第11話

 翌朝の礼拝の時間にヴィナは諸事情により学園を去ったと伝えられ、少女たちは静かにその話を受け入れた。同時に骨を探し求める魔女の噂も消えていった。噂がすっかり消える頃には、夜の闇を深めるようにみっしりと咲き誇っていた桜も静かに散りはじめて、淡い若葉が混じり出していた。もう少ししたら春が終わる。生まれ出た「何か」と一緒に森に帰っていくだろう。


 塔で砂糖菓子の少女たちに事の顛末を説明するとき探偵の彼女は少し元気がなかった。もう少し嬉々として報告するかと思っていた。塔の中は夕闇が漂い、ほのかに残ったあかりがレース編みの少女の編むレースを照らしていた。

「そう。まぁ、だいたい探偵さんの推測通りってことね」

 砂糖菓子の少女はそう言って特に顔色を変えることなくわたし達にお茶を淹れてくれた。そうそう、と砂糖菓子の少女がお茶を入れながら面白いことを思い出したと、くすくすと笑い出した。

「一度、ヴィナがお化粧室で吐いてるの見かけたことあるわ。まだ来て数日もたっていない頃だったわ。あの汚らしい音」

 思い出すだけで寒気がするわ、と砂糖菓子の少女がわざとらしく身を縮ませた。

「その時もゴミ箱に甘ったるそうなお菓子やチキンの骨が大量に捨ててあったわよ」

「ちゃんと治るのかな」

 探偵の彼女が窓辺でつぶやく。

 夕闇に包まれた塔の中は仄暗く、わたしのところからは彼女がどんな表情をしているのか良く分からなかった。目の前に座る砂糖菓子の少女は白い顔を歪めて再び笑いだした。

「馬鹿みたいじゃない。あんだけ偉そうに言っておきながら自分で自分の食欲をコントロールできないなんて。だから私、ヴィナがトイレできったない音を立てて吐いている時に言ってやったことがあるわ。『先生、ドブネズミみたいになんでこそこそそんなに豚の餌ばっかり食べてるんですか』って。別に食べたきゃどうどうと食べればいいのに。あのこそついている精神が気に入らなかったのよね。でもあいつはあいつで、見られたのが心底嫌だったみたいね。馬鹿みたい。あちらこちらで自分のことを棚に上げて人のことをけなして歩いていたようじゃない」

 砂糖菓子の少女は喋り疲れたのかゴクゴクとお茶を一気に飲み干す。探偵の少女がちらりとわたしを見てから砂糖菓子の少女に尋ねる。

「だから噂を流したの?」

 この前の寮への帰り道にわたしがそれとなく探偵の彼女に可能性として提示した内容だった。噂はいつも砂糖菓子の少女の元に集まってくる。だから、彼女は常に誰が噂の出所なのか知っていた。この件では、彼女は噂の詳細は知らないと言うスタンスを崩そうとはしなかった。知らないはずはないのに。

「そうよ、さすが探偵さん。よくわかったわね」

 砂糖菓子の少女は本当に感心した様子でティーカップから顔を上げた。「噂自体はあいつのために流してあげたようなものよ。結構、役に立ったんじゃないかしら」と嬉しそうに微笑む。

「ヴィナは一体何を探して食堂に向かっていたの?」わたしもたずねることにした。

「あぁ。あんたの醜い写真を持っているわって囁いてあげたの」ふふふ、と可愛らしく砂糖菓子の少女が微笑む。

「あいつったら顔色変えてたわ。食堂に隠したから自分で探しなさいよって言ったの」

 春の夜の藍色の夜気が塔にひたひたと入り込んでくる。さわさわと揺れる森の木々の音が届き肌が少し粟立つ。こっちへ来いと囁く声がいつもの夜よりはっきりと聞こえる気がした。

「知ってたんでしょ?摂食障害って」探偵の少女が硬い口調で問いかける。

「当たり前じゃない。面白いくらいに意思が弱いのね、大人って。あんなに食べ散らかして馬鹿みたい」砂糖菓子の少女はもう一度「馬鹿みたい」とつぶやくといつもの気だるげな表情で頬づえをついた。柔らかな髪が軽やかに揺れ甘い香りがふわりと立ちのぼった。

 探偵の少女は大きな瞳を閉じて深く深呼吸をするとゆっくりと目を開けた。これまでの夜をすべて閉じ込めたような黒い瞳を砂糖菓子の少女に向けて言った。

「魔女はあなただったんだ」

 それはとても小さなつぶやきだったけれど夜に溶けて塔の窓から零れ落ちていった。「だったら何かしら?」砂糖菓子の少女は眠そうにこたえると口を閉ざした。探偵の少女は何かを言いたげに口を開いたがそれを飲み込むように口を閉ざして唇をかんだ。青い闇に満たされた塔の中で彼女の白い顔に浮かぶ唇だけが鮮やかな色を灯しているように見えた。

「わたしもいくつか尋ねてもいいかしら?」そう問いかけると、砂糖菓子の少女は「どうぞ」と興味がなさげにうなずいた。

「魔女の弟子は誰のことだったの?」

 砂糖菓子の少女はようやく顔をあげてわたしを見返すと、

「あら、わかってるくせに」と鮮やかに微笑んだ。

「そうね」わたしはうなずくと、探偵の少女が言葉を発する前に次の質問をすることにした。

「どうしてヴィナだったの?」

「別にあの人に何の感情も持っていないわ。ただ」そう言って、少しだけ小首を傾げたあと砂糖菓子の少女は続けた。「何だか少しあの女に似ている気がしたから」「あの女?」探偵の少女が被せるように問いかける。「母よ」顔をしかめながら心底嫌そうに言葉を吐く。黙った探偵の少女に変わりまたわたしから確認させてもらう。

「スープもヴィナに食べさせたかったの?」

「あれもあなただったの!?」零れ落ちそうに目を開いた探偵の少女を見ることなく、砂糖菓子の少女はにこりとわたしに微笑んで、

「あれはね。ケーキの代わりみたいなもの。自分で作ったものを人に食べさせてみたかっただけ。どんなつもりで作るのか知りたかったのだけれど、ちっともわからなかったわ」

 彼女の手作りスープだったようだ。

 レース編みの少女が模様を確かめるようにレースをかかげた。薄明かりの中にほのめくレースを照らすぼんやりとした明かりが塔の中に反射する。

「よく誰にもみつからなったわね」妙に感心したように探偵の少女がうなずく。砂糖菓子の少女は眠たげに窓の外に顔をやって、遠い夕闇の向こうを見ているような目つきのままつぶやいた。

「そんなの簡単よ。みてたって見ないふりするわよ。魔女なんだから、私たちは」

 わたしもその時の様子がやすやすと想像できた。キッチンで働く人々の間を大切な何かを運ぶように一面に蟲が蠢く皿を運ぶ砂糖菓子の少女。働く人々は決してその少女の姿を見ようとはしない。魔女が夜毎に食料をぶちまけようが、魔女の痕跡を綺麗に拭い去り何もなかったかのように装うことが彼らにとっては一番大事なことだったのだろう。

「どういうこと?」

 と、怪訝そうに首をかしげる探偵の彼女からわたしは視線を逸らした。ゆっくりと彼女だっていつか気づいていくのだろう。なぜ少女たちが噂を愛して「秘密よ」と言ってささやき合うのか。ざわざわとした森の気配が塔にさらに忍び込んできた気がして肌寒くなる。砂糖菓子の少女はもう話すことに興味がなさそうに椅子にもたれ、レース編みの少女は手を無理に動かすように急にレースを編むスピードを上げた。わたしたちの様子に気づいた探偵の彼女は話題を変えるかのように、わざと怒ったような声を出して砂糖菓子の少女に話しかけた。

「まぁ、確かにこの春はいろいろあったわね。毒入りケーキはやっぱりヴィナの仕業だったんじゃないかな。こっちの問題はもう解決するのは難しいかもしれないけど」

 もう二度と解けない難題のように疑問を口にする。その答えはとても簡単だ。砂糖菓子の少女が小さな子供を諭すような優しい声色で答える。

「そんなの悩む必要もないわよ。だって、犯人ははじめからわかっているもの」

 ようやく月明かりが塔の中に入ってきて探偵の少女の白い頬を照らした。彼女の大きな黒い瞳は月光をゆらゆらと反射させていた。なんだか彼女の瞳がゆがんで見えた。

「どういうこと?」

「あぁ、知らないのはここではあなただけかもしれないわね」砂糖菓子の少女はゆっくりとお茶を口にしてから、

「あれは母が作ったケーキよ」

 と、微笑んだ。

「お母さん・・・」

 その単語の意味を確かめるかのように探偵の少女は呟いた。

 砂糖菓子の少女は私の方を振り返ると、「あなたったらちっとも情報を伝えていないのね」と少し顔をしかめた。

「ごめんなさい。大した情報じゃないと思っていたから」

 そう答えると、探偵の彼女はさらに困惑した顔になった。

「どういうこと?だって、あなただって誰が届けたのか知らないって言ったじゃない」

 そう尋ねた彼女の声は嗄れていて少しだけ魔女に近づいたように思えた。

 仕方ないわねぇ、と砂糖菓子の少女は苦笑いをする。そして教師ができの悪い生徒に教え含めるようにゆっくりと話し出した。

「それは本当よ。誰が届けてくれたかなんて私は知らなかったわ。いつも母、ううん、あの女はその辺の誰かに適当に預けるのよ」

「いつも?」

「そうよ。ねぇ?」

 砂糖菓子の少女はわたしとレース編みの少女に同意を求める。

「えぇ」風のように小さな声でレース編みの少女が同意する。

「本当に。だいぶ力作だったわね。今回のは」

「どういうこと?」

 探偵の彼女はもう一度同じ質問を繰り返す。砂糖菓子の少女がまだわからないの、と眉をひそめる。

「どういうことって言われても困るわ?何をこれ以上知りたいのよ」

「何をって・・・」

 戸惑ったように探偵の彼女は私の方に視線をよこす。何かの答えを得るサポートを私に求めているようだが、残念ながらわたしも探偵の彼女が何を知りたがっているのかわからない。本当に彼女はすべてのことを知りたがる。わたしが小さく首を振ると、探偵の彼女は再び砂糖菓子の少女に目をやり、ゴクリと喉を鳴らしてから続けた。

「何でお母さんはあなたにそんなものを送るのよ。だって、あなたが死んでしまうことだってあるのに」

 探偵の少女の言葉が終わらる前に砂糖菓子の少女は声をあげて笑い出した。おかしくてたまらないと、一生懸命笑いをこらえようとしながら、

「ねぇ、探偵さん。じゃああなたは害虫を殺すのにそんなにじっくりと理由を考えるのかしら?ただ気味が悪いから、邪魔だから。そんな理由じゃないの?あんた、ゴキブリを殺すのにわざわざ他の理由を考えたりするわけ?」

 色彩の薄れた白い月がポツンと浮かんでいるのが塔の窓から見えた。

「しないわ」

 少し経ってから探偵の彼女は答えた。

 外から少女たちの笑い声が響いてきた。魔女がいなくなったからほんの少しだけ自由を得て月でも眺めに出てきたのだろう。こんな夜こそ少女たちは森に誘い込まれてしまうのかもしれない。今夜いなくなるのは誰かしら。

「じゃあ、あの子たちになぜケーキをあげたの?あなたは知っていたんでしょ?」

 とても強い口調で砂糖菓子の少女を問い詰める。宵闇の中で彼女の顔がほんのりと色づくのがわかった。

「言ったじゃない。あの子達が『食べたがった』のよ。私が進めたわけじゃないの」物分りの悪い子供に物事の断りを教えるように、ゆっくりと砂糖菓子の少女が言い聞かせる。

「そうじゃなくて」

 少し強い語気で話す探偵の少女はどうやら本当に怒っているようだ。

「ひどいじゃない」

「はぁ、なんでよ?」砂糖菓子の少女は気色ばむ。説明不足もあるだろうと思い、砂糖菓子の少女の言葉に補足する。

「あの子たちは知っていたのよ。望んで選んだ道なの」ここから出るために。最後の一言は心の中だけで付け加えた。

 探偵の彼女は首を振ってゆるゆると顔を上げ、

「そうじゃなくて」ともう一度同じ言葉を繰り返した。

 そして、わたしとレース編みの少女を順に見回してから砂糖菓子の少女に視線を戻すと、

「友達じゃない」

 迷いなく言い切った彼女の横顔はとても綺麗だった。今まで見たことがないくらい真剣な目で砂糖菓子の少女の目をしっかりと見つめている。

「友達だから心配したし、もっとなんでも話してほしかったってこと」

 わたしは砂糖菓子の少女がさらに怒り出すかなと思っていた。一方的に決めつけられるようなことを彼女は嫌うだろうから。

 でも、

「そんなこと、考え付かなかったわ」

 と、ほうけたように少女は答えた。そんな風に人に自分の問題を話すなんて習慣はこの学園ではほとんどない。あらゆる秘密については風のように噂は学園中に駆け抜けるけれど、ただそれだけ。消費されていくただの噂にすぎない。いちいち気を取られていられない。

「ここは本当に変なとこだなって思うけどさ、いいじゃない。たまには外の慣習の真似っこしてみたって。友達ごっこだって悪くないかもよ」

「面白いこと考えるのね」

 探偵の少女の提案に、興味深げにうなずいた。

「次回は試してみるわ」

「よし、許してあげる」探偵の彼女が満足そうに弾けるような笑顔で笑った。砂糖菓子の少女もにこやかに微笑んだ。そのはにかんだような笑顔はこれまでに見たことがないくらい愛らしかった。

「じゃあ、これで今回の事件は全部終わりね。わたしたちみんな無事だったし。これからのことはまた改めて考えればいいじゃない」

 わたしがようやくそう口を挟むと、二人は「そうねと」と同時に口にして顔を見合わせて楽しそうに笑いだした。レース編みの少女もレースから顔を上げて微笑んだ。今夜編まれる彼女のレースはきっと美しいものだろう。


 探偵の少女が立ち上がって、「友情に乾杯」と元気いっぱいにティーカップを掲げた。わたし達3人は顔を見合わせて、どうするか少し考えたけど同様に立って「乾杯」とカップを打ち鳴らした。ごっこ遊びは本気でやらないとつまらない。4人の声とカップの音が塔の天井に響き渡り、一つに混ざり合った。窓の向こうから見える月は冴え冴えと美しく、青く沈む森は本当はしっとりとした優しさで全ての人を包み込んでくれるようにも見えた。

「あんたのことただの馬鹿だと思っていたけど面白いのね」と砂糖菓子の少女は探偵の少女を見て微笑んだ。


 わたし達四人が揃ったのはこの夜が最後だった。


 その夜、わたしはまた少年と夜空を眺めた。少年は何もしゃべらずにただ空だけを見つめていた。一面の闇の中で様々な音が消えた後の静寂に包まれていた。少年の肌だけが白く浮かんで見えて、わたしをつなぎとめるために存在する灯台のようにも思えた。


 そんなわけないのに。


 森の迫ってくるような暗闇の中で、ふと死んだらこんな感じなのだろうかと思った。でも、実際にはこんなに静かに死に続けることなんてできないんだろうともわかっていた。 


 翌朝、砂糖菓子の少女は姿を消した。


塔のテーブルの上に一枚の絵葉書が置かれていた。夕暮れの海の写真だった。波打ち際に子供達が影のように映っている。森に囲まれていない海からはどれだけ広い世界が見えるのだろうか。わたし達に海の写真を残したまま彼女は森に姿を消した。


 探偵の彼女は、

「あの子、お父さんに会いに行ったのよね」

 と、遠い未来を夢見るような顔をして呟いた。わたしもゆっくりとうなづいた。レース編みの少女は塔に残された甘い香りを記憶にとどめるように、瑠璃草をモチーフにしたと思われるレースを編み出した。愛らしい花が永遠に咲き続けるのだろう。


 夏の甘い気配が森から漂ってくる頃、砂糖菓子の少女の部屋からものが運び出された。大方のものが出された後、わたしはそっとその部屋に入ってみた。甘い香りはほとんど残っていなかった。ベッドの下にはまだあのボール紙の箱が残されていた。開けてみると、何か生き物ががぬめり出たようなあととほのかに甘い香りが残っていた。



 そうして塔の住人は3人となった。

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