第18話
風が空を吹き鳴らす。森からの冷ややかな風がこの学園をすっかりと覆いつくしていく。学園中の窓という窓がさらに強く閉じられているだろう。ふっと入り込んできた風にそのまま心をさらっていかれないように。こんな日に外にでるような少女はいない。そういえば、少年は「冬が始まるまでは会いにくる」と言っていた。今日は彼にとって冬の始まりの日なのだろうか、それとも秋の終わりの日なのだろうか。
「すごい風ね」
お茶で喉を潤した探偵の少女が感心したように言って窓の外を眺める。闇に埋もれてしまって外の様子はわからないが、窓に映った探偵の少女の顔がとても白く見えた。
「こんな日に外に出たらなんだか戻ってこれなさそうだよね」
そして、彼女は語り始めた。
彼女が住んでいた街は海に近いところだった。風が吹かない日はなくて晴れた日も雨の日もいつでも風がその街を吹き抜けていた。
そういえば、かつて砂糖菓子の少女の部屋に貼ってあった海辺の写真に彼女は興味を示していた。あの場所が彼女の住んでいた海辺の町と似ていたのだろうか。
「よく覚えてるわね。そう、同じ場所だったのかな」
もっとちゃんと聞いて確かめておけばよかったかな、と悔やむような素振りで顔をしかめた。
その街は住んでいる人たちが全員知り合いとは言わないまでも、それなりに近隣の住人との交流もある住みやすい街だったという。潮風を感じて目を閉じればいつでもあの頃に戻ることができると彼女は微笑んだ。
海を見下ろせる高台には別荘地帯がありそこの住人たちのことは彼女はほとんど何も知らなかった。彼女の父親や母親は良くあそこの人達は人種が違うからねと笑っていたし、彼女も映画の中の人々と同じくらい遠く感じていた。小さな頃こっそり忍び込んだその別荘地帯は、お城にしか見えないような立派なものばかりで、くつろぐ人々も潮風を感じさせないとても綺麗な人々ばかりだった。「ちょっとここと似てたかもね」と、あまり懐かしくもなさそうに彼女は呟いた。
ある日、彼女の弟が行方不明になった。
家族で探しても見つからず、近所の住人も一緒になって探してくれたけど、それでも見つからなかった。残る場所は海の中か別荘地だけだった。両親を含めた大人達が警察に相談してから探しに行こうとするのを待ちきれず、彼女は一人で別荘地に乗り込んだ。オフ・シーズンの別荘地はゴーストタウンのように真っ暗闇で怖かったが、そんな中、うっすらと灯りがついている家が一つだけあった。
勇気を奮って声をかけたら青年が出てきた。大学生くらいの優しそうな顔をした人だったから彼女も警戒を緩めて弟のことを話すと、彼は親身になってくれ一緒に探すと申し出てくれた。土地勘もない真っ暗闇の中では大変ありがたかった。彼について歩いた別荘地で彼女は弟を見つけた。一人で探検し、迷い、泣きながら林の中で眠りについていた。
「それからその人が弟を背負って家まで運んでくれた」
手に持ったティーカップを覗き込むようにして彼女は喋り続けた。カップの中に映る彼女の瞳がどんな輝きをしているのか気になったけれど、わたしの位置からはよく見えなかった。
それから、その青年は毎日彼女に会いに来るようになった。たくさんの手土産を持って。彼女がいない時には弟を別荘地に案内してあげたり、弟の友達も含めて別荘に招待したり。家族にも近所の人にもとても評判が良い青年だったし、弟も彼にとても懐いていた。
「あなたはきっと、その人にとても素敵な笑顔で笑いかけたのね」
わたしが言うと、彼女は「そんなことはない」と言ってのろのろと首を振った。でも、わたしにはわかった。彼女はきっと極上の笑顔を浮かべてその青年にお礼を言っただろう。手を握って感謝の意を伝えたかもしれない。青年が彼女に夢中になったとしたらきっと彼のせいだけではないだろう。
でも、次第に彼女は困惑し始めた。
毎日毎日、彼は彼女だけを待っている。毎日毎日、彼の笑顔が自分だけをきっちりと見ている。彼女はだんだん気味が悪くなった。彼女の笑顔は少しづつ曇り始め、青年も彼女の変化に気づいた。だから、ある日、彼は彼女にこう尋ねた。
「君が元気になるために僕にできることはある?」
彼女は少し心苦しく思いながら「お願いだから私を一人にさせて」と頼んだ。彼は決心したようにうなずいて、立ち去っていった。
翌日、彼女が学校から家に戻ると家族からの書き置きがあった。青年の誘いで別荘に行ってくる。彼女も早く来るようにと。げんなりとした気分で彼女は別荘地に向かった。話が違うじゃないかと思った。今日こそもっとあの青年にはっきりと言ってやらないきゃと。ほとんど怒っていた。
彼の家に着いた時にはあたりは真っ暗だった。初めてここに来た時と同じく、闇の中にぽっかりと彼の別荘は浮かんでいた。あたりは不思議なほど静かだった。暖かそうなあかりの中からは誰の声も聞こえてこなかった。そして、彼女が門の前に立つとタイミングを計ったように家の明かりがふっと消えた。
外から声をかけても誰も出てこない。彼女は苦笑した。また弟が妙ないたずらを考えてみんなで何か企んでいるんだろうと思った。みんなでどこかに隠れているんだろう。ドアに手をかけるとすんなりと戸は開いた。廊下は真っ暗だった。
その時になって、何となく変だなと思ったと彼女は言う。
「かくれんぼする時は弟はいっつも笑っちゃうんだよ。じっと黙って隠れていられるわけがない」
ほんのすこし前まで明かりがついていたのに人の気配のようなものが全く感じられなかった。「こんばんは」そう言った彼女の声が廊下の闇に吸い込まれていった。
やっぱり留守なのかな。そう思った時、玄関に並べられた三人の靴に気づいた。見覚えのあるその三足は間違いなく彼女の家族のものだった。
初めて来た時と違って自分自身の影にも怯えながら彼女はそっと中に入った。あの時はこの家の明かりにとても救われたはずなのに今はこの家がとても怖かった。
「明かりをつけたらよかったんじゃないの?」と尋ねてみたら、「それは無理よ」と彼女が静かに首を振って否定した。
何かあったのかもしれない、と予感のようなものを抱えながらも家族が自分を驚かすためにどこかに潜んでいるんだろうと信じ続けようとしていた。
ふわり、と居間にあたたな明かりが灯った時、彼女は心底ホッとした。アァ、やっぱり、みんな私をからかおうとしている。そっと、扉を開けると、淡い光をともしたキャンドルがてんてんと庭に向かって置かれていた。彼女はゆっくりとその明かりを追って歩き出した。珍しく風のない静かな夜だった。どこまでも続くような淡い灯りは本当に幻想的だったわと、彼女はうっとりと話し続ける。
「そう言えば、なんで笑っていたのかしら」
彼女は謎を見つけたというように顔を上げて目をかがやかした。
「誰が?」
「弟よ。弟を見つけた時のことを思い出したの」
彼女は辿った揺らめく灯りは弟を見つけた林の中に続いていた。なぜだか先ほどまでの家の中と違って少しも怖いとは感じなかった。
「なんでかな?あまりの広さに
そして、さくりさくり、と土を掘る音が灯りが導く先から聞こえてきた。
林の中にぽっかりと広場があった。明るい月光が差し込み広場の様子がようく見えた。月光に照らされたみずみずしい土の香りがする土山が2つ。そして、その隣に、まさに今、土が被せられていくものが横たわっていた。一心不乱に掘り起こした土を土山に被せていた青年が彼女に気づいて手を振った。月光を受けた青年の笑顔はまっすぐに彼女だけに向けられていた。
「もう直ぐだよ」
そう言って笑った彼の足元には彼女の弟が頭だけを残して土に埋められていた。
話し終えたあとしばらく俯いていた彼女が顔を上げた。
「弟はすごく楽しそうに笑っているように見えたわ。私にばれないように隠れているのにこらえきれなくて笑ってしまった、そんな感じだった」
彼女の長い話を聞いている間にお茶はだいぶ冷めてしまった。熱いお茶を注ぎ直してあげる。こんな季節風の夜にはここは本当に冷える。びょうびょうと休むことなく吹きすさぶ風が塔の窓にぶつかり、窓が軋む。何かが外からここに入ってこようとしているように思えた。
「あの人は前にも似たような事件を起こして病院に入っていたんだって。わたしの家族の事件の後も少し病院に入って、多分また出てくるって弁護士さんが言ってた」
わたしの相槌や返事を待つこともなく彼女はしゃべり続ける。
「私、事件の後に決めたんだ。探偵になるって。どんな事件だって起きる前に解決できるような優秀な探偵になって」
少し間を置いてから吐息のような声で彼女は続けた。
「弟を助けるんだ」
わたしは彼女の大きな黒い目をじっと覗き込む。黒い綺麗な目の中には、やはりゆらゆらと輝くガラスの欠片みたいなものがあった。この学園で何度か見た同じように壊れゆく欠片を瞳に宿した少女たち。彼女たちは本当に美しかった。ようやく彼女の本当の瞳の中を覗き込めて胸が高鳴った。やはり一年前に感じた予感は間違っていなかった。特別な夜がきっと始まる。
壊れていくものはとても美しい。
だからわたしは彼女をこの塔に招いたのだから。
でも、まだ少し足りない。
「少し休憩しましょうか」
風は更に強まってきている。暗闇に沈んだ森の木々は様々な音を鳴り響かせわたしたちの注意を引こうとする。
新しいお茶を飲みながら、少し温まったところでわたしは彼女に尋ねた。
「そろそろ本当の話を聞かせてくれるかしら?」
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