第31話 ギュラス

 さらに、三人のグルピアリスの工作員が執務室に入ってきた。その頭巾付きの外套は、至る所が切り裂かれている。

「モレット・スローマンよ!」ギュラスが嬉しそうに叫んだ。「マイヤロの名誉を守ってくれたこと、感謝するぞ!」

 工作員に切り掛かっていく。一太刀で一人が殺された。残りの二人は困惑しながら反撃体勢を取る。

 何が起こっている。疑問が頭を占めたのは一瞬だけだった。背後には誰もいない。クライトは後ろ手に縛られた縄を魔法で解いていく。

 ギュラスが、残りの工作員を倒した。遠くからモレットを呼ぶ女の声が近づいてくる。

「ご無事ですか」

 数人の女たちが入ってきた。ギュラスに気付き、素早く武器を構える。

「その者は良い。状況はどうなっている」

 一人の女だけがモレットに敬礼した。

「最初こそ虚を衝かれましたが、今は体勢を立て直して反撃に出ています。個々人こそ強力ですが、数が少ないので鎮圧は十分に可能です」

 ギュラスが剣に付いた血を払い飛ばした。

「俺は貴殿に付くぞ」

「では、彼女たちに加勢してやってくれ」

 女たちが眼を瞠る。

「彼は信頼できる。私の警護は良いから全員で鎮圧に当たるように」

 返事をして、女たちが執務室を出て行く。ギュラスも後に続いた。

(良し! 好機だ。殺さなくても良いから人質に取れ! それで女どもを嬲り殺しにしていくんだ!)

 イビが叫んだ。とうに縄は解けている。モレットが、椅子から立ち上がった。

「縄は解いているのだろう、楽にして良いぞ」

 誘っているのか。クライトは動かなかった。モレットは工作員たちの死体に歩み寄り、落ちている剣を拾う。

「クライト、シアルの話をしようか」

(話なんていつでもできる! 良いからやれ!)

「何の話をするつもりだ」

 モレットは剣を逆手に持ち替える。死体の頭部に狙いを定め、体重を掛けて貫いた。

「トルガードを倒した後の、シアルの処遇についてだ」

(殺す時期についての話だ! あのむかつく口を早く塞げ!)

「どうせ殺すつもりだろう」

 自分とシアルの立場に大した違いはない。トルガードやグルピアリスと交渉が纏まれば引き渡す、纏まらなければ殺す。その程度の存在だ。

 モレットは、他の死体の頭部も刺していく。

「私たちは殺人鬼ではない。必要があれば殺人も戦争も厭わないが、可能ならば穏便に済ませたい」

「どの口が言う!」

「可能ではなかったからだ。今回の場合、シアルを殺す理由はない」

(またあの男女みたいに騙されるぞ!)

 イビの言葉から耳を塞いだ。シアルが助かる、それだけの為に行動してきた。それさえ達成できれば、全てが報われる。

「どういうことだ」

 全ての死体の頭部を刺し終えると、モレットは剣を捨てた。

「これで、全員の死は確認できた。邪魔をされることはないだろう」モレットは重厚な造りの机に着いた。「さて、私自身、異界転換に詳しいわけではない。ヴァーミニス殿により新たに知った情報も多くある。それらを総合して考えると、礎に必要な条件はやつれさせる、ただそれだけだ。魔法と同じように男よりも女の方が向いているが、特別な素質は必要ない。つまり、シアル個人に危険性はないと言うわけだ」

 胸が緩みそうになる。イビの叫び声を聞き、気を引き締めた。

「知っている知識は未完成のものだろう」

「そうだ。もしかすると、礎には特殊な素質が必要なのかもしれない。だが、シアル自身が私たちに矛を向けているわけではない。そうだろう?」

「当然だ」

「ならば、殺す必要はない。異界転換の研究に協力して貰うかもしれないが、その程度だ。運が良ければ短期間の保護観察で済むだろう」

 モレットの言葉の真意は分からない。

 しかし少なくとも、レスダムールを奪取できなければ異界転換の要であるシアルは殺せない。奪取できたとしてもしばらくの猶予はある。それまでに、シアルを助ければ良い。

 足から力が抜けた。膝が着き、倒れそうになる躰を両手で支える。

「だがクライト、お前は殺す」

 一瞬で、全身に力が入った。イビが嬉しそうに雄叫びを上げる。

「さっきと話が違うぞ」

「残念ながら状況が変わってしまった。つい先ほどまでは、お前を殺さなくて済む可能性もあった。しかし、ギュラスの登場でその可能性は潰えた」

 モレットは、ヴァーミニスから異界転換の話を聞いた時、初耳のように振る舞っていた。ヴァーミニスは嘘だと気付いていたようだが、それには触れなかった。つまり表面上、モレットは異界転換を知らない筈だった。

 ならば、モレットはどこで異界転換を知ったのか。

「ギュラスの妹が、異界転換を話したのか」

「その通りだ。彼女は優秀だったよ。私に仕えるあの魔法使いたちは、全員が彼女の教え子だった。だが、彼女は母国を裏切った。結局は死んでしまったがな」一瞬、モレットの顔に陰が差した。「ともあれ、彼女の名誉を守る為なら、私は代官の地位を捨てよう」

「それで、そのことに勘付いたヴァーミニスを殺したのか」

「彼女の裏切りを知る者は、誰であろうが殺す。例外は兄のギュラスぐらいのものだ」

 モレットの考えていることが分からない。この男の目的はどこにある。

「それを、何故俺に話す?」

「私の弱みは明確になっただろう。中途半端な状態で誰かに漏らされると困るのでな、これでその心配もなくなったというわけだ。さて、そろそろ戦いも終わりそうだな」

 戦闘音は穏やかになっていた。イビが耳元に寄ってくる。

(ねぇ、分かったでしょう。早くこいつを殺そうよ)

 クライトは手に持っていた縄を捨てた。両手を構えようとして、下ろした。

 自分の力だけではシアルを助けられない。ギブライド、ナーノやブソルたちを一度に相手にして蹴散らすことはできない。

 絶対に、誰かの手が必要だ。

 グルピアリスの工作員たちは、ほぼ壊滅しただろう。あとはモレットたちしかいない。それ以外にもいるかもしれないが、味方に付けるまでにどれだけ時間が掛かるか。

「そうだ、大人しくしているが良い。暴れない限りは最期の面会ぐらいはさせてやる。救出できればの話だがな」

 死。躰に重く圧し掛かってくる。逃れるにはここでモレットを殺すしかない。しかしモレットを殺せば、シアルを助けることはできない。

 結論は一つしかなった。

 シアルの笑顔を浮かべる。躰に入る不相応な力が、ゆっくり抜けてきた。

「……その言葉は、本当だろうな」

「二言はない」

「分かった。必ず、シアルは助けてくれ」

「確約はできない。国を守る為に、代官として善処はする」

 曖昧な返答だが、断言されるよりは信用できた。

 イビが不平を口にしている。クライトは死体から距離を取り、床に腰を下ろした。

 少しして、数人の女とギュラスが戻ってきた。年嵩の女はクライトに眼をやり、モレットに視線を戻す。

「撃退に成功しました。極小人数は逃しましたが、地側の治安部隊と協力して追討中です。この分なら一人残らず始末できるでしょう」

 モレットは大きく頷いた。

「良くやった。怪我人は何人出た?」

「襲撃直後に二人死にましたが、その後は軽症者ばかりです」

「丁重に葬ってやれ。トルガードの捜索はどうなっている」

「上流下流ともに、船からの目視では発見できませんでした。今現在は人を雇って陸を捜索させていますが、何分範囲が広く、状況は芳しくありません」

「そうか」

 悪寒がした。シアルは見つからない。そして、自分も死ぬ。

 全てが無為になる。今までの行動は何だった。イビが口を押さえて笑った。

(ほら、言わんこっちゃない。生ぬるい判断をしてるからこうなるんだよ。早くあの男を殺して逃げてればクライトは生きられた。まあ、シアルは死んじゃうんだけどね)

(それだと意味がない)

(生きていれば意味なんていくらでも見つかるよ。まあでも、クライトにはまだ機会がある。ここにいる奴らを全員殺して逃げるんだよ。そうしたら後は自由。遠くまで逃げるも良し、シアルを探しに行くも良し)

(俺一人で探すのとモレットたちが探すのなら、モレットたちが探した方が見つかる可能性は高い)

(でも、現に見つかりそうにない。ねぇ、クライト、良く考えてみてよ。このまま何もせずにシアルが死ぬのと、精一杯足掻いた結果シアルが死ぬの、どっちが良いの?)

 シアルは死なない、殺させない。

 だが、イビの言い分にも理解できる点はある。モレットたちは話し合っている。今なら、全員を殺すことはできる。

 指を動かす。瞬間、ギュラスの視線が飛んできた。

(やっぱり駄目だ)

(意気地なし)

(違う。シアルを助ける為にはモレットの力が必要だ。絶対にな)

(だーかーら、現実見なよ、もう無理だって。世界の境目を通る河の近辺だっけ? 近辺ってどのくらいなの? 世界の大きさから考えたら、徒歩で一日掛かる距離でも近辺だよ。その全てを調べるのにどれだけ掛かると思ってるの?)

(俺一人なら何年も掛かる)

(あぁもう、だから諦めろって言ってるの。そもそもどれだけの時間が残されてると思ってるの? 次の瞬間にはシアルは死んでるかもしれないんだよ。ほら、正直嫌だけどウチも手を貸しあげるからさ、あいつらを殺そうよ、ね)

(うるさい)

 モレットたちを殺すにしても、無傷同然でなければ捜索には移れない。やはり、モレットたちに託すしかない。だが、それでもシアルは見つかりそうにない。

 自分は死んでも構わない。既に十人も殺した、当然の報いだ。

 しかし、シアルは違う。

 何も悪いことをしていないのに殺される。そんなことがあって良いのか。頭が熱くなってきた。背中に不快感が溜まっていく。

 ふと、異変に気付いた。

 イビが静かになっている。

(どうした)

 反応はなかった。人形が宙に浮かんでいるように、イビは動かなくなっていた。瞳は虚ろになり、呆然と正面を見ている。

 ふと、十人目を殺した時のことを思い出した。

 イビは感覚が変わったと言った。あれは、天の世界が地の世界に変わる準備が整った、という意味ではないのか。

 そして今、異界転換が行われたのではないか。

 頭が白くなった。冷や汗が吹き出てくる。イビの口が動いた。

(聞こえるか、クライトよ」

 そのしわがれた声は、一度たりとも忘れたことはなかった。

(儂だ。レスダムールだ)

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