第20話

「わたしのせいってどういうこと?」

 探偵の少女が押し殺した声を苦しそうに吐き出す。揺らめいていた黒い瞳に強い光が宿る。怒っているようだ。

「あなたにも誰にも言わずに閉じ込めている秘密はあるでしょ」

「秘密?」そう言う彼女の声に軽んじた響きが混じった。

 嘲るような哀れむような微笑みを浮かべて彼女は続けた。

「あなたちはいつもそうね。もっとみんなを信頼してなんでも話し合えばいいのよ。そうすれば、自分だけで苦しんで・・・あんな風に秘密に押しつぶされることはなかったのに」

 遠くの風の音が木々に埋もれた少女たちのすすり泣きのように耳に届く。そして、大きな嵐の前の一瞬の静けさに似た静寂がほんのわずかに訪れた。

「わかったわ。わたしが秘密を話してあげる」

「どんな話?」

 彼女が朗らかに身を乗り出すと同時に、泣き叫ぶような風が戻ってきた。きっとこれが今夜最後の風になる。風や止む頃には美しい冬が訪れるはずだ。全てを白く覆い隠してくれるあの季節は心が落ち着く。

「あなたが言う別荘地の青年なんていなかったのよ」

 わたしがそう言うと、彼女は本当に意味がわからなそうに首を傾げた。

「なにをいってるの?」

「あなたの話には嘘がある。あなたを導いた灯りは一体誰が灯したの?」

「それは、あの人が」

「あなたのご家族を運んで、埋めて、その足で戻ってきたの?」

「それは・・・」

 手を伸ばして彼女の頬に触れてみるとひんやりととても冷たくて気持ちが良く、少し力を入れるとパリンと壊れてしまいそうだった。

 わたしはゆっくりと優しく彼女に語りかける。小さな子供に語りかけるように根気よく優しく。腹部をそっと撫でていたグレースの横顔を思い出すと自然と話すことができた。

 あなたが話してくれた青年なんていなかったの。だって、あなたが話してくれた別荘はあなたのお父様の持ち物だったのだから。今ではもう全部あなたのものね。探偵さん。あなたはずっと幼い頃から探偵になりたがっていたのよね。でも望むような事件なんてちっとも起きなかった。

 

 事件がなければ探偵になんてなれない。探偵になりたいあなたはどうすれば良かったのかしら。あなたはとても簡単な方法を思いついた。あなたはきっと小さな頃から頭が良かったのよね。そんなに首を振らないで。あなたもわかっているとおりよ。事件がないのであれば起こせばいいの。とても簡単だけれど確実な方法ね。

 あなたは青年が以前にも似たような事件を起こしたって言っていたわね。あなたが起こしたのはそこまでひどくはなかったわ。ただ、そのままあなたを家に置いておくのが難しいとご家族が判断するには十分な事件だったのね。その辺りの話も聞きたいかしら?そう、じゃあ今度にするわね。


 あなたは海辺の別荘地でしばらく過ごすことになった。


 季節外れの別荘地には誰もいないわ。事件を起こしたくたってたいしたことはできない。下町は皆が顔見知りのような小さな町でよそから来たあなたはとても目立ってしまう。本当は、あなたの言う「青年」のように海辺の町で、知らない家族と親しくなって探偵になれれば良かったのかもしれないけど。あの人たちはそんなに簡単に心を開いてはくれなかった。

 違わないわよ。だからそんなに首を振らないで。

 ご家族が訪ねてきた夜に、あなたは決行した。おおよそはあなたが話してくれた通り事件が起きたのよね。違いはほとんどないわ。あなたが生存者であると同時に犯人でもあっただけよ。あと、月明かりの中ではなくて、潮風の漂う朝の光の中であなたはあなたの弟を埋めたの。

 思い出して、とわたしは彼女の瞳を見つめながら囁いた。

 パシン、と乾いた音が響く。わたしは一瞬何が起きたのかわからなかった。彼女の目を覗き込んいたはずなのに傾いでいる自分の視界を認識した後にじんわりと頬が熱くなってきたのがわかった。少し口の中が切れ血の味がじんわりと広がる。

「ひどいじゃない、探偵さん」

 彼女も自分が何をしたのか理解するのに少し時間を要しているようでわたしを叩いた自分の手を驚いたように見つめていた。

「ごめんなさい。謝る。だからあなたも、」

 そう言って彼女は和解の印のように自分の赤く腫れた手のひらをわたしに向けた。打った彼女の方がより傷ついているように見えた。彼女の手を取りわたしの手のひらを重ねる。彼女の熱が伝わってくる。同時に彼女の指先に込められていた力が緩む。

「謝らないわ」

 大きな瞳を見開くと一体どうしたのよ、と消えそうにつぶやいた。

「秘密を話してほしいといったのはあなたよ」

「やめてよ」

 うつむいて頭を抱えた彼女はこれまで見たことがないくらいに弱々しかった。わたしが指で押しつぶすだけで潰れてしまいそうだった。

「これが、あなたの言う『秘密を全て話す』ということよ」

 ピシッ、と窓に何かが当たる音がした。風に乗って飛んできた枝か小石だろう。季節風の朝は思いがけないものが思いがけない場所に飛ばされていることが良くある。この風の音から耳を塞ぎたくなるのは風に運ばれてくる声がわたし達を呼んでいるからだろう。

 囁かれた声に耳を傾けたらもう戻ってこられなくなる。今わたしの目の前の彼女のように。ゆるゆると首を振り続けているが、彼女は、自分が本当は何をして何をしていないのかわからないようだ。彼女は家族を殺したはずの青年の顔をまだ思い出そうとしているのかもしれない。迷子の弟を探してくれた時に彼女に向けられた笑顔を思い出そうとしているのだろうか。でも、どんなにあがいてもそれは幻でしかない。

 銀の鍵と引き換えに学園長がわたしに放り投げた書類にはもう少し細かいところも書いてあったれど、今は必要がないだろう。

 彼女は自分を守るために夢を見た。彼女はその事実を受け止める必要がある。自分が壊れていることを認識した時、人は本当に壊れ始める。あともう少し。

そして、彼女が顔をあげた。

長い髪を梳くようにして背後に流してからわたしをじっとみた。疲れたような目をしていたが、夜に良く似合う美しさがあった。

「どうやって知ったの?」

 低い綺麗な声だった。わたしはその怒りのかけらが込められた彼女の声にとても満足を覚えた。

「鍵と引き換えに。ここはもうすぐ閉じられることになる」

「じゃぁ、私たちはどこにいけばいいのよ」

「あなたはまだどこにだっていける。まだ間に合うわ」

 永遠に気づかないでいられるのはすでに壊れきってしまった場合だけ。そうなったらもう遅い。二度と戻ることはできないし、どこにもたどりつくことができない。

彼女は何も言わない。 

「本当はわたしたちはいつでも外に出ることができるのよ」

 彼女は俯いたまままだ何も言わなかった。

 砂糖菓子の少女も、レース編みの少女も、そしてわたしの母もいつだって外に出ることはできた。1人で孤独と向き合うことが人の性として当然のことであると自身で受け入れるだけでよかった。でも、彼女たちは希望を抱いたまま眠ることを選んだ。

 自分を受け止めてくれる存在がどこかにいるかもしれないと希望を抱いてしまったら、人は壊れ続けることはできない。壊れることをやめたものはすでに崩れ切った抜け殻でしかない。砂糖菓子の少女の毒は失われて、あとかともなく溶けてしまう。

 彼女はまだ何も言わない。

「あなたが選んでいいわ」

そう言って、わたしは銀の鍵を彼女の前にさしだした。今夜一晩だけはまだわたしたちの物だから。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る