第36話 決戦二

 爆発が起こった。

 同時に、イビの口からレスダムールの声が発せられる。

(このままではお前たちは死ぬ。そして、シアルはトルガードに連れ去られるだろう)

(今のはお前がやったのか)

(そうだ。だが失敗した。現状ではどう足掻いてもトルガードを倒すことはできない、そう言わざるを得ない)

(なら黙っててくれ。士気が下がる)

(聞け。現状では勝てない。しかし、それを打破する方法はある)

 直ぐ傍を、影が駆け抜けていく。

 ギブライド。無防備な背中。最大の好機。しかし、構える前にギブライドは砂塵に呑まれた。クライトは舌打ちしてレスダムールに耳を傾ける。

(何をすれば良い)

(お前の背中の焼き印は、儂の陣研究の到達点だ。魂を封じ込めた陣を通して世界を彷徨う魂たちに働きかけることで、魔法の行使を容易にする。そう教えたな)

(ああ、そうだ)

(あの説明は陣の本質ではない。その真の性質は、肉体と魂の融和にある。即ち、より魂に近い存在となることで、魂への働きかけを強力にしているのだ。そして、その効力はまだ強くできる)

 光明だった。

 初めこそ敵の数を上回っていたもの、今や戦力差は逆転し、倍にまで広がっている。このままではギブライドたちに勝てる筈もない。

 レスダムールが呻いた。ギブライドが怒鳴っている。

(どうした)

(気にするな)

 少し、レスダムールの声が弱くなった。

(肉体と魂の融和が進むということは、お主自身が魂に近づくということだ。つまり、終着点は肉体の完全なる魂化、命果てるということだ。死を賭してまでシアルを救う。その覚悟が、お主にあるのか)

 答えるのも馬鹿らしいほど、今更の質問だった。

(笑わせるなよ。何の為に十人以上の人間を殺してきたと思ってる。全てシアルを助ける為にやってきたことだ。ここで退いて何が残る?)

(ならば、陣に封じた魂の力を借りろ。あれは融和の調整役だ。基本は陣に頼っているが、最後は魂が融和の度合いを決める)

 さらに、レスダムールの声が弱くなった。時折、息を整えるような間が入る。

(……シアルは、孫娘の生まれ変わりだ。決して、孫本人ではない。だが、孫の生まれ変わりであることは、紛れもない事実だ。二度も早逝させないでくれ)

 ふと、イビの眼に光が戻った。

(なんか加齢臭するんだけど。これクライト? あれ、もしかしてウチ?)

 イビが自分の躰を嗅ぎ回る。砂塵は晴れていた。ギブライドたちが動き始める。モレットの表情は渋かった。

(イビ、力を貸せ)

 イビの笑顔が、すうっと消えた。

(死ぬよ)

(どう転ぼうがどうせ死ぬ。なら、シアルが助かる方を選ぶ)

(正直嫌なんだけどなー。ウチはクライトの苦しむ姿が見たいだけだから死なれると困るんだよ)

(必死で調整しろ)

(もう、イビちゃん遣いが荒いなー、クライトは。仕方ない、やりますよ、やれば良いんでしょ! いやっほぉい!)

 イビが叫ぶ。焼き印が疼く。焼き印が熱くなる。

 光の点が見えた。

 極小の光の点が、そこかしこに漂っていた。

 空を自由に飛び回り、地面に消えてはまた現れる。人には多くの光が纏わり付き、死体や肉片にも覆い被さっていた。

(あの光が魂だよ。ウチと同じで皆人懐っこいんだよ。だから人に力を貸したりしてるってわけ。まあ、生身に飢えてるだけなんだけど)

 焼き印の刻まれた背中が、燃えるように熱かった。

(じゃあ、ウチは忙しいから話しかけないでね)

 敵は七人。味方は二人。モレットたちが四人と戦っている。ギブライドは遠くにいた。

 二人の敵が、クライトに近づいてくる。

 二人の敵を包む光が激しく動き回っていた。一人は呪文を口にし、もう一人は片手を背後に隠している。

 クライトは、二人を指差した。

 一瞬、光の動きが止まった。敵の首に集まっていく。輝きが増していく。

 二つの首が宙を舞った。血に、首に、躰に、光が群がっていく。

「他は後回しだ! クライトを先に殺せ!」

 ギブライドが怒鳴った。四人の敵が向かってくる。遅れて、モレットたちが後を追う。

 飛び交う光が増えてきた。それぞれの人間に光が集まろうとしている。左端の敵は光の集まりが少ない。

 左端の光が、火に変わった。広がりながら飛んでくる。四人の敵の姿が火に隠れた。

 クライトは火を指差した。

 火が光に戻る。四人の敵の姿が露わになった。すぐさま敵に光を集める。

 少し、光の動きが鈍かった。魔法がせめぎ合っているのか。

 構うか。クライトは強引に腕を薙いだ。三人の首を撥ね飛ばす。一人だけが屈んで避けた。這うように突っ込んでくる。

 死体に光が群れてきた。それを剣に変え、迫ってくる敵の背中に発射した。無数の剣が敵に突き刺さる。

 光が吸い寄せられていくのが、視界の端に映った。

 ギブライドが魔法を行使しようとしていた。光の数は尋常ではない。輝きにギブライドの姿が紛れていく。

 そして、眩い光は無数の石礫に変わった。

 クライトは浮遊感を覚えていた。光が七色に見える。石礫も淡い光りを放っていた。

 ギブライドが腕を振る。クライトは掌を正面に向けた。

 風切り音。石の砕ける音。一瞬で騒音に満ちた。石礫が勢い良く飛んでくる。次々に辺りの岩が砕かれていく。

 しかし、その一つたりともクライトには当たらなかった。クライトの躰に触れようとした石礫は、途端に光に戻っていく。

 やがて、石礫の雨が止んだ。

 足音が近づいてくる。ギブライド。クライトはこの場にある全ての光でギブライドを包み込む。

 七色に輝く球体が生まれた。

 強烈な光だった。何故か眩しさは感じない。クライトは、掌を素早く握り締めた。

 一度だけ、重いものが落ちる音がした。

 光は漂いながら、少しずつ散らばっていく。残ったのは血に塗れた肉の玉だけだった。

 敵は、もういない。

 クライトはシアルのいる小屋に歩み寄っていく。小屋の損傷は見て取れないが、飾っていた枯れ草は吹き飛ばされていた。

 心地好い気分だった。体温より少し暖かい湯に、頭まで浸かっているようだ。

 小屋に入る。土間しかない小さな家だ。中央には寝具が敷かれている。そこに、シアルが寝かされていた。

 胸は微かに上下している。頭巾付きの外套から覗く躰に怪我は見当たらない。痩せ細った躰も、別れた当時と変わらなかった。

 クライトはシアルの傍らに座った。

 シアルの表情は柔らかかった。不審な光が纏わりついているようなこともない。

 これで、全てが終わった。急に実感がわいてきた。眼元が熱くなる。シアルの頬に手を伸ばした。

 血。

 自分の手が、血に塗れている。シアルの躰に血が滴りそうになっている。

 手を引いた。改めて見ると、血は付いていなかった。

 幻覚だった。今まで殺した者たちが脳裏に過っていく。殺しの手助けをして死んだ者を含めれば、優に二、三十人を殺しているだろう。

 クライトの全身は血だらけだった。

 立ち上がろうとした。しかし、座ったままだった。手を握ろうとするが指が動かない。もう一度動かすと、ようやく拳を作れた。

 躰と意識が離れてきている。躰の動きを想像しながら、ゆっくり立ち上がった。

(イビ、躰の調子はどうなんだ)

 返事はない。光が、じゃれつくように纏わり付いてくる。

 小屋を出た。誰かと鉢合わせる。

「見事な戦いぶりだったな、クライト」

 モレットが立っていた。砂混じりの血で薄汚れているが、大きな怪我はなさそうだ。その顔には濃い疲れが表れていた。

「……無事だったんですね」

「なんとかな。ほとんどの者は死んでしまった」

 よろけそうになり、クライトは壁に手を着いた。

「……生き残ったのは、あと一人だけですか」

「そうだ。人を呼ばせにやっている。近くの村だ。そう時間を置かず、人を連れて戻ってくるだろう」

「……そうですか」

「シアルは無事だったのか」

「……無事ですよ。暴れたような跡もなかったから、攫われてからずっと眠っていたんだと思います」

「つまり、何も知らないと」

「……起きていたとしても、奴らは何も話さないでしょう」

「その通りだな。これで、シアルの身の安全は保障された」

 意識が朦朧としていた。悪い気分ではない。気を抜けば安らかに寝入りそうだ。

 だが、まだだ。クライトは舌を噛んで意識を引き戻す。

「……本当に、シアルは大丈夫なんですか」

「レスダムールは死んだ。これで、私たちはこの場にある物を頼りに異界転換を研究していかなければならない。シアルは当然のこと、陣を構成する石一つとして無駄にするわけにはいかない」

「……シアルの扱いはどうなるんですか」

「精々、またやつれさせるぐらいだろう。ただ、私の勘にはなるがそれはないだろう」

「……何故ですか」

「彼女に特殊な素質がないのであれば、他の者をやつれさせて試すことになる。それで失敗してようやく彼女の出番だ。順調に研究が進めば、数か月の保護観察を持って解放されるだろう」

 おそらく、シアルに特殊な素質などないだろう。纏わり付く光の動きもその量も、常人と変わらなかった。

「だがクライト、お前は別だ。お前は必ず殺す」

「……そんなに、マイヤロという人が大事ですか」

 モレットは答えなかった。クライトは小屋の壁に背を預けて座り込む。

「……まあ、シアルの身の安全が保障されたなら、それで良いです」

「代官として、約束しよう」

「……よりによって、それを俺に言うんですか」

「休んでいろ」

「……その間にシアルに手を出したら、魂になっても生まれ変わっても、必ず殺しに行きますから」

「私個人としても、約束しよう」

「……なら良いです」

 モレットは身を翻した。敵の死体を確認して回っている。

 今なら、指一つでモレットを殺せた。しかし、殺す気は微塵もない。モレットは約束を守る。何故か確信が持てた。

 そろそろ限界か。

噛んだ舌の痛みも鈍くなっている。背中の焼き印は燃え滾っていた。

 シアルは助かった。多くの人間を殺し、トルガードの手から救い出した。数年に及ぶ呪いの魔法も解けている。時間は掛かるだろうが、必ず健康体に戻るだろう。

 全てが終わった。

 後は自分が、魂になって果てるのが先か、モレットに殺されるのが先か。

 光が纏まり付いてくる。意識を誘おうとしている。

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