1.3 恥と休息

 サーブルの居城では、大宴会の催しが計画され、その準備が着々と進んでいた。長テーブルには白い布が敷かれ、その上には長持ちするよう、なるべく太いロウソクを等間隔で設置する。


「うむ。やはり魔灯がないと、多少不便ではあるな。だが、明かりが少なくなろうと、どうして晩餐の楽しみが減るだろうか」


 いつの間にか、王の隣にはおそらく城一働き者であろう宰相が静かに立っていた。そのことに気付きはするものの、二人はひたすら黙っている。だが、それは気まずさからくるものではなかった。おそらくは、王が喜びに耽っている一方、後者は国軍の最優秀といっても間違いではないであろう指揮官をあっけなく国外へと放り出してしまった王の気まぐれをいまだに信じられずにいる為だろう。質問しようにも最初の言葉が思いつかない。


「どうした。この状況を気に入らないか」

「いえ、満酒盃肉の卓、楽地の極みにございます」

「まあよい。お前が好かない趣味であることは理解している。それはそうと、何か思っていることでもあるのか? 目がそう訴えておるわ」

「ただただ、私はヴァネッサ殿の休暇が心配で。本当に良かったのでしょうか」

「そんなことを! 先ほども言ったように、あの大量の稼業を後継者となりうる者達に分担して、彼女に匹敵する辣腕家を育成せしめる良い機会なのだ」


 そう言われてもなお、懸念する男は頭を些か床に傾け、小さく呻っている。王に尋ねられてもしばらくはうんともすんとも言わなかった。喧噪の中の沈黙。やがて、口を開いたのは王だった。


「なぜ、私は研究員のロキアスとやらを同伴させたのだと思う」

「彼の豊富な魔術知識が役に立つからではないのですか」


 彼は右手の指を一本だけ伸ばし、宰相の前に近づけた。何事か、と感じる間もなく、王はこう言い放つ。


「一割だ。彼の知識は確かに豊富なのだろう。だが、彼が研究所一の臆病者だということこそ、残りの九割を補填する理由だ」


 それは、と何か言葉を出しかけた宰相を遮り、王が手を広げ、肩の位置にまで上げる。制止を表す非言語的合図オービスである。レガリア王国には少なくとも八つのそれがあり、歴代の王はそれらを駆使して命令をより簡素かつ迅速なものに進化させていった。そのような目的が為、たとえ側近であっても非言語的合図オービスには絶対的黙従を強制される。


「他でもない。為だ」


 声を張り上げ、顎先を少し上げる。不敵な笑みのなかでちらりと見える歯。そして後半部分に付けられた不自然な強調。そのどれもが皮肉と結びついていた。だが彼の側近はこれに閉口するような人物ではない。


「では……これからしばらくは私が第一助言員となり、王を冷たく、無慈悲な死からお守りしましょう」


「言うではないか。だがな、私に助言など不要なのだ。特にここではな――ん? ああ、酒の容器は中央と上座、下座にそれぞれ置いてくれ。計三つになる。いや、違うぞ、そこは果物を置く場所だったはずだ……」


 宴の準備は、賑やかであった。

 


 「酒と活気は仲良し」。ことわざが言うように、心がどうしても浮かないというときには、酒場に行けば間違いなく気分が晴れる。だが一方で、そうでない場合、もしくはそうでない人にとってはただただ騒がしい場所という悪印象を与えかねない。

 笑い声が左から聞こえたと思ったら、右からは泣き声。今食べている料理の名は、「焼き牛肉と季節の野菜 笑顔と涙を添えて」だったか?


「よーし。大量大量」


 どさっ、と、本当に擬音語通りの音を立て、何かがたんまりとはいっている麻袋が食卓に落ちる。


「え……。なんだいこれは?」

「金貨だ」


 ラクトが急いで中身を確認する。本当に金貨であることを信じざるを得ない状況になり、彼は初めてそのことを確信する。研究者の性らしい。


「あっちの方に男三人組が見えるだろ? あいつらと一勝負してきたんだよ。始まる前から勝利が見えていたんだけど、あいつら、いざ負けたとなると、どうしても勝ちたくなったらしくてね……。まあ、何回やっても結果は同じだから、こっちがより儲かるように動いてくれたことはありがたかったな」


「ヴァナ、君は本当に……、尋常をはるかに超えているよ」


 ラクトがそう言い放ったのは、ヴァネッサが賭けによって金貨を大量に獲得しただけではなかった。食事の注文を済ませてきた彼女が両手に持っているのは、酒二杯に焼き牛肉二人前。相当がたいの良い男性剣士でも、こんな量を独りで持っていては怪しまれるくらいだ。尤も、当の本人曰く、なにもおかしな点は無い、とのことだが。


「いや、しかしなあ、このまえのフルハントでの謁見は、よくやってくれたな。傑作だった」

「ちょっと、本当にそれは、気にしているんだから、止めてくれよ!」


 ヴァネッサはそう言いながら、常人であればまだパン一つすら食べ終えているかすら怪しい時間の間に、牛肉を半分たいらげ、さらに酒も早くも一杯をからにしていた。一方のラクトは“痛いところ”を突かれ、恥ずかしさに苛まれることが多い。



 それは二日前の出来事。王の命が下って六日目のことであった。二人は移動手段である馬を得るため、同盟関係にある神国フルハントへと赴いていた(その際、自国で馬を調達しなかったことに対するヴァネッサの不満が爆発していたのだが)。

 その日の昼下がりにはフルハントの首都、カルンに着いていた。歩き疲れた体を休めたり、酒場に寄ったりしたかったのだが、先ずは謁見の方が先だと常識が叫んでいた。その意識は二人に共通していたので、交わす言葉を最小限にして暑さに汗を垂らしながら宮殿まで移動する。 

 同国は厳格な戒律をもつ一神教、アルハリア教を国教としており、その性格は町並みにも表れている。大通りからそこより分かれる小道にまで、道の端には所狭しと露店、もしくは屋台が並べられている。その特徴は通り過ぎるだけでは見つかるはずがない。全ての店で、品物が同じ規則で並べられているというものだからである。


「知ってるかい? ここでは国を挙げて町の清掃に力を入れなくたっていいんだ。この国の気風といおうか、宗教の特性かもしれないけれど、皆が誰に頼まれたわけでもなく落ちているごみを拾ったり、そもそもごみを捨てないんだ」


 どうしても知っていることはすべて言いたい性格のラクトが、全ての説明を一息で言い切る。


「そうか。どうやらここは“どこぞの国”とは意識が根本から違うようだな」


 このように、対するヴァネッサの返答は簡素であり、同時に辛辣なものであった。

 宮殿(ここの国民は神殿と呼んでいる)に着くと、衛兵が早速身元を確認するためにやってくる。王令証を見せ、謁見する場へ案内してもらう。


「私がケストのサンフェルだ。お前たちの情報は耳に入っている。よく来たな」


 ここでの首長の地位は、「神の声を聞く者」という意味のケストというものである。サンフェルは前任からケストの地位を受け継ぐことはや二十数年。宗教特有の徹底した規制と同時に、魔大陸との交易を盛んに行うという奇抜な方針とで国力を増大させた傑物である。


「しかし、たかが馬二頭と食料など、知らせなくとも渡していたのだが、わざわざ勅書まで持ってくるとはな」

「私たちの国も、貴国も、“無いものは無い”という文句は同じですが、こちらの国のは少し意味が違っておりまして――要らないものも揃っています。その典型例が、我が君主といったところでしょう」

「ハハッ。随分と逆説的な紹介だ」


 サンフェルは、これが本心なのだとは、たぶん微塵も思っていないだろうが、二人にとって、そんなことはどうでもいいのだ。目的の馬と旅の必需品をもらえたのだから。


「では、私どもはこのあたりで……」


 ロキアスが珍しくへりくだり、退城の挨拶をしようとするが、突如として荘厳な鐘の音が響き渡る。重い音色の中に、かすかな高音も聞こえる、何とも不思議な鐘である。いや、もしくは鐘ではない、別の何かかもしれない。

 奇妙なことはもう一つ起きた。二人とケストの周りを取り囲む兵士、側近、召使など、城内にいる人の中で地に額を付けない者はいなかった。ただ二人を除いて。 

 その光景に面食らったラクトと、王にも等しい地位のサンフェルを除いて。心内は違えど、二人はにらみ合い、片方は混乱し、片方は客人の無礼さにまさに憤慨せんとする。


「馬鹿! ひざまずけ」


 ヴァネッサの、囁きながらの忠告によって正気を取り戻したラクト。そのまま倒れこむようにして皆の真似をする。その後漸くサンフェルが祈りを捧げ、一応事なきことを得たのであった。だが、カルンの門を出た後にはもちろんラクトへのからかいが止むことはなかった。



「何も、完全再現しなくてもいいじゃないか」


 酒の効果か、少し涙もろくなってきたラクトは半ベソをかきながら慨嘆していた。ヴァネッサからは泣き上戸と揶揄され、周りの客の目線を恥じながら、である。

「はあ、全く。からかわれたこともないのか?」


「いや、日常茶飯事。って、き、君が……ヴァナが一番からかってるよ!」


 上手い言葉が思いつかず、感情で会話してしまう。追加で注文していた鶏スープを啜りながらラクトは机の傷を見つめる。しばらくの沈黙の後、「慣れないのか」と問われるも、一向に顔を上げる気配がないので、話題が変わる。


「まあ、馬を手に入れれば、こっちのモンだ。数日間は足りない物資を買うので忙しかったが、いよいよ本格的な旅を始められる。さあ、どこへ向かおうか」


 ラクトがやおら顔を上げる。正面からは脳天が見える姿勢だったので、上げきるまでには時間がかかったが、その後は頭と口がよく動いた。


「そうだね。次はイルヤークルにあった方が良い。クレインは彼女たちがマージファイスにかかわっていると言っていた。ここからだと馬なら三日とかからないと思う」

「了解。的確な指示、感謝する。ところで、“ラクト”って、どういう意味だか、まだ教えてなかったか」


 ラクトは期待を膨らませる。自分の名前だ。誰でも気に入るような意味でないと落ち着かないだろう。彼は予想してみろと言われると、聡明とか、強力とか、勇敢とか、自分にとっての理想を口に出していくが、悉く「否」と否定される。特に最後の“勇敢”という語には、ヴァネッサの顔に苦笑が滲み出てしまっていた。


「どれも違う。ただ、“聡明”は、発音的には似通っている。これは“ラント”と言うからな」


 ラクトの顔色は浮く。

 対するヴァネッサはなるべく音素の切れ目を作らずに繋げて、「子猫だ」

 ラクトは耳を疑った。これは彼にとって初めての「疑いようの無い事実を疑った」日となる。意外にも身振り手振りは冷静だったが、明らかなる憤怒の情を抱えていた。


「こんな屈辱は初めてだ……。君という人は!」


 その次の言葉がなかなか出てこないらしい。十本の指を(もし足の先まで怒りに染まっていたなら、二十本ということになるが)これでもかというほど激しく動かし、その視線は前に見える剣士の頭上、その横に座る商人、さらに移って天井に吊るされている貝の飾りなど、多くの物に飛んで、定まることを知らなかった。

 再び口を開いたときには考えうる限りの悪口に対する汚点を大声で、さらに早口でまくし立てる。ラクトというあだ名の意味を知られるより、今の姿を目撃されて呆れられる方がよっぽど恥ずかしいとも思うが、やはり本人は自尊心という観点からの恥ずかしさを気にしているため、理にかなった情熱と言える。

 外見では全ての愚痴を一通り受け止めて、内面では右から左へと受け流した後、ヴァネッサは大泣きの赤子をあやすような口調で宥めにかかった。


「ラクト、聞いてくれ」

「またからかうのかい? いくら僕に欠点が有るからと言って、そんなに間に髪をいれず、間断なく悪口を言わない方が、も増すんじゃないかな」


 半ばやけくそで自虐的な発言をし始めた彼を内心面白がるが、ここでは笑ってはならないと胆に銘じていた。一線を超えるとただの言葉による私刑になり、返って興ざめであることを心得ている故の判断である。


「いや、違う。いいか? 言われている内が花なんだぞ」

「たとえ嘲笑に乗って耳に届く嘲りの罵詈雑言でも?」冷ややかに返すが、ヴァネッサ彼に輪をかけて凛としていた。

「全てにおいてだ」


 彼女には、ラクトへ茶々を入れることがささやかな楽しみであり、これはたとえ彼が嫌がろうとも止まることはない。二人の旅に、少なくとも「言葉の和平」が訪れる可能性は低い。

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