第9話
礼拝の時間や授業中でも突然嘔吐しだす少女がいて辟易した。スープに入れられた蛆虫よりもそこここに巻き散らかされた吐瀉物の方が迷惑だった。ひどい匂いに耐えられなくなり校舎の外に出たとき、食堂の方から中庭をよろよろと横切ってきたヴィナとすれ違った。テラテラと濡れた顔からは汗がたれ、目を大きく見開いたまま虚空を見つめたまま通り過ぎていった。わたしのことなど目に入っていないようだったが、通り過ぎる時にツンと嫌な匂いがした。ヴィナの姿は羽をもぎ取られた虫のように貧相で、残された本能にのみ従って必死で巣に戻っていこうとしているようだった。
春の日は少しづつ日が長くなっていく。夕暮れの色味が昨日までとは異なるようになり、塔も毎日少しづつ違う色に染められていく。冬から芽吹いてきた何者かは押さえつけられていた楔が外れ羽を広げてゆっくりと飛立つ季節になった。魔女はそろそろ森に帰る頃だろう。
塔でヴィナを見た話を少女たちに話すと、
「あんだけ動物性のタンパク質を摂った後なのにまだ食べたのかしら」
砂糖菓子の少女は頬杖をつきながら呆れたようにつぶやいて、薄い笑顔を浮かべた。探偵の少女は、
「お菓子の家に住む魔女ってどういうことよ」と、今朝のヴィナへの聞き取りが不十分で終わってしまったことをまだ悔やんでいた。「ねぇ、早くあなたが知っていることを教えてよ」砂糖菓子の少女にも懇願を続ける。探偵の少女は秘密を秘密のままでしておくだけでは決して満足しないようだ。
「明日のメニューが楽しみね」うふふ、と微笑む砂糖菓子の少女の姿に今朝の食堂の様子を思い出したのか探偵の彼女が「吐きそう」といって胃をさする。
「汚いわね。仕方ないから探偵さんに特別な情報をあげるわ」
「いつも 食堂に行くの 見るの」と、レース編みの少女が囁いた。あら珍しい、と砂糖菓子の少女はつぶやいて眉をあげる。
「どういうこと?」探偵の少女がさらりと長い髪を流して黒い瞳でレース編みの少女を見つめる。
「いつも 夜」レースの網目に閉じこめるように一つ一つと言葉を発する。
「ヴィナが夜食堂にいくの?それから?」具合が悪いことも忘れたのか探偵の彼女の黒い瞳が輝き出す。
レース編みの少女はそれで話は終わったというように俯いてレースを編み始めた。探偵の少女は諦めなかった。美しい瞳に全て吸い込もうとするようにレース編みの少女を見つめて問いかけ続けた。
「いつもってどういうこと?食事の時間以外ってことだだよね?いつから気づいてたの?」
隠された秘密の気配を彼女が見逃すはずがない。レース編みの少女は困ったようにため息をついたが、仕方なさそうに、一言ずつ、探偵の少女の質問にささやき返した。探偵の少女はレース編みの少女が囁くタイミングを見計らって、追加で知りたいことを尋ねていく。そして、話すべきことは全部話したというようにレース編みの少女が小さく首を振って何もこたえなくなった時に、ようやく探偵の少女は大きくうなずいて微笑んだ。
探偵の彼女は晴れやかな笑顔を浮かべて立ち上がると、
「つまりこういうことね?」
と、レース編みの少女の話をまとめ上げた。立ち上がった彼女の上に一筋の月の光が降り注いで、まるで夜が彼女を祝福しているように見えた。
探偵の彼女がまとめ直した話はこうだった。
塔からは食堂までの道がよく見える。夜の光の中でレースを編むのが好きな彼女は度々夜中までここで過ごしている。青い夜の光を存分に楽しむために彼女はもちろん暗闇に沈んでいたし、そもそもヴィナはこの塔の存在に気づいてもいなかっただろう。そうして、レース編みの少女はヴィナが度々夜中に食堂に忍び込むのを目撃した。黒い服を着たヴィナは夜の闇に溶け込むように見えた。まるで噂になっている魔女のように。
「さすがね、探偵さん」砂糖菓子の少女はうっすらとした微笑みを浮かべたまま探偵の少女の話に相槌を打つ。
「絶対にスープに虫を入れたのはヴィナね。ううん。それだけじゃない。この前のケーキだって怪しいわ」
「つまり、すべて魔女の仕業って訳ね。探偵さん」
「そう。私たちのスープは何の異変もなかったじゃない。ヴィナがきた後からスープにあんなものが入っていたんだから」探偵の少女は「あんなもの」と顔をしかめる。
探偵の彼女の中ではヴィナが犯人であることは決定事項のようだ。そして、私の方を向いて「張りこむよ」と力強くうなずいた。私が一緒に行くことも決定事項のようだ。砂糖菓子の少女はくすくすと笑いながら「頑張ってね」とこちらを振り向いた。さすがにため息が出る。
探偵としてやる気を出した彼女は興味深いけれど少し面倒くさいこともある。わたしは来るのかどうかわからないような人物を漠然と夜通し待つ真似だけはあまりしたくない。
「ねぇ、魔女の噂についてもう一度教えてくれないかしら?」砂糖菓子の少女にたずねる。
「弟子の骨を探しているという魔女のこと?」
「そうよ。注意事項と魔女の活動時間帯を知りたいの」砂糖菓子の少女は「もの好きねぇ」と眉をしかめたけれど適切に情報を教えてくれた。
「魔女が探している骨を見つけても決して触ってはダメ。魔女が探しに来るだろうからそんな場所に近づいてもダメ。あとはそうね。魔女は真夜中に活動するから決してその姿を見ないこと。見てしまったら何か大変なことが起こるんですって」話しながら砂糖菓子の少女は笑い出す。
「おかげでこの学園の中で夜遊びするような子がへってよかったんじゃない。あなたくらいじゃないの、毎晩毎晩懲りもせず真夜中まで起きてレースを編んでるなんて」
レース編みの少女は話を聞いていたのかはわからないけどこくりと小さくうなづいた。
「もうひとつ。骨が埋められている場所はどこ?」
「・・・魔女に尋ねなさいよ」そう言って冷ややかな笑顔で微笑んだ。
「わかったわ。十分よ」
わたしは探偵の彼女に視線を戻した。一体何を知りたがっているのだろうかとキョトンとした顔で立ち尽くしている彼女に、探偵助手としては調査結果をきちんと探偵に報告する必要がある。私の考えを伝えている間に、探偵の彼女の顔はみるみると晴れやかなものになっていった。
探偵の少女は勢いよく砂糖菓子の少女を振り向いて尋ねた。
「次のお茶会はいつ?」
「あなたが毒味をしてくれるならいつでも良いわよ」
どんな噂でも砂糖菓子の少女のもとに集まってくる。それを利用すればどんな噂でも彼女から流すことが可能になる。
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