第16話
秋の終わりの季節風が先週から吹き始め、昼でも夜でも悲鳴のような風の音が森の向こうからやってきて学園中に鳴り響いていた。木々から飛ばされカサカサに干からびた葉や枝が小道という小道を全て覆い尽くし、森と学園の境を曖昧にした。誰もが部屋に閉じこもり固くドアを閉ざしたくなるような夜が続いていた。
この風が止んだ時に冬が来る。
わたしの部屋は森側にある。恐ろしいような風の唸りと真っ暗な森の影が部屋に迫ってくるように思えてこういう夜は部屋にいるのが好きじゃない、と言ったら探偵の彼女は驚いてみせ、
「あなたにも弱みがあるんだ」と朗らかに笑った。
そして、瞳を輝かして「そんなに苦手だったら今夜一晩は塔で過ごそうよ」と誘ってきた。塔で彼女と過ごすのは久しぶりだった。甘い香りが消え去り、サラサラといつも聞こえていたレースを編む音もやんでしまった。彼女の黒い瞳だけは相変わらず美しかったけれど、最近では彼女の興味を引くほどの事件が起きなくなっていた。かつて彼女が事件だと喜んでいたものも、今では彼女の好奇心をさほど引かないのだろう。
冬が来たらこの塔にも入れなくなる。吹き付ける寒さに入り口の戸が凍ってしまい、立ち入ることができなくなるのだ。わたし達の「秘密の花園」は春になるまで眠りにつくことになる。そんな時期がそろそろ来る。わたし達二人とも今夜にでもこの季節風がやむであろうことをなんとなく感じていた。冬が来る前にたくさんの秘密をここに閉じ込めてしまう必要がある。
「うー、寒い。本当にもう少ししたら冬の女王の到来ね」
彼女は暖かそうなショールをぐるりと巻きつけて紅茶を一口飲む。
「あたたかいアップルパイでも食べたいわね」と彼女の口元がほころびる
「豚の餌って罵られないかしら」
「懐かしい!あの子はきっと元気よね・・・」
砂糖菓子の少女からの便りがないことを彼女は秋の始まり頃までは気にしていたが、ここ最近は口にすることもなくなっていた。
長い夜が始まった。この一年のたわいもない思い出話をぽつぽつと紡いでいく。彼女は嬉しそうにこの塔へ初めて足を踏み入れた時の思い出を語る。
「あの時、学園内を案内してくれたのがあなたじゃなかったらこの塔のことも知らずにいたのね」
遠い昔の日々を懐かしむように彼女は転校初日の出来事を振り返る。1年以上も前の夏の終わりのあの日のことを。わたしもあの日見た彼女の姿を思い出す。緑の風の中で、まっすぐに立ちこちらを見上げる彼女の姿が懐かしい。あの時感じた胸の高まりはまだわたしの中に残っているだろうか。そっと胸に手を当ててみる。眠りかけてはいるけど確かに何かがある。
「それにしてもすごい風」彼女が不安そうに窓の外に目をやる。風に乗って森の声が届くとほんの少し眉をひそめた。
「森よ。風は森からくるの」
「まだ続くのかしら」
「いいえ」
あの夏の始まりの日のように森の気配を心地よさ気に受け入れている彼女の姿はもう見ることができないのだろうか。彼女は森を恐れ始めていた。
「今夜が最後よ」
わたしは今夜この塔を封鎖しようと決めていた。
ここにくる前に管理棟に寄った。窓という窓、扉という扉が全て堅く閉じられた管理棟の扉を銀の鍵を使って開けると、信じられないものを見たという顔をした数名の職員がわたしを見て固まっていた。一足早く夕闇に沈んだ建物の中をわたしは誰にも声をかけることなく奥へと進んでいった。学園長室の扉の前で足を止める。誰もわたしを止めようとはしなかったし追いかけてくることもなかった。ただ見なかったものとしてやり過ごそうとしていた。廊下の端から差し込む最後の残照が学園長室の扉を照らし、鮮やかな朱色に染めていた。もう一度銀の鍵取り出すと、わたしはゆっくりと鍵を回した。小気味良いカチリという音を立てて扉は開いた。
ゆっくりと扉を開ける。まっすぐに部屋へ伸びる夕暮れのかけらが部屋に差し込み、眩しそうに目を細めた学園長が顔をあげた。
「あなた」困惑と怒り。双方が込められた声音で学園長がつぶやく。「出て行くのね」驚きと安堵、そして期待に満ちた声で学園長は手をかざし光の中に立つわたしを見ようとする。
わたしは小さく首をふる。
そのまま彼女の前まで進み、銀の鍵を彼女に差し出した。
「差し上げます」
その時の彼女の表情をどのように表現していいのだろうか。同じような表情を見たのは遠い昔に、1人で塔に残された時に夜に沈んだ塔の窓から外を覗いた時だった。窓に映った幼いわたしはまさしく同じ表情をしていた。
「出て行くんでしょ?」まるで懇願するように学園長はもう一度尋ねた。
「いいえ」
わたしはそう言って微笑んで見せた。ここにいる少女は誰1人として決して外に出ることはできないのだから。この学園がある限り。ただ、ここから消えることはできる。
どれほど時間が立っただろうか。思い出話が尽きた頃、彼女がゲームをしないかと提案してきた。彼女がかつて住んでいた街もここのように季節風が鳴り止まない夜があったという。そんな夜は怖がる弟を囲って家族みんなで打ち明けゲームをしたという。
「お互い順番に質問して、ちゃんと正直に答えるのがルール。文句を言ってもいいけど翌朝には全部忘れて後腐れなしにしなきゃダメ」
ティーカップを両手で抱えて彼女が懐かしそうに微笑んだ。
「どんな話をしたの?」
「んー。冷蔵庫に入れといたプリンを食べたのは誰だ?とか、仕事だって言って帰りが遅かったけど本当は飲み会だったんだろう?とか。そんなくだらないこと」
「何を聞いてもいいの?」
「もちろん!」
「面白そうね」
わたしが同意すると彼女は元気いっぱいに立ち上がった。
「よし、じゃあ始めよう。初めの質問は決めてるんだ。この塔の鍵ってどうやって手に入れたのよ」
夏の終わりから輝きが失われていた彼女の黒い瞳の中に好奇心が戻ってきたようだ。それと同時にわたしの胸の中にもあの胸の高まりがよみがえってくる。
「もらったのよ」
一拍も間をおくことなく答えたわたしに彼女が抗議する。
「ちょっと、ちょっと。もうちょっと詳細に教えてよ。誰にどうやってなんでもらったのかとか」
相変わらず彼女は過去に興味があるようだ。話す義理はないと感じたけれと、同時に彼女にだったら話しても構わないかもしれないと思った。
「少し長い話になるかもしれないけど構わない?」
「夜は長いから大丈夫」
彼女が机に手をつけてグイッと私の方に身を乗り出した。まるで尋問でもされているみたいね、とわたしが笑うと彼女は真面目な顔で「そうよ」とうなずいた。綺麗な黒い瞳がわたしだけを見つめている。肩のショールをかけ直してわたしは話し始めた。
「わたしはここで生まれたの」
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