第32話 交渉

 レスダムール。全ての元凶。

この男さえいなければ、シアルが死の危機に晒されることもなかった。

(どこにいる)

(話を聞け)

「どこにいる!」

 モレットたちの視線が集まる。クライトの眼には、レスダムールの声を出すイビしか映っていなかった。

(落ち着け、クライト。儂はお主の敵でなければ、トルガードの味方でもない)

(なら何だ!)

 モレットたちが話し合いを再開した。ギュラスだけはクライトを見続けている。

(取引、いや、頼みがある)

 落ち着け。声を荒げたところで何も解決しない。クライトは深呼吸を繰り返した。

(……言え)

(まず、異界転換が行われるのはまだ先だ。あと一日の猶予がある。それを踏まえて冷静に話を聞いてほしい)

(かなり前からの計画だろ。一日も猶予がある理由は)

(儂が準備に時間を掛けて足止めをしている。儂がいなければ異界転換はできないのだ、ギブライドも従っている)

(……それで、頼みの中身は)

(シアルを助けてほしい)

 こめかみが痙攣した。

(おい、ふざけてるのか)

(唐突なのは理解している。だがまずは話を聞いてくれ。そうすれば儂のシアルを助けたいと言う言葉も真実だと分かる)

 今更、急いで何かが変わるわけでもなかった。

(……分かった。聞くだけは聞く)

(ことの起こりは、儂が異界転換の一端を掴んだからだ。そして、グルピアリスは領土拡張の野心を燃やした。この二つの理由により、グルピアリスはお主の国に近づいた。グルピアリスから魔法指南を名目にガシェーバの街に人が派遣されたが、これは地法を扱う天の世界の人間を作る為だ)

(それは担当者が死んで中断したと聞いた。それだけの理由で中断するのか、何か他の狙いがあったんじゃないのか)

(正式に中断が決まったのは儂が亡命した後だ。詳しくは知らない。だが、その死んだ担当者は儂の弟子で、相当に優秀な人物だった。以降も魔法使い育成は続けられたが、眼に見えて成果が出なくなったらしい)

 おそらく、モレットが中断するように動いたのだろう。ここまでは、レスダムールは嘘を吐いていない筈だ。

(続けてくれ)

(儂が異界転換の一端を掴んだ後、グルピアリスとお主の国の同盟が成った。それを祝ってグルピアリスから使節団が派遣されることになったが、これには儂も同行することになった。その道中、お主の村を通った時、儂は見つけたのだ)

(それが俺とシアルか。眼を付けた理由はなんだ)

(まず、お主はどうでも良かった。儂にとって重要なのはシアルだけだ)

(どういうことだ?)

 異界転換に重要なのは自分とシアルの両方だ。片方が欠けても異界転換はならない以上、その重要度は同じ筈だ。

(生物は命尽きた時、その肉体から魂が抜け出る。それから魂は異界に渡り、新たな肉に宿って転生する)

 レスダムールの言わんとせんことが、朧気に見えてきた。

(おい、まさか……)

(シアルはな、孫の生まれ変わりなのだよ)

(……嘘を吐くな)

(嘘ではない、全て真実だ)

(シアルに呪いの魔法を掛けた理由は、孫の生まれ変わりを苦しませる理由は何だ)

(儂も苦しかった。しかし、仕方のないことだった)

(何が仕方ないだ!)

 怒声が口をつきそうになる。食いしばって堪えた。ギュラスが怪訝そうに見ている。

(言っただろう、儂はトルガードの味方ではない。トルガードの目的は異界転換による領土拡張だ。儂の目的はそこにはない)

(ならお前の目的は何だ)

(シアルを、地の世界の人間に変える)

(何の意味がある)

(もう一度、孫と暮らしたかった)

 眩暈がした。

 それだけの理由でシアルは苦しみ、死にそうになっているのか。

(下らないと思うだろう。だが、息子夫婦が一人残した孫は、儂の全てだった。孫が死んだ喪失感から儂は研究に没頭した。そして陣の開発に至り、異界転換を知った。……何も満たされなかったよ。そんな時、シアルが孫の生まれ変わりだと知った。それから儂は、孫ともう一度暮らしたいと思うようになった。だが、それを成すにはグルピアリスは異界転換を知り過ぎている。だから何も知らないトルガードに亡命したのだ)

 聞いているだけで怒りが込み上げてくる。近くの物を無差別に破壊したい衝動に駆られそうになる。

(シアルと暮らす。そんなこと今だってできるだろ)

(頭巾と外套を身に着けてか。あんなもの、それこそ仮初の暮らしだ)

(……眼の前にお前がいれば、殴り殺したやりたいよ)

 少し、間があった。

(良いか、シアルを地の世界の人間にすることと、異界転換は同時に成立する。何故なら、地の世界の人間になるのと同時に異界は転換するからだ。だが、そのままでは転換した世界は元に戻ってしまう。それを防ぐ為に、転換と同時に対象を石化させて世界を固定する礎とするのだ。しかし、それでは孫は死んでしまう)

(シアルを孫と呼ぶのは止めろ!)

(……すまない。儂はトルガードを利用して最後に出し抜くつもりだった。だが、儂には亡命という裏切りの前科がある。ギブライドの監視の眼は思いの外厳しく出し抜けそうにない。このままではシアルは石化して死んでしまう。こんなこと儂は望んではいない、二度も孫の魂を見たくはない。助けてくれ)

 限界まで溜まった怒りを、クライトは息と一緒に吐きだした。

(勝手だな)

(勝手だとも。だが、お互いにシアルを助けたいと思っている)

(一緒にするな!)

(すまない。だがクライト、シアルを助けるにはお前の力が必要なのだ)

 怒りは押し殺した。

 シアルを助け出す。それ以外はどうなろうが構わない。

(一つ確認したい。シアルに掛けた呪いの魔法はどうなってる)

(あれは術者が常に術を掛け続けなければ、効力は直ぐに消える。しばらく影響は残るが、このまま何事もなければ時期に健康体に戻るだろう)

(つまり、シアルを救ってしまえばそれで全ては終わる。そういうことだな)

(その通りだ)

 レスダムールが何かを企んでいる可能性はある。しかし、他に手掛かりはない。モレットが捜索をしているが、発見がいつになるかは分からない。

 ならば、レスダムールの言葉を信用するしかない。

(分かった。今どこにいる)

 レスダムールが居場所を告げる。

(クライト、お前だけの力ではギブライドたちは倒せない。肉体の強さは勿論のこと、奴らは全員熟練の魔法使いたちだ。必ず、代官たちの協力を得るのだぞ)

(分かってる。できるだけ時間を稼いでくれ)

 クライトは立ち上がった。モレットたちが振り向く。

「取引をしよう。ギブライドたちの居場所を教える代わりに、俺を連れて行ってくれ。勿論俺も戦う」

 モレットが口を開いた。

「何故、お前が奴らの居場所を知っている」

「今、レスダムールから教えられたからだ」

「どうやって」

 人形のようになったイビの口から、レスダムールの声が漏れる。

(背中の焼き印──陣に目印を仕込んだからだ。それでお主の分身を仲介の代わりに使った。儂の魔法で伝えてきたとでも言えば十分だろう)

 レスダムールの指示に従った。モレットが机を指で軽く叩く。

「それが本当かどうか判断する術は持っていない。しかし、それはどちらでも良い。何故レスダムールはお前に居場所を教えた。それが問題だ」

 クライトがレスダムールの身の上とその目的を話すと、モレットは頷いた。

「レスダムールの家族構成は耳にしたことがある。孫娘の夭折もな。動機については理解できないが、全く分からないと言うほどではない。だが、レスダムールは何か企てているかもしれない。お前がレスダムールと無関係だとしても、お前自身何かを企てているかもしれない。この状況で、何を信用しろという」

 やはり駄目なのか。

 いや、大丈夫だ。モレットたちも自分を頼るしかない状況だ。どのような態度で来ようとも、モレットたちが交渉に不利な立場にいることは変わらない。

「なら自分たちで探せば良い。でもそんな余裕はないだろ」

 女たちが身構える。それを、モレットは手で制した。

「止めろ。殺さないだけの余裕があるほど実力は離れていない」

「捕まりそうになれば俺は自殺する。それで良ければ掛かって来い」

 モレットが立ち上がった。女たちに待機を命じ、クライトに近づいていく。

「お前はレスダムールから魔法を教わった。利用されただけだとしても、レスダムールの生い立ちを知っていても不思議はない」

「何が言いたい」

「全ては嘘で、お前は隙を突いて逃げようとしているのではないか、そう言っている」

「俺はシアルを助けたいだけだ。最前線で戦う覚悟もある」

 モレットが、眼の前で止まった。

「言うだけなら誰にでもできる。だが、一つ問題がある。お前の言葉が真実かどうか、こちらに確かめる術がないことだ。仮にお前の気持ちに偽りがないことが分かったとしよう。しかし、レスダムールに騙されているかもしれない。例えば奴らの居場所が露見しようとしている、それを誤魔化す為にお前を使って私たちを遠ざけようとしている。こういうことかもしれないぞ」

 信用されないのは分かっていた。しかし、モレットたちを倒した上にギブライトたちも倒すなど不可能に近い。どうにかして、モレットたちを引き込むしかないのだ。

「必要な情報は話した。あとはそっちの判断次第だ。俺の言葉を信じるならギブライドたちの居所まで案内する。信じられないなら国土が犯されるのを黙って見ていれば良い。さあ、どうする?」

 決定打はない。あとは賭けだ。

 モレットが話に乗らなければ、この場の全員を殺してシアルを助けに行く。限りなく不可能に近いが、最大の問題だったシアルの居場所は分かっている。

 クライトは、モレットに指を突き付けた。

「どうするつもりだ、モレット・スローマン」

「……トルガードは何人いる?」

 モレットの表情は微動だにしていない。クライトはレスダムールの話す情報をそのまま伝える。

「戦えるのは二十と少し。ほぼ全員が魔法使いで、魔法を使わない戦闘にも優れている。非戦闘員はレスダムールだけだ」

「猶予はどれほどある」

 返答に迷った。正直に答えれば、モレットは別の手を講じようとするだろう。しかし時間を短く言えば、十分な準備はできない。

「半日だ。移動時間を考えるとそこまで猶予はない」

 モレットは振り返った。

「出陣の支度をしろ、交渉成立だ」

 クライトは、安堵の息を吐いた。女の一人が口を開く

「良いのですか」

「捜索は続行だ。トルガードの居場所が違った際は地側に協力を要請しろ」

「分かりました」

 ギュラスを残して女たちが出て行く。モレットはクライトに向き直った。

「接近を気取られないように、私たちは少数で動く必要がある。構成は魔法使いの彼女たちと幾人かの精鋭だ。その為、戦力は少し上回る程度になるだろう。お前の奮戦に、期待しているぞ」

 言われなくとも分かっている。シアルを救う。全ては、その為だった。

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