第15話 拠点
ギブライドの作った拠点は、街の天側の外れにあった。
倉庫のような木製の大きな建物だ。壁の一面を占める大扉は開け放たれ、中には大量の材木が所狭しと置かれている。その向かいには水路が通り、街の中央の喧騒から離れてひっそり佇んでいた。
中に入ると、入り口の近くでギブライドたちが明りを灯して待っていた。
「よく帰ってきな。クライトも無事で良かった。それで、その男は誰だ」
頭巾の下で、ギブライドの眼が鋭く光る。ナーノが手早く事のあらましを説明した。
「なるほどな。そいつらがアストリートの手下かは分からねえが、危険なことに変わりはねえ。警戒が必要だな。それとギュラス、お前を雇おう。報酬の話は明日で良いか」
「構わない」
「分かった。お前たち、クライト救出の任ご苦労だった。寝場所は用意してある。ゆっくり休んでくれ」
ナーノたちが材木置き場の奥に消えていく。クライトも休みたかったが、まずは状況確認が必要だ。一人残ってギブライドに話しかける。
「この場所に移ったことと言い、俺がいない間に何があったんですか」
「地側にいたら身動きが取れねえからな。街の統治が違うことを利用して、こっちに拠点を移したんだよ。これで少しましになった」
「こっちで生活しても大丈夫なんですか」
ギブライドは見せつけるように頭巾を深く被り、歯を見せて笑った。
「油断すればさようならだ。だから拠点と言っても、生活拠点じゃなくて軍事拠点だな。ただ、その割には面白い作りになってるぞ」
(すけべえな奴がいいなぁ)
「まあ、お前も休め。疲れただろ。その時に見れば良い」
「分かりました。助けてくれてありがとうございました」
ギブライドの部下に案内されて奥に進んでいく。
そこは材木が壁や仕切りを作り、宿のような内装を成していた。これがギブライドの言う面白い作りか。それぞれの個室には扉がなく、内部には清潔な寝具だけが置かれている。
宛がわれた一室に入ると、イビが空中で一回転した。
(おお! この街に来て初めてまともな睡眠が摂れるー)
クライトは倒れ込むように寝具に入った。傭兵たちの話し声がそこここから聞こえてくるが、どれもこれも陽気な喋りだ。昼間寝ていたにも拘わらず、眠りは直ぐにやってきた。
目覚めは早かった。
静かに倉庫の入り口に向かうと、まだ夜は明けていなかった。灯りの下ではギブライドとギュラスが話をしている。クライトは床に座って夜明けを待った。
やがてギブライドとギュラスの話は終わり、ギブライドが近づいてきた。
「早いな」
「昨日の昼は寝てましたから」
ギブライドは喉の奥で笑った。
「余裕じゃねえか」
「疲れ過ぎただけです。これからどうする予定なんですか」
「俺はこれからペナン花を売りに行く。顔を見せねえと役人に怪しまれるからな」
そう言って、ギブライドは倉庫を出ていった。
ふと、視線に気付いた。
ギュラスに見られている。クライトが視線を向けると、ギュラスは自然に眼を逸らした。
(あいつぁ、堪らんなあ)
イビが嬉しそうに頬を緩ませた。
(何か気になることでもあるのか)
(昨日の戦いさ、ウチはずっとあいつの戦いを見てたんだよ。そしたら吃驚仰天言うほど普通、これが凄いのなんてぇの)
クライトは溜息を吐いた。
(どっちだよ)
(凄いんだってば。単純な剣術もそんじょそこらの傭兵なんて眼じゃないし、そこに上手く魔法を取り込んで戦ってた。流石に発動の速さは焼き印のあるクライトほどじゃないけど、それでもかなり速かった。いやいや、イビちゃん堪らんね)
イビが手の甲で涎を拭う。
(そんな飛び抜けた奴が訳ありか。危険だな)
(うん、最高だね)
ギュラスは、レスダムールと関係しているのか。
もしかするとギュラスの話せない訳とは、レスダムールと関係があることではないのか。そうだとして、良い方に転ぶのか悪い方に転ぶのか。現時点では何も言えなかった。
しばらくして空が白んできた。ギブライドの部下が勢い良く倉庫に飛び込んでくる。
「大変だ!」
「何かあったんですか」
「話しは後だ。全員叩き起こせ!」
指示に従い、クライトはギブライドの部下や傭兵たちを起こしていく。十四人全員を起こすと、飛び込んできた男が切迫した顔で事情を説明した。
「アストリートがギブライドさんに寝返った売人を呼び戻してる。しかも寝返ったことは不問にして、薬の値段まで下げて売ってやがるぞ」
アストリートが動き出した。
これで小休止は終わりを告げた。直ぐにでも争いが始まり、間もなく血が流れるだろう。余波は当然のようにガシェーバの街に広がり、傭兵以外に被害が出てくる。
「やんのか」
ブソルが低い声を出す。傭兵たちの眼付きが一変した。
「いや、まだだ。今ギブライドさんたちが様子を見てる。動くはどうかはその後だ。ただし、いつでも戦える準備はしておいてくれ。勿論金は出す」
ちらほらと獰猛な笑い声が上がった。イビは大口を開けて笑っている。
クライトは周りの様子は窺った。傭兵たちは戦いの支度を始めようとしている。ギブライドの部下たちは固まって会議を開いている。
クライトは、静かに倉庫を出た。慎重に倉庫を離れていき、少しして駆け足になる。
フォニーの身が危なかった。
このままではペナン花の売人でもあるフォニーも、戦いに巻き込まれる恐れがある。運が悪ければ殺されるかもしれない。そうなっては傭兵働きをした意味がなくなる。
街の地側に行き、フォニーの縄張りに向かった。
役人らしき男たちが眼を光らせて徘徊している。その腰に下げた剣はいつでも抜けるようにしていた。辺りの雰囲気もどこか固く、誰でもが戦闘に身構えている。この様子なら本格的な戦闘が始まるのも遠くないだろう。
ほどなくして、地面に座るフォニーを見つけた。
イビが嫌そうな顔をして背を向ける。フォニーは茶色の小瓶を口に当て、呆然と正面を見やっていた。
「無事ですか」
フォニーが視線を上げた。退屈そうにしているが、以前のように不自然な弛緩はない。
「それはこっちが言うことでしょう、お兄さん。アストリートに攫われたんだって?」
「済んだことです。それよりアストリートの動きは知ってますか」
「知ってるからここでぼうっとしてるの。下手に動けばこっちの身が危ないから、最近は薬を買ってない。どう、安心した?」
安堵の息が漏れた。フォニーは眼を細めて微笑する。
「分かりやすい反応。そういうの好きよ、私。まあそれはともかく、お兄さんが助かったのは私のお蔭でもあるんだけど、お兄さんはどう思う?」
やはり油断はできない。クライトは気を引き締めた。イビが声を殺して歯ぎしりする
「……その通りだと思います」
「そうだよね。で、お兄さんは私に何をしてくれるの?」
「もっと戦って金を稼げ、そういうことですか」
フォニーは唸り、小瓶を地面に置いた。
「そのつもりだったんだけどさあ、正直心苦しくなってきたんだよねえ。昨日で私の借金はなくなったから、私としてももう十分だし」
予想外の言葉だった。肩に圧し掛かる重いものが、急に軽くなっていく。
「それじゃあ」
「そう、教えてあげる。隠すのも疲れてきたしね」
苦労が報われた。これでようやくレスダムール探しに戻れる。思わず笑い声が漏れた。
イビが溜息を吐いて振り返る。
(そういうのはいらないんだよなー。薬やりすぎて逆に真っ当になったか、ん?)
「それで、ソーウィンにペナン花を渡した女は誰なんですか」
「待って」フォニーはおもむろに立ち上がった。「話が込み入ってて誰にも聞かれたくないから場所を変えましょう。ここだと薬売りの争いに巻き込まれるかもしれないしね」
事情は複雑なのか。レスダムールという大物が関わってるのだ、当然だろう。
クライトはフォニーの後を着いていく。
路地を進み、どんどん道幅の細い方へと歩いていく。人通りはめっきりなくなり、喧噪も届かなくなってきた。心なしか、日当たりも悪くなったような気がする。
嫌な予感がしてきた。
「あの、どこまで行くんですか」
「私の家まで。そこなら安全だし、この時間なら誰もいない」
胸騒ぎがする。しかしそれを口にして、フォニーの機嫌を損ねるわけにもいかない。
不意に、後ろから肩を叩かれた。
「よう、クライトだな」
男にしては少し声が高い。クライトは冷や汗を感じながら振り返った。
眼に異様な光を宿した男が立っていた。その背後には、柄の悪い男が何人もいる。
「……誰ですか」
「俺はウショウってもんだ。お前の雇い主と喧嘩してるって言えば、分かるよな?」
裏切られたのか。
咄嗟にフォニーを睨む。フォニーは視線を逸らして俯いた。
「仕方なかったんだ。こうしないと私は死んでた」
最悪だ。
しかし、怒りをぶつける余裕はない。クライトは歯噛みして怒りを堪える。イビが嬉しそうにフォニーの顔面を殴りつけた。
(それだよそれ、てめえに求めてんのはそれなんだよ! むかつくから死ね!)
「その女は恨むのはお門違いだぜ。悪いのは俺たちに喧嘩を売ったギブライドの野郎だ」
後方から足音が聞こえた。
ウショウと似たような風体の男が数人現れる。これで、敵は十人を超えた。
落ち着け。敵はまだ敵意を向けていない。これは交渉だ。クライトはいつでも戦えるように身構えて問うた。
「何の用ですか」
「お前、その女に聞きたい情報があるんだろう? 誰か探してるんだってな」
嘘を吐いても意味がないだろう。全てフォニーが話している筈だ。
「そうです」
「そこで取引だ。お前こっちに寝返れよ。そうしたらその女は生かしてやる。それもただ生かしてやるんじゃねえ、俺たちはこの女には手を出さない。悪くない取引だろう?」
視界の端で影が動いた。
男の一人がフォニ―の首に短剣を当てた。どさくさ紛れに胸を揉む。
「ちょっと!」
フォニーが控えめに怒鳴る。男の手が止まり、溜息を吐いてフォニーを解放した。
(勘違いすんな! 男に興奮した自分に落ち込んでるだけだぞ)
「さあ、クライト。お前の返事を聞かせてくれ」
寝返りに勘付かれれば、間違いなくギブライドに殺される。誘いを断われば、ここでウショウたちに襲われる。安易な判断はできない。
「……本当に、ソーウィンにペナン花を渡した女を知っているんですか」
フォニーは口角を吊り上げて笑い、ウショウに眼をやった。
「おい、連れて来い」
曲がり角から、ソーウィンが引きづり出されてきた。頭巾に隠れた引き攣った顔は、汗でびっしょり濡れている。
「さあソーウィン、言ってくれ。お前にペナン花を渡したの誰だ」
「その女の人、フォニーです」
ソーウィンの声は上擦っている。眼は伏せられて誰も見ようとしていない。
怪しかった。ソーウィンは脅されて嘘を言っているのではないか。
「顔は見てないんですよね。本当にフォニーなんですか」
「ま、間違いない。こう見えても女に対する記憶は良いんだ。それに日付も正しかった」
分からなかった。
ソーウィンは脅されて利用されているだけではないのか。しかし残るレスダムールに繋がる手掛かりは、尋問してきた謎の男しかいない。ここで嘘と決めつけて、フォニーを逃して良いのか。
馬鹿か。
クライトは、悩みを笑い飛ばした。
シアルを助ける。その為には何でもする。例外はない。自分の命が危なくなろうとも、シアルに掛かった呪いの魔法を解く。
「俺は、何をすれば良いんですか」
ウショウは唇を捲り上げて笑った。
「お前の役目はただ一つ、ギブライドの傍にいろ。俺たちはちょくちょくお前に指示を出す。それに忠実に従え。分かったな」
「……分かりました」
「最初の指示は近い内に行く筈だ、頼んだぜ」
男たちがフォニーとソーウィンを連れて去っていく。すれ違いざまに、ウショウがクライトの耳元でねっとり囁いた。
「ばれる心配はするな。この後直ぐに、ソーウィンは殺す」
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