第三部:任務に翻弄さる者

3.1 第二の王

 部屋全体にほんのりと漂うカビのにおい。本が目に入らなくとも、インクが見えなかったとしても、そこが書斎だとわかる。

 ここはレガリア王、サーブルの自室であり、書斎でもある。この日、王は半日ずっと書斎にこもっていた。そしてこの後もこもり続け、宰相や大臣の行う事務が行えない公印の押印などの王務にどっぷりと浸かることになるだろう。

 言うまでもないが、王の第一の楽しみといえば宴会、祝祭などの賑やかな場面・会場である。彼はそのことを「宴に愛されておる」と例えているが、どう考えても中毒である。


「……やはり魔法灯がないと、文字が読みにくいな」


 だが、彼の第二の楽しみはこの言葉を聞いてわかる通り、(以外ではあるが)読書なのである。確かに王侯の中で自室と書斎を合成している者は珍しいが、もう一度彼自身の言葉を借りれば「文字に埋もれて死にたい」程本の虫となっており、その愛好ぶりには目を見張るものがある。しかし裏を取れば、そこまで熱意を込めている本以上に宴の類が好きというのだから、後者に対する王の熱は計り知れない。


 話を戻そう。

何せそれほど好きな本に囲まれて仕事が出来るとは、王も幸せに違いない。そしてその至高の時を扉を叩く小賢しい音と、長年聞き続けた宰相の声によってさえぎられるのは、さぞ不愉快だろう。


「失礼します」

「何の用だ? 我は部屋の扉に“没頭中。立入り厳禁”と張り紙をしておいたはずだ。またただでさえ忙しい上に、蝋燭の煙とその不便さに苛立っておるのだぞ?」


 王の小さな逆鱗に触れるにはもう慣れっことなった宰相は、怒りを気にせず話を続ける。


「現在王に耳を貸していただきたい話題は全部で百八つあります。しかし、本当に大事な要件は、一つ……、元奴隷階級についてです」


 話が百八つあると聞き、王はまるでオグファ〈多頭竜〉の頭のような多さだと息をのんで文字を書く手を休めるが、それ以上にその深刻な口調が興味を誘った。


「なるほど。“新平民”に関することだな。彼らが未だに解放前の搾取に塗炭の苦しみを味わっているというが、それのことか」


 まったく正確な返答に、宰相は心の内で驚愕の目で王を見た。が、外面はいかにも厳かな表情をしてこう語る。


「はい。おっしゃる通りでございます」


 三年前、レガリア王国は奴隷身分を禁止する法律を発布し、元奴隷は新平民という平民と同じくくりに入れられた。だが、領主や店舗に生まれた時から住み込みで働いていた彼らがまともな教養からの知識と資産をもっているはずもなく、実際に隷属という形から解放されたのはごく少数であった。現在も、そういった環境に位置している者達は国内で二割ほど存在するという。


「で、こう二進も三進もいかない膠着状態を、お前はどうやって解決できると踏んだのだ?」

「彼らを救済する措置として最も手っ取り早いのは、やはり我々が新たな働き口を率先して作ることでしょう。しかも、学才の必要のない」

「……ふむ、というと?」

「現在、城から見て南の二つ目の鉱山街、アヴィロ周辺をおさめるギスカール伯が、隣町をおさめるハイデン公の館まで街道を整備する予定があると伝達を寄こしてきました」

「つまり、街道の整備を任せるというのか」

「はい。こういった不特定多数の民が用いる舗装や建築物は、伯爵の権力ではまだ普請できませんので」


 王はそれを聞くと、何かを取りにいそいそ椅子へ歩いて行った。戻ってくると同時に「公的建築物法に関して」と書かれた訴状を手にしている。どうやら折しもこの法律についての書類を処理していたようだ。口角を少し上げ、話を戻す。


「魔大陸もあわせて世界で一二を争う国力を持つ我が国が、世界で初めて奴隷制の廃止に成功したのだ。後処理が少々面倒なことになっているが、ここを乗り切れば、正真正銘世界一の強国となれる。改善に是非全力を尽くせ」


 久々に聞く王の覇気じみた命に、若干気圧されたが、宰相は威勢の良い返事で返す。

 二回の空気の振動が、この部屋の本に積もる埃を舞い上がらせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る