第12話 監禁

 クライトは背中を押されて部屋を出た。

 女将は眼を伏せて黙っている。背後の足音は複数人のもの、音からして躰は大きくない。分かったのはそれだけだった。

 宿を出て路地を進んでいく。まばらな通行人はほとんど眼もくれない。興味がなさそうに一瞥するのが精々だ。さらに人通りの少ない隘路に入っていく。

 人が完全にいなくなると、止まるように指示された。クライトの頭に袋が被せられる。

(ああっ、奴らが全員剣を抜いた。危ないクライト、逃げてえ!)

 イビが嬉しそうに叫ぶ。馬鹿馬鹿しい。しかし分かっていても冷や汗が滲んできた。

「良いと言うまでその場で回れ」

 言う通りにした。ある程度回ると逆回転を指示される。それで、完全に方角が分からなくなった。

「止まって両手を前に出せ」

 縄のようなもので腕を縛られた。引っ張られる感触がして、クライトは歩き始める。

 そう時を置かず、扉の開く音がした。風の流れが止まる。どこかの建物に入ったのか。少し歩き、また扉が開く。

「ここで大人しくしていろ」

 椅子らしきものに座らせられた。胴を縛られていく感触がする。縄の縛り具合を確認すると、足音は遠ざかっていった。扉の閉まる音がして静かになる。

(凄い血の跡。これからどんな目に遭うんだろうね)

 血。恐怖が頭を占めた。

 そんなわけがない。イビの冗談だ。静かに深呼吸を繰り返して気を静めていく。

(嘘吐け)

(残念)

 被された袋は真新しい布の臭いがした。足を動かすと靴越しでも床が磨き上げられているのが分かる。空気も澱んでいるとは思えなかった。

(でも、拷問官が綺麗好きなだけかもね。それか物凄い変わり者なのかも。血や肉で汚れた床は自分で舐め取って綺麗にするとか、綺麗好き過ぎて自分で汚して自分で綺麗にしたくなったとか)

(そんなわけあるか)

 そう言っても不安は消えなかった。躰を動かしてみても椅子は微動だにしない。背中の傷の痛みが増してきた。脈動の度に鋭くなる。

 どうにかして逃げなければならない。このままでは拷問で死ぬか、気が狂うかしかない。

「いつまで待っていれば良いんですか」

 正面から気配を感じた。返答はなかった。

(監視は何人いる?)

(いないいない。ああいや、一人いる。だからドカンと一発決めてやって)

 イビが含み笑う。嘘とは断言できない。しかし、一人を魔法で倒したところで外に出れば周りが敵だらけの恐れもある。

 アストリートとの戦いが蘇ってきた。血臭が立ち込めている いくつもの死体が転がっている。それを、自分の手で作るのか。もしくは、その中の一人になるのか。

 躰が動かなかった。

(この人良い躰してるねぇ。えっと顔は)イビの声が遠くなっていく。(おおう、聞かないで。聞くな。えっ、聞きたい?)

 鍛えられた躰をした女。思い浮かぶのは、交渉の際アストリートの後ろにいた魔法使いかもしれない女だった。

 これは、アストリートの報復なのか。心なしか息苦しくなってきた。


 扉の開く音で、クライトは眼を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。躰は強張っているが、疲れた精神はいくらか回復していた。

「二人きりにしてくれ」

 男の声がした。足音が入れ替わり、正面の扉が閉まる音がする。

「君がクライトか」

 重い足音が近づいてくる。イビが感心したように声を漏らした。

(こっちも良い躰。多少脂肪はあるけど、これは相当強いね)

「返事はなしか」

 胸に衝撃が来た。反射で全身が固くなる。寝惚けていた意識が叩き起こされた。

 胸は、そう痛くはなかった。小突かれた程度だ。イビが抑えた笑い声を漏らす。

「君はクライト。そうだな?」

「そうです。アストリートの人間ですか」

 クライトの声は震えていた。それに気付くと、沈んでいた恐怖が浮き上がってきた。

「君は私の質問に答えていれば良い。そうすればそれなりの扱いは保障しよう」

 男の声は淡々としていた。全てが真実を語っている気もすれば、全てが偽りのような気もしてくる。最初に言った二人きりにしてくれという言葉すらも、わざと攻撃を誘う為の演技だったのではないか。

 男に攻撃するのはあまりに無謀だった。イビの言葉も信用できない。

「では質問する。君は天の世界の人間だな」

「そうです」

「そして、魔法使いでもある。しかし天の世界の人間が使う魔法は、必ず天法と決まっている。だが君は、天の世界の人間でありながら地の世界の魔法である地法を使う。これはどういうことだ?」

 意味が分からなかった。自分が使っていた魔法は天法ではなく、地法なのか。仮に地法だとして、それにどんな問題があるのか。

 また、胸に衝撃が来た。

 先ほどより強い。思わず咳き込んだ。疑問に思っていられる余裕はない。答えなければ拷問で痛めつけられる。

「……地の世界の人間に教わったからです」

「それは誰だ」

「レスダムールです」

「レスダムールだと」

 男の声に驚きの色が混じった。瞬間、恐怖が消えた。クライトの脳が活性する。

「知っているんですか!」

「黙れ」

 腹に衝撃。喉まで胃液が上ってくる。イビが馬鹿笑いしていた。

「君の言うレスダムールとは、グルピアリスからトルガードに寝返った、あのレスダムールなのか」

 グルピアリスには聞き覚えがあった。

 ガシェーバの街は天側と地側で治めている国が違うが、地側を治める国の名がグルピアリスだった筈だ。トルガードの方は聞いたこともないが、これも国の名前だろう。

「知っているのはあの老人の名前だけです。いや、老人かどうかも良く分かりません」

 質問が途絶えた。

 ややあって足音が遠ざかっていく。扉が開き、入れ替わりで誰かが入ってきた。

「また戻る。見張っておけ」

 扉が閉まった。入ってきた者の気配が消える。

 レスダムールは、グルピアリスからトルガードに寝返った。

 男の驚きようと言い、レスダムールはそれなりに大物なのだろう。そのような者が何故、シアルに呪いの魔法を掛けて自分をガシェーバの街に呼んだのか。

 分からないことだらけだった。しかし何はともあれ、まずはここから脱出するのが先だ。

(イビ、どこまで俺から離れられるんだ?)

(ああ、近くを探って来いって言うんでしょ。無理無理、ウチの移動範囲はクライトの身長分ぐらいしかないよ。できるのは監視の女の下着を覗くぐらいかな)

 監視を殺すしか手はないのか。上手く無音で殺せたとしても、そこからどう逃げ延びるのか。そもそも殺すことができるのか。

 しばらく考えても、監視を殺す決断はできなかった。

 ふと、音が聞こえた。

 声だ。女の慌てるような声が複数聞こえてくる。何が起きている。監視の気配も浮足立ってきた。

 女の呻き声が、直ぐ傍で聞こえた。水音が鳴る。誰かが近づいてきた。

「もう大丈夫だ、クライト」

 ナーノの穏やかな声がした。クライトの頭に被せられた袋が外される。

 どこかの薄暗い室内だった。眼の前にはナーノの他に、ブソルと二人の傭兵がいる。扉の近くには血を流した監視らしき女が倒れていた。

 助けられたのか。

 複雑だった。レスダムールを知るあの男の存在が、意識にこびりついて離れない。

「以外と大丈夫そうだね。早く逃げよう」

 ナーノがクライトを縛る縄を短剣で断ち切った。クライトは椅子から立ち上がって躰の調子を確かめる。

「良いか、逃げるぜ」

 ブソルが先頭になって部屋を出た。クライトは中央で走っていく。民家のような廊下を進んで裏口から外に出た。既に、太陽は沈もうとしている。

「とにかく走れ走れ、敵はまあまあ鬱陶しいぞ」

 ブソルが言った。路地を縫うように走っていく。背後から足音が追ってきた。

 苦悶の声が上がる。転ぶ音が聞こえた。クライトは振り返ろうとする。

「見捨てろ!」

 ナーノが叫ぶ。クライトは顔を正面に戻した。助けてもらった恩を無碍にするのか。迷い、クライトは立ち止まった。

「先に行ってください!」

 ブソルたちが離れていく。イビが眼を輝かせた。

(やっぱり足手まといは殺さないとな!)

 敵は女が二人。手には剣が一振りずつ。身に纏う頭巾付きの外套にも不自然な膨れはない。傭兵は離れた地点で倒れている。

 状況からして、敵は魔法使いだ。

「今の内に逃げてください」

 炎の壁を、傭兵と敵の間に作った。傭兵は血を流す右足を引き摺って歩き出す。

 水の撒かれる音がした。

 炎の壁に穴が開く。そこを、敵が突っ込んできた。剣を持った手を前に出し、魂に働きかけるもう片方の手は背中に隠す。典型的な魔法使いの構えだ。

 傭兵が脇道に転がり込んだ。敵は見向きもしない。一直線にクライトに迫ってくる。

 敵が、頬を膨らませた。口から泥が飛び出す。

 クライトの視界が茶色に埋まった。闇雲に右手を突き出す。魔法で敵ごと吹き飛ばした。

 視界が晴れる。吹き飛んだのは一人しかいなかった。

 何かが、視界を掠めた。

 剣先。咄嗟に魔法を使う。寸前で喉を逸れた。

 しかし、敵の手首が返った。また剣が迫ってくる。クライトはそれも魔法で止めた。

 敵のもう片方の手が、微かに動いているのが分かった。魔法を使おうとしているのか。その手を、クライトは直ぐに魔法で固定した。

 泥を吐いた敵が、体勢を取り戻したのが見えた。クライトは魔法を同時に二つしか使えない。どう対処する。迷いからクライトの動きが一瞬止まった。

 横腹を蹴られた。

 衝撃で魔法が解ける。固定していた剣が襲ってきた。避けられない。

 鈍い音がした。

 剣を振るわんとした敵の首に、短剣が突き刺さっている。誰かが投げたのか。棒のように倒れていく敵の脇を、ブソルたちが駆けていく。

 また助けられた。クライトは体勢を立て直した。もう一人の敵に眼をやる。後退しようとするその足を、魔法で掴んだ。

 敵の表情が曇った。ブソルたちが飛び掛かる。一瞬で敵は切り伏せられた。

 足元で、砂利の擦れる音がした。

 首に短剣が刺さった敵が生きている。魔法を使おうと手が動き、魂に働きかけている。その眼はブソルたちに向いていた。

 殺すしかなかった。魔法で頭を潰す。それが最も手っ取り早い。

 だが、できるのか。

 女の顔が歪み、眼球がせり上がる。骨が砕け、血ともつかない液体が染み出していく。そして、全てを撒き散らして潰れる。

 今まで動いた人間を肉塊に変えることが、果たしてできるのか。

(殺せ! 脳漿をぶちまけろ! さあ、やるんだよ!)

 投擲された短剣が、敵の頭部に突き刺さった。今度こそ本当に、敵は動かなくなった。

「私は、見捨てろと言ったんだけど」

 ナーノが平静に近づいてくる。敵に刺さった短剣を回収して具合を確認し、一振りで血を払い飛ばした。

「すみません」

「いや良い、終わったことだ。それよりあいつはどこにいる?」

 クライトは傭兵が転がり込んだ脇道を指した。全員でそこに行くと、傭兵は自分で応急処置をしていた。

「大丈夫だ。そう傷は深くねえ、血を止めれば走れる。ありがとな、クライト。お蔭で命拾いした」

 足に巻いた服を結び、傭兵は立ち上がる。躰の無事を確かめるように何度か跳ねた。

 周囲に眼を光らせながら、ナーノが口を開いた。

「取り敢えず追っ手は倒せた。でも詳しい話は」

 甲高い警笛が鳴った。

 俄かに傭兵たちの顔を引き締まる。

「急いで逃げよう! 役人に気付かれた!」

 直ぐにその場を離れた。足を負傷した傭兵も遅れずに着いてくる。

 辺りは薄暗いが服に付いた返り血は目立っていた。路地の少ない通行人の視線がクライトたちに突き刺さっている。

「河までもう少しだ」

 ナーノが荒い吐息混じりに言った。まもなく、街の境目の河が見えてくる。

 そこは、中央から離れた渡し場だった。全員が船に乗るとナーノが係留綱を切る。

「出してくれ」

「任せろ!」

 ブソルが力強く櫂を漕ぐ。あっと言う間に岸が離れていく。

「……これで一安心かな」

 ナーノが言うと、傭兵たちは気を抜いていった。まるで危険地帯から完全に脱したと言わんばかりの態度だ。それに、クライトは疑問を覚えた。

「何故そう思うんですか」

 ナーノは小さく笑って、短剣を河に浸して血を洗い落とし始めた。

「この街は天側と地側で治めている国が違うから、法を犯しても反対側に行けば逃げられるんだよ」

(やり放題じゃねえか!)

「そういう協定とかはないんですか」

「一応はある。ただそれでも捜査権は現地の人間あるから、どうしても成果はそこそこ程度に落ち着くんだよ」

 ガシェーバの街がここまで物騒だとは知らなかった。レスダムールがこの街を指定したのは、そういう事情もあるのだろうか。

「でも、体感だと他の街と比べてそこまで差はないかな。この街は元々、国が本格的に関わってくる前からこんな感じだったから、上手くやってるんだと思う」

 そうこうしている内に対岸に着いた。

 クライトたちは上陸して路地に入り、しばらく無言で進んでいく。まばらにいた路地の住人がいなくなった頃合いで、ナーノが口を開いた。

「ここで騒ぎが収まるのを待とう」

 傭兵たちはめいめいに腰を下ろした。その時になって、クライトは助けられた礼を言っていないことを思い出した。

「助けて貰ったのには感謝してます。ありがとうございました」

 ブソルが豪快に声を上げて笑った。

「礼ならあの、フォニーとかいう女に言いな」

(憤死しろってか! ああん?)

「フォニーですか」

「ああ、あの女がお前の泊まってる宿に行ったら、お前は連れ去られた後だった。それで俺たちは、お前がアストリートに捕まったんじゃねえかと考えたわけだ。この状況でアストリートに好き勝手されるわけにはいかねえからな。急いで助けに行ったってわけよ」

「問題はそこだよ」ナーノが静かに口を挟んだ。「私たちはてっきり、クライトがアストリートに捕まったとばかり思っていた。でもそこで登場したのがあの魔法使いたちだ。勿論、アストリートの手下にも魔法使いはいるだろう。確証はないけどあの時の交渉の場にいた女も魔法使いだった筈だ。ただそれにしたってあの家にいた五人の女、全員が魔法使いだった。これはどう考えても異様だ」

 足を負傷した傭兵が頷いた。

「全くだ。いくら女が男より魔法の素質があるとはいえ、実戦で使えるまで鍛え上げるのはかなりの時間と金がかかる。それを何人も抱えてやがるだと。こいつはこれからの戦いにかなりの影響が出てくるぜ、おい」

「そこでだ、クライト」ナーノが短剣でクライトを指し示した。「助けた時の様子を見るに尋問されたんだろう? その時に何を聞かれた」

 正直に答えるべきか迷った。尋問してきた男が何者かは分からないが、レスダムールの名をみだりに口にして良いのか。

 レスダムールは大物らしく、何かを企んでいる。ナーノたちが何かを知っていて状況が好転する可能性もあるが、その逆も有り得る。そもそも、金で雇われて荒事を請け負う人間は信用に能いするのか。

「いえ、尋問はされませんでした。会話を聞いている限りでは誰かが来るのを待っていたみたいでした」

 ナーノはクライトの汚れの少ない躰を眺めた。

「その誰かというのがアストリートの側近なのか、それとも別の組織の人間なのか。そこが重要だ。私の勘だとあいつらはアストリートとは毛色が違った。あいつらが別の組織だとそれはそれで困るけど、少なくともアスリートの手下じゃないのは好材料だ」

(おうおう、混沌は大好物だ。もっと持って来い!)

 イビが下品に笑う。ブソルが歯を剥いて笑った。

「良いじゃねえか。戦う機会が増えるってことはそれだけ報酬が増えるってことだぜ。俺たちは傭兵だ、血を流すのが本懐だろ。なあ?」

 傭兵たちが笑う。つられたようにナーノも笑った。

「誰も、嫌とは言ってないだろう」

(気持ち悪! ウチこういうのは嫌い)

 イビの顔が引き攣っている。傭兵たちは静かになり、思い思いに時間を潰す。

 クライトの頭にあったのは、レスダムールの名を口にしたあの男だった。

 フォニーとは別に、レスダムールに繋がる手掛かりを得た。一筋の光明のようなものだが、これは大きな進展だ。

(イビ、あの男の顔は見たのか)

(見たよ。この中の一人を殺したら教えてあげる)

(大して情報は持ってないだろ。そこまでする価値はない)

 イビは唇を尖らせた。

(ちぇっ、つまんないの。顔は普通だよ、普通。いや、ちょっと怖かったかな。年はハゲと同じぐらいだと思う。他は良く分かんない)

(何か特徴とか、身分や素性を表すものとかあったか)

(明らかに正体を隠そうとしてたのに、そんなのあるわけないでしょ。あったら笑ってるよ、速攻で笑うね)

 瞬間、イビが大声で笑い出した。

(あったのか)

(いんや、ないよ)

(だろうな)

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