第4章 当世合コン事情!

 銀座にある洋風居酒屋にさくらは向かう。今夜は里子の会社の後輩が企画したとの合コンだ。八月のお盆休みも近いとなるとメンツを集めるのが難しいそうで、里子は先輩として義理で出席してあげることにしたのだと言う。


 ついでだから婚活しているさくらも出席にしておいた、との里子のありがたい(?)配慮のおかげで、さくらも久々に合コンなるものに参加することになった。


 電子メールで回覧されてきた店の地図をプリントしたものを片手に、銀座四丁目の細い裏通りをお目当ての番地を求めて歩く。


 地下鉄も冷房不足で生温く不快であったが、地上に出たら夜だというのにやたらと蒸し暑い。合コンだからと新調したボレロつきのキチンとしたワンピースを着て来たのは失敗だったらしく、早くも脇の下や首筋が汗ばんでいる。


 あっ、ここだ! オジサンじゃあるまいし店内で汗を拭うのは「恰好悪い」の極致なので、さくらは店の前で丹念に額の汗を拭った。会に出席する前に化粧室でお化粧直しをしないと、と思いながら狭い階段を登り二階にあるその居酒屋に向かう。


 はたして扉を押して店に入ると里子が既に到着して奥のテーブルに座っており、目敏くさくらを見つけて手招きした。こうなると身だしなみを整えに化粧室へ行くヒマもないので、さくらは招かれた席へと直行する。


 壁に沿って長いソファー席、幾つかのテーブルを並べた反対側には椅子が四つ並べられ、既に里子と同僚の女の子が二人、ソファーに深々と腰掛けていた。


 あれっ、男性は? とさくらが不思議に思うと、里子が説明した。


「彼ら、ちょっと遅れるんだって。で、先に始めちゃおうと思って」


 確かにテーブルの上には早くもビールのジョッキとアペタイザーらしき皿が並んでいる。早く来るのは恰好が悪いのでわざわざ少し遅れて参加しようと考えていたさくらは、どうやらその恰好悪い女達に連なってしまったようだった。


 それにしても一応合コンなのだから男性陣を待たずにビールを飲みはじめるのはヤバイのではないだろうか。


 しかしどうやらそんな殊勝しゅしょうな(?)発想をする人間はさくら一人だけらしく、里子とその後輩らしき女の子達は既に豪快にビールジョッキを傾けている模様。


 幹事らしき女の子に飲み物を尋ねられて「じゃ、私もビールを」とさくらが答えると、彼女は指を鳴らしてウェイターに「ビール、もう一杯追加お願いしまーす!」と威勢よく注文した。


 坂入照美という名の彼女はビーチにでも似合いそうな大きく胸が開いた鮮やかなマリンブルーのタンクトップ、前屈みにでもなったら胸の谷間が見えかねない。


 もう一人の女の子、大河原麗は今流行りのアニマルプリント、豹柄のノースリーブを着ている。里子でさえ、ラメがキラキラしたノースリーブ姿で、ネイルにはスワロフスキーのクリスタルが燦然さんぜんと煌めいていた。


 ちょっと、これってみんなNGじゃない!と、「結婚できる服」特集を端から端までマスターしたさくらは内心呆れる。里子の話では彼女の後輩達は合コン・フリークとのことだったが、それだったら合コン向けの服という配慮ぐらいしてもよさそうなものだ。


 ま、独身女性は全てライバルと考えると、清楚な白いワンピで登場した今宵の自分にはアドヴァンテージがあると思え、さくらは女性仲間に余裕の微笑で折り返した。


 しばらくして男達が揃ってやって来た。彼らは皆近くに本社がある電機メーカーの社員だとのことで、女性達が怖ろしい(?)のか並んで道を渡る学童みたいに連れだって合コンにやって来るところが憎めなくもない。


「ちょっと、遅いじゃないですか。お先に始めさせてもらいました。飲み物、ビールでいいかしら?」


 幹事の照美が彼らに口を開くヒマを与えないほどの采配さいはい振り(?)を見せ、男性四人が着席してビールジョッキが運ばれて来ると、お決まりの自己紹介が始まった。


 男性陣の幹事役らしき秋山という男性が最初に喋った。背が低いのが難点だが、はっきりとした口調とそれなりに整った顔立ちは悪くない。及第点をつけたい。


 続いて背が高くひょろりとした大林という人。女性と喋るのは苦手で、と皆の笑いを買ったが、確かに一見むっつりとした表情はウケが悪いかもしれない。でも笑うと結構可愛いので○《丸》。


 高橋という男は営業にいるそうでいかにもヤリ手な感じ。二重の瞳が人なつっこい印象でハンサムではあるが、ちょっと本音が読み難い要注意なタイプだ。


 続いて彼らの後輩だという坂倉という男の子。本人は日灼けだと説明したが茶髪に近い明るい髪色の若い男で、まだ入社して二、三年という感じ。イケメンには違いないが歳恰好からしてバツだ。彼は数合わせのために調達(徴用?)されたのかもしれない。


 全員が揃ったのでいよいよ合コン開始!


 とはいえ開始のゴングが鳴るでもなく、皆でビールを飲みつまみを食べながらワサワサとお喋りするわけだ。八人というのは全員で喋るにはちょっと多い人数なので、二、三、隣り合わせている者同士で話が盛り上がることになる。


 女性陣の最後にやって来たさくらはソファーの左端に座っており、目の前に座っているのはサクラと思われる若い坂倉だ。彼と話をするのは時間の無駄に思え、できれば他の男達の話に加わりたいところだが、どうやらあちらはソファー席の右端に座っている幹事の照美の爆笑を買う発言で盛り上がっているらしき。


「わぁー、スゴーイ! それってホントー? 信じられないわ。大感激ィ」


 こちらの席まで照美の舌足らずな黄色い声が聴こえてくる。


 ここは座を盛り上げるために一緒に「信じられなーイ!」と可愛らしくやればいいわけだが、あちらの端で何の話をしているのかそこが聴こえてこないので、さくらは会話に参加できずヤキモキする。どうやらあのムッツリ男の大林まで相好を崩して嬉しそうに喋っているではないか。


「どうもこういう会は苦手で」とイケメンの坂倉がバツが悪そうな笑みを浮かべた。


 弟分のジョーをはじめ、年下の男の子がキマリ悪そうな表情を浮かべるとつい励ましたくなるのがさくらのサガ。お節介なところは母譲ゆずりだ。


「私も苦手なのだけれど、女の子っていうのは快活な男子が好きだから、ビールでもバンバン飲んでノリノリな感じで行けばいいのよ」


「はあー、ノリノリですか?」


「そうよ。せっかく集まったんだから先ずは楽しまなくちゃ」


 さくらは右手でビールジョッキに手を伸ばして、左手でピザをつかむ。どうやらさくらとサクラの坂倉を仲間はずれにしてあちらの六人だけで盛り上がっているらしいのが不満で、ヤケ飲みヤケ食いをしたくなる。


「ちょっとそれって、ないじゃないでかぁ!」


 さくらの隣に座っているクーガー、いや失礼、豹柄を着た女、大河原麗が笑いを滲ませた大声と共に身を乗り出し、テーブルの上のビールジョッキを見事にひっくり返した。ビールがテーブルに零れてあら大変。


 さくらは素早く周囲を見渡したがウェイターがいなかったので「お雑巾ぞうきん、借りて来ます」とバーのカウンター席まで雑巾を借りに行くべく席を立つ。


 雑巾を手にいそいそと戻って来たところ、なんとテーブルの上にはミッキー柄の大判ハンカチがこれ見よがしに広げられていた。


「大河原さんってよく気がつくね。そういう甲斐甲斐かいがいしい人って嫁さん向きじゃない?」


 男の誰かが茶化してまたもや爆笑の渦。


 一緒に笑いながらも、それはないでしょ、とさくらは胸の中で深い(不快な?)溜息をつかざるを得ない。第一、彼女がガサツだからビールが零れたのだ。それにいい歳をした女がディズニーのミッキーさんのハンカチ、はない。


 さくらは自分もディズニーランドで記念に買ったミニーちゃんのハンカチを後生大事に持っているが、この際その事実は棚に上げ、大河原麗が「嫁さん向き」などと男性陣に称えられていることが面白くない。


「そうだ、さくら、この前の婚活塾の話、みんなにしてあげてよ」


 テーブルの中央で大きな声を出したのは里子だ。紀香に彼氏、いや、アスレチック・クラブで発見した花婿有力候補を奪われた愚痴を、そういえば里子にも面白可笑しく零した憶えがある。


「里子、そんな話、みんなの前でしないでよ」


 さくらは耳朶を赤く染めた。この合コンで婚活のコの字を口にするとはもっての他だ。


「なんですか、その婚活塾って?」


 それまで照美の方ばかり向いて喋っていたヤリ手(風)男高橋が嬉しそうにこちらを向き、さくらは頬まで紅くなったことが自分でもわかる。いや、もしかしたらこれは、自分は真面目に付き合う(結婚する!)気のある男性を探していることをアピールするチャンスとも考えられる。


「冗談の話ですけれど、婚活って流行っているみたいだから、それだったら就職活動、受験勉強みたいに、ハウツーの塾が登場してもおかしくないかな、と思って。ほら、真面目なお付き合いを求めている人にノウハウを伝授するような」


 さくらの話を真面目に聞いているかのように見えた高橋は、つと身を乗り出すと、囁くようにして言った。


「ハウツーだったら何時でもご伝授しますよ。丁寧に手取り足取り、でね。バージン専科、なんていうのもいいな」


 冗談とはいえどうやらくだらない下ネタらしく、一同また爆笑。


 一応苦笑してはみたものの、さくらはビールジョッキに手を伸ばして生温くなったビールを一気に飲み干したのだった。



「要するに、時間の無駄だったわ」


 水でももらってから帰ろうとジョーの店に寄ったのだけれど、さくらはビールを注文した。殊勝におでん屋の採算を考えてあげたと言うより、酔いに酔いを重ねたい悪酔い気分、というところ。


「ほら、水でも飲んで酔いをませよ」


 カウンターの向こうでジョーが世話女房のような口を利き、グラスに入った水がビール瓶の隣にぬっと差し出された。


「失礼ね、酔ってなんかいないわよ」


 さくらはジョーを軽くにらむ。おっと、頭に手拭をまいたジョーがちょっと雄々しい水も滴るイイ男に見えるなんて、これはやはり悪酔いが廻ってきたのかもしれない、とさくらは差し出された水を大人しく飲んだ。


「で、何が時間の無駄だったんだ?」


「要するに、キャピキャピの女の子が黄色い声を上げて大騒ぎする合コンだったの」


「すると何か? また他の女の子に目当ての男を取られて、それでさくらは不機嫌になっているわけだな」


 嬉しそうなジョーの声。


 水を飲んで少し頭を冷やしたので、さくらは姉貴分としての沽券こけんを保つ。


「失礼ね、別に取られたわけじゃないわよ。なにしろ胸の谷間をチラつかせた素っ頓狂なビーチギャルとガサツな豹柄クーガー女子だもの。この清楚な私が負けるハズないじゃない」


「男としては、そういうはすな女の子と女豹みたいな女の子って、興味そそられるぜ」


 ジョーの軽口に、こいつ、いったいどっちの味方をしているの、とさくらはますます不愉快になった。


「あのね、これは合コンだったのよ。援交しようってわけじゃないんだから、もう少し清純で真面目なものを期待していたわけ。それがもうほとんど学生のドンチャン騒ぎのノリ。これじゃあゆっくり相手を見極めるなんて無理だわ」


「楽しかったなら、それはそれでいいじゃないか。どうせ数合わせで顔出したんだろう?」


 そう言えば、勇んで合コンに出かけると明かすのも気恥かしいので、ジョーには里子に懇願されて、と言い訳をした憶えがある。


「でも合コンは合コンじゃない。私の知る限り、合コンっていうのはおっとり可愛く控えている女の子に人気が集中したものだわ。あの大人しい子、いいね、って具合に」


 何回も合コンに出たわけではないから自信を持って断言できないが、少なくとももう少し静かで、男の子が大人しい女の子に質問してみたり、日本人の美徳である配慮(!)というものがあったはずだ。


「それってさくらも歳取ったってことじゃない? だから学生時代の延長みたいな集まりについて行けなくなった、ってことさ」


「失礼ね!」


 ジョーの暴言(?)に眉をしかめ、さくらはグラスのビールを一気に空ける。だいたい、同い年なんだから、歳取った、はないじゃない。まだ華の二十代なんだから。


 そう自分を慰めてはみるものの、確かに入社早々のような若い女の子達と一緒に騒ぐ元気は残っていない。ひょっとして、三十代ともなると完全に彼女達から閉め出されてしまうのだろうか、と不安になる。


 グラスをぼんやりと見つめているさくらのことが多少は心配になったのか、カウンターのあちら側でジョーが少し優しい声を出した。


「で、イイ男はいたのか?」


「別に」


 興味ないわ、という声音でジョーに答えてから、さくらは頭の中で今宵の男性陣四人の総決算をする。


 及第点、秋山という男は反対側の端に座っていたのでとほとんど話す機会がなかった。まあ、軽い照美と一緒に盛り上がっていたぐらいだから、大したレベルではないに違いない。


 大林という背の高い(座高も高い)男は相当酔ってできあがっていたから、ひょっとして酒乱の気がある。高橋というヤリ手男はいやらしいタイプで女癖が悪そうだ。若いイケメン坂倉は素直で悪い子じゃないけれど、一緒に話しているとどうしてもこちらがお姉さん気分になってしまう。


「帯に短し、たすきに流し」


 グラスを眺めながら、さくらは歌うように溜息を洩らす。


「要するに、どの男もさくらのお眼鏡に叶わなかった、ってことだな」


 ジョーが嬉しい総括をしてくれたので、さくらは彼に微笑を振り向ける。

そうなのだ。男達が自分を気に入らなかったということではなくて、こちらからお断りしたい男ばかりだった、ということだ。


「四人が四人とも、たいした男じゃなかったわ」


 さくらが余裕を湛えてそう言うと、ジョーが応じた。


「でもな、ああでもない、こうでもない、なんて男に対する要望水準ばっか高くしてお高く止まっていると、嫁に行き遅れるよ」


 まったく、ジョーはいつも一言多いのだ。


 反論しようとさくらが身構えると携帯電話が鳴った、着メロからしてさくらの携帯ではない。ジョーは奥に向かうと勘定場の近くに置いてある携帯を取り上げて横を向いたまま何やら話しはじめた。


「ああ」とか「いや、もうすぐ閉めるから」という彼の声が切れ切れに洩れ聴こえてくる。


 ジョーの携帯ストラップは前にさくらが香港土産に買って来た中国製の可愛いガラスの招き猫だ。白い猫がまだ彼の電話にしっかりぶら下がっているのを見ながら、さくらはふと不安になる。


 こうして頻繁に彼の店に顔を出してお喋りしてはいるものの、ジョーがこの店の外でどういう生活をしているのか、実は全く知らない。


 高校生の頃までは義兄弟(?)としてほとんど毎日さくらの家で夕食を食べていたジョーは、大学に入ると慶子おばさんのこの店を手伝い出したこともあり、あまりさくらの家には顔を見せなくなった。


 だから彼と話をしたい時にはおでん屋に来るわけで、彼が大学という職場で、或いは他の時間に誰と逢ってどういう話をしているのか、全く不明なわけだ。


 気まじめな顔で電話に応対しているジョーの横顔を盗み見ながら、ひょっとして彼の電話の相手は女の子だろうか、とヘタな勘ぐりをする。すると、何だかいやなものが胸につかえたような気がした。


 こちらと同じく向こうだって三十歳を目前にしているのだから、ガールフレンドの一人や二人(?)欲しいと思っても不思議ではない。


 いや、ガールフレンドもいないくせに、といつもからかってはいるのだが(そしてジョーもそれを否定したことはないが)、もしかしたら誰かいるのかもしれない。


 そう考えると先ほどの厭な気分が胸焼けに近くなり、さくらは慌ててグラスの水を飲み干した。


 ジョーは電話を終えてこちらに戻って来ると、とってつけたように言った。


「お袋がさくらによろしく、ってさ」


 彼の電話の相手が慶子おばさんだったことに深く安堵して、さくらは飛び切りの微笑を振り向けた。



 先日の合コンにいささか辟易として、もう合コンはご免蒙りたい、と考えていたさくらだったが、里子が耳寄りな(?)話を持ちかけて来たので、話だけでも聞いておこう、と夜中に彼女と長電話をすることになった。


「それがね、先週大学の同窓会に行ったわけ」


 里子が卒業したのは有名な(!)私立大学だ。さくらの耳がそば立つ。


「ほら、私は文学部だけれど、同好会仲間の男の子達は理系が多いわけ。そうしたらね、そういう仲間って技術系の会社とかIT関連の会社や研究所にいて、全く女の子に出逢う機会がないらしいんだ。うちの大学って真面目な子が多いから、みんなけっこう普通に結婚したいと思っているらしくて、それで、男が余る、みたいなメディアの記事にノセられてちょっと焦っているみたいなの」


 さくらは大いに興味を惹かれて携帯を痛いほど耳に押しつけた。


 確かに数の上では男が余る計算だとしても、里子の大学を出た男達はそれなりに稼いでいるに違いなくその心配は無用だと思われる。


 しかし、受験勉強を勝ち抜いて来たような真面目な男達こそ石橋を叩きながら真面目に将来設計に取り組みそうなタイプだと思われるので、ここは少し脅かしてでも早く身を固める決意をしてもらおうではないか。


「それで、私が女の子を集めて、柿原君が彼の会社の技系の独身者を集めることになったわけ。真面目な子を集めたいから、さくらも来てね」


「もちろん喜んで!」とさくらは勇む。


 有名大学を卒業して大手の情報産業企業に就職している男。これは釣書としてはトップクラスだ。早くも技系のエリートとのウェディングを妄想しかねないさくらに、里子が言葉を継いだ。


「で、女の子ももう一人ぐらい、会社の子とか、誰か見つくろってくれない?」


 里子に言われて、さくらは誰にしようかと一緒に遊んでいる独身同僚を頭の中でリストアップする。俊子に芦田を取られた苦い(!)経緯からして、美人はノーだ。綺麗なライバルを同席させるほど損な役回りはない。


 ふと、一年後輩の亜由美の顔を思い浮かべた。ぽっちゃりした丸顔でコロコロと良く笑うペコちゃんみたいな子だ。ファッショナブルとは言い難いし美型ではないから、一緒に参加しても心配はないだろう。


 今度こそ失敗は許されない、とさくらは気を引き締めたのだった。



 来週の新たな合コンを控えて、さくらは再び金曜日の夜におでん屋に顔を出す。

すると、いつもより早い時間帯だからなのか、まだ慶子おばさんがカウンターの中に立っていた。


「あら、さくらちゃん、この前はお手伝いして頂いて本当に助かったわ」と慶子おばさん。


「おばさんこそ、もう大丈夫でいらっしゃいますか?」とさくら。


 おばさんに逢うのは盲腸の手術後退院したおばさんを母と一緒に自宅へ見舞いに行って以来だった。


「この通りぴんぴんよ」


 白い割烹着を着た慶子おばさんが笑った。頬が少し痩せ細ったような気がしないでもない。


 おばさんは母と似た歳のはずだけれど、店で客の応対をしているせいか若々しく感じられ、おでん屋の美人ママという風情。こうして向きあって見ると、ジョーはやっぱりおばさんに面影が似ている。


「今、丈にちょっとお遣いに行ってもらったの。すぐ戻って来るから待っていてあげて」


 どうやらジョーを訪ねて来たことは見通されているようで、さくらは多少気恥かしい想いもあったが、取り合えずビールとおでんの盛り合わせを注文してカウンターの定番席で彼の帰りを待つことにした。


「さくらちゃん、お仕事がお忙しいんですって? 本当に最近の若い女性の皆さんって男性と伍して働いて、残業して、エライわね」


 慶子おばさんの褒め言葉にさくらはちょっとこそばがゆい思いをする。


「いえ、それほどでも」


「お母様、心配していらっしゃったわよ。もうそろそろ結婚でも考えて欲しいのに、仕事ばっかりしている、って」


 おばさんが盛りつけてくれたおでんの皿を受け取りながら、母はきっとおばさんに、さくらは毎晩遊び歩いている、とかこぼしたに違いない、と憶測する。


 少なくともさくらの婚活がおばさんにバレていないということは、ジョーはちゃんと二人の話を秘守してくれているらしい。


 ガラス戸が開く音がして、振り向くとジョーが戻って来た。


「おー、来てたのか」とジョーはカウンターの中に入ると手拭を頭に巻きつけた。


「じゃ、ごゆっくり」とにこやかに言うと、慶子おばさんは割烹着を脱いで自宅へ帰って行った。


 なんだか、二人でごゆっくり、とおばさんに言われたような気がして、さくらは居心地が悪くなり椅子の上で座り直す。


「で、今日は何なんだ?」


 冷蔵庫から材料を取り出して俎板の上でお得意の白菜海老ロールを作りはじめたジョーの手元を見ながら、さくらは言葉を選ぶ。


「あのね、また合コンに出ることにしたの。それも今回は理系の男性の集まりなのよ」


 里子の大学の卒業生で大手企業の技術者達で、とさくらは薔薇色の釣書を描いて見せる。


「それだったら大したことはないな。あの会社はこのところ技術革新でアメリカの企業に散々出遅れて業績もイマイチだ。そのうちに技術者の大量解雇とかになるかもしれないよ」


 ジョーの皮肉な発言にさくらは面食らった。


「こっちがせっかく喜んでいるのに、そんな水を差すようなこと、言わないでよね」


「いいか、お前」ジョーはさくらを見ると、少し怒った顔をした。彼が、お前、なんて呼び捨てにするのは不機嫌な証拠だ。


「出身大学と就職先の履歴書だけで結婚相手を選びたいんだったら、少し新聞でも読んで会社の業績と展望ぐらい下調べしておけよ。情報関連ってのはね、業容の変動が激しいんだ。ボヤボヤしていると技術が陳腐化してアウトだからな」


 ジョーの言葉が耳に痛くはある。前にも諭されたところだが、婚活には情報収集活動をも含めなければいけないかもしれない。


「でも、大手の企業は一応安泰ではあるじゃない。里子によるとあそこは外資とも提携しているそうだし」


 教わった提携先の外資企業の名を思い出せずにさくらは口ごもった。


「その外資系、ってのが怪しいんじゃないか。以前にも予備知識がない莫迦な学生が潰れた外資系投資銀行の内定をホゴにされただろう? 優秀なエリート学生だったとしても、自分の入る会社の業績や業界動向も勉強していないやつらに同情する余地はまったくないな。婚活だって同じことだ」


 なんだか珍しく度を越して不機嫌な口を利くジョーの顔をさくらはじっと見つめる。


「ジョー、何かあったの?」


「えっ?」


 ジョーが俎板から眼を上げてこちらを見た。間違いない。彼は何か心配事でもあるに違いなく、それで彼の黒眼がちの瞳がかげっているのだ。


「本当は何か、あったんでしょう?」


 さくらは弟分のジョーの眼を真っ直ぐに見つめた。昔からそうだった。彼は心配事があると慶子おばさんに心配をかけたくないからなのか、それを一人で抱え込もうとする。そして発散する術を知らずに不機嫌になるのだ。


 ジョーがさくらを見つめ返した。


 ジョーの眼差し。言葉で語らなくても胸の奥深くが彼の真っ直ぐな視線を受け止めて、呼応するかに疼く。喋らなくても、わかる。


 彼とは何か不思議な糸でつながっている、とさくらはふと思う。義兄弟として一緒に育ったからなのか、理由などないけれど、彼の無言の痛みがこちらに伝わってくるのだ。


 ジョーはふと目許を緩めると、安心させるかのように快活な口調に戻って呟いた。


「何も、ないさ」


 俎板の上で包丁を握り締め直したジョーの横顔をさくらはしばし眺める。いつになく硬質で男っぽい表情だ。


 ひょっとして、彼は失恋でもしたのだろうか。それとも恋焦がれている女性とは結ばれない運命で、それで心を痛めているのだろうか。相手の女性には夫がいる、とか。


 そう考えると、再び胸焼けに似た厭な気分が胸をふさいだ。本当は、誰か好きな人でもいるの? と姉貴分としては問い質してあげるべきなのだろうけれど、どうにもそういう質問をしたくない。何となく、厭なのだ。


 さくらが沈黙していると、ジョーが顔を上げた。


「それで、さくらは何か相談に来たわけだろう? どうやったら理系の男の心を掴むことができるか、とか何とか」


 屈託のないいつもの調子に聴こえ、隠された悩みらしきものは影を潜めていた。


「そうなの。今度はちゃんと準備して、対策を練ってから出席しようと思って。もう失敗は許されないし、シビアな戦いなの」


 さくらもいつもの調子に戻り、半ば冗談半ば嘆願の口調でジョーに言う。


「じゃ、教えてやるけどさ、男子校を出て理系の大学へ行き、そのまま男ばっかりの企業に入ったようなやつは、先ず女性との話し方を知らない。知らないから不安なわけだ。だから一生懸命に話を聞いてやるとそれだけで舞い上がる。要するに自信を持たせてやることだ」


 なるほど、とさくらは頭にメモる。


「それと、彼らが言うことを鵜呑うのみにせずに、疑問を提示してやる。本当ですか、とか聞かれると勇んで説明できるだろう? わかったような顔をしないで、素朴なことでも何でもいいから質問してやることさ」


 理系のジョーのアドヴァイスを頭に叩き込んだものの、さくらは理科学エリアはまったく苦手なのでいささか自信がない。


「でも質問するベースになる知識がないし・・」


「なに、相手の説明を鸚鵡返しに繰り返して最後に疑問符をつければいいだけだ。相手は女の子と喋ると言うだけで緊張しているから、自分が何を喋ったかなんて憶えていないさ」


 ジョーはそう言うと、こちらに軽く目配せしてみせた。


 彼の柔らかい眼差しを受け止めたとたんに何かが胸の内でクリックして、ギュッと胸を掴まれたような気がする。再び先ほどのジョーの彼女のことが気になった。他の女の子にそんな親密そうな仕草をして欲しくない、というのが本音だ。


 不快な靄を胸の外に押しやると、さくらは最後の質問をした。


「オタクの人ってサイバーのギャルみたいな子が好きな人もいるって聞いたけれど、私もこの間のビーチギャルみたいにちょっと過激なぐらいの恰好をして行こうかな」


 無論冗談だけれど、さくらはジョーの反応を見る。


「そういうの、やめておけよ。だいたいサイバーにハマる妄想男なんてビジュアル系にしか興味がない。この前の白い服でいいじゃないか。あれ、さくらに良く似合っていたよ」


 仕掛けている鍋の様子を見ながらジョーが吐いた言葉をさくらは分析した。

要するにこの私はビジュアル系ではないということらしく、失礼なコメントではある。


 しかし、前回の合コンのために投資した白いワンピを似合うと言ってめてくれたのだから、失礼な見解はこの際見逃してあげてもいい。


 そう考えて、さくらは振り向いたジョーに満悦の微笑を返した。



 理系男との合コンが開かれたのは有楽町にあるイタリアン料理のレストランだった。擦りガラスの扉を潜ると男性陣は既にやって来ており、さくらは胸の内で「男性のあるべき資質」リストにある「時間厳守」の項目にポイントを入れる。


 肝心の里子はまだ来ていなかったので、さくらは自己紹介をし、連れだって来た同僚の亜由美に自己紹介をさせた。


 さくらは前回と同じく白い(純白の!)スタイリッシュなワンピース、何を考えているのか亜由美はひらひらリボンがたくさんついたクリーム色のカーディガンという野暮やぼったい出で立ちだ。


 亜由美を奥に座らせて、さくらは中央に陣取った。これで今夜は三人の男達の全てと話をすることができる。里子が駆けつけて来て、ワインのボトルを抜いていよいよ宴が始まった。


 さくらの正面に座っているのが幹事の柿原。まさに理系を絵に描いたような男性で、金縁の眼鏡を掛けた面長な顔は少し神経質そうなイメージだ。


 向かって右に座っているのが徳川。徳川家とは関係ないそうだが、チョン髷が似合いそうな整った侍顔でイケメンの部類に入れてもよし。


 左に座っているのが兵藤。ひょろひょろした細身の男性、という理系イメージを覆すずんぐりむっくりした、眼が細い男だ。タイプではない、とさくらは胸の内で彼にバツをつける。


 というわけで、さくらは努めて右斜め前に座っている徳川と話すべく試み、幸い彼の前に座っている亜由美は何かというと、「ねー、寺内さん、そーですよね」とさくらに話を振ってくるので、会話は順調に運ぶこととなった。


 前菜のサラダを食べるヒマも惜しんで柿原はソーシャルネットワーク革命について講義(!)してくれている。理系の男は無口だとは、まったくの誤解だったのであろうか。


 その分野には詳しい里子が自分なりの意見を述べ、さくらはジョーに教わった通り、柿原の言葉を繰り返して最後に?をつけ、そうすると彼が更に一歩踏み込んだ解説をするという具合。


 隣で亜由美は皆に甲斐甲斐しくパスタを取り分けたりしているが、ちょっとボケたところがある子だから、「徳川さんの分、もうないです」なんて彼を困らせている。


 六人で三種類のパスタを分けるんだから、ちゃんと目分量で六等分すればいいだけなのに、とさくらは横目で彼女を観察しながらいささかハラハラする。第一、彼女のカーディガンのひらひらリボンにパスタのソースがつきそうで心配なものがある。


 あれっ、とか言って案の定亜由美がフォークとスプーンで掴んでいたクリーム―ソースのパスタを皿にのせ損ねてテーブルにペチャっと落とし、パスタの数本が徳川の膝に落ちた。


 さくらは「待っていました」とばかりにバッグから素早くハンカチを取り出して徳川に手渡す。もちろんディズニーのキャラクターつきなどではなく、男性でも使えそうな無地のブルーのハンカチだ。


「ありがとう。でもナプキンで大丈夫ですから」


 徳川はそう言うと、さくらにハンカチを返して、紙ナプキンでズボンを拭いはじめた。


「本当にスミマセン!」


 亜由美は胸の前で両手を合わせて本心から謝っている模様。徳川は亜由美に笑いかけると、「まったく大丈夫ですから」と男らしい余裕を見せたのだった。


 ワインをたらふく飲み、インターネットの勉強もさせてもらえて、楽しいと言えば楽しい集まりではあったが、整った侍顔の徳川を時おり眺めるという以外はイベントに欠ける合コンではあった。


 その徳川にハンカチを渡し損ねたし、と嘆いているさくらのもとに後日電話があり、それは兵藤からの誘いだった。ずんぐりむっくりの男性はどうも苦手なので、せっかくの誘いではあるが適当な理由をつけてお断り申し上げた。


 亜由美に聞いたところでは、翌日徳川から誘いがあったとのこと。ひらひらリボンの勝利に終わったのだった。


(第5章に続く)



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