第30話 間章九

 待ちに待った瞬間が、訪れようとしていた。

 魔法陣の中心に建てた小屋には、魔法で寝かせたシアルを納めている。あとは異界転換を発動させるだけで、計画は達成する。

 しかし、まだ発動は出来ない。

 ギブライドが足音を立てずに近づいてきた。

「まだ魔法陣は完成しないのですか、レスダムール先生」

「失敗は許されないのだ。予め、石の配置の微調整にはかなりの時間が掛かる、そう言った筈だろう」

 ギブライドは無表情に、魔法陣の調整をする部下を眺めた。

「ここまで回りくどい準備が必要なら、異界転換は現実的とは言えませんな」

「初めてとはそう言うものだ」

「まあ、魔法陣は良いとしましょう。数をこなしていけば完成までの時間も短くなる。問題は術者と礎の方ですよ。共に高い魔法適正が必要だからと先生の指示に従って行動していましたが、ここまで煩雑な手順を踏むとなれば話は別です」

「何が言いたい」

「いえ、含むところはありません」

 嘘だろう。ギブライドは自分を警戒している。

 それは正しい判断だ。初めから、トルガードを騙すつもりで亡命した。

 異界転換の情報を一部とはいえ知っているグルピアリスより、何も知らないトルガードの方が都合が良かった。だからこそ、全てを騙しきれないグルピアリスから亡命し、トルガードで研究を続けることにした。

 トルガードに説明したことは嘘だらけだ。

 クライトもシアルも、取り立てて高い魔法適正はない。そもそもどれだけ魔法適正が高くても、天の世界の人間が地法を使うことなどできない。

 全ては、クライトの背中の焼き印──魂を封じ込めた陣のお蔭だ。

 グルピアリスもトルガードも、陣が完成している事実とその力は知らない。それを知っているのは、自分とクライトだけだ。

 本当なら、クライトにも秘中の秘である陣を教えたくはなかった。

 しかし計画の為には、天の世界の人間の協力者が不可欠だった。それがなくては異界転換が成せないからだ。

 その協力者の条件は二つ。積極的に魔法で殺人を犯すこと。もう一つは、陣の存在を漏らさない者。適役は中々見つからなかった。積極的に人を殺す者で、陣の存在を漏らさない者はいそうになかった。

 悩んだ末に思い当たったのが、シアルの隣にいたクライトだった。クライトなら脅してしまえば、陣の存在を漏らす可能性は格段に減るだろう。積極的な殺人はシアルをだしに行うから問題はない。苦肉の策ではあったが、他に手段は残されていなかった。

 そうして始まったのが、ギブライドとアストリートの麻薬闘争だった。下働きで使った感の良い女が暗躍したり、グルピアリスが関わってきたりと苦労はあったらしいが、目的は達成寸前にまで迫っている。

 あとほんの少しだ。それだけで全てが報われる。

 しかし、最後に大問題が残っていた。完全に読み違えてしまった。

 レスダムールは横にいる禿頭の男の様子を窺った。ギブライドは身を包む外套で、剣の汚れを拭き取っている。

「ここでするのか。木陰でしたらどうかね」

「いえ、先生の身辺警護も任務の内ですからお構いなく。それと不真面目な部下がいれば私に言ってください。直ぐに叱り飛ばします」

 万事、この調子でギブライドは傍を離れようとしていない。

 完全に疑われている。一度グルピアリスを裏切った身とはいえ、ここまで疑われているとは思わなかった。

 しかも、この男は怪物だ。

 性格から口調まで簡単に変え、ペナン花の卸売り業者を演じ切った。その部下たちも優秀だ。彼らがいなければ、クライトは麻薬闘争の最中で死んでいただろう。出し抜くのは不可能に近い。

 このままでは、念願の成就は難しい。

 こうなれば、奥の手を使うしかないか。

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