1.2 里程標


 一面に広がる緑草。そのどれもがくるぶしを超えないほどの高さを保っており、高低差のある地形を覆うその景観は、観る者を爽快な気分で満たす。それを観ていると、所々に“白の群れ”がうごめいている。羊が放牧されているのだ。


「これからどこに行くんだって? あまりこっちの方は出歩いたことが無いから、疎いんだよね」

「ラクト、ならば最初の目的も見当がつかないか?」


 ラクト。ヴァネッサがロキアスのことをマンティスと呼びたくないが為に、そして彼がどうしても本名以外の名前で呼んでほしいが為につけられた名。いわば二人の妥協点である。


「そう考えると……、欲しいのは情報収集かな。魔法供給所がどんなからくりなのか、どこから魔法が届いているのか、送っていた先は全部途絶えてしまっているのか、狙われた理由は何か。これくらいの所が知りたいね」

「流石は研究員。腐っても思考力は有る。利発だな」

「ちょ、ちょっと、僕は全然腐ってなんかないじゃないか! 新鮮そのものだよ! ほら、ほら」


 手を開いたり閉じたり、腕をさすって見せたり、とにかく色々なことをしてみるラクト。


「わかった。そんなことでやけになるんじゃない。私が悪かったって」


 ここで、一拍おいたあと、


「でだ、私はこれからフュールに向かおうと考えている」

「フュール! なんだってあんな寂びれた港町に?」と言いながら前を向いた瞬間、ラクトは羊に突かれる。

「ははっ、横を向いて歩いているとそうなる。で、ラクト、お前は魔素供給装置がどんな仕組みで、壊れ得るのかを知りたくないのか」


 それが遠回しの情報提供だとわかるや否や、ラクトは立ち上がろうとしながら黙りこくって想像をめぐらす。そしてこう答えた。


「その開発者、もしくは設計に携わったものが、その街にいる……?」服の土を払いながら。

「ご明察」


 あの蒼空が、すべて降り掛かってきそうなほどに近く感じる。丘陵の高さのせいではない。一人の室内好きの、冒険という未知なるものに対して広がる無限の実感が、そうした幻覚を催すのだ。空を浮かぶ大雲、地を撫でる風、うねりを生み出す大洋。それぞれが「空の白き冒険者」に、「地表を疾走かける自然の申し子」に、「全てに憤る世界の支配者」に見える。



「あなたが、クレイン。例の装置の設計者だな」

「いかにも。マージファイスは私が設計し、自らの手をも加えて建築した」


 ヴァネッサとラクトが座る机の前には小柄な老人が一人。彼こそ、作成者だと言うが、ラクトには腑に落ちない点があった。


「でも、どうしてそんなに偉い人がこんな辺鄙な場所にいるのですか? 普通はサーブル王や研究所長ドアルクらに引き止められるはずです。そうでなくとも、城下町の一等地に住むくらいのお金は持っているはずでは」

「君は、若い。野心に満ち溢れているな。だが、私の寿命はすでに尽きたも同然。人混みに紛れば青息吐息。見知らぬ傭兵などに声をかけられた時には、彼は私の死神に見えるのだ」


 謎掛けのような、それでいて理解できないという程でもない訴えを耳にして、ラクトは些か居心地が悪くなったらしく、壁に掛かる写実的な巨木の画に目を移す。


「ラクト、私たちは他人の人生相談をしに来たのではない。クレイン殿、雑多な話題を除いて直截的に言うが、私たちは装置について幾つか知識を蓄えたい。一つ、その仕組みについて。二つ、これが壊れてしまうことなどありうるのか、だ。これは王令にある」

「なに、王令だろうが、なかろうが、私はいつでも、だれにでも情報を提供するさ。まず仕組みについてだが……、これはちと難しい話になる。然るに概要だけを説明するが」


 ラクトが何かを言いたげに体を揺らす。だが隣のヴァネッサがそれを許さない。半開きとなっている口を手で抑え、目を睨みつける。その黒光りする眼光だけで、彼女が言わんとすることを物語っている。さきほど言ったろう? 余計な話はするな、と。専門知識があるのはわかるが、それをいちいち聞いている暇などない。あとで個人的に質問するなりなんなりするが良い。


「どうしたのだね……。まあいい。それで、マージファイスはかんたんな仕組みを採用している。ただ極大魔法石の魔素を吸収しているだけだ。私が手間取ったのは、魔力の増幅と、その制限と輸送だ。前者はまだしも、後者は難関だ」

「確かに。魔素を移動させるなんて、普通は考えられない……」

「だが私はやってのけたのだ。魔素を空気に溶け込ませ、それを今度は管に流し込む。この管もまた工夫を凝らしていて、内側には魔法を跳ね返す合金、メラネルを貼り……」


 ここで、これみよがしに怒りを露わにする姿勢の軍人に気が付き、クレインは口をつぐむ。


「ふむ。最低限の仕組みはこれで良いかな。では次に、制御面だが、この答えは簡潔だ。壊れるはずがない」

「現に稼働は停止しているが」


 老いて細くなった目をさらに細め、ついに閉じる。そして彼はゆっくりと、諭すように語り始めた。


「私は壊れるはずはないといった。だがこれはという意味だ。外からは違う」

「防壁を、疎かにしていたのか」


 否、とクレインは否定する。「“まやかし”によって高位の魔術師にも、普通の岩壁にしか見えんだろう。それゆえ、壁も何もなかった。そして、これをやってのけたのが、あのイルヤークルだということを過信していた」


 ラクトが食いつく。「イルヤークルだって! そういうことか」


「その、イルヤークルとやらは――」


 しかし彼女の疑問の言葉は、他でもない、ラクトに阻止された。


「行こう。早く! ほら立って」

「何をする。私たちはまだ聞くべき情報が残っているだろう! どうしてそこまであわてる必要がある?」


 袖を引っ張られるのを煩わしそうにして、ヴァネッサが吠える。ところがラクトは出発を急いて聞く耳を持たない。そこに、クレインも介入する。


「いまは、そちらの方が正しいぞ。ならば、巫女たちについて知っていることを言ってみよ」


 待ってましたといわんばかりの輝いた顔を作り、ラクトの方が一度、大きく上がる。そして――


「イルヤークルは世界の平衡を保たんとする四王国に依りてその地位が創始されし、希代なる巫女。天の主アス=ワンが使者として地上に遣い給いし、天命を全うすべく大女神に選ばれし、四人の巫女。其れ各々生まれん。天ならぬ、人腹より。其れ各々操らん。赤、青、白、黒のあやかしの術。乃ち赤の巫女はトーン〈火〉を、青の巫女はファイ〈水〉を、白の巫女はイール〈無〉を、黒の巫女はオグ〈地〉を知りたり。其れ天の主の御心により、東、北、西、南と居ぬ場は世界に在らず」


 二人は顔を見合わせ、互いに相手の口が愕きで開いてしまっていることを知る。

「お主」ヴァネッサの方を向いて、呆然としたまま言う。「いい相方を持ったじゃないか」

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