第13話
泉へ向かう道すがら探偵の少女はしきりに首をかしげていた。レース編みの少女が渡した紙に記載されていた「泉の精は吸血鬼」と言う言葉を復唱しながら
「どういう意味だと思う?泉の精と吸血鬼ってどうしてもイメージが噛み合わないのよね」
そうだろうか。
泉の精と聞いてわたしが真っ先に思い浮かべたのは青暗い冷たい水のイメージではなく血のように赤くみっしりと咲く花だった。初夏から晩夏にかけてあの辺りは鮮やかに花が咲きほこる。泉を囲うように植えられた薔薇は初夏の夕暮れには驚くほど強い香りをときはなち、誰かが罠に嵌るのを婉然と微笑んで待ち受けている。まっすぐなその美しさは人を吸い寄せることはできるかもしれないが、それだけだ。一番恐ろしいのは晩夏だ。
晩夏になるとどこからともなく曼珠沙華が一斉に花を咲かせる。群青するこの花ほど美しく咲き誇る花をわたしは知らない。気づいたときには迷い道に落ちている。滴った血を吸い込んだようなあの色を思い出しわたしは「吸血鬼」と言う表現ほどしっくりくるものはないと感じていた。たくさんの少女たちの血を吸って今年はどんな花を咲かせるのだろうかと。
「かまいたち」などという物騒な事象が生じている割には今日も多くの少女たちが泉の周りで過ごしていた。「ねぇ、あれ見て」探偵の少女が泉を囲う石段を指し示す。そこには黒々とした染みがいくつか散見されており、点々と泉の中に続いていた。「血よね」そう呟くと探偵の少女は一目散に石段に向かって駆け出した。泉に集う少女たちは誰も特に気にすることはなくその染みを踏みつけている。
探偵の彼女は興味深そうに血痕をじっくりと眺めたり、泉の周囲を歩いたり、少女たちに話を聞いたりとても忙しそうだ。よく見ると幾人かの少女たちは手首や足首に真っ白な包帯を巻いていた。包帯はマリーが巻いてくれたものだという。血を止めるというよりも絞り出すようにきつく巻かれたそれにはうっすらと血がにじみだしていた。
探偵の少女は気がむくままに調べ物をしているようなのでわたしは少し休むことにした。レース編みの少女はすでに石段の片隅に腰を下ろし、編みあがったらしいレースを光に透かして出来上がりを確かめていた。わたしがそばに腰を下ろしても気にする素ぶりもなかった。白い手袋が反射板のように彼女の顔を明るく見せる一方でレースの影が彼女の顔全体に広がり、小さなレースに彼女の全身が包み込まれているように見えた。何度か日にかざして汚れがないことを確認した後、彼女はそのレースを黙って私に差し出した。
「くれるの?」
何も言わずに小さくうなずくと彼女は新しい糸を取り出し違うレースを編み始めた。もうわたしに渡したレースのことは彼女の念頭にはないようだ。レースの中には白い天使のような模様が編まれていた。どうやらその天使は片羽根のようだ。このレースはきっと先日の約束のものだろう。
何日か前、少年がそっとわたしに唇を寄せてきた。彼の唇は冷たくて少しこわばっていた。彼にとって初めての行為だったのだろう。わたしが彼の頬に触れると少し体を硬くしたのがわかった。わたし達は仄かに青白い光に包まれた塔のテラスにいた。いつも通りに小道の脇でわたしを待っていた少年を、その夜はじめて塔に招いた。手を引いた時にはわずかな抵抗を示していたが、すぐに何も言わずに柵を乗り越えてついてきた。外部からの侵入者であればこの学園はたやすく受け入れてくれる。
塔に登って行く時、少年のたてる微かな靴音がわたし達とは異なることに気づいた。少しだけ、あの人を思い出させる音だった。
わたし達は一言も言葉をもらすことなくただ青白い光に包まれたお互いの存在を感じていた。わたし達が体を離した時、階段の脇に白い影が揺らめいた気がした。帰り道、階段の脇に落ちている真っ白なレースを拾った。来た時にはなかったはずだ。
翌日、塔の螺旋階段に腰掛けて黙々と鉤針を動かしていたレース編みの少女にそれを渡すと黙ってそれを受けとった。彼女の横に腰をかけ、新たに編まれているレースを見ながら尋ねてみた。
「いつも夜にあそこにいるの?」
彼女は小さくうなづいた。
「あの娘がいなくなってから?」
レース編みの少女は聞こえなかったようにレースを編み続けた。
「それとも・・・」
レース編みの少女は少し唇を噛んでレースを編む手を止めた。彼女は黙って編みかけのレースをほどいてしまった。編まれていたレースが幻だったように瞬く間に消えてしまった。
「悪かったわ」
すでに鉤針も糸もしまってしまった彼女はとても小さく見えた。
「今度、気が向いたらわたしにレースを編んでくれない?昨夜の記念にしたいから」
それだけ伝えてわたしは彼女から離れた。
そのまま彼女がわたしの依頼を聞き入れてくれたのかは確認していなかったが、今渡されたものがその時の約束の品だろう。美しいその模様に目を落とす。きちんとわたしのためのレースを編んでくれていた。レース編みの少女は本当によく人を見ている。わたしもレース編みの少女を真似るように空に片羽根の天使をかざしてみた。しばらくしてまばたきをすると天使のシルエットが空に浮かび瞬く間に消えていった。片羽根ではうまく空を飛ぶことなんてできないだろうに。木々が太陽の光を浴びてきらりと光る。
「ねぇ、知ってるかしら」
わたしの問いかけにレース編みの少女が顔を上げる。
「この泉の中ではどんな生き物も住めないんですって」
「なぜ?」風に溶けてしまいそうなかすかな声でレース編みの少女が問う。
「美しすぎるから」
もう一度、彼女が何かを口にしようとしたように思えた。
「ちょっと、探偵助手。少しは手伝ってよ」
白い額に珍しくうっすらと汗を滲ませて探偵の少女が戻ってきた。それを見るとレース編みの少女は何事もなかったかのように口を閉ざし、黙々と編み出した。
先ほどから泉の周りを何周もして、血痕らしきものや水の中を観察していた探偵の少女はまだ特に何も見つけられていないようだった。周囲にいた少女たちの何人かにも話を聞いたりして、かまいたちが起きた時の状況について聞き込んで見たようだけど、結局突然何もないところで切り裂かれるということと、マリーが施す怪我の手当ては酷く下手だということしかわからなかったようだ。
「いいけど何を手伝えばいいの?」
「謎解き」
そんなことを言われてもなかなか難しい。一つだけ気になることがあるといえばあるのだけれど。
「あそこを見て」そうわたしは太陽の光を受けて輝く木々を指差した。
「綺麗ね。でも何?」
「光りすぎじゃないかしら?」
しばらくの間、彼女はわたしが言った意味を把握しようと小首をかしげていた。長い黒髪が少し頬にかかり、艶めくその黒さも彼女を彩る飾りのように見えた。そしてパッとわたしを振り向くと驚くような速さで小道を走りだした。
彼女は用務員の男性とともに小走りで戻ってきた。大きな脚立を抱えたその人は息が上がっていたが、泉に着くとすぐに探偵の少女の指示する通りにするすると一本の木に登っていく。彼を見て、こんな能力を隠していたのかと感心する。幹から枝にわたりさらにその先端に手を伸ばして彼は目的のものを見つけてくれた。そしてそのまま地面に軽やかに飛び降りた。
「やるー!弟みたい」
用務員の男性も手放しで褒められてまんざらでもなさそうだ。良く躾られた犬のようにわたし達に手にしたものをそっと差し出した。
「これですか?」
彼の手に握られていたのは光るピアノ線だった。手にとってみるとこびりついた汚れから微かに血の匂いがした。かまいたちの正体だろう。線の先に小石が巻き付けられている。用済みとなったピアノ線を小石を重しにして木に投げつけて隠していたのかもしれない。
「正体はわかったけど。誰がなぜやったのかまだ謎ね」
ピアノ線を回収した彼女は至極満足そうだった。「かまいたち」の原因は大方回収したから、あとは調査だけねと探偵の彼女は安心したように微笑んだ。
彼女は本当に事件がほとんど解決したと思っていたのだろう。翌朝までは。
翌朝、泉の脇に倒れている少女が発見された。首筋を切られ意識を失っていた。周囲に散らばったレースには真っ赤な血がぐっしょりとしみ込んでいた。
と、朝の食堂でわたし達を見つけたマリーが興奮して話し続けた。新たなかまいたち事件の報告を聞いている間、探偵の彼女は珍しく一言も言葉を発しなかった。いつもレース編みの少女が座る席は空席で、不在であるからこそ、その存在がぽっかりと浮かび上がるように思えた。
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