第8話 開戦

 まだ夜は明けていない。

 ガシェーバの街は寒々しかったが、街を通る河の下流は熱くなっていた。三十人近い傭兵たちが一堂に集まり、それそれの手には凶悪な武器を握っている。

「良く聞け!」ギブライドが力強く剣を掲げた。「お前らを集めたのは他でもねえ。アストリートと決着を付けることになった!」 

 思い思いの野太い歓声が上がる。

「役人がうるせえから決闘なんて方法を取ることになったが、これもこれで古風で良いだろう。さくっと敵を片づけて、浴びる程酒を呑もうじゃねえか!」

 傭兵たちが雄叫びを上げる、そして、一斉に河を下り始めた。

 開けた河原が見えてきた。

 武器を持った男たちが四十人近く待ち構えていた。その姿を認めた途端に双方から怒号が上がり始め、あっと言う間に罵倒合戦へと発展していく。そうして喚き立てながら、ギブライドたちは足を止めた。

「アストリートはどこだ」

 長剣を持った体格の良い男が、肩を揺らして前に出てきた。

「ここにはいねえよ!」

 傭兵たちが口々に不満を叫ぶ。体格の良い男はせせら笑った。

「当然だろ。この程度のしょっぱい戦いで親分が直々にやってくるわけねえだろが」

「上手い言い訳を考えたもんだな」

「なんだと」

「ビビッたんだろ、アストリートはよおっ!」

 ギブライドが笑う。傭兵たちも笑う。イビも笑っている。体格の良い男が長剣の鞘を払った。背後の大勢の敵も武器を構える。

「もう一度言ってみろよ!」

「勘弁してくれよ、ビビりが移っちまう」

 また、傭兵たちは笑う。体格の良い男の形相が怒りに染まった。

「黙れ!」

 鞘を投げつける。それを、ギブライドは剣で叩き落とした。俄かに怒声が膨れ上がる。ギブライドが怒鳴り散らした。

「殺せ! 殺し尽せえっ!」

 傭兵たちが走り出す。敵も威勢良く向かってくる。一足先に投石が飛び交い始めた。方々で血飛沫が上がっていく。

 クライトは、立ち尽くしていた。

 足が張り付いたように動かない。心臓だけが忙しなく動いている。イビが満面の笑みで近づいてきた。

(ねえねえ、殺すのが怖いの? 殺されるのが怖いの? ねえどっち、ねえったら)

 剣を持った男が、一直線に迫ってきた。

 迷っていては殺される。クライトは拳を握った。

 向かってくる男の右足を魔法で止める。走る勢いで男の体勢が崩れた。そこに、一人の傭兵が切り掛かっていく。

 男は一閃で倒された。ぱっくり割れた頭から血溜まりが広がっていく。痙攣する躰に血の波紋を乱れている。

 見てはいけない。クライトは眼を逸らした。血臭が追ってくる。イビが笑い転げている。

(最っ高! もっと死ね! もっと殺せ! みんな死んで臭い内臓ばら撒いちまえ!)

 直ぐ傍で怒声が聞こえた。躰が固くなる。無理やり向き直った。

 剣が、眼前に迫っていた。

 手をかざそうする。間に合わない。血溜まりに沈んだ男の姿が脳裏に過ぎる。死ぬのか。

 金属音が鳴った。敵の剣が盾に塞がれている。

「ぼうっとすんな!」

 叫び、ブソルは攻撃してきた敵の首を剣で貫いた。すぐさま死体を蹴って剣を抜く。その後ろから、別の敵の槍が襲ってきた。

(そこだ、そこ! 一撃で殺すなよ、ずっと苦しみ続ける腹を狙え!)

 穂先が、ブソルの腰に突き刺さった。

 幻覚だった。クライトは外套の首元を握りしめる。魔法を使って槍を止めた。

「良くやった!」

 ブソルが振り返る。敵の懐に入って首を撥ね飛ばした。盛大に血が吹き上がる。ブソルは清々しい笑みを浮かべた。

 血が、クライトの顔に飛んできた。暖かった。悪寒が背筋を駆け上がる。急いで血を拭った。イビが腹を抱えて笑っている。

(人殺しが何を怖がってるんだか)

 その通りだった。

 自分はあの時、レスダムールを焼き殺そうとした。本当に人が死んだどうかなど些細な違いだ。自分の意思は、既に殺人を選んでいる。

 クライトは腹の底から叫んだ。

 少し、気分が落ち着いた。冷え切った両手を動かす。周りの状況が見えてきた。

 敵が三人。それぞれ魔法で妨害していく。一人は鈍器で殴り殺された。一人は喉を切られて死んだ。一人は至る所を刺されて動かなくなった。

 戦闘音が遠くなっていた。濡れた布で耳を塞がれているようだ。意識と躰が乖離していく。考える前に躰が勝手に敵を妨害していた。

 不意に、数人が同じ方向を見た。何かを口にしている。構わず、クライトは敵を妨害し続けた。

「手伝ってくれ!」

 聞き覚えのある声がした。ナーノが血塗れの短剣を構えてクライトを呼んでいる。近くでは、一人の傭兵が三人と対峙していた。

 そこに近づきながら魔法を使う。二人の足を止めた。即座にナーノが一人の首を掻き切る。動ける敵は傭兵が相手をしていた。

 その敵を、クライトは魔法で殴った。瞬時に傭兵が押し倒す。馬乗りになり、顔面に折れた剣を突き立てた。暴れ回っていた敵の足が、急に静かになった。

「まずいな」

 ナーノが言った。もう一人いた敵はいつの間にかナーノに切り殺されている。

 何がまずい、クライトは尋ねようとしたが声が出なかった。ナーノが短剣で指し示す。

「見ろ」

 それで初めて、クライトは戦場を冷静に眺めた。

 血臭が一帯に立ち込めていた。死体が散乱している。吐き気が込み上げてきた。喉を絞り、強引に抑え込む。そこでようやく、ブソルの意図に気付いた。

 向かいの様子が変だった。揃いの外套を纏った者たちが、敵も傭兵も関係なく無差別に殺し回っている。

「街の治安部隊だ。この早さだと誰かが密告したか」

 数は戦っている者だけでも二十を超えていた。その後方には三十近い者が戦場に加わらんと走ってきている。

 瞬く間に、戦場が崩れてきた。

「撤退だ! 各自好きなように撤退しろ!」

 ギブライドの大声が響いた。途端に戦線が崩壊する。

「クライト! 私たちも逃げるぞ。河を超えるんだ」

 ナーノが走り出す。何が起こっている。分からないままにクライトはナーノを追った。他の者たちも同じように河を目指して駆けている。

「逃がすな! 殺してでも捕らえろ!」

 足音が八方から鳴っている。背後から断末魔が追ってくる。クライトの頭は真っ白になっていた。頭巾と外套を押さえた。

 河に足を踏み入れた。水が冷え切っている。全身に鳥肌が立った。対岸ははるか先だ。この水温では渡り切る前に凍え死んでしまう。

 逃げ切れるのか、躰が恐怖に支配される。

 しかし、確実に逃げ切る方法はあった。外套を脱ぐ。それだけで天の世界の人間であるクライトは、地の世界から弾き出される。

 それが、神隠しだ。

 地の世界の人間たちは、それを行う為に対岸の天の世界に行こうとしている。

 逡巡は一瞬だった。神隠しでその場は凌げても、運が悪ければ遠い場所に飛ばされて帰ってこれなくなる。それは、シアルを見捨てるも同然だ。できるわけがない。

 腰まで河に浸かった。外套は紐で止められている。頭巾だけを押さえて泳ぎ始めた。魔法を使って躰を温める。冷えて縮こまった躰が解れていく。

 進んでいるのか、いないのか。躰は動いているのか、いないのか。全てが曖昧だった。耳には水音だけしか届いてこない。無我夢中で泳ぎ続けた。

 指先が何かに触れた。また、触れる。今度は掌に当たった。無意識にそれを握り込む。

 石。意識が覚醒する。足が着いた。立ち上がって背後を見る。

 夜が明けようとしていた。河には泳いでいる人間が何十人もいる。それを、何艘もの船が引き上げて、時には殺していく。

「絶対に逃がすな!」

 声が聞こえた。幾つかの船が対岸に近づいてきている。弓を構えた者も乗っていた。

 対岸に矢が飛んできた。クライトは身を翻す。近くの林に突っ込んだ。

 前を走る男が外套を脱いだ。瞬間、男の姿が消える。神隠しだ。地の世界へ弾き飛ばされたのだ。もう天の世界に入っている。

 躰が重かった。クライトは水を吸った外套を投げ捨てた。

 無我夢中で走り続けた。林が消えて道が現れる。行商人の呑気な姿が眼に入った。

 もう安全なのか。

(ほら! 敵が直ぐ後ろにいるよ!)

 怖気が走った。道を横切り、正面の山林に飛び込んだ。枝葉や草木を弾き飛ばす。緩やかな傾斜を登っていく。

 イビの笑い声が聞こえた。からかうような声色だ。我に返り、クライトは振り返った。

 誰も、追ってきてはいなかった。

 イビを怒る気力も尽きていた。足を緩め、草木の短い場所に倒れ込む。荒い呼吸を繰り返した。汗が猛烈に噴き出してくる。

(あーあ、もう終わりか。まあ、今日はこれで勘弁してやるよ)

 息が整ってくると、クライトは仰向けになった。

 今まで動いていた人間が、血を流して倒れ、痙攣を始める。そして、二度と動かなくなる。幻覚が見えていた。今になって躰が震えてくる。

(武者震いとかじゃないの?)

 分からなかった。止めようとしても、躰は震え続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る