3.12 自分との別れ


 つい先ほどまでは地べたに座って三人だけの会談をしていたのに、いつの間にか洞窟の中を山賊たちが埋め尽くしていた。パサン自体捉えどころのない人物ではあるが、彼女が率いる盗賊団も、これまた癖のある集団だ。どこから湧いて出たのか。

 それでも、薄暗く、荒涼とした寒気に囲まれての飲酒は、それほどの疑問もいつの間にか忘れさせてしまう。二人はそれぞれ組織からのもてなしを楽しんでおり、つかの間の休息を楽しんでいた。

 そして宴も終わりに近づいてきたとき、パサンは二人を収集した。ヴァネッサは腕相撲用の樽から、ラクトは外であれば星座のあったであろう洞窟の天井から、それぞれ彼女の青い服に目を移した。それから傍まで行き、話に耳を傾ける。


「さて、お二人さん。次はどこに行くの?」


 どちらも相手の顔を見る。当然ながら、そのままでは何も起こらないし、解決もしない。ラクトが一言「無い」と発言する。

 その返事を聞き、待ってましたとばかりに嬉しそうな顔をするパサンが、ヴァネッサはこれまた好意を持てなかった。


「あたしたちイグトルは、この大陸では一二を争う勢力をもった盗賊団で、

独自の情報網と質の高い斥候を持ち合わせてる。そしてあなたたちは、イグトルに認められた。正式には、その首領たちに、だけどね」


「つまり、用件は?」

「せっかちだと、モテないよ?」


 もう余計な言葉はいらないとばかりに、ヴァネッサの両目は鋭い眼光を相手に向けた。こうなると、最も困るのはラクトだ。とばっちりを喰らってはたまったものではない。


「まあまあ! ね、穏やかにいこうか。ヴァネッサ、彼女は仲間じゃないか。ほら、その目を同輩に向けたこと、あるのかい」

「ひどく不快な同輩だ」

「……まあ、分かったよ。じゃあ要点だけ言うから。」


 最初からそうしろ、とヴァネッサが呟く。するとラクトはもう一度宥めなければならなくなる。世界の万物は、こうしてすべて繋がっているのだ。


「イグトルには首領が四人いるんだ。ダレク、バルークそしてあたしとあとひとり」


 別段物事を深く考えている様子ではない、そんな表情をして、二人は見つめ合う。互いに相手の顔を見て、自ずと次の目標が決まったようだった。


「挨拶しない訳にはいかないでしょ?」


 ◆


 「行きは悪しからぬ、帰りは良からぬ」という旅の言葉があるが、山道の場合は特にそうだ。尤も、旅にすらなれていない者にとっては、どちらも結局は過酷なものとなるのだろう。

 右を岩の壁、左を切り立った崖に囲まれた道は人間に埋め込まれた「落ちることへの恐怖」を否が応でも呼び覚ます。横を向けば鳥瞰できる大自然も、こんな状態でなければ絶景となり得るのではないか。

 二人は会話をして、緊張を少しでも解きほぐそうとする。


「……いやー、パサンって、女性だったんだね」


 ここで、ヴァネッサはひとつ、彼の頭脳はパサンの答えをどう捉えるかを試してみたくなった。


「彼女も、“産まれてくるまでは自分が女だ”とは知らなかったはずだ」

「おお、ヴァナも言うようになったね」


 ラクトが珍しく感嘆する。それも、頭脳の面で。やはり、ラクトといえど、パサンの突拍子もない、ねじくれた返答には一目置かざるを得ないことが判った。


「それで、北の海域についてなんだけど……」


 出し抜けに遠くの方で何かが落ちる音がした。直感で異常を察知したヴァネッサが、先に歩みを止める。それに習って、ラクトも止まった。

 ただ落ちるかもしれないというだけの緊張ではない。異様なそれが辺りに立ち込める。ヴァネッサの顔は曇り行き、ラクトの顔は強ばる。ぽつぽつと、砂粒や小石が落ちた。

 そして!


「ラクト、上だ!」

「え!?」

「下がれぇ!!」

「うぐっ……」


 間一髪。二人の隣には、直径が成人男性ほどの大きさの巨石が降りかかった。乾いた衝撃の音が、二人の鼓膜を鋭く震わす。

 ヴァネッサがラクトに体当たりをして、何とか一命を取り留めたのだ。彼女がとっさの機転を利かせなければ、どうなっていたかは想像に難くない。


「あ……、ありがとう」


 今さっき起こった、一瞬のこととは思えない出来事が、きっと彼の頭の中では無限に巡っているのだ。うつろな表情は、それゆえか。


「もう、いいんじゃないかな」


 言われて、ヴァネッサはハッとする。体が密着状態のまま、どのくらいが立っていたのか。その間ずっと互いの目を見つめ合っていたことも思い出し、急いで左にずれた。


「さ、さっきのは、忘れると良い」


 今度はとても甘酸っぱい空気が、二人を包んだ。観るものすべてが、はちみつの薄い膜に覆われているような、そんな状況。

 だが、彼らの神は、二人をとことん苦しめたいと思し召しなさった。ヴァネッサが位置をずらして座った場所は、先ほど巨石が落下した地点だ。地はひび割れていて、またそこに人一人分の体重が圧し掛かれば……。


「ん? うわ!……」


 数言の感動詞と共に、ヴァネッサが消えていたのだ。胸が高鳴り、全身からおびただしい数の汗が吹き出る。四つん這いになって、片手を崖につけ、もう片方の手を限界まで引き伸ばす。


「ヴァナあぁぁーー!」

 

――――

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