第17話 裏切り

 倉庫の近くに立つギブライドの部下が、クライトに近寄ってきた。

「無事みたいだな。今は迎撃に備えて支度をしてる。少し休んだらお前も早くそこに加わってくれ」

 無言で頷き、クライトは倉庫に入った。数人の身綺麗な傭兵とギブライドの部下たちが、倉庫の入り口を材木で固めている。

「裏に色々ある。手当は自分しろ」

 誰かが言った。イビが静かに笑う。

(ねえ、今の内に全員殺さない? そうすれば手間も省けるよ)

 無視して倉庫の奥に進んだ。簡易な料理、武器、治療道具が雑多に置かれている。喉を潤しただけで入り口に戻った。ギブライドの部下に声を掛け、防戦準備を手伝っていく。

 少しずつ、傭兵たちが戻ってきた。ほとんどは無傷か軽傷の者だ。重傷者は死んだのか。そこにギブライドは含まれているのか。

 ブソルやナーノ、ギュラスたちが戻ってくる。そして、ギブライドも戻ってきた。

「俺たちが最後だ、追っ手に備えろ!」

 外套を血で汚したギブライドが叫んだ。傭兵たちが入り口を固めていく。

 しばらく待っても、何も起こらなかった。

 外にいた見張りが無警戒に倉庫に入ってくる。

「事情は良く分かりませんが、追っ手は来てないようです」

 ギブライドは眉を顰めながら、部下たちに哨戒の指示を出した。傭兵たちに向き直って穏やかに声を掛ける。

「聞いての通りだ。少し休んでくれ」

 傭兵たちが重い息を吐いた。

 四十人以上いた傭兵の内、帰ってこられたのは十五人もいない。思いの外綺麗な格好をした者が多いが、それは前線で激しい攻撃を受けた者たちのほとんどが死んだからだろう。

「……あいつらが例の魔法使いなのか」

 誰かが呟くように言う。別の者が溜息を吐いた。

「アストリートがあんなに強いなんて聞いてねえぞ……」

「いや、奴らはグルピアリスの工作員だ」

 ギュラスの平然とした声が、静まり返った倉庫に広がった。

 視線が一斉にギュラスに集まる。ギブライドが口を開いた。

「何故そう言い切れる?」

「俺が元々、グルピアリスの軍人だからだ」

 金属の擦れる音がした。

 数人が剣を抜いている。それをギブライドは手で制し、ギュラスに近づいていく。イビが拳を突き上げた。

(よっしゃあ! やれやれ、大乱闘だ血吹雪が舞うぞ!)

「ギュラス、ここからは慎重に答えろよ。俺たちはアストリートの隠れ家を攻めた。それなのに待っていたのは、グルピアリスの工作員だった」

「裏切り者は殺せ!」

 ブソルが怒鳴った。ギブライドが剣を払う。

「黙ってろ! 今は俺が話してんだ、勝手に喋るんじゃねえ」

「始末は! ……俺にさせろよ」

 口惜しそうに言い、ブソルは静かになった。ギブライドがギュラスに切っ先を向ける。

「良いか、数が減ったことは大して問題じゃねえんだ。そんなものはまた金で集めれば良い。唯一の問題は、この中に裏切り者がいるってことだ。なあ、ギュラス。お前はグルピアリスに通じてたのか」

「俺が、そんな馬鹿だと思うのか」

「なら聞かせろ。元グルピアリスの軍人、しかも魔法使いが、何故芸人に身をやつしていた。うちに潜り込む為だったんじゃねえのか」

「良いだろう、聞け」ギュラスは息を吐き、おもむろに唄い始めた。「ある晩のこと、美しい女が一晩だけ泊めてくれと訪ねてきた」

 色気のある低音の唄声が倉庫に染み入っていく。傭兵たちがざわつき始めた。しかしギュラスは平然と唄い続ける。

「家の主人は快く受け入れ、贅の限りを尽くしてもてなした。しばらくすると女は横になり、安らかな寝息を立て始めた。主人は女が寝ていることを確かめて包丁を研ぎ始める。そして、女の首を掻き切って身ぐるみを剥いでしまった。家の主人は奪った金を使って、今では大層豊かな暮らしをしているそうな」

 口を閉じ、ギュラスは面々を眺めていく。いつの間にか傭兵たちは静かになっていた。

「俺は、この唄にぴんとくる奴を探している。だからこそ俺はグルピアリスを抜けた。そして今は、あの女の魔法使いたちを追っている」

 ギブライドが剣を下ろした。

「つまり、復讐か」

「個人的なことだ、答える気はない」

 鼻を鳴らし、ギブライドは剣を納める。イビが眉を怒らせて顎を突き出した。

(ああん、ふざけてんのかハゲ! 無いの毛だけにしろよ!)

「状況を見るのに、アストリートとグルピアリスの工作員が手を組んだように見える。これをお前はどう考える?」

「それはない。やつらは下等な連中とは手を組まない」

「あの宿の回りにはアストリートの人間がうろちょろしていた。だからこそ、俺はあそこがアストリートの隠れ家だと信じた」

「ならアストリートが利用されたんだろう。おそらくアストリートの側近に工作員が混じっている筈だ」

 ギブライドは腕を組み、ギュラスを見据えた。

「何故、グルピアリスの工作員がただの薬売りである俺たちを敵対視する」

「工作員は、裏に通じて治安を維持するという任務もある」

「それに引っ掛かったってことか」

 舌打ちして、ギブライドはギュラスに背を向けた。

「待てよ! どう考えても裏切り者はそいつだろうが」

 傭兵の一人が声を上げる。その肩を、ナーノが掴んだ。

「それは違う。一番怪しいのはその隠れ家の情報を持ってきた奴だ。そうだろう?」

「その通りだ!」

 ギブライドが怒鳴った。童顔の男の名前を出す。クライトの心臓が跳ね上がった。

「おい、いねえぞ」

 誰かが言った。近くにいた者が鼻で笑う。

「当然だろ、とっくに逃げてるよ」

「いや、そうじゃねえ。街の天側に来るまでは一緒だったんだ」

 ギブライドの顔色が急変した。

「今直ぐ探して来い! 連れて来た奴は褒美を出す、生きてれば状態は問わねえ!」

 傭兵たちの眼の色が変わった。我先にと倉庫を飛び出していく。イビが嬉しそうにクライトの眼の前に現れた。

(あの幼いおっちゃんが捕まったら、クライトは大変なことになるねぇ。どうする、全員殺しちゃう?)

 背中が冷たくなってきた。

 逃げるか。いや、逃げればウショウにフォニーが殺される。ソーウィンにペナン花を渡した女の手掛かりが途絶えれば、シアルを救うのは難しくなる。

 それに、あの童顔の男はとうに逃げた筈だ。天側に来たのもグルピアリスの工作員から逃げる為だろう。今頃は街を出てどこかに行っている筈だ。

 イビが笑みを浮かべている。クライトは自分に言い聞かせてその場で待った。

 やがて、外から小さな歓声が聞こえてきた。

 怒声の混じった歓声がゆっくり近づいてくる。数人の傭兵たちが倉庫に入ってきた。その中心には、外套の上から縄で縛られた男が立たされている。頭巾の口は荒く縫い閉じられて、それが誰かは分からない。

「この馬鹿、裏切った金で女と遊んでやがったぜ」

 ギブライドの前に、男が引き摺られていく。ちらりと顔が見えた。

 あの童顔の男だった。

 殺せ。今あの男を殺せばまだ間に合う。裏切り者に腹が立って殺したと言えば、文句を言われる程度で済むだろう。

(ねえ、クライト。早く殺そうよ。あの幼いおっちゃんをさくっと殺っとしちゃおうよ。とにかく急いで殺さないと、クライトは大変なことになるよ。良いの? シアルを助けるんでしょ。こんなところで死んで良いの?)

 正論だ。直ぐにでも童顔の男の口を塞ぐ必要がある。

 童顔の男がギブライドに腹を蹴られた。派手に地面に倒れ込む。

「おい、やってくれたな。いくらで俺を売ったんだ、えっ?」

 男の口が動く。また、ギブライドは男の腹を蹴った。

「聞こえねえんだよ! 聞かれたら大声で答えろ!」

 殺せ。早く殺せ。分かっている。あの男を殺さなければ自分の命はない。

 クライトの躰は冷え切っていた。手が思うように動かない。童顔の男の口から血の泡が噴き出す、涙混じりに血が流れていく、その眼が呆然と見てくる。幻覚が見えてきた。

「聞こえねえからもう一回言ってくれるか」

 ギブライドが男の手を踏み砕いた。男が叫ぶ。もう片方の手も踏み砕いた。止めてくれ、男が泣きながら懇願している。

 時間がなかった。自分が生き延びるにはあの男を殺す必要がある。シアルを助ける為にはあの男を殺す必要がある。心の中で何度も唱えた。

 手は、動かなかった。

 血を流して動かなくなった童顔の男を、シアルが見ている。それから、クライトを見た。

 シアルの眼は恐怖に染まっている。

「ま、待ってくれ。俺は指示に従っただけなんだ」

 童顔の男が苦しそうに言った。ギブライドは男の首を掴み上げる。

「言ってみろよ、つまらねえこと言ったら」

 男の頭を地面に叩きつけるふりをする。男は短い悲鳴を漏らした。

「分かってる、分かってるから止めてくれ」

「早く言え!」

 男の頭を地面に叩きつけた。鈍い音がする。男は弱弱しく咳き込んだ。

「……あいつだ、あいつの指示に従っただけなんだ」

 男の腕が動く。歪の曲がった腕は、中々持ち上がらない。

 殺せ。最後の機会だ。乗り切るにはここで殺すしかない。多少不自然でも、殺してしまえば丸め込める。

 しかし、記憶にあるシアルの笑顔は怯えた表情に変わっていく。

「……クライトだ。俺はあいつに命令されただけなんだ」

 傭兵たちの視線が、クライトに注がれた。ギブライドは童顔の男の頭を激しく揺らす。

「根拠は」

「知ってるだろう、あいつは娼婦の握ってる情報を欲しがってる。そこをアストリートに付け込まれたんだ。つまり、娼婦を人質に取られて寝返ったわけだ。そして、あいつは指示に従って俺に金を掴ませた、そういうわけだ。だから俺は何も知らねえんだよ」

 ギブライドは笑った。童顔の男の顔が安堵に緩む。

「下っ端が事情通じゃねえかあ!」

 男の顔面を殴った。その首からギブライドは手を離す。

「奥に捕まえておけ。勝手に殺すなよ、こいつにはまだ用がある」

 傭兵たちが童顔の男を連れていく。

 ギブライドが、クライトに眼をやった。イビが歓喜の叫びを上げる。

 クライトは、逃げ出そうとする躰を理性で押さえつけた。まだ言い逃れは出来る。所詮、裏切り者の妄言だ。

「さて、クライト。話を聞かせてもらおうか」

 ギブライドが近づいてきた。表情は冷めている。眼付きだけが異様に鋭かった。

「今の話を、弁解する必要があるとは思いません」

 自分の声は普段より固いだけだ。それだけで僅かに自信が沸いた。

「その通りだ、クライト。俺もあの馬鹿の言葉は信じちゃいねえよ。だがな、あの馬鹿とお前がここを出て行くのを見かけた奴がいるんだよ」

 動揺は、表には出さなかった。当然、見かけた者もいるだろう。まだ大丈夫だ。

「あの女の魔法使いたちについて聞くようにギブライドさんに言われた、そう誘い出されたんです。今から思えば、あれは俺をはめる為だったんですね」

「そうか。それは残念だったな」

 クライトは平静に努めて立ち上がった。

「もう良いですか」

「ああ、駄目だ」

 ギブライドが顎をしゃくる。傭兵たちが近づいてきた。クライトは唾を飲む。

「どういうことですか……」

「あの馬鹿の言葉は信じちゃいねえ。だが筋が通っている以上、確認する必要はある。お前が魔法使いだからこその措置だ。他の奴なら殺してる。悪いが少しだけ大人しくしといてくれや。悪いようにはしねえよ」

 傭兵たちに腕を捕まれた。荒々しく後ろに回され、手首を縄で縛られる。クライトは抵抗しなかった。

「……分かりました。でもどうやって裏を取るつもりですか」

「あの女を連れてくる。馬鹿の言葉が嘘なら、簡単に捕まる筈だろう」

 内心で息を吐いた。フォニーはウショウに囚われている。裏切りが確定するのはフォニーが口を割った時だけだ。フォニーが捕まらなければ疑いは疑いでしかない。

 それなら、言い逃れの余地はある。

「できるだけ急いでください。ずっと拘束されているのは嫌ですから」

 傭兵たちに背中を押されて倉庫の奥に歩いていく。着いたのはクライトが寝室として使った部屋だった。

「足は自由にさせてやる。ただし、逃げればどうなるかは分かってるよな」

 頷き、クライトは部屋の中央に座った。遅れてギュラスが部屋に入ってくる。

「見張りは俺がしよう。魔法使いの扱いには慣れている」

 一瞬、傭兵たちが顔を見合わせた。

「まあ良いだろ。逃がした時は分かってるだろうな」

「理解している」

 傭兵たちが出て行く。ギュラスはクライトの背後に回った。右後方で足音が止まり、気配が完全に消える。

(イビ、ギュラスの位置は分かるか)

(やだ、教えない)

 イビが顔を逸らす。珍しい反応だ。声にもいつもの陽気さがない。

(何でだよ)

(教えて反撃すれば、クライトは絶対に死ぬから。クライトが苦しんでる姿はウチの大好物だけど、無反応は嫌いだからね)

 怒りは沸かなかった。間違いなく、イビの見通しは正しい。

 魔法使いであるギュラスは最悪の監視だ。後ろに回られて姿が見えない以上、正確に魔法を当てることはできない。もし失敗すればその隙に殺されるだろう。自身が魔法使いだけあって、ギュラスは魔法使いの対処を良く分かっている。

 クライトは両腕を少し動かした。縛りはきつくないが、解ける前に殺されるのは必死だ。そして、敢えて動いたにも拘わらず、ギュラスの気配は消えたままだった。

(でもどうしようもなくなったら、分かってるよね?)イビが耳元で含み笑う。(後ろのあいつはずっとあそこにいるわけじゃない。交代する時に後ろから殺して、後はクライトの好きなように暴れ回って殺しまくる。そうすれば全て解決する)

(フォニーは見つからない。だから大丈夫だ)

 自分に言い聞かせるように言った。イビが大笑いする。

(あの男女はそうかもね。でも、ハゲがそれで許すなんてどうして言えるの? 確かに裏切った証拠はないけど、クライトを殺すのはハゲの気分次第なんだよ。というより疑わしい奴はさっさと殺した方が良い。ねえ、クライトはそう思わない?)

 反論はできなかった。正面の出口が、妙に近く感じてくる。

 駄目だ。ゆっくり息を吐き、誘惑を断ち切った。結果はギブライドが来た時に分かる。ギュラスも四六時中監視しているわけではない。

 好機は、まだ残っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る