第8話
雨のあがった後の空は美しい。
遠い昔の人たちは深い藍色の中に浮かび上がる星々で物語を紡いでいた。明るく導を照らし出すように輝きながら、決して手の届かない存在の星を見てどんな思いでいたのだろうか。美しいだけではなくて、残酷な物語をあまた作り出したことに答えはあるのだろうか。
砂糖菓子の少女の部屋からの帰り道に小道へ寄ったら少年が星を数えながら待っていた。いったい幾つまで数え挙げたのかは聞かなかった。
あたり一面暗闇に包まれて自分の手のひらすらよく見えないというのに頭上の星は恐ろしいくらいによく見えた。地面にとどまっているのにふと油断すると夜空の中に吸い込まれていくような感覚に襲われる。
少年は星座に詳しい。今夜も幾つかの星座とその星座にまつわる物語を聞かせてくれた。わたしが記憶しているものとは違い、少年が聞かせてくれる物語はどれもほんのわずかとはいえ希望が灯されて終わる話ばかりだった。少年は物語には希望があるはずだと信じているのだろうか。それとも、閉じ込められた世界に満足できないから広い夜空に物語を託しているのだろうか。
「俺からしたら君から聞くここでの話の方がよっぽど現実離れしているけどなぁ」
闇の中だと彼が笑った時にはよくわかる。白い歯が暗闇に浮かび上がるから。
「そうかしら」
「そうだって。なんならたまにはこっちに出てきたらいいよ。俺が街を案内するし」
そう言って、彼は軽くわたしの手を引いた。
森に引き込まれる。恐怖に駆られて、強く彼の手を振りほどく。その時、暗闇の中で彼がどんな表情をしたのかわからなかったけれど、笑顔でなかったのは確かだ。
「帰るわ」
立ち上がったわたしの手を今度は彼もつかもうとはしなかった。
「冗談だよ。ごめん、俺またここで待ってるから。冬になるまでは毎日来る。だから、また」
彼がこちらを見ているのがわかりながらわたしは振り向かなかった。「だから、また」の続きを聞きたいと思ったけど、彼はそれ以上何も言わなかった。
翌朝食堂で会った時には砂糖菓子の少女はいつも通りだった。探偵の少女は持ち帰った大量の包装紙やら箱やらを一晩かけていろいろ調べたらしい。何か見つかったと聞いてみたが、ただ一言、「眠い」とだけ返された。スープをつつきながら今にも眠りそうだ。
「探偵さん、あなたってよっぽど暇なのね」可笑しそうに砂糖菓子の少女が微笑むと、珍しく不機嫌そうに眉をよせて探偵の少女が顔を上げた。
「依頼人にそんなことをいわれたくないなぁ」
「あら、私は何も依頼してないわよ。あなたが勝手に始めたことじゃない」砂糖菓子の少女は言い終わると同時に席を立ち、わたしの横をすり抜ける時にわざとらしく椅子を蹴って「あら、ごめんなさい」と微笑んだ。その後ろ姿を見送りながら、仕方なくわたしは探偵の少女に説明する。
「あなたが依頼されたのは『魔女をつかまえてほしい』だったわ」
「忘れてた」
邪気のない少女のように手を口に添えて驚いてみせた探偵の少女をみて、わたしはもう少しだけ補足してあげることにした。
「ただ、ケーキを贈ってきたのが魔女じゃない、なんて証拠はどこにもないわ。あなたが一連の事件として調べてもいいのじゃないかしら」
レース編みの少女がふと手を止めてわたしを見たが、何も言わずにまたもくもくと作業を再開した。探偵の少女はそんな彼女の様子には気づかずに、みるみる頬を紅潮させて輝くような笑顔を浮かべた。
「そうよ、そうよね」わたしも小さくうなずいた。新しく食堂に入ってきた少女達の一団が軽やかな笑い声をあげて通り過ぎる。その時、ささやくような声でレース編みの少女がつぶやいた。声と言ってもわたし達にしか聞こえない風のような音色だ。
「ヴィナが来る」
顔をあげると、婉然と微笑んだヴィナがゆっくりとこちらに向かってきていた。相変わらずモノトーンのヴィナはスープだけを手にしていた。彼女は卵やハムは頑なに口にしない。
「よかった、今日はあの娘はいないのね」
いつもの奇妙なほど丁寧な口調ではなく、親しさを表そうとしているようだった。探偵の少女が「ちょうど良かった」と顔を輝かせる。
「私、ヴィナに聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょう?」砂糖菓子の少女が座っていた席に腰を下ろしながら首をかしげる。
「魔女のことよ」口に手を添えて囁き、「ちょうどこの春から広まった噂だからあなたも何か知らないかと思って」
「アァ」壊れかけの機械のような声でうなずくと、ヴィナは少し考え込むように宙を見つめたままスープをすすった。ゆるく開いた口元からポタポタとこぼれた汁を舌で舐めとってからわたし達に視線を向けて、「お話しするか考えいたのですがお伝えした方がいいわね」と口を開いた。
「魔女の住む場所は昔から決まっています」
「どこ?」探偵の少女だけが首をかしげる。
「森ですよ」ヴィナがそう口にした瞬間だけ食堂が静まり返った気がした。
「森?」探偵の少女が不思議そうに聞き返した時にはざわめきが戻っていたから気のせいかもしれないが。
「エェ」また機械のような声でうなづくと、「有名な所では森の中のお菓子の家に住む魔女なんて」
「あら、何のことですか?」
いつの間にか戻ってきた砂糖菓子の少女が柔らかな微笑みを丁寧に浮かべて佇んでいた。美しい眉をしかめてヴィナがこたえる。
「魔女の正体のお話です」
「ご自身のことね」
「どう意味でしょう?」笑顔を浮かべようとしたのだろう。奇妙な歪みがヴィナの頬に現れて白いこめかみがピクリと動く。まるで節足動物でも入り込んでいるみたいだと思った。
「そのままの意味よ。普通に食事するだけで豚のように醜くなっていくなんて自分で自分に呪いをかけているようなものでしょ?先生、お休みになられたらいかがです?今日も夜の活動がお忙しいでしょうから」
ヴィナが白い顔を引きつらせながら立ち上がる。椅子が倒れガタンという音が食堂中に響いたが少女達は何事もないように食事を続けていた。朝の光の中でふんわりと柔らかい笑顔を浮かべて砂糖菓子の少女もゆっくりと空いている席に腰を下ろした。やり取りを見守っていた探偵の彼女が場をとりなすように、
「ヴィナ、ほら。いいじゃない。女性は全員魔女みたいなものよ」とほとんど無理やりヴィナをもう一度座らせた。白い顔のまま呆然とした表情でヴィナは砂糖菓子の少女を凝視している。白い肌がてらてらと濡れたように光っていた。
砂糖菓子の少女が探偵の彼女をたしなめるように、
「お話は食事が済んでからゆっくりね。先生、まずはいただきましょう」
にっこりと微笑みながらスプーンを手にする。まるで何かの儀式のようにヴィナも震える手でスプーンを持ちあげて、ゆっくりとスープを口にした。ヴィナの食べる様子を微笑みながら眺める砂糖菓子の少女の口元に酷薄な笑みが増す。
「先生、食べ終わったら私がなんでも先生に教えてあげるわ。もちろん、先生が望めばですけど」見たことがないくらいに上機嫌だった。
「ずるいじゃない。私にも教えてよ」探偵の少女が不満げに口を挟む。わたしもヴィナが何故これほど顔色を変えたのかはわからなかったが、砂糖菓子の少女が上機嫌な理由はわかった。ヴィナは震える手で手元をよく見ることなくスープを飲み続けている。
「あとでね。あら、先生、ゆっくり、お食事されてください。まだたくさんあるじゃないですか」砂糖菓子の少女が満面の微笑みをたたえながらヴィナに食事をうながす。探偵の少女は不満げだったが、仕方なさそうに食事を続ける。
わたしはスープを口にする気がしなくなった。どうしようかと思っていると、隣のテーブルで食事を始めた少女たちが口々に悲鳴を上げ始めた。またたく間にその悲鳴が他のテーブルへと伝染する。
わたし達から離れる良い機会だと思ったのだろう。ヴィナはすぐに席を立ち教師らしく毅然として彼女たちに問いかけた。
「どうしたのです、はしたない。何があったか説明なさい」
最初に叫び声をあげた少女がほとんど嘔吐くように泣きながらこたえた。
「スープに。スープに虫が・・・」
少女が示したぶちまけられたスープの具材の中に蠢めく白いものがいた。ヌルヌルとうごめくものが目を凝らせば凝らすほど湧き出てくる。その一団の少女たちの皿にはもれなく紛れ込んでいたようで混乱は拡大する。わたし達のスープには異常はなかったものの気分はよくない。探偵の少女ですらこれ以上できないというくらい眉間にしわを寄せて自分のスープ皿を凝視していた。まだ食事を始めていなかったレース編みの少女はしばらく周りの様子を眺めた後、スープ皿をテーブルの隅によけて再びレース編みに没頭した。
立ちすくんでいたヴィナは肩を震わせながら口元を押さえると走り去って行った。間に合えばいいけど。
混乱の中、砂糖菓子の少女だけは平然とスープを飲み続けていた。
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