2.4 闖入
人口は先日訪れたカルンほど多くはないが、それでもこの港町も相当の活気に満ちている。
内海にある港町としては、ここオーランの知名度は高い。町の中央には水路が通っており、それに向かって家々が立ち並ぶ。ほぼ路地裏や袋小路などが無いため、ここでは陰気な犯罪はめったに起こらない。
平穏に包まれたこの町を、イカ焼き片手に大股で歩くのは、もちろんヴァネッサである。その隣で異民族の地に始めて足を運んだ許嫁のように目につくものすべてを警戒するのは、他でもない。ラクトである。とはいえ好奇心が人一倍強いこの男が、多種多彩な品を取りそろえる露店に目を輝かせない訳もなく、おろおろしていて歩くのは遅いくせに、興味を惹かれるものがあるとすぐにふらふらと横へ移動してしまう。目的地出口一直線に行動したい質実な精神をもつヴァネッサとしては、この行動は体力の放蕩以外何物でもないのだが……。日陰の研究者が慣れない旅をやり遂げたのだ。これくらいは許してやろう。
「ねえ、ヴァナ。これ見てよ! 魚を釣るときに使う餌なんだけど――」
「捨ててこい」
無意識のうちに。誰だって、生理的に嫌悪しているものを目の前に持ってこられたら、こうなる。ラクトが無邪気にはしゃいで無害に楽しんでいるだけだと思ったのだろうが、結果的には有害であった。前言撤回。彼には悪いが、強制的に隣を歩いてもらおう。
「でもどうして突然盗賊の討伐なんて言い出したんだい?」
知識欲に負け、いうことを全く聞かなかったラクトの頭上に拳が降りかかり、頭部の隆起が痛むが自業自得だから仕方がない。疼くこぶをさすりながら訊く。
「星の巫女の話を聞き、精霊の記憶を見て、相手は並大抵の人間じゃあ指一本触れられない強さを持っていることがわかったろ? 仲間を見つけないと、この戦いに負けに行くようなものだ」
「でも、それだったら、国王に状況を詳しく説明して……、そうすれば軍隊を送ってもらえるんじゃないかな。君は将校なんだからさ」
イカ焼きをほおばり、串を横に並び立つ木々の下に捨てると同時に、ため息が聞こえる。
「まず、その言い方は不適切だ。もし私の階級を正確に表すとすれば、騎士団長兼近武軍中将だ。次に――これは出会った時に行ったと思うが、私が軍隊を率いて奴を討伐しに行っても、規模が大きすぎるゆえに感付かれる。また、相手が好戦的だった場合が一番厄介だ。あの魔力でほとんどの者は臆すか吹き飛ばされる」
「いや……、そうだね。後半は譲るけど、前半について言わせてほしい。僕は聞いたこと、見たことはそう簡単に忘れない。君が自分の紹介に使った階級が、『ドラト騎士団中将』『騎兵団長と王の第一助言員』、そして、王が君を指す時に使った階級は『ドラト騎兵団将校』。ここから適切な語を選び出すのには困難を極めると思うんだけど」
ラクトが珍しく自分の自信に関すること以外で反駁し、口をとがらせる。とはいえさすがに逆らうのは怖いらしく、俯いて目を合わせないで早口(大体木を八本通りすぎる間)で言い切る。
「もっともだ……。だがその、まあいい」
自分の唇をかみしめ、感情を押し込める。口を噤んでしまった彼女のかわりに書いておくと、まず国王サーブルは、彼女の力量に一目置いており、階級を与えるのもその仕事のうちに入るため、その昇格には人一倍敏感なはずだが――彼は途中から彼女の階級を呼ぶのを止めた。その速度が尋常ではなかったのだ。だから彼はその代わりに上級騎士階級全般を指す“将校”という語を用いている。『騎士団中将』という称号は、騎士団の称号である指揮団長と、近武軍の称号である中将とが混同したものだろう。
「賊こそは、最も情に厚く、義に生きる民だ。人間完全に悪の心をもって生まれる者は存在しない。そして、法に従わない彼らは、偽善の為政者よりもよっぽど正義を語る資格がある。義賊って言葉は、本来は必要ない。彼らは義を持つ民だからだ」
偏見を垂れ流したヴァネッサ。ラクトは彼女にこれだけの羨望があれば、『武人の友を呼ぶなど他により良い方法があるのではないか』といったことは考えずに、匪賊を仲間にするという結論に到った思考が分かった気がした。
「……だね。君がそう言うんなら」
「良かった。ラクトが納得してくれるんなら、決して間違いとは言えないな」
なんだか欺瞞の横を掠っているような気がしなくもないが、ラクトも一応は合点がいった様子である。
◆
彼らが求めていたそれは湖畔の近くにあった。山麓と広葉樹の狭間に位置し、お世辞にも隠れているとは言えない竪穴。つまり一帯を縄張りとする山賊の拠点だ。
「さて、やっとこさ見つけ出したからにはこの機会、無駄にはできないな」
ラクトの手を強引に引っ張っていき、ちょうど中腰状態の体が隠れる高さの草の茂みに忍び込む。
「扉を確認しておかないの? ずっとこうして待つなんてことは、無いよね?」
「いま私たちは隠れているんだぞ。そのことを自覚していれば、そんな普段の声で話さないはずだ」
叱責を受けたラクトはしゅんとしてしまい、それきりだんまりが続いたが、今度は上手く座ることが出来ないらしい。一息ついたと思った矢先にまた尻をあげ、すこしずれてちょこんと座る。この調子では声量を大にして独り言ちながら隠れているようなものだから、ヴァネッサは見かねてこう提案した。
「私は向こうにある藪に隠れよう。なに心配はいらない。あんたを少しの間だけ囮にするだけで、命を落とすようなことはないからな」
犠牲者は作戦に付き物。そう士官学校で教わった記憶を信じ、鼠のような俊足で反対側へと移る。
さて、扉が開き、内から賊が出てくるという待望の時は、待ち伏せの素人がそろそろ居眠りをしてくるであろう期間を過ぎたあたりでやってきた。
もちろん相手は人が二人も隠れていることは知らない。果樹になっていた実をもぎ取って呑気に食べている。賊の一員はヴァネッサの予測通り、水を汲みに行くようだ。バケツを両手に提げて、あたかも水が入っているかのようにけだるい足どりで汲みに向かう。
その男が、隠れている方向の反対を向いたと同時に彼女は足元にあった手ごろな大きさの石を叢に放り込む。彼は葉の擦れ合う音に不審さを抱き、当然その方向へ進む。人間はひとつのことに集中すると普段よりも世界への注意が散漫になる。その特性を活かし、ちょうど真後ろまで気づかれずに距離をつめたヴァネッサは、とうとう短剣を取り出し、雷のごとき速度で刃を首元に付ける。
「言え……」
「な、何を――」
戸惑う山賊の頭を、無言で扉に向ける。その時点で彼は扉の開け方を問われているのだ、と判断し、言うことには
「もしかして、扉の鍵か? それなら、心配はいらない。鍵もかけてないし、閂(かんぬき)もない。だから開放してくれよ! おらあ、早く水を配達しないと、親分に怒られちまう」
真実を告げたことを神に誓わせると、ヴァネッサはその男を木に縛っていく。そこでラクトがやっと姿を現す。
「なあ、あんた頼むよ。ほんとにまずいことになるんだよ。水が届くのが遅れたら。爪を剥がされ、目を突かれ、あとは、ええと……」
「無用な心配は身を滅ぼすぞ。そこら辺にしておけ」
そう忠告するが、男は全解していない様子。そしてそのまま猿轡を噛ませられる。
縛り終わると、今度はまた別の面倒を片付けなくてはならない。
「ねえ、ほらさっき僕が言ったとおりに、最初に扉を確認しておくべきだったんだよ」
「そうだ。私が悪かった。街の常識を、ここに当てはめてはならなかったな」
「それだけ? 僕が長時間慣れない行動をとって、体のあちらこちらが痛く……」
「ラクト、もう敵の陣地に足を踏み入れているんだぞ。口を閉じろ」
戒めが入る。苦し紛れの言動ではあったものの、山賊の住みかの扉が正面にあっては、この言い訳ももっともらしく聞こえる。
「それと、今回は戦闘を極力避けたい。一人ではないからな」
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