第3話

 この道は日暮れ時はほとんど日差しが入らない。夏の間でもひんやりと涼しい。秋が近づいている今は寒いくらいだ。昼間とは違い木々の枝葉はざわざわとわたし達を威嚇するかのように揺らめく。森に囚われた人たちが最後の理性を振り絞りこっちに来るなとかすれた悲鳴あげているようだ。


 授業の後、約束通りわたしは彼女を塔に案内することにした。塔の利用者はあと二人いる。彼女たちに許可をとってはいないが問題はないだろう。今日は誰もが転校生の彼女に夢中だから手土産だと思って貰えばいい。それに本来のこの塔の鍵の所有者はわたしなのだから構わないだろう。


 塔の扉を開ける時、少し悩んだが彼女の眼の前でいつも通り扉の隣のレンガをそっと引いた。そこに古びた銀の鍵がしまわれている。今はなかった。どちらかの少女がすでに中にいるのだろう。鍵の隠し場所も教えたから、これで彼女は好きな時にここを訪れる権利を得たことになる。


「ついてきて」


 入り口の扉を押し開けて彼女を招待した。彼女は大きな黒い目を輝かせながらわたしについて中に入った。


「すごい」


 彼女の口から吐息のようなため息とともに賞賛の言葉が生まれた。彼女の顔に一筋の光が差し込む。塔も彼女の到着を祝福しているようだった。この塔は丸い天井部にステンドグラスがはめ込まれている。そのため、中は想像以上に明るい。森の向こうから学園の中に差し込む光をすべて集めるようにこの塔の中を照らしている。一方で学園は森の影に飲み込まれるように徐々に暗くなる。その暗さに慣れた少女達には特に明るく感じるだろう。


 彼女を促してわたしは螺旋階段を上り最上階を目指す。ぎしぎしと軋む階段はわたし達を招き入れているようにも追い出そうとしているようにも聞こえる。最後の階段を登りきる前にふわりと甘い香りとサラサラと糸を引く音が聞こえてきた。どうやらわたし以外の二人の少女はすでにここでくつろいでいるようだ。


 螺旋階段を登りきるとそこは天井から差し込む日差しに包まれたテラスとなっている。テラスの中央に置かれたテーブルセットと奥にある開け放たれた大きな窓が目に入る。白いレースのカーテンがふわりと風に揺れてなびいている。


「いらっしゃい」


 砂糖菓子の少女が丸テーブルに頬杖をついて気だるげに座りながら挨拶をよこした。  


 テーブルの上にはチョコレート菓子が散乱している。レース編みの少女はその隣に座ってひたすら糸を手繰りながら鉤針を動かしている。二人ともわたしの後ろに立つ彼女には気づいているのだろうけれど少しも驚いてはいないようだ。


「お茶ある?」


 挨拶の代わりにそうたずねると、レース編みの少女が手を止めて黙ってポットからお茶を注いでくれた。まだ暑い湯気が出ている。


「紹介は必要かしら?」

 新入生の彼女を差してたずねてみる。

 砂糖菓子の少女は頬杖をついたまま、さして彼女に興味なさげに「いらないわ」とこたえ、レース編みの少女も小さくうなづいた。彼女は「よろしくね」と場違いなくらい明るい笑顔で微笑むと、宝物でも探すように注意深くテラスをぐるりと見回した。「うわー」と顔をほころばせて窓に駆け寄って行く。この時間だと森に沈みゆく夕日がよく見えるし、少し左に目をやれば中庭も見渡せる。しばらく外を眺めてから彼女はふー、と大きく息をついてわたし達を振り返ると満足げに微笑んだ。

「ここからは何でもよく見えるんだ。秘密基地ってわけね」

「基地、と言われると何だか花がないじゃない。せめてガーネットの秘密の花園くらいには例えて欲しいわ」

 机にばらまかれたチョコレートの包みをビー玉のように弾きながら砂糖菓子の少女が反論する。新入生の彼女はわたし達を見渡し、あなた達が花っていうわけね、と勝手に納得したようになづくと弾けるような笑顔を浮かべた。

「何でも好きに呼んで」

 わたしはチョコレートをいくつか掴み、彼女にも放り投げてあげる。

 夕日はだんだんと色を増して、ここにあるすべてのものを赤く染め上げる。窓際に立つ彼女はほとんど夕日の中に溶け込んでいるように見えた。レース編みの少女は純白のレースが赤く染まったのが気に入らないのかため息をついて手を止めた。彼女はいつだってレースを編んでいる。授業中だってほとんどの時間をそうしている。レース編みをやめた彼女はうまく呼吸ができないように少し苦しそうに見える。


 夕暮れが終わってうっすらとした月が昇りだしてからが私たちの本当のお茶会が始まる。

 レース編みの少女は月光が差し込み始めるとまた忙しく鉤針を動かし始め、瞬く間に小さなレースを編み上げた。それは今朝教室で編んでいた新しい模様のレースのようだ。そして転校生の彼女にそっと手渡した。彼女はとても口数が少ない。その代わり、彼女のレースはとても雄弁だ。言語化できないで彼女の中に溜まりゆくものをレースに編みこんでいるのだろう。レース編みの少女が新入生の彼女に手渡したレースには、塔のステンドグラスに似た文様の下に、4人の人物のようなものが編みこまれていた。転校生の彼女は、重大な秘密でもそこ隠されているのか探るようにそのレースを月光にかざし、きれいね、と囁くとレース編みの少女にお礼を述べた。月光に揺らめいた彼女の黒い瞳がとても美しかった。


「そういえば上級生の部屋に男性が侵入したらしいわよ」

 砂糖菓子の少女は学園で一番の情報通だ。彼女の部屋にはいつだって大量の珍しいお菓子があるからしょっちゅういろんな人を招いてお茶会をしている。たまにわたしやレース編みの少女も形式上そのお茶会に招かれるが、そこでの彼女はにこやかで、ゆるい癖のある栗色の髪や甘いお菓子のよく似合う完璧な少女そのものだ。

 惜しげもなく美しいチョコレートたちを誰にでも振舞ってくれるが、彼女は決してそれらの砂糖菓子をひとかけらだって自分では口にしない。

「そんな話聞いてないけど」

 級長に任命されているわたしの所には重要な情報が学園から流れてくる。そんな事態になったら必ず注意の連絡があるはずだ。

「噂にならないってことは、逆にそれだけのことが起きたってことでしょ」  

 砂糖菓子の少女の言葉に反応してレース編みの少女がわずかに手を止めたがすぐに再びレースを編み始めた。窓の向こうにかすかに日の名残りである赤色が見えた。沈むことにあらがうような最後の輝きはあっという間に夜に飲み込まれていった。

「ちょっと待って。本当だったらそれって大事件じゃない?警察とかきたの?」

 新入生の彼女は眉をひそめてわたし達の顔を順番に見る。これまでになく黒い瞳が輝いている。彼女を除いたわたし達三人は顔を見合わせる。あなたの責務よ、というように砂糖菓子の少女がわたしに向かって顎をしゃくり、レース編みの少女も同意を示してうなずく。仕方がない。

「ねぇ、なんであなたはここに来たの?」

 わたしの質問に彼女は一瞬目を伏せる。

「あなたも気づいているかもしれないけどここは特別な学園なの。この中でできることであれば大抵の願いは叶う」

 さらりとした長い髪が伏せた彼女の顔を覆う。

「だけど」

「出ることだけは叶わないんでしょ」目を伏せたまま彼女が小さくつぶやいた。そしてすぐにまっすぐに前を向いて答えてくれた。

「家族が死んだの。全員」

 わたしは「弟がいた」と嬉しそうに話してくれた彼女の笑顔を思い出した。

「加害者・・・側が補償金の一部としてここの費用も払ってくれたって弁護士さんに聞いた」少しだけ悔しそうに彼女が言い淀む。

 砂糖菓子の少女がよくあることだというようにつまらなそうにため息をついた。それならばとわたしが話を続けようとすると、

「じゃあ、あなたは自分で選んだのね」と、レース編みの少女が珍しく口を開いた。彼女の声は夜によく馴染む。

 新入生の彼女はレース編みの少女が何か続きを話すことを期待するように顔を向けたが、レース編みの少女はそれ以上言葉を紡ぐ気は無さそうだった。仕方がないので代わりにわたしが後を引き取った。

「ここにいる生徒たちは大なり小なりそんな事情を持ってるの。出たくたってでられなかったり、逆に何が何でもここから出たくなかったり」だから、何があっても決して警察なんて呼ばれない。ここはそういう場所。


 彼女は納得しないだろうなと思っていたけれど、予想に反して彼女は「そっか」とうなずいた。そして、長い黒い髪を払いながら目をそらせなくなるような美しい微笑みをたたえてこう言った。

「じゃあ、わたしが探偵になってあげる」

 月明かりの中で彼女の好奇心に満ちた大きな瞳は怖いくらいに輝いていた。

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