第10話 祭りの後

 震えが治まってきた。クライトは深く息を吐き、立ち上がる。

(もう諦めたら? 敵に顔を見られただろうし、街に戻っても大変な眼に遭うだけだよ)

(うるさい)

 レスダムールを倒し、シアルに掛けられた呪いの魔法を解く。

 その為に、人を殺そうとした。殺しの手助けをした。もう引き返せるわけがない。

 大丈夫だ。外套を捨てるまで頭巾は被っていた。見られたのは後姿だけだ。それだけでは身元は割れない。街に戻っても咎められる恐れはない。

(もうシアルは死んでるかもしれないのに、良くやるねぇ)

(死んでない)

(どうだかね)

 イビが笑う。無視してクライトは山を下りた。

 入り口で頭巾付きの外套を買い、ガシェーバの街に入った。天側の様子に変化はない。街の境目にある橋も同じだった。

 どういうことだ。

 普通に考えれば、先程の戦いの生き残りを探して大勢の役人がうろついていても良い筈だ。何が起こっている。クライトは意を決して地側に行き、大通りからペナン花売り場に近づいた。

 そこだけ、巡回する役人の数がやや多くなっていた。

 何かの罠なのか。素性を隠した役人がそこら中で徘徊しているのではないか。鼓動が早くなってきた。

「クライト」

 心臓が跳ねた。遅れて、ブソルの声だと気付く。ブソルは頭巾を深く被り、路地から顔を出していた。

「無事でしたか」

 ブソルの顔色は依然と変わりなかった。怪我の有無は外套で分からない。

「お前も平気そうだな」

「無傷です。他の人はどうですか」

「大将やナーノ、主だった奴らは無事だ。怪我もほとんど軽症で無視して良い」

 安堵の息が漏れた。ギブライドが死ねばフォニーの借金を返すあてが無くなる。状況はまだまだ分からないが、悪いことばかりでもないらしい。

「先に状況を説明するぜ。アストリートはこっちと似たような状況だ。死人や捕まった奴はいるが半分以上は逃げ延びた。役人の方は一応俺たちを捜しちゃいるが、これは形だけだ。意味合いとしちゃ騒ぎが起きないように見張ってるって感じだな」

 事情が把握できなかった。

 役人はあの戦闘をギブライドとアストリートが起こしたものだと知っている筈だ。それもある程度事前に情報を掴んでいたから、あの時横槍を入れることができた。

「どういうことですか」

 ブソルは眉を持ち上げて肩を竦めた。

「俺も良くは分からん。大将と多分アストリートもなんだろうが、役人と取引をしたらしい。それで取り締まりは免れたみたいだぜ。ただ、これ以上ことが大きくならないように監視の眼がきつくなった。前みたいに傭兵を集めるのもできない。それで、互いに身動きは取れなくなったわけだな」

 つまり、ギブライドたちは賄賂でも渡して役人を宥めすかしたということか。

「俺たちはどうするんですか」

「一旦解散だ。あの戦いの分の金は払うそうだ。花売り場に来られると困るから、受け渡し場所を指定してくれだとよ」

 ふっ、と心が軽くなった。

 受け取る金で、フォニーの借金が完済できるかどうかは分からない。それでも明確な形で目標に近づいた。シアルに掛かった呪いの魔法を解く時に近づいた。

 これで嬉しくないわけがない。クライトは、借りている宿の住所を伝えた。

「ここにフォニーを呼ぶように言ってください。それで分かると思います」

「おう、分かった。それと一旦解散にはなるが、このままだとまた戦いが起きる筈だ。お前はどうするよ」

(答えは決まってるだろ、全員殺すんだよ!)

 これで最後にしたい。出そうになる本音を呑み込んで、クライトは口を開いた。

「その時にならないと分かりません」

「分かった、そう伝えておく。大丈夫だとは思うが役人には注意しておけよ」

 ブソルと別れ、クライトは天側にある宿に戻った。

 退屈そうにしている女将に壊れかけの内装、最初に訪れた時と違いはない。上手くいけばこの宿とも今日中の別れだ。部屋の扉を開けて中に入る。

「動くな」

 背後から、女の声がした。背中に鋭い痛みが走る。刃物で浅く刺されていた。

 対処する余裕はない。瞬く間に躰が冷えていく。

「何の用ですか」

「騒いだり抵抗すれば殺す」

 女の声は冷徹だった。イビが奇妙に笑っている。

(誰だ、他にもいるのか)

(聞きたい、聞きたいの?)

(早く答えろ)

 苛立ちで躰に熱が回る。背中の痛みが強くなった。

「動くなと言っただろう。女将は抱き込んでいる。騒いでも無駄だ」

(イビ!)

(しょうがないなー。敵は二百人で、嘘嘘、冗談だって。もう、お茶目なイビちゃん)

 必死に怒りを堪える。辛うじて躰の動きには表れなかった。

(本当は)

(二人。顔に覚えはないけど良い躰してるね。ああ、鍛えられてるって意味だからね)

 逃げ出せるか。考えるのも無駄だった。

 動きを見せた瞬間、背中を刺されて致命傷を負う。そうれなれば運良く逃げられても、破傷風なりで助かる見込みはない。

 弱気を見せてはいけない。それだけがささやかな抵抗だった。

「分かりました。用は何ですか」

「お前はクライトだな」

「そうです」

「ペナン花を卸しているギブライドに雇われて、朝方アストリートの手下と戦った。そうだな?」

「その通りです」

「大人しく着いて来い。変な動きをすればその時点で殺す。分かったな」

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