第16話 強襲

 クライトが天側の拠点に戻ってくると、傭兵たちは待機を続けていた。その服に返り血はない。穏やかな雑談が交わされている。

 まだ戦いは始まってないらしい。クライトは素知らぬ顔で倉庫の隅に腰を下ろした。

「今までどこにいた、クライトよぉ」

 ブソルが近づいてきた。屈強な躰付き、腰に下げた剣に眼が止まる。

 寝返りを悟られればどうなるのか。あの剣で一思いに殺されるのか、拷問された末に殺されるのか。脂汗が出てきた。

「どうした?」

「いえ、気になったので街の様子を見に行ってました。この見た目だとあまり警戒されないですし、何かあった時にはギブライドさんに加勢も出来ます」

 ブソルの顔に笑みが浮かんだ。

「で、どうだったよ」

「誰が売人かは分からないんで何とも言えませんけど、空気は重くなってました。それで本当に戦いが起きそうな予感がして戻ってきたわけです」

「それは、楽しみになって来やがったな」

 舌舐めずりをして、ブソルは離れていく。イビが楽しそうに小踊りしていた。

 やがて、ギブライドたちが戻ってきた。

 傭兵たちの視線がギブライドに集まる。待機していた部下の一人が声を掛けた。

「アストリートの動きはどうでしたか」

 ギブライドの表情は険しかった。

「売人に寛大な態度を示した上に、薬を赤字覚悟で売ってるのは事実だ。このままだとうちの損害が大きくなる」

 傭兵たちの顔色が曇る。それを、ギブライドは明るい声音で笑い飛ばした。

「だが、それは向こうも同じことだ。さらに言えば売人の引っ張り合いなんてお互い様だ。こんなものは嫌がらせ程度の意味しかねえ。そう、端からこんなことはどうでも良いんだよ。俺たちの目的は一つ。商売敵のアストリートの首だ」

 不敵なざわめきが起こる。傭兵の一人が口を開いた。

「その肝心要のアストリートはどこにいるんだ。あの臆病者はどこかに身を隠したって話じゃねえか」

「それについては捜索中だ。こっちにも色々と伝手はある。この街にいるのは間違いねえんだ、じきに分かる」

 ナーノが真っ直ぐ手を挙げた。

「それより問題なのは、あの魔法使いたちだ。あれがアストリートの手下だとかなりの苦戦を強いられる」

「それについては絶対とは言えねえが、まずアストリートとは別の人間だ」

「理由は?」

「現状、アストリートの手下にいる女の魔法使いは一人だけらしい。勿論隠している可能性はあるが、アストリートの性格なら見せびらかす方が自然だ」

 数人の傭兵が納得の声を漏らした。

「それに考えてみろ、それだけの数の魔法使いを飼ってるなら、最初の戦いに投入してた筈だろ。よって、アストリートと魔法使いたちは無関係だ」

 ナーノは頷いて手を下ろした。

「納得した。異論はない」

 ギブライドが他の傭兵の様子を窺う。少し待っても、他に意見は出なかった。

「良いか、俺たちはこれからアストリートの隠れ家を探す。お前たちはまだ戦闘準備をする必要はねえが、ここから離れねえでくれ」

 そう言って、ギブライドたちはまた倉庫を出ていった。

(楽しみだなぁ、何人死ぬのかなぁ、クライトは何人殺すのかなぁ、それともクライトが死ぬのかなぁ)

 イビの言葉が神経に障る。不安がそのまま苛立ちに変わっていく。

(うるさい)

(これから聞く断末魔の予行練習だと思ってよ、クライトのせいで起こるやつのね)

(黙っててくれ)

 落ち着かなかった。何の気なしに向けられる視線が疑いの眼のように感じてしまう。誰も見ていない時でも、背後から見られているよう気がしてくる。

 手足の小さな動きが止まらなかった。

「クライト、少し良いか」

 ギブライドの部下の童顔の男に話しかけられた。クライトは深呼吸してから口を開く。

「……何ですか」

「お前が捕まった魔法使いについて、ギブライドさんに詳しく聞くように言われた。だだ傭兵どもが集まると面倒だ、外では話そう」

 少しほっとした。今は人目が少ないところに行けるだけで随分楽になる。クライトは童顔の男に続いて倉庫を出た。イビが眼の前に止まって笑う。

(裏切りがばれて処分されるんだよ、これ。絶対そうだって)

 有り得ない。いくらなんで気付かれるのが早過ぎる。そう思いながらもクライトは辺りに注意を払い、いつでも魔法を使えるように準備をする。

 倉庫の裏にある見晴らしの利く道で立ち止まった。

「ここなら盗み聞きはされないだろう」

「そんなに気を遣うほどのことですか」

「俺はお前と同じだよ、クライト。俺もアストリートに通じてるのさ」

 胸が詰まった。

 もう指示が来たのか。ここまで動きが早いとは予想外だ。

(まあ良いだろう。不満はあるが悪くないぞ。良しクライト、こいつを殺そう。あの倉庫にこいつの生首放り込んでやろうぜ)

 童顔の男は、クライトに指を突き付けた。

「まず先に行っておく。俺たちは余計な接触はしない。良いな?」

 当たり前だ。そんな危険をことを頻繁にするのは御免だ。

「分かってます」

「良し。これから俺が、アストリートの隠れ家の場所をギブライドに伝える。すると、その場所を攻めるかどうか話し合いが行われる筈だ。そうしたらお前はそれに賛成して、不自然にならない程度に他の者を誘導しろ」

「誘導?」

「適当に賛成意見を言うだけで良い。必要な場合は俺が話を振るから、お前からは積極的に話すなよ」

 それぐらいなら問題はない。実行しても自分に危害は及ばないだろう。

「……分かりました。他にはありますか」

「もうない。お前への指示はこれだけだ。お前は魔法使いだからな、他に使い道があるんだろう。とにかくこれで終わりだ」

 まだあるのか。これからを思うと気が重い。いや、考えるのは止そう。考えても良いことはない。神経が磨り減るだけだ。

 それにしても。クライトは倉庫に戻っていく童顔の男の背中を見やった。

 記憶が確かであれば、あの男は初めて自分がギブライドに会った時にはペナン花売り場で働いていた。そんな人間ですらアストリートに寝返っている。水面下での争いは想像以上に激しいらしい。

 騒乱が終わるのは、まだまだ遠そうだ。気分が悪くなってくる。

 ギブライドは、昼過ぎに倉庫に帰ってきた。

 すぐさま童顔の男が話しかけ、二人で倉庫を出て行く。しばらくして戻ってくると、傭兵たちが集められた。

「アストリートの隠れ家が分かった」

 傭兵たちがどよめいた。

「ただ問題が一つ。状況を見たところ、隠れ家には結構な戦力が揃ってやがる。このビビりのお蔭で見つけられたは良いが、攻めるとなれば厄介だ。そこでお前たちに意見を募りたい。どう思う?」

「誰に聞いてんだよ、おぉい」

 ブソルが嬉しそうに言った。ほとんどの傭兵も似たような態度で追従する。ややあってそれが収まると、ナーノが落ち着いた声を発した。

「向こうには魔法使いが大勢いる可能性がある。無闇に攻めるのは明らかに下策だ」

「そう、それが問題だ」言って、ギブライドはクライトとギュラスに眼をやった。「そこでお前たち二人に聞きたい。魔法を使うには時間が掛かるせいで、魔法使いは奇襲に弱いと言われている。具体的にはどれだけ弱いんだ」

 来た。

 ギュラスは答えようとしない。クライトは緊張に乾いた唇を湿らせてから発言した。

「数にもよりますけど、一対一の奇襲なら普通の人間と変わらなくなります。むしろその中に魔法使いがいるのなら、奇襲できるうちに戦った方が良いと思います」

 ギブライドは、話そうとしないギュラスを顎で促した。

「ああ。まあ、同意見だ。魔法使い相手の戦いは先手必勝一撃必殺が肝だ。悪くない」

「そうか」

 ギブライドは腕を組んで黙った。

 クライトは息を吐く。今の意見は自然に言えたのか。誰か不審がって見てきてはいないか。深い呼吸を繰り返して心を落ち着ける。

(あっ、あいつもこっちを見てる。おっ、こいつも見てきやがる。クライトー、裏切ったのはバレバレみたいだぞ)

(止めろ)

 気付かれてはいない。この役割で気付かれる筈がない。

 ギブライドの決断を待ちかねた傭兵が、次第にざわつき始める。

「良し、攻めるぞ」

 歓声が上がった。

「出発は今日の夜だ! 準備をしっかり整えておけ!」


 傭兵たちは数人ごとに分かれて倉庫を発った。舟で街の地側に渡り、アストリートが隠れているという宿の近くに潜んでいく。

 ギブライドが、窓から向かいの宿を眺めた。

「まだ気付かれた様子はないな」

 暗い室内に、仄かな月明かりが射していた。クライトはじっと息を殺し、他の三人は武器の様子を確かめている。

 ギブライドがクライトを見て、すうっと眼を細めた。

「おい、クライト。お前武器は良いのか。魔法使いとはいっても武器は必要だろ。欲しいなら俺のをやるぞ」

 断わろうとして迷った。

 今まで武器は使わなかったが、戦いを前にして何も持たないというのは不自然だ。とにかく今は疑われる行動を取りたくない。

「貸してください」

「やるよ、というか壊れるまで使え。手入れは怠るな」

 ギブライドから短剣を受け取る。柄に使用感のある汚れが付いてた。

 寒気がした。これで人を殺したのか。具合を確かめずに懐に仕舞った。

「良いかお前ら、もう一度作戦を説明する。準備が出来たらギュラスが宿の裏手に火を点ける。それが合図だ。静かに宿の前に集まり、俺の合図と共に一斉に攻め込む。後は各自状況を見て判断してアストリートを殺せ。以上だ」

 傭兵たちが無言で頷く。イビが声をひそめて笑った。

(これで何人ハゲの仲間が死ぬんだろうねぇ。半分かな、それとも全滅かな)

(うるさい、気が散る)

(散るのは命だよ、命。クライトが裏切ったせいで何人も死ぬの。つまり、クライトが何人も殺すの。ねぇ、今どんな気分?)

(止めろ)

 イビが笑いながら視界を飛び回る。

(クライトは何とも思わないんだねぇ。だってもう十人近い殺しを助けてるんだから、今更どうってことないよねぇ)

 気が重くなってくる。眼の前で死んだ者たちの顔が浮かぶ。

 ギブライドたちに気取られないように、クライトは深呼吸をした。

(イビ、お前は何がしたい?)

(何も。強いて言うなら気分かな。でも大丈夫大丈夫、ウチはクライトが何人殺そうと嫌いになったりしないよ。むしろ殺せば殺すほど好きになっていくね。まあ、シアルがどうかは知らないけど)

 漏れそうになる怒声を、歯を食いしばって耐えた。イビが耳元で大笑いする。

(シアルは今のクライトを見て、どう思うのかなぁ)

 駄目だ。イビと会話をしてはいけない。クライトは眼を瞑り、自分が使える魔法を頭に浮かべていく。

 瞼の向こうが、うっすら赤くなった。

「来たぞ」

 ギブライドが言った。傭兵たちが立ち上がる。ギブライドを先頭にして部屋を出ると、クライトは最後尾に付いた。

 アストリートの隠れ家の宿が炎に彩られていた。

 どこからともなく現れた傭兵たちが、無人だった通りを埋め尽くしている。

「死にもの狂いで火を消せえ!」

 ギブライドが叫ぶ。四十を超える傭兵たちが雄叫びを上げた。

 扉を叩き壊す音が聞こえてくる。辺りが騒がしくなっていく。開いたぞっ、誰かが叫ぶ。傭兵たちが雪崩れ込んでいく。クライトは最後方で待った。

 小気味良い音。鈍い音。甲高い音。戦闘音が爆発した。傭兵たちの悲鳴が上がる。

 そして、火の爆ぜる音だけになった。

 また、傭兵たちが騒ぎ始めた。戦闘音が聞こえてくる。

「待ち伏せだ!」

 誰かが怒鳴った。外の傭兵たちに動揺が走る。

 宿から強烈な明かりが放たれた。巨大な火の玉が転がってくる。傭兵たちが急いで左右に散った。

 瞬間、頭巾付きの外套を纏った集団が宿から飛び出してきた。

 女の体格ではない。機敏な動きで傭兵たちに襲い掛かっていく。

「撤退だ! 撤退! 急げぇ!」

 ギブライドが吠えた。クライトは身を翻そうとする。

 大柄の男が切り掛かってきた。

 クライトは魔法で剣を止める。即座に、男は剣を離した。男の片手は背中に隠れている。魔法使いか。男は無手を突き出してきた。

その手に、剣が出現した。

 クライトの眼前に切っ先が迫る。魔法を使って剣を逸らした。

 だが、間に合わない。同時に躰も捻る。首を、熱い感触が通っていく。クライトは最初の魔法を解いた。直ぐに新たな魔法を発動する。

 男の腹を、魔法で押し上げた。男の躰が宙に浮く。突進の勢い余って飛んでいく。

 クライトは踵は返して走り出した。視界の端で大柄の男が刺されようとしている。

 一直線に駆けた。

 通りを抜けて路地に入る。後方はまだ騒がしい。イビはいつまでも笑っている。クライトは少し息を整えた。速足でその場を離れていく。

 アストリートに通じていた者がいることは気付かれただろう。拠点に戻れば確実に裏切り者探しが始まる。そこに戻るのか。

 勘付かれれば間違いなく殺される。良くてあっさり、悪ければ拷問された末に死ぬ。

 笑い疲れたイビが、また痙攣するように笑い出した。

(血で血を洗う内部抗争が始まるねぇ。もう、イビちゃんおかしくなっちゃいそう)

 大丈夫だ。自分に言い聞かせる。

 まだ裏切り者としての行動などほとんどしていない。何よりフォニーの身柄はウショウに押さえられている。ギブライドの下に戻ってアストリートの人間として動く。

 それ以外に、できることはない。

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