第4話

 彼女が「探偵になる」と宣言したあと、砂糖菓子は「あなた変わってるわね」と初めて興味深気に顔を上げた。

「だって、警察が入れないんだったら探偵が必要でしょ?」彼女はさらりと長い髪を揺らして同意を求めたが、今まで考えたこともなかったし、本当に必要なのかもわからなかった。


 でも、

 興味はあった。

 彼女がどんな探偵になっていくのか。


 わたしは彼女にうなづくと、

「じゃあ、正式にわたしたちが仕事を依頼しようかしら。さっきの噂の真相を調べて欲しいわ」と砂糖菓子の少女とレース編みの少女に同意を求めた。砂糖菓子の少女は「あんたも物好きね」と小馬鹿にしたように唇を歪ませはしたが反対ではないようだった。

 レース編みの少女は頷きはしなかったが反対の素ぶりも見せなかったので合意とみなした。

「本当?やったぁ、はじめての依頼だわ」彼女が声を弾ませる。芝居がかったくらいに明るく華やいだ彼女の様子はこの学園では類を見ないものだった。「外の世界」ではこれが普通なのだろうか?彼女を通じて「外の世界」を垣間見ることができるのだろうか。「依頼料はそうね・・・」考えるふりしてわたしはテーブルの上の鍵に手を伸ばした。「この鍵でどうかしら?」

 破顔する彼女の横で他の2人の少女がちらりとわたしを見た。わたしはゆっくりとうなづいて、微笑んだ。

「契約成立ね」

 

 では探偵を開始する前に幾つか質問をさせてくれないかと彼女が願い出た。砂糖菓子の少女は気だるげな様子はそのままだったけれど、退屈を払拭するにはちょうどいいわ、と笑顔でその申し出を受け付けた。

「噂だけだったら溺れるほど知ってるわよ」

「頼もしいわ。噂の中にこそ真実は眠ってるんだから」探偵の彼女の発言に、砂糖菓子の少女は少し鼻白んだようだが続く彼女の質問にはきちんとこたえていった。

「そもそもその噂は誰から聞いたの?」

「噂は噂よ、出どころなんて知らないわ」

「その上級生っていうのは心当たりあるの?」

「誰かが固有名詞を出したらそれが真実だろうが真実じゃなかろうが『本当の事』になるわね」

「そういう噂ってここではよくあることなの?」

「そうね、一つ一つの内容を検証することを諦めるくらいにはね」

「じゃあ、その噂が真実だとして、侵入者はどこから来たのだと思う?」 


 少しだけ砂糖菓子の少女は言い淀んだ。ちらりとレース編みの少女とわたしに視線を送る。

「森よ。もういいかしら」砂糖菓子の少女は「疲れたわ」と言っていらだった声をあげた。

「ありがとう。あと最後に一つだけ。みんな、わたしの助手になってくれない?」

 そう言って探偵の彼女は爽やかに微笑んだ。

 それは契約には含まれていなかった内容だ。わたしたち3人は黙って顔を見合わせた。


 翌日は授業終わりに彼女に呼び出された。学園へ入る抜け道がないか一緒に探して欲しいという。砂糖菓子の少女はもちろん馬鹿馬鹿しいと言って断ったし、レース編みの少女は聞こえていないようにただレースを編み続けた。

「まぁ、探偵の助手は一人が基本だよね」

 彼女にとってはわたし一人でも満足のようだ。

 彼女は持ち前の如才なさで今日1日いろんな人から噂について聞き込んできたようだ。どおりで休み時間の間もほとんど姿を見かけなかったはずだ。転校して早々にこんな真偽の不確かなことに本気で首をつっこむなんて。

 知れば知るほど彼女の思考が興味深い。

 中庭では多くの少女たちがのんびりと1日の終わりの時間を楽しんでいる。その中の何人かとはすでに彼女は話をしたようで通りがかりに笑顔で手を振っている。

「噂の内容はほとんど同じだったよ。ただ、寮の部屋が4階にある子達の方が少し具体的な尾ひれがついてた。雨の日に悲鳴が聞こえたらしいとか、侵入者が隠れていた部屋があるとか」

「4階?」

「そう。なんか気づいたことある?細かい話になるとみんな口を閉ざしちゃうんだよね」

「いいえ」

 私がそう答えると彼女は残念そうな顔をした。気の毒な気がして私はこの学園の奇妙なルールのようなものを彼女に教えてあげることにした。

「あなたの隣の部屋に誰が住んでいるか知っている?」

「ううん、挨拶行ったけど誰も出てこなかった」彼女が軽やかに髪を揺らして首を振る。 

「私も知らないわ」

「私の隣が誰か?まぁ、全部屋把握するのは難しいわよね」

「違う」ちょうど中庭の向こうにわたし達の住居塔が見えてきた。古い西洋の屋敷を模した古風な造り。その分堅牢なのだろう。

「わたしの部屋の隣のこと。ちなみにわたしは今の部屋に10年以上暮らしてる」

「嘘でしょ!」

「本当よ。私が自分の部屋以外で誰がどこに住んでいるのか具体的に知っているのは二人だけよ。フロアがどこかくらいはわかるけど」

「なんでよ、朝とか顔を合わせたりしないわけ?」

 ゆっくりと首を振って説明する。

「食事の時間や礼拝に向かう時間がわずかずつずらされているの。あなたもタイムスケジュールをもらったはずよ。よく見てみるといいわ。だから、時間通り動くときはあまり人と顔をあわせることがないわね。特に隣の部屋や向かいの部屋の子達とはね」

「なんでよ・・・」

 その質問にも首をふるしかない。本当に彼女は何も知らずにここにきたようだ。

「さあ、プライバシーの問題じゃないかしら。だからあなたみたいな子が突然部屋を訪ねて来ても、たとえ部屋にいたとしてもドアを開けたりする子は少ないわよ」

 だからこそ部屋でお茶会を開く砂糖菓子の少女が稀有な存在で、彼女の元に噂が集まるのは必然だ。誰もが自分の秘密は守りたいけれど、他人の噂を楽しむのは大好きだから。

「一応忠告しておくわ。あなたが聞いた少女たちの噂が4階に行けば行くほど具体的になるのだとしたら、逆に4階の人たちはただの噂として楽しむ心の余裕があるだけの可能性もあるわね」

「じゃあ、他の階も怪しいままなわけかー」うーん、と彼女は髪をかきむしる。せっかくの綺麗な髪がぐしゃりと絡まるが彼女は少しも気にしていないようだ。

「あなたが最初に提案してくれたように入り口から探すことでいいんじゃないかしら?誰も侵入できるような場所がなければ噂はただの噂で終わるじゃない」

 そう提案したら彼女の顔がぱっと明るくなった。

「さすがね、探偵助手!そうよ、その通りだわ。よし!頑張るわよ」気合いを入れるように腕を振り回して彼女が元気よく歩き出す。

 

 彼女はもうすでに忘れてしまっているのだろうか。この学園でたったひとつ叶えられることがない望みのことを。


 彼女が最初に調査場所として選んだのは正門だった。

 砂糖菓子の少女が答えた「森から来る」という言葉はちゃんと覚えていたようだ。確かに森からまっすぐ来るとこの正門に突き当たる。でも、わたしたちからすると正門はすでに森の領域から抜け出た場所にある。森を恐れない彼女にはまだその感覚はつかめないのだろう。

 そこはもちろん固く閉ざされており、常に警備員が立っている。わたし達が訪ねた時も例外ではなく、ガシャガシャと鉄の門扉をあきらめ悪くゆらす彼女に探偵の才能があるのかは疑問を感じた。

 ようやく諦めた彼女が次はどこに向かえばいいのか悩んでいると中庭から色彩の塊が歩いてきた。グレースだ。

「グレース!」

 彼女が大きく手を振ると今日もグレースは小走りでこちらに向かってきた。たった一日で彼女とグレースは旧知の仲のように打ち解けあっているようだ。グレースもブンブンと大きく手を振る。彼女の体型はすでに熟しきった果物のようでポンと叩いたら種が飛び出してしまうのではないかと思う。

「グレース先生、そんなに走って大丈夫ですか?」さすがに気になる。

「ありがとう、大丈夫。毎日、旦那さんがここまで迎えに来てくれているの」

 彼女の示す場所に一台の車が止まっていて、わたしたちの視線に気づいた男性が一人降りてきた。その男性に手を振ってからグレースが改めてわたし達を振り返る。にこりと微笑んで、「わたしの旦那さんです」と教えてくれた。


 男性はにこりと微笑んで軽くわたし達に手を振ってくれた。グレースの旦那さんはこの近所の街に住んでいてレストランを経営しているという。食堂のメニュー考案に携わるためにここを訪れた際にグレースと知り合ったそうだ。結婚前からこっそりと秘密のデートを重ねたのです、とグレースが嬉しそうに話す。本当にグレースはこの学園には珍しいタイプだ。誰もが自分の秘密を守ることに必死なのに彼女だけは色鮮やかに自分のことを教えてくれる。


「でも、こんなところで何してるのです?」


 探偵の彼女と顔を見合わせる。学園に侵入者がいる可能性があるかもしれないから探偵ごっこをしているのですとはちょっと言いづらい。

「えっと、もし友達が訪ねてきたらやっぱり入り口はここしかないんですかね」

 彼女が苦し紛れに質問をする。ただ、グレースは彼女の質問を大いに気に入ったようだ。

「ボーイフレンドですか?」とグレースが小柄な体をいっぱいに伸ばして彼女の耳に囁いた。さらに顔を寄せてくる。ここでは「秘密」の匂いが最大の快楽だ。グレースだってその誘惑にはもちろん勝てないのだろう。

「異性という可能性もなくはないかもしれません」

 わたしがそうこたえると、満面の笑みを浮かべてグレースが教えてくれた。

「異性だったらここからは決して入れません。ご両親とご兄弟は別ですけど。でも、秘密の逢いびき場所はあるかもしれませんよ。おとぎ話の最重要アイテムはカエルです。わたしも結婚前はそこでカエルの王子様に会いました。もちろん中には入ることはできませんけど十分てくらいは握れます」

「カエルですか・・・」

「手ですか・・・」

 シー、と唇に指を当てて「秘密ですよ」と囁くと、軽やかにグレースは彼女の王子の元へ去っていった。グレースを送り出しながら彼女は「何よカエルって」と困惑したようにつぶやいた。


 わたしには一つ思い当たる場所があった。

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