第7話
テーブルの上に伏した二人の少女は時々痙攣しながら微かなうめき声をあげている。生きてはいるようだがこちらの問いかけには反応しなかった。床に倒れた一人はうつ伏せなので細かな状況はわからないが自身の吐瀉物に顔を埋めたままピクリとも動かない。敷物には指でつかんだ後や爪で引っかいたようなあとも残っており、彼女が少し前までは必死に何かから逃れようと足掻いていたことがわかる。あの状態では十分な呼吸もできないだろう。そしてもう一人は仰向けに倒れたまま空を見上げていた。ぽっかりと開かれた瞳の中には彼女の意識はすでにないようだった。こびりついた吐瀉物には赤いものも混じっているようだ。首元には爪でかきむしった引っ掻き傷があり、わずかに血がにじんでいる。
いずれも先ほどまで軽やかに笑っていた少女たちの面影は微塵もない。贅沢を言うつもりはないがわたしが死ぬ時はもう少し美しくありたい。彼女たちが座っていた席には美しく飾られたケーキが皿に盛られていた。何事もなかったかのように鮮やかな色彩を保ったままのフルーツが行儀よく鎮座している。お茶会が再開されるのをすまし顔で待っているように見える。
「ケーキは誰から送られてきたの?」かすれ声で探偵の少女が問う。
「だから知らないわ。私宛にはなっていたけど差出人も書いてなかったんだもの」
砂糖菓子の少女は顔をしかめる、床に置かれたケーキの包装紙を顎で示した。
「だいたいこんな大きなもの薄っぺらな包装で配達できるわけないじゃない。誰かがこっそり寮の玄関前にでも置いて行ったんでしょ。それをのこのこと受け取ってきて、あまつさえ食べたがったのは彼女たちよ」
とにかくどうにかしてよね探偵さん、と砂糖菓子の少女は自信のベットに腰をかけた。髪に不快な匂いが付いていないのか気になるようでしきりと髪先をいじっている。彼女が動くたびに甘い香りが部屋の中に湧き上がり吐瀉物の匂いと混じり合う。
部屋の隅でレース編みの少女が嘔吐く声が聞こえた。涙を浮かべながら苦しそうに顔を歪めるレース編みの少女を見て、このあと編み出すレースはどんな柄なのか気になった。
探偵の少女は静かに息を整えると、額にかかった髪を邪魔そうにかきあげてから倒れた四人の少女たちを隅々まで順繰りと見つめていった。彼女はまるで美術館で美術品をじっくりと眺めているような雰囲気だった。美しい髪を揺らしながら、息のかかるほど近くで倒れた少女たちの様子をじっくりと眺めていく。探偵助手としてわたしが手伝えることがあるのかは分からなかったが、テーブルに付した二人の少女の間の椅子に腰掛けて、美しく動く彼女を黙って眺めることにした。
探偵の彼女がようやく医務室に連絡を入れたときには吐き散らかされた吐瀉物はすでに乾き始め、四人の少女たちはいずれもピクリとも動かなくなっていた。
医務室に運びこまれた四人の少女たちはそのまま戻ってこなかった。
彼女たちがもう一度戻ってくることはないだろう。
翌朝の礼拝で、それぞれ家の都合で学園を離れることになったと簡潔に告げられた。残された少女たちは異議を唱えることもなく静かに礼拝は続けられた。夜な夜な学園を徘徊する魔女の噂ほどには、皆の関心を引くことはなかったようだ。
その日の夕方は珍しく雨が降った。
森の中に閉じ込められた少女たちはさらに雨の檻に閉じ込められる。何かを恐れるようにこんな日は誰もがいつもよりきつくドアを閉ざす。その何かを自分と一緒に閉じ込めてしまっているかもしれないのに。
わたしは雨の日は嫌いではない。
森も学園も全てが灰色にそめられて境界があいまいに溶けていく。わたしを取り巻く世界の全てが溶けてしまったら、わたしも跡形もなくいつか消えてしまうのではないだろうか。そうすればきっともう何かを恐れることもなくなるに違いない。だからわたしは雨の日が嫌いではない。でも、外に出てこうしていつも雨を眺めるのに、まだわたしはここにいる。雨音の向こうから森のささやき声が聞こえた気がして顔をあげると、塔がいつもと同じようにひんやりと佇んでいた。
塔の中では雨の音がよく響く。螺旋階段を登る足音と天井から響く雨音が混じり合い自分が塔を登っているのか降りているのかわからなくなる。これも雨の日にしか味わえない特別な経験だ。そして雨の日の塔は薄暗い青に満たされる。
階段の途中でレース編みの少女にあった。彼女にとっては白いレースが映える青はお気に入りらしく、螺旋階段に腰掛けて嬉々としてレースを編んでいた。編みあがるレースを眺めていたら、4人の天使の模様が編みこまれていった。あの少女たちへのささやかな贈り物だろうか。思っていたよりは凡庸な仕上がりだった。あの場面を思い出しても具合が悪くなることはないようで、あそこで嘔吐していた彼女とは別人のように楽しげに死者を編み込んだレースを編み上げていく。
「遅かったわね」
頭上から軽やかな声が降りてきた。薄暗い青い夕闇の中でも探偵の彼女の黒い瞳は輝いて見えた。
「あれはきっと無差別に狙われたにちがいないよ」彼女の声が雨音と交じり合って塔の中を満たす。昨日砂糖菓子の少女の部屋に行った時はさすがに彼女の顔もこわばっていたけれど、もうすでにその瞳は好奇心で溢れている。
「でも、宛先がちゃんと書いてあったんでしょ」
探偵の助手としてひとまず意見を述べてみる。砂糖菓子の少女は狙われたのが無差別だろうが彼女自身だろうが興味なさそうにテーブルに頬杖をついて気だるげに窓を眺めていた。
「彼女も言ってたじゃない。あれは正式に配達されたものじゃないって。ねぇ?」
探偵の少女は同意を求めるように砂糖菓子の少女に視線を送る。砂糖菓子の少女は面倒くさそうに同意を示す。
「異議はないわ。探偵さん」
「だとしたら間違いなく学園関係者よ。外部の人があんな時間にうろうろしていたらすぐに噂になる。そうじゃないってことは内部犯ね」
彼女は大きな目をさらに輝かせる。
「しかも、学園関係者だったらあなたの部屋でしょっちゅうお茶会が開かれていることを知らないわけがない。知っている上であんなに大きなものを送ってきたのだったら無差別に間違いない」
妙に力強くかつ楽しげに彼女は続ける。
「もしくは私を除いた無差別殺人かしら」
「どうして?」
探偵の少女が無邪気に問いかける。そんなこともわからないのかしらと言いたげな目で砂糖菓子の少女はわたしを見る。
「聞いてみただけよ。だって、あなたは決してあんなもの口にしないものね」
仕方なくわたしが答える。砂糖菓子の少女は冷たくうなづいてまた気だるげに窓の外に視線を移す。
「ところであのケーキはどうなった?」
探偵の状況確認はまだ続くようだ。やっぱり彼女は面白い。もう既に終わってしまったことにどうしてこんなに夢中になれるのだろうか。
「めんどうくさいから全部捨てたわ」
「じゃあ、他に何か証拠が残っていないかあなたの部屋を調べさせて」
この前は倒れた子たちに気を取られてよく調べられなかったから、と探偵の彼女は身を乗り出すようにして砂糖菓子の少女の顔を覗き込む。砂糖菓子の少女は心底嫌そうな顔をしてため息をついたが、黙って立ち上がった。
砂糖菓子の少女の部屋に入る時は少なからず身構えた。あの酸味の強いすえた臭いは二度と味わいたくなかった。探偵の彼女すら恐る恐る部屋に入って、あたりを見回して言った。「あ。甘い」すっかりと部屋の中は元どおり片付いていた。もともと散乱していたチョコレートの箱や包装紙はきちんと散らかり、部屋の中もただひたすらに甘い。ただ、どことなくこれまでと甘さの質が異なっているような気がした。焼き菓子やチョコレートの甘さに混じって何かが腐り始めた時に放出される独特の香りが混じっているように思えた。
「好きに見てちょうだい」
だるそうにベットの上に腰掛けて砂糖菓子の少女はわたし達をうながした。レース編みの少女はちょこんと椅子に腰掛けるとまた編み物に没頭し始めた。二人とも手伝う気は無さそうだ。
そんな二人に構うことなく探偵の少女は楽しそうにお菓子の箱を丹念に裏返したり、包装紙を広げてみたり、探偵としての行為に夢中になっている。探偵助手として一応わたしも手伝ってみたほうがいいのだろうか。
この前から気になっているものはあった。
わたしは床の上に這いつくばるようにして何かを探している探偵の彼女の脇をすり抜けて、砂糖菓子の少女が腰掛けているベットの下を覗き込んだ。
そこに置かれたボール紙でできた箱に目をやる。角はひしゃげ表面には何度かテープをはがしたらしき跡も残っている。色とりどりに飾られたギフトボックスが溢れるこの部屋では明らかに異質だった。勝手に部屋を調べて構わないのであれば、わたしが気になるのはそれ以外にない。そっと、手を伸ばして触れてみる。
「触るな!!!!」
獣のような叫びに驚いた。砂糖菓子の少女がものすごい形相でわたしを睨んでいた。彼女の噛み締められた奥歯から妙な鈍い音がした。
パンドラの箱だったようだ。少女たちは秘密を閉じ込めて秘密に溺れる。たくさんの秘密の中で溺れ続けてゆっくりと死んでいく。この箱は砂糖菓子の少女にとって秘密を閉じ込めた海に続く入り口のようだ。自分がいつか溺れるための海の中には最後に希望は残っているのだろうか。
わたしがそっと手を引くのを見届けると、顔の歪みを残したままだが声音はいつも通りにおさえて砂糖菓子の少女が続けた、
「もう終わり。どうせなんにも見つからないんだから。早く出てって。あんたが見ているその辺の包装紙なんてゴミみたいなものだから好きなだけ持って行きなさいよ」
言葉を吐き散らかした後、砂糖菓子の少女は舌で口の中の状態を確認するように顔をしかめて、白いものを床に吐き出した。わたしの足元に転がってきたそれは小指の爪の半分ほどの白いエナメル質の物体だった。
彼女の部屋から追い出されるとき、わたしはボール箱を触った手をそっと拭った。箱の中で何かがうごめく感覚がまだ指に残っていた。
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