第26話 真実
揃いの頭巾付きの外套を纏ったグルピアリスの工作員たちが、森から湧き出るように現れた。先頭に立つ浅黒い中年の男が頭巾を外して口を開く。
「大人しくしてくれ。見ての通りの人数差だ。余計な手間を掛けさせるな」
クライトは視線を巡らさせた。近くに身を隠せる障害物はない。敵は十人以上いる。抵抗するのも無駄だった。ギュラスも構えようとしていない。
「寝ている奴らを捕まえろ」
一斉に、グルピアリスの工作員たちが散っていく。浅黒い中年の男は数人の仲間を引き連れて、クライトたちに歩み寄った。
「まず先に誤解を解こうか、クライト。私たちは敵ではなく味方だ」
冗談にしか聞こえなかった。ウショウに寝返りを強要されなければ、自分はグルピアリスの工作員の待ち伏せに引っ掛かって死んでいた。クライトは警戒したまま問いかける。
「どういう意味ですか」
「君を敵から守り、君が置かれた状況を教えられるという意味だ。そしてその敵の名は、地の世界の国家──トルガード。率いる者の名はギブライドだ」
頭が混乱してきた。ギブライドが黒幕だと。状況が全く呑み込めない。
(あのハゲ! 何かやりやがったな! うん、何を?)
「どういうことですか」
「疑問は尤もだが詳しく説明している暇はない。この場所を教えたのはギブライドだ。おそらく天側の代官──モレット・スローマンにも教えただろう。奴は我々の仲違いを狙っている。直ぐにここから離れなければならない」言って、浅黒い中年の男はギュラスに眼をやった。「ギュラス、お前にも着いて来てもらうぞ」
「……分かっている」
寝ていた人間たちが叩き起こされ、その場にいた全員で宴の開かれた山を下りた。
街道を避けて遠回りしてガシェーバの街に戻ると、地側の代官所に入る。傭兵たちとは途中で別れ、クライトとギュラスは応接室のような部屋に通された。
「これで一安心だ。二人ともそこに座ってくれ」
クライトとギュラスは隣り合って卓に着いた。仲間を三人控えさせ、浅黒い中年の男が正面に腰を下ろす。
「私の名はヴァーミニス。後ろの者たちを率いさせて貰っているグルピアリスの人間だ。本来なら最初にクライト君に事情を説明したいが、先にやるべきことができた」ヴァーミニスはギュラスを睨みつける。「お前はトルガードと何をしていた」
「モレット・スローマンに用があった。だから、それと敵対するギブライドに付いていた。それだけだ。トルガードについては知らない、興味もない」
ヴァーミニスは溜息を吐いた。
「お前の養父は、そんなことをさせる為に妹のことを教えたわけではないぞ」
ギュラスが、眉をひそめた。
「何故マイヤロのことを知っている」
「お前の養父に教えたのが私だからだ。そして、マイヤロは私の部下だった」
「どういうことだ!」
ギュラスが立ち上がった。ヴァーミニスの部下が武器を構える。イビが笑声を発した。
「止めろ、ギュラスは馬鹿ではない」
ヴァーミニスの部下たちは武器を納めた。ややあって、ギュラスも腰を下ろす。
(なんだよやれよ、変に大人ぶってんじゃねえよ!)
イビが口を尖らせて横になる。ギュラスがこめかみに手をやった。
「マイヤロは何故死んだ」
「この街で任務中に死んだ。それ以上のことは答えらない」
「何故だ!」
怒鳴り、ギュラスは卓を殴りつける。ヴァ―ミニスは表情一つ変えず平然としていた。
「良いか、本来ならそれすらも話してはならないことだ。だが、お前の養父が普段からお前を気に掛けていたことを知っていた。そして、私はその人に恩があった。だからマイヤロがこの街で任務中に死んだとだけ話した。お前の養父がどういう風にそれを伝えたかは知らないが、話せる事実はこれだけだ」
深く呼吸して、ギュラスは口を開いた。
「モレット・スローマンの手勢に、マイヤロの癖があった」
「……偶然だろう」
「偶然なものか。奴らは魔法を発動する際に小指を立てていた。小指を立てれば、四本の指で魂に働きかけなくてはならない。つまり、それだけ効果が薄れるということだ。それなのに敢えて小指を立てていた。答えろ。マイヤロはモレット・スローマンの下で魔法使いを育てていた、そうだろう?」
ヴァーミニスが右手を挙げた。
「ギュラスを連れていけ、抵抗すれば殺して良い」
無抵抗に、ギュラスは腕を縛られていく。三人掛かりで連れていかれると、クライトとヴァーミニスだけが残った。
「悪いな、醜態を見せた。では本題に行こうか」
ギュラスなどどうでも良かった。この街で暗躍していたトルガードという国は、レスダムールが亡命した国の名前だ。
「先に一つ聞かせてください。レスダムールは関わっているんですか」
「勿論だ。その男無くしては何も始まらなかった」
躰から、力が抜けていく。十人を殺してようやく辿り着いた。イビはクライトの肩にうつ伏せになり、足をばたつかせている。
(あー、何感じ。もっとウチに血の臭いを嗅がせておくれよぉ)
「ただ、話す前に理解してほしい。全てを話すのは味方だと信用してほしいからだ」
「分かりました」
ヴァーミニスは頷いた。
「全ての始まりは、レスダムールがグルピアリスで行っていた魔法研究だった」
私と彼女は、いつしか恋仲になっていった。
天の世界の人間である私と、地の世界の人間である彼女では、本当の意味で交わることはできない。それでも、私たちは恋仲になった。
しかしそれから、彼女は浮かない表情を頻繁に見せるようになった。そして一月ほど経った頃、彼女が私の執務室を訪ねてきた。
「私はもう、貴方を騙し続けることはできません」
開口一番、彼女はそう言った。私は立ち上がり、彼女の肩を押して椅子に座らせた。
「どうした? 何か失敗でもしたのか」
「違います。私は本来の仕事とは別に、本国から密命を受けていたのです」
そうだろうとは思っていた。善意だけで、他国の魔法使いを育てるわけがない。
話を続けようとした彼女を、首を振って遮った。
「それは言うべきではない。今の言葉は聞かなかった。それで今日の話は終わりだ。さあ、自分の部屋に帰りなさい」
彼女は立ち上がらなかった。決意を秘めた瞳で、じっと見つめてくる。
「いいえ、話します。私はもう、貴方を裏切り続けることはできません」
「しかし、それは。いや」
上手く言葉が出てこなかった。彼女の強い覚悟が伝わってくる。個人としても代官としても、止めるべきなのか促すべきなのかの判断がつかない。
しばらく沈黙が続いた。
そして、彼女は訥々と話し始めた。
「私たち地の世界の人間は、天の世界では頭巾と外套なしに行動はできません。もしこれがなければ地の世界のどこかに飛ばされ、運が悪ければどことも知れない場所に行ってしまいます。これは逆も同じですね」
「いわゆる神隠しだな」
私は椅子に腰を下ろして聞いていた。こうなっては、最後まで聞くしかないだろう。
「そうです。理由については依然不明ですが、地の世界の生物と天の世界の生物との間に子孫を残せないことを考えると、そもそもが別物なのでしょう。だからこそ、異界に弾かれるのです。しかし眼の前には土地がある。そして、我がグルピアリスは土地を欲していた。それが発端となり、レスダムール様の研究が始まりました。その研究の名は」少し、彼女は間を置いた。「異界転換です」
「異界転換、か」
聞いたことのない言葉だった。言葉から内容は予想できるが、今一つ現実味がない。
「頭巾と外套があれば異界で行動できるとはいえ、一度たりとも脱ぐことはできません。これは生活をするには重過ぎる制約です。そこで、天の世界を地の世界に変えることはできないか、そう考えたわけです」
天の世界を地の世界に変える。神話や伝説にも登場しない話だ。それほどまでに、二つの世界の間には明確な境界線があった。
「本当に、そんなことが可能なのか」
「まだ実験段階ですが、理論上は可能だそうです。それというのも、地の世界と天の世界には境目が存在します。このガシェーバの街で言えば中央を通る河ですね。即ち、明確な境目は存在する。それならその境目を動かすことも可能なのではないか、そう考えたわけです。河の流れを変えたりするなど何度か失敗した結果、ついに辿り着きました」
気付けば、彼女の話に聞き入っていた。
異界転換。言い換えれば、領土の拡張や侵略だ。立場上、聞き逃すわけにはいかない。
「それが、魔法です。厳密に言えば天法と地法ですね。それを突き止めたのが、私の師である大魔法使い──レスダムール様です」
「その方法は」
俯くように、彼女は頭を下げた。
「すみません。詳しい方法はレスダムール様しか知らないのです。私が知らされたのはごく一部のことだけでした」
「気にすることはない。続きを話してくれ」
頷き、彼女は面を上げた。
「異界転換を行う為には、天の世界の人間に地法を使わせれば良かったのです。これは逆も同じことです」
合点がいった。彼女が魔法使いを養成していたのは、異界転換を成す為だったのか。
「ということは、君の教え子は全員、地法使いということなのか」
彼女は首を振った。
「いえ、天法使いしかいません」
「どういうことだ」
「そもそも、地法も天法も全く同じ魔法なのです。技術そのものに一切の違いはありません。だからこそ、私は天の世界の魔法使いを育てることができました。しかし、術者が違うと言うだけで、地法と天法に分かれてしまうのです」
いまいち状況を整理できなかった。
「つまり、異界の魔法を使うことは不可能で、異界転換も不可能。そういうことか」
「現時点ではそうなります」
私は唸り、腕を組んだ。
実験段階ならそれも仕方ないのだろう。だが、大きな疑問が残る。
「それでどうして、レスダムール殿は異界転換の術を知ったのだ。全てを逆に置き換えれば、レスダムール殿は天法を使えないことになる。知る術が無い筈だ」
「すみません。私も知らないのです」
そうだった。彼女もまたレスダムールの弟子に過ぎない。多くは知らされていないのだ。
「すまない。余計なことを言ったな」
ふっ、と彼女の表情が柔らかくなった。
「いいえ。それより問題は異界転換です。今はまだ不明な点が多いですが、このままいけば研究は進み、いつかは異界転換も可能になるでしょう。これは大変危険なことです」
グルピアリスは地の世界の端にあり、天の世界と隣接している。しかし、グルピアリスが隣接している天の世界の国は我が国だけだ。異界転換が成ったということは、我が国の領土が犯されたということだ。同盟は雲散霧消し、臨戦態勢へ発展するのは必至だろう。
天の世界と地の世界に跨るガシェーバの街を預かっている立場として、とても許容できることではない。即刻、何らかの処置が必要になるだろう。
だが、そうなれば密命を帯びた彼女はどうなる。
「君はどうしたいのだ」
彼女は微笑み、私の手を両手で握った。
「私はいつまでも、モレット様と共にいます」
異界転換。それが、レスダムールの目的だったのか。
「クライト」ヴァーミニスが落ち着いた声を発した。「君がこの街で行っていたのは、全てがこの異界転換の為だった。中でも重要なのが魔法を使っての殺人だ。これが最も異界に影響を与え、異界転換を容易にする。その為だけに、君はガシェーバの街で殺人をさせられていたわけだ」
クライトは、心の底から安堵していた。
レスダムールがシアルに呪いの魔法を掛けたのは、自分に殺人をさせる為だった。シアルは自分に殺しをさせる為の、ただの動機作りでしかなかったのだ。
「つまり、俺が特別だったということですか」
「そうだ。天の世界の人間であるクライトが地法を使えるというのは、本来不可能な筈だった。レスダムールがトルガードに亡命した後に方法を見つけ出したか、私たちに隠していたか。そのどちらかだろうが、それは後にして話を進めよう」
「そうですね」
シアルは巻き込まれただけだった。上手く立ち回ればシアルに危険は及ぶことはない。
これ以上、嬉しいことはなかった。
「クライトの存在により、異界転換を阻んでいた最大の障害は消えた。だが、問題はもう一つ残っている」
嫌な予感がした。イビが、むくりと起き上がる。
「……それは?」
「クライトが地法を使うことにより、天の世界は限りなく地の世界に近づいていった。しかし結局、天の世界は天の世界のままだ。根本的な何かが足りないのだ」
シアル。
唐突に、シアルのことが頭に過った。
「……何が、足りなかったんですか」
嫌な予感が膨れ上がっていく。あっと言う間に確信に変わっていく。
「礎だよ。地の世界に変わっても、元々の世界である天の世界に戻ろうとする。これを固定する礎が足りなかったのだ。そしてこの礎は同時に、天の世界を地の世界に変える起点でもある」
「……その礎とは、どんなものですか」
クライトの声は震えていた。イビが耳元で静かに笑っている。
「人間を使う。私たちは異界に行く際、頭巾と外套を着る。この恰好は魂の旅装束だと言われているが、二つの世界を行き交う魂の旅装束を真似ることにより、私たちも異界に入ることが可能になるわけだ。ただし、これは正式なものではない。古来、ガシェーバの民は異界に行く際は何日も食事を抜いたという。それにより躰はやつれ、別人のような姿になる。これを持ってして、今で言う頭巾と外套を被ったのと同じような効果を得ていたらしい。礎はこれを応用したのものだ」
レスダムールにより、シアルは呪いの魔法を掛けられた。
そして、次第にやせ細っていった。
最悪だ。間違いなく、シアルは礎としての役割を担わされようとしている。
「礎になると、どうなるんですか」
「詳しくは分からない。その前にレスダムールは亡命した。だが、残されたいくつかの資料を見る限り、その場に一生固定されるか、もしくは死ぬ」
動悸がした。胸が締め付けられる。イビが大声で笑っている。
「クライト、大丈夫か」
落ち着け。深呼吸して鎮めていく。
ギブライドたちは姿を消した。どこに行ったか、シアルを攫いにいったとしか考えられない。シアルが危険に晒されている。動揺している暇はなかった。
「俺は、その礎が誰かを知っています」
ヴァーミニスが眼を瞠った。
「誰だ?」
「その前に聞きたいことがあります。俺はまだ、あなたたちを信用していません」
息を吐き、ヴァーミニスは椅子に座り直した。
「分かった。なんでも答えよう」
「あなたたちはギブライドたちを倒そうとしていた。そうですよね」
「ああ、そうだ。だがこれは結果だけを」
瞬間、クライトは卓を叩いた。
「俺が! その中にいるにも拘わらずですか。危険人物はもろとも殺してしまえ、そう考えていたとしか思えない」
ヴァーミニスは左手を前に出して制した。
「それは誤解だ。私たちは君を保護するように動いていた」
「証拠は」
「良いか、冷静になって聞いてほしい」
とうに冷静だ。
敵はトルガードという国家そのものだ。自分一人の力で足りないことは十分に理解している。怒っているように見せたのは、少しでも駆け引きを有利に進める為だ。
「初め、私たちはトルガードを殲滅しようとした。何故ならあの時点では、トルガードが暗躍している以上の情報はなかったからだ。だが一度ぶつかったことで、天の世界の人間では行使不可能な筈の地法を使う、誰かの存在に気付いた」
「どうやって気付いたんですか。基本は同じ魔法なんですよね」
「地の世界の人間が使う地法と、天の世界の人間が使う地法には僅かな違いがある。それを見つけたからだ。これはレスダムールの研究に通じている者なら分かる」
(ねえ、まだ?)
イビが欠伸しながら言った。クライトはヴァーミニスを見つめたまま思案する。
理屈はどうでも良い。問題は、ヴァーミニスたちは協力者なのかどうか。そして、シアルを救えるかどうかだ。
「続けてください」
「それにより私たちは作戦を変え、その誰かをギブライド率いるトルガードから奪取することにした。まず、逃げていくギブライドたちを尾行させ、その拠点を割り出した。それからアストリートに潜入させていた部下をトルガードの下に行かせ、その誰かがクライトであることを突き止めた」
「それから」
「その後の計画では、ギブライドたちにアストリートの隠れ家を襲撃させ、戦いで弱っているところを襲ってクライトを奪取するだけだった。だが、それはギブライドに見抜かれていた。モレット・スローマンにクライトが奪われると、ギブライドは私たちをぶつけて戦闘を起こし、その隙にクライトを取り戻した。今度は私たちがギブライドを攻めると、逆にモレット・スローマンをぶつけて足止めした。こういうことだ」
筋は通っている。だが、破綻した嘘で騙そうとするわけもない。そして、そんなことはどうでも良い。
目的は見失うな。
シアルを助ける。それだけが全てだ。
「次の質問です。トルガードを倒して礎の人間を取り戻したとして、あなたたちは俺とその人をどうするつもりなんですか」
「私たちの目的は大別すると二つになる。一つはトルガードを倒して異界転換、つまりトルガードの領土拡張を阻止すること。もう一つは異界転換の詳細を知ること、つまりレスダムールの奪取だ」
「俺と礎の人はどうなるんですか」
「正直に言えば、異界転換の詳細を知るレスダムールを奪取できれば君たちに用はない。だが、君たちが領土拡張に必要な国の宝であることも事実だ」
ここが重要だ。クライトは下腹に力を込めた。
「つまり、グルピアリスも異界転換を行う。それにより、俺は生き残っても礎の人間は死ぬ。そういうことですか」
「それは違う」
「どう違うんですか」
「本格的に領土拡張をするなら、術者も礎も一人では足りない。共に相当数が必要だ。即ち、特定の人物である必然性はない。命の危険がある礎にしても、金を払えば喜んで手を挙げる候補はいくらでもいるだろう」
他の人間が礎となって死ぬ。思うところはあった。しかし、今更他人がどうなろうが構わない
シアルを助ける。その為に何人も殺してきた。一人ではトルガードの手にあるシアルは救えない。それは明らかな事実だ。
是が非でも、ヴァーミニスたちの力が必要だ。
クライトは、シアルの居場所を口にした。
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