2.2 二人の巫女
◆
「ようこそおいで下さいました。赤の巫女から話は伝わっております」
ラクトはそういわれるや否や、まるで先攻を取られたかのような様子で慌ただしく名乗る。ヴァネッサもそれに続いた。
黒の巫女の館は、昨日訪れた悪趣味な魔術の回廊などはなく、素直に入ることが出来た。どうやら前回体験した迷路は、赤の巫女の悪趣味が露呈したものかもしれない。
「あなた方が知りたいことは、例の事件についてでしたね?」
二人は肯定を表すために、首を縦に振る。緑と青がない交ぜになった衣を着た星の巫女は、温和な雰囲気を醸し出している。そして彼女の膝に縮こまって座る四歳ほどの幼子は、聞くまでもなく、当代の黒の巫女であろう。
「男は突然現れました。巫女の命も突然……。その一部始終を、あなた方にお見せいたしましょう――」
◆
荒野にそびえる一枚岩。それ以外、特にこれといって特徴的なものは近くにない。ただ、葉の少ない植物が水を乞うようにして天に向かって点々と生えていた。ただ、熱せられた砂の表面からは歪んだ大気が立っていた。
そんな冒険家も興味を示さないような不毛の地に、明らかに風景とは不釣り合いな格好をした男が姿を現す。右腕の袖が無い黒装束を着た男である。目の下の刺青と、左手に持つ黒杖が目立つ。
目的の場所まで淡々と歩き続け、ある地点で止まったかと思うと、袖の無い方の腕の掌が天を向く。次に目に入るものは、男の目の前にそびえる巨大な一枚岩が男の魔法に包まれている、何ともおぞましい光景である。黒い霧のような魔法だが、所々に青白い光が混じる。その黒魔法が消えるころには、館を守る結界はあとかたもなく消え去っていた。
やがて、黒の巫女が徐に外への扉を開ける。距離を十分に取って対面すする。そこに、言葉の交わし合いは一切無い。互いに相手の考えを知り合っているかのようだ。
その奇妙な時間は長くは続かず、男が身震いをした。直後、黒の巫女は右手の魔宝玉を用いて地底から石柱を生み出し、それを男の周囲に林立させた。しかし、直ぐに石柱は壊される。恐らく男が体内から先ほどと同じ魔法を波として全方位に発射したのだろう。巫女はたじろぐ。男はその隙をも見逃さず、右腕を後方の空間に打ち付ける。すると無に魔法円が描かれ、続いて杖の先が先行を放つとその手には頭が獅子の胴ほどもあろうかという大きさの槌が握られていた。よく見ると、平面がひび割れており、そこから例の青白く光る魔力が漏れ出している。
振り上げられたその巨槌は、そこから一気に地に着く。一点を中心に波紋を描いて広がる黒の波が巫女を襲う。対する彼女は両腕をそれぞれ左右に伸ばし、前方に屹立するは岩石の高壁。だが、魔力は波の方が勝っていた。厚い壁は重い音を立てて崩れ落ち、巫女も地に膝をつく。二回ほど、深い呼吸をした後、直ぐに立ち上がるが、眼前に男の姿はない
まだ負けではない。そもそもこの勝負は、勝ち負けではないのだ。命を懸けた……、いや、
世界の調和を守るための駆け引き。
男は逃げたとは考えにくい。彼女は神経を研ぎ澄ませ、背後に気配を感じ取る。一切の間を置かずに掌で地を打つ。打たれた点と足を置く場所を除いて、巫女の周囲には竜骨のような
調和は保たれた、黒の巫女はそう安堵したが、“死神”は、空にいた。
「
槌からは、青黒い光がひしめく。巫女のいたはずの空間には、抉れた大地が見える。
「安心して転生するが良い。支配するのは得意だからな」
男が姿を消すと、地を埋め尽くしていた尖岩は崩れ、間もなく館の建つ高台が沈んでゆく。イルヤークルの調和の力がなくなったことを、自然が表しているのだ。
◆
「あれが、黒の巫女の、自らの命を賭した調和の戦い……。なんて、壮絶なんだ」
「短かった――しかし、全力だった。全てを擲ってはじめて産まれる、野望と信念の戦い」
二人の表情は曇っているが、それに自分で気付く様子はない。緊迫した場の空気を敏感に察知してか、黒の巫女がますます小さくなる。
「ええ、彼女は自分の使命というものを誠実に貫き通し、またこの新たな体に転生しました」
恐怖を感じる幼い巫女を、星の巫女が頭を撫でて安心させる。表情が見えないためにどういった心理状態か分かりづらいが、多少の効果はあったようだ。寝息が聞こえてくる。
「今の映像を見て、いくつか疑問が湧いた。先ず、瞼を閉じても強制的に見えたあの映像は何なのだ? あれも、魔法の一種なのか。そして、あれは記憶か? だとしたら、誰のだ」
「確かに、今の映像は魔法でお二方の脳内に直接映し出したものです。そして、記憶という部分も正しい。ただし、この記憶は私のものでも、転生前の黒の巫女のものでも、誰のものでもありません」
この女性の前にいると、次から次へと疑問が浮かび上がる、ヴァネッサにとってはうんざりだが、逆を言えばラクトには至高の時間の他何物でもない。
「土、岩、空気、空。そこにあるものすべてが見ていた記憶です」
「精霊……」
俯いていたラクトは目をきらめかせながら答える。ヴァネッサも一応頷くが、心の内では興味を全く示していないことだろう。
「……で、あの映像は、精霊のありがたい贈り物だとして、もう一つの疑問は、あの謎の男の存在だ。どうしてあんな人間離れした力を持っている? 生身の人間が、巫女を負かすなど信じられん」
ラクトも同じ疑問を持っていたようで、またもや俯き、知識の海を泳ぐ。星の巫女は幼子の世話に神経を集中させ、しかし表は鷹揚に構えている。この状況下、ヴァネッサは自分の質問に対する解を期待するのは無意味なことだと感じ取り、彼女なりの瞑想を行い、その重々しい空気に“擬態”することに成功した。
「男の心は――」
突拍子もない時をついて言葉が出る。がしかし、思いがけない幸運は思いがけない拍子に途切れる。星の巫女よ、もったいぶっていないで早く出せ、というヴァネッサの思いは伝わることは無く、またもや沈黙の時が流れ始める。同時にため息も生じたが、それがきっかけとなってこの状況がいい方へ転ぶなど、千に一つもない夢想だろう。
「まるで夜、底なしの黒だが、闇ではない、ですね?」
変人同士の意思が繋がり合い、妙な点で幸運が舞い降りた。ともあれ、幸運は幸運であって、不運ではないから、素直に喜べる。
「なるほどな……。つまり、犯人は凡庸な魔法使いでは到底使うことのできない属性を持っている、これで良いか」
星の巫女が微笑みを浮かべて肯定の念を示すと、ヴァネッサはそれを合図にそそくさと撤退を開始する。それはラクトには当然、無礼な態度として映ったのだが、憮然とした態度の剣士を止められるはずもない。
「あ、ちょ、ちょっとヴァナ! 全く。すみません……」
「いいのですよ。彼女と、私とあなた。どちらが少数派なのかは、一目瞭然でしょう?」
星の巫女の右手が、淑やかに眠りにつく黒の巫女の頭から離れ、ラクトの頬を掠める。その艶やかな両目に耐え切れず、思わず視線を下げるが、そこには蠱惑的な口元があるだけであった。
「いえいえ! ち、違うんです! あ、あれ……、いや違うじゃなくて……、ええと」
困惑の嵐にもまれる初々しい青年を目の前にして、くすくすと笑う。彼女はもうすこしからかいたくなって、「なぁに」と問うた。
ラクトはもう限界である。感情の制御どころか、このままでは身体変化まで晒してしまうことになる。さすがにここまでくると、相手の巫女も引き時だと感じたらしく、それ以上の行動は起こさなかった。それに助けられて、深い呼吸を数回行い、ラクトも漸く平常心を奪還する。
「この土の宝玉、赤の巫女様からのご依頼で、貴女様に渡してくれ、と」
「これ……、そう、あの人、よくこんな懐かしいもの持ってきてくれたわね……」一旦過去を偲んで、「あ、ごめんなさいね。こちらの話です」
彼女は一瞬の無表情を詫びてから、宝玉を必要ないことを示すと、それをラクトに手渡す。その手はとても温かみのある、繊細なものとして彼の記憶に鮮明に焼き付く。体を扉に向け、退出しようとしたまさにその瞬間、
「頑張ってね……。あなたなら、できるかもしれないわ」耳元で囁かれる。
その語句に、感情は無く、意味もないものと、ラクトは感じた。しかし、実際には、多くの意味を含ませすぎたゆえに、何も読み取れなかったのかもしれない。
とはいえ彼がどんなに冷静沈着な性格をしていたとしても、そんなことを考える余裕はない。今のラクトは吐息を感じて、生きた風を感じて、背筋に痺れを走らせて、まるで軍隊のような整いきった姿勢で、関節のひとつひとつを意識して動かして扉から出て行くくらいしか出来ることはない。まるで古代ドワーフの作った金属製の機械のように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます