーや痴漢で逮捕されているじゃないか。ネットで知り合おうなんて企んでいるヤツの中には変なヤツがいる可能性もあるってことだ」
せっかく久し振りに逢ったというのに、どうやらジョーはなにやら機嫌を損ねているらしく、さくらはどう説明したものか考えあぐねる。
「でも、ちゃんとしたお見合いサービスらしいの。条件が合う人を検索してくれるし、こちらがOKしないと写真とか個人情報が相手に洩れたりはしないの。で、ネットのサイトでメッセージを送り合って、この人だったら、と決めた際にはメールアドレスを交換して逢う場所とか、自分達で決める仕組みなんだ」
さくらの話を真面目な顔で聞いていたジョーが、尋ねた。
「お前、そんなにまでして、その条件が合う人、とかに出逢いたいのか? いったいその条件、って何なんだ?」
突然の彼の問いに、さくらはいささか狼狽した。的を突いた質問で、実はさくらには自分でも答えがよくわかっていないのだ。しかし、何か答えないことには、ここまでの婚活の努力が無駄に思われてしまう。
しばらく見つめ合ってから、さくらは本音を吐いた。
「本当はね、私にもわからないの。・・でも、きっと出逢ったら、何を探していたのかわかるような気がする。きっと、この人だって、わかると思う」
今までこんなに自分に素直になったことなどなかったような気がする。いつもは軽口を叩き合う仲なのに、なぜか今夜は、今夜の彼の前では嘘がつけなかった。
ジョーは何か言いかけたようだったけれど、諦めたような淋しげな微笑を浮かべると、ぼそりと吐いた。
「ま、遠くまで探しに行かないとわからないんだったら、行けばいいよ。でもね、ネットで知り合ったヤツと夜逢ったりホテルで逢ったり絶対するなよ。男ってのはね、うわべは温厚そうに見えてけっこう獰猛な動物なんだ」
「じゃ、ジョーが私のボディーガイドについて来てくれたら、嬉しいわ」
さくらが軽口を叩くと、ジョーはふっと薄く笑った。
それから彼は奥の帳場の下の棚をゴソゴソやると、小さな筒みを取り出して来てぶっきらぼうにさくらに手渡した。赤いリボンがついたブルーの箱を手に、さくらは尋ねる。
「これ、何?」
「何ってアメリカ
「開けていい?」
「うちへ帰ってから開けたらいいよ。・・ささやかなやつだから」
彼の言葉を無視してさくらが包みを開けると小さな箱の中には銀のチャームが入っていた。鎖にぶら下がっているのはSのイニシャル。
「大感激!」
さくらがチャームを手首につけて見せびらかしながら嬉しそうに言うと、ジョーは照れ臭そうに笑った。
自宅のパソコンを立ち上げてお見合いネットにログインし、交際の申し込みをして来た男性のプロフィールを読み、写真を眺める。直美は一日10通ぐらい申し込みがあると語っていたから、一日20通ぐらい、というのは誇れる数字に違いない。
本当だったら万歳をしたいところだが話はそう簡単ではない。何故なら交際を申し込んできた男達がどれもイマイチだからだ。大学卒、東京在住でそれなりの年収がある人。そこまではいいのだが、写真を見てもどうもピンと来ない。
先日ジョーに豪語したように、出逢ったらきっとわかるにちがいない、と曖昧に期待していたのだけれど、それなる啓示を感じないのだ。いや、これは写真だからであって、本人にあったらピンとくるものだろうか。
しかし考えてみるとアスレチック・クラブで出逢った逞しい歴男(紀香の今の彼)とか料理教室で出逢ったイケメン妻帯者とか、結局縁がなかった男達にピンと来るようでは自分のアンテナにはどこか狂いがあるのかも、とも思えてくる。
さくらはふと右手首につけている銀のチャームを眺める。前はトレーナーだったのが今度はアクセのプレゼントというのは進歩だろうか、と考えて可笑しくなる。
そしてふと、彼は他の人にも土産を買ったのだろうかということが気になりはじめた。慶子おばさんには何か買って来たに違いないけれど、はたして他の女の人には?
なんだかそういうことを考えると不愉快な気分に陥りそうだったので、さくらは再びネットサービスに関心を向け、結局これまでに交際申し込みをしてくれた多々の中から三十五歳の商社マンを選んだ。
ゴルフ場で撮ったらしい写真の笑顔が爽やかでイケメンだったし海外を飛び回る仕事だが和食が好きという自己紹介に好感が持てたからだ。
直美の話によると数回メッセージをやりとりしてから出逢いを設定するとのことだったが、商社マン氏は翌日のメッセージで、お逢いしましょう、と提案してきた。行動力に優れていることの証左かもしれず、こちらも年末の婚約を目指して急いでいる身なので果敢に(!)承諾のメッセージを送り返した。
さくらはいそいそと六本木のミッドタウンにあるホテルへ向かう。この高層階にあるロビーで例の商社マン氏と初めて逢うことになっているのだ。ジョーはホテルでなど逢うなと忠告してくれたが今日は土曜日、午後のお茶をするぐらいだったら大丈夫だろう、と判断した。
メールを数回やり取りしただけの見知らぬ人と逢うというのは、やはり勇気がいる。それも、もしかしたら彼が将来の夫になる人かもしれないのだ。いや、本当に素敵な人だったら、年末も迫り来ているのだから、今日の第一印象で即刻彼に腹を固めてもらいたいものである。
何を着て行こうかずいぶん悩み、頭を捻って考えた。商社マンの妻というのはきっと海外で接待のためのホームパーティーのホステスをしたり華やかさを求められるに違いない。エレガントであるべきだろうけれど、週末に浮いた格好をしたのではTPOの感覚を疑われかねない。
結局オフホワイトのニットのツインにツィードのスカートという落ち着いた服装に決定したのだった。
ジョーにもらったチャームを手首から外そうかどうか迷い、やっぱりつけたままにした。実際、プレゼントをもらった日以来、腕時計を左手首に、これを右手首につけるのが習慣になっている。なぜかこのチャームが力づけ、守ってくれるような気がするのだ。
約束の時間より早めに到着して、さくらはホテルの高級感あふれる化粧室で念入りに化粧を点検した。
鏡の中のいつもより綺麗に見える自分に満足しつつも、妙な違和感を拭えない。それはあたかも、白い服を着た自分がまるで誰か間違った男との結婚式に向かう花嫁であるかの気分なのだ。これから式が始まるのにそれを躊躇っている、というごとく。
そんな気迷いを振り払うと、さくらは鏡の中の自分に笑いかけて
写真の面影に似た男性がロビーの椅子に座っており、こちらに気づくと近付いて来た。さくらの心臓が高鳴る。これが生まれて初めての、まさにお見合いなのだ!
軽く自己紹介を交わしてから、彼に先導されてロビーにゆったりと配置されたふかふかのソファーに向かう。畏まったウェイターが革表紙の立派なお茶のメニューを持ってやって来ると、商社マン高階氏はこちらの緊張を解きほぐすかのように、これなんかどうかな、とさくらが選ぶべきお茶とケーキのセットを示してくれた。
休日ということでカジュアルなツイードのジャケットにノーネクタイという服装の高階氏がソツなくウェイターにお茶を注文する姿を見ながら、さくらはまるで自分の魂が身体を抜け出て自分と彼を上から観察しているような気分になる。
顔つきといい、恰好といい、身のこなしといい、パーフェクトな男だ。学歴や就職先も条件にピタリ。結婚を前提に付き合いたい、と相手を探しているとのことだったので、ここで彼に気に入られれば、年末までの婚約も夢ではない。来年の今頃はどこか海外にでも商社マン夫人として彼と共に駐在しているということも有り得る。
全て揃っているはずなのに、しかし、ヒラメキ(トキメキ)がないのだ。心が揺れない。
さくらは緊張と言うより淡い無関心にとらえられはじめている。これはいけない、とブランドらしい陶器に注がれた紅茶カップに口をつけながら彼の言葉に耳を傾けた。
「この季節のロンドンは紅葉がとても綺麗なんですよ。あちらの街は由緒ある立派な石造りの建物が並んでさながら絵画のように美しい。ああいうところに住むと、もうこのゴミゴミした東京にはとても住めませんね」
でも私はこの東京も大好きだけれど、とさくらは思う。確かに美しいとは言えないペンシルビルが勝手気ままに立ちごちゃごちゃしているけれど、小さい店が処狭しと軒を並べる裏通りの醜い佇まいにはそれなりの居心地の良さがあるのだ。
ふと、ジョーの小狭いおでん屋を思い浮かべて、さくらは或る種の懐かしさに似た郷愁を呼び起こされた。
結局高階氏が五年間滞在していたロンドンの素晴らしさを讃えるたびに、さくらの胸に良く言えば違和感、悪く言えばカチンとくる不快感が湧き、その優美な街ロンドンを彼と共に訪れてみたいというより、生まれ故郷東京のために弁明してやりたいという想いを引き起こされる。
「ご家族はどうしていらっしゃるんですか?」
彼の「ロンドンでは」という
「両親は東京住まいですが、心配要りません。僕はね、あちら(外国)でもそうですが、家族は何事も夫婦が基本だと思っているんです。親と同居なんて考えたこともないし、うちの親は、子供には迷惑をかけたくないから老いたら老人ホームにでも入居するって言っています。あちらでは、子供が親の面倒を見なくてすむようにちゃんと老人の世話をする社会サービスが発達しているんですよ」
一種の模範解答には違いないが、何か価値観が違うという気がする。
さくらは一人っ子で、両親のことはとても好きだし大切なのだ。もし万が一両親が病気になったり動けなくなったりしたら、娘の自分としては出来る限りのことをして育ててくれた恩返しをしたいと思っている。だから歳老いた親は社会に任せておけばいいとの見方には、正直言って同感できないのだ。
そうはっきり言うのも相手に失礼な気がして、さくらは眼を伏せ、手首に光っているチャームに眼を止めた。
再びジョーの面影が脳裏を掠め、慶子おばさんの顔を思い浮かべ、きっとジョーだったらこういう言い方はしないだろうと確信する。おばさんに何かあったら彼は絶対手を尽くすだろうし、この私にとってだって彼は弟分のようなものだから慶子おばさんも或る意味では家族なのだ。
さくらが問い
「どの人も素敵な女性でしたけれど、寺内さんほどではなかったな」
こちらに向けられた微笑は魅力的ではある。本来だったら舞い上がるべきなのだろうけれど、さくらは、返礼しなくては、と唇で形作った微笑を強張らせた。
きっと彼は次に逢う女性にも同じ台詞を吐くような気がする。だって、彼が一人で喋るばかりでこちらはまだ何も話していないのだから、彼には私のことなど何もわかっていないはずだ。
お茶を終えて別れた後、「それじゃ、また」と高階氏は述べたが、結局何も折り返してこなかった。たぶん彼にもさくらが商社マンの妻向きな人間ではないということが薄々わかったに違いなく、さくらにとっても彼の誘いがなかったのは残念というよりもどこかほっとする思いだった。
結婚を前提として男性と話をするというのは初めての経験で、ほんの短いお茶の時間に多くのことを教えられた、とさくらは思う。
それは要するに、釣書だけでは相手のことが何もわからない、ということだ。大概の女性が理想とする条件をすべて兼ね備えた男だとしても、その彼と自分の相性が合うとは限らないのだ。当たり前の事実だったのかもしれないけれど、眼からウロコが落ちるとはこのことで、さくらには新鮮な愕きだった。
「さくら、それってもったいなかったじゃん」
商社マン氏とのいきさつを電話で報告すると、ネットお見合い先輩の直美が携帯の向こうで溜息をついた。
「で、直美は? 誰か惹かれる人に出逢えた?」
高階氏と二人で逢ってみる、と報告した時には、直美は既にネットで知り合った男性二人とデートを予定していたはずだ。電話の向こうから再び溜息らしきものが洩れてくる。
「ま、こっちも似たようなものではあるわね」
直美によると、ある男性は写真では快活な笑顔を見せていたのだが、逢ってみたところどうしようもなく暗いのだという。もう一人は写真どおりのイケメンだったが、なにしろ
「なんだか自分と結婚できるお前は幸せ者だ、とか抜かしそうなできあがったタイプなのよね。どおりであれだけのイケメンがまだ残っているのか、理解できたわ。あれじゃあ、これまでも女性に肘鉄を突かれたに決まっているもの」
直美は既に三人目の男性にも逢ったそうで、これは今思案中とのことだった。
「あのね、イイ人なの。ちょっと優し過ぎて、こういう人はこのキビシイ世の中でやっていけないんじゃないかな、とこっちが心配になっちゃうぐらい。きっと会社でも抜け目のない同僚に先を越されたりするんじゃないかしら、ってね。でも、気になるのよね。この人、私がついていてあげなきゃいけないんじゃないか、って他人事なのに心配なの」
さくらは直美の言葉を
「それって、直美はその人に惚れているってことでしょう?」
携帯の向こうでしばし沈黙してから、直美が「たぶん」と答えた。
(第7章に続く)
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