第7話 前触れ
クライトは、ペナン花売り場で毎日待機していた。
日毎に危険な顔付きの男が訪ねてきて、新たに仲間になったと挨拶していく。その誰もが歴戦の猛者らしく至る所に傷を負い、自分の躰の一部のように武器を扱って見せる。挨拶をしに来ただけなのに諍いが起こることも珍しくなかった。
これが、戦いか。
クライトは深呼吸した。浮ついた心身を落ち着かせる。
ギブライドとアストリートの争いを甘く見ていた。これから起こるのは喧嘩ではない。殺し合いだ。そこに、自分が加わるのか。
(ビビってるだけの癖に)
(当たり前だろ……)
(当たり前? 結果的に死人が出なかっただけで一人焼き殺してるも同然なのに、何をビビるの?)
胸を抉られた思いだった。
あの時、一思いに殺すどころか直接触れたくないばかりに、酷い焼き殺しを選んだ。
レスダムールが死ななかったことなど結果論だ。行為そのものになんら違いはない。今更怖気づくのもおかしな話だ。
ペナン花に関わるギブライドとアストリート、フォニーとの約束。選択そのものは間違っていない筈だ。
シアルを助ける。頭にあるのはそれだけで良い。
(もうシアルは死んでるかもしれないけどね)
(生きてる)
(はい根拠なしー。シアルはもう死んでるー)
イビが笑う。頭が熱くなる。クライトはイビを掴もうとした。しかし、触れない。
(残念でしたー。魂であるウチには触れませんよーだ)
イビを構っても仕方ない。イビが何か言っているが反応はしなかった。
「ちょっと良いか」
ギブライドの部下が話しかけてきた。ブソルが博奕札から顔を上げる。
「どうしたってんだ」
「今顔見知りの娼婦が来てな、一緒に歩いていた客がアストリートのとこに絡まれたらしい。ちょっと俺と一緒に来てくれないか」
「良いぜ」
とにかく躰を動かしたい気分だった。イビも興奮して騒いでいる。
「俺も行きます」
頷き、ギブライドの部下が走り出した。クライトとブソルは後を追う。
着いたのは近くの小道だった。細面の男を三人の男が囲んでいる。
「おい、そいつに用があるのか」
ギブライドの部下が言う。男たちが振り向いた。細面の男の肩は二人に掴まれている。
「これはこれは、ギブライドさんとこの人たちですか。何か用でも」
「いつでもいけるぜぇ」
ブソルが囁く。ギブライドの部下は目配せし、一歩前に出た。
「そいつはうちの売人だろう。ちょっかい出すのは止めてくれないか」
「知ってますよ、それで?」
ギブライドの部下が舌打ちした。
「止めろって言ってるんだよ。それとも何か、頭が戦争するよう指示したのか。それならこっちだって必要な手は取らせてもらうぞ」
「いいや、そんな指示は出てませんよ。これは俺たちが勝手にやってることですから」
「だったらここで引き下がってくれるか。仲良しってわけじゃねえんだから、今の内に穏便に済ませよう」
(何言ってんだごらあ! 良いから刺せよ、ほら早く。お前が持ってる獲物は飾りか、ああっ? とりあえず突っ込んじまえよ!)
男たちが一斉に笑った。
「どうやらちょっとした行き違いがあるようで」
「どういう意味だ」
「俺たちは別にこいつをいじめてるんじゃないんですよ。こいつは元々、俺たちの薬を捌いてましてね。仕入れた薬を捌いてその売り上げから薬の代金を払う、つまり借金して薬を手に入れてたんですよ。その借金がまだ残ってるから俺たちが回収しに来た。こういうことです。事情は分かって貰えましたか」
「本当か?」
細面の男は震えながら頷いた。男たちが薄笑いを浮かべる。
「まあ、この通りです」
「信じられないな」
「そんなこと知りませんよ。こっちには正当な理由があるんですから役人を呼んで来ても構いませんよ。待ちませんけどね」
「ふざけんなよ!」
ブソルが怒鳴った。男たちが身構える。慌てたように細面の男が金を取り出した。それを、隣の男が奪い取る。
「少ねえが今日のところは帰ってやる。次もちゃんと用意しておけよ」
男たちが笑いながら去っていく。ブソルが追おうとした。イビが拳を突き上げて歓声を上げる。
「止めろ! もういい。俺たちが勝手に騒ぎを起こすのはまずい」
毒吐き、ブソルは足を止めた。イビが落胆する。ギブライドの部下は口を開いた。
「今のは本当にただの借金取りだったのか」
細面の男はおっかなびっくり頷いた。
「そうです。助けようとしてくれたのは感謝します。でも騒ぎを起こすのは勘弁してください。そうなるとその場にいた俺も報復を食らうんですよ」
そう言って、細面の男は逃げるように走っていった。
「糞が!」
ギブライドの部下が民家の壁を蹴り付けた。
早朝の街の入り口は騒がしかったが、ペナン花売り場は静かだった。
屋台の周りには穴が開いたように空間が広がり、客が一向に近寄ってこない。両隣の店も煽りを食らってペナン花売り場から距離を置き、一番近い屋台でも数軒分の隙間が空いていた。
いつもは表に出ているギブライドが屋台の裏に下がってくる。賭博札を弄っていたブソルが笑みを浮かべて賭博札を掲げた。
「息抜きにやっか」
「何にも溜まってねえよ」
笑い、ギブライドは椅子に座る。ナーノが顔の前に短剣をかざした。
「私たちならいつでも準備は出来てる」
「まだだ。まだ早い」
「そうか。雇い主がそう言うなら意見するつもりはない」
「俺は良くねえぞ!」ブソルが賭博札を地面に叩きつけた。「見ろよ。アストリートを怖がってペナン花を買いに来る奴が激減してるじゃねえか。このままいけば俺たちが大儲けする前に大将がやられちまう」
ナーノは短剣を納め、腕を組んで眼を閉じた。
「その時はその時だ。私は少し寝る。話しかけるな」
「もう良い。大将、どうすんだ? このままだとあんたも困るだろ」
ギブライドは悠々息を吐いた。
「落ち着け。どう転ぼうが金は必ず払う」
「口約束に何の価値がある。何人かの売人は大怪我させられたらしいじゃねえか。上手く乗り切ったとしても立て直すのは不可能になんぜ」
ギブライドの眼が鋭くなった。イビが気を惹かれたように声を上げる。
「良いから落ち着けよ、ブソル。今は勝つ為の準備を進めてるところだ。もうすぐ矛は抜く。だからまだ大人しくしてろ、良いな」
「……間違いなく、もうすぐなんだな」
「もうすぐだ」
ブソルは押し黙った。気を静めるように、賭博札を素早く繰り始める。イビは短く笑ったが、溜息を吐いた。
(どうせ嘘嘘。最初にそれ言って何日経ったんだよ、ハゲの分際で偉そうにしやがって)
翌朝、ペナン花売り場は騒々しい喧噪に包まれていた。
組み立て式の粗末な屋台は跡形もなく、そこには大きな掘立小屋が立っている。そのたった一日での店の様変わりが人を呼び、ペナン花が久しぶりに良く売れていた。
「これは失敗だったかな」
掘立小屋の休憩室にいるナーノが、隣にいるクライトを見て呟いた。その正面では傭兵たちが店頭の賑わいに負けじと賭博に盛り上がっている。
「どうしてですか」
「客を良く見ると良い。役人が混じってる」
店頭に視線を向けると、遠巻きからペナン花を売り場を窺っている者を一人見つけた。あからさまに警戒している風ではないが、片時も眼を離そうとしない。
「あれは役人が警戒して様子を見に来ているんだよ。必要なことだったとはいえ、これで動き難くなった」
クライトは態度に出さずにほっとした。戦いが起き辛くなったのは悪いことではない。イビが溜息吐きながら首を振る。
(毛根が駄目な奴は何やらせても駄目だな)
「これからどうなるんですか」
「さあね。それは分かっていた筈だから何か手を用意しているとは思う。何にせよ、私たちは大人しくしているしかない」
陽が昇って少しすると店頭が落ち着いてくる。繁忙時も過ぎて辺りが閑散としてきた頃、ギブライドとブルタックが店の奥に入ってきた。
「あの人たちは何ですか」
ブルタックの眼が賭博に興じる傭兵たちに向けられる。傭兵たちはそれに気付かず平然と金のやり取りをしており、ギブライドも堂々と答えた。
「商品を運んできた店の者です。躰を動かして疲れているので休んでもらっています」
「……そうですか。身内で遊ぶ分には構いませんが、客などは呼ばないように」
「分かっています。それで、どういった用ですか」
「店が変わったとの報告を受けて見に来ました。ここ最近は不景気だと聞いていましたが、そうでもないようですね」
ギブライドは苦笑した。
「あまり声を大きくしては言えませんが、不景気なのは事実です。そこで現状を打開しようとして、この建物を造ったというわけです」
「そうですか。商売をするのも大変なようですね」
「いえいえ、どんな職業にも苦労は付き物ですから。それで話は変わりますが、この建物は法に触れないんでしょうか」
ブルタックは無表情に屋内を見回した。
「今のところは問題ありません。ただし、今後似たような建物が増えてくると、火事の恐れから何らかの処置が必要になってくると思います」
「それは良かったです。どうですか、一つ買っていきませんか。安くしますよ」
「結構です。薬に興味はありませんので」
「では食事に行きませんか。天側に良い店があるそうですよ」
「それも遠慮します」
また、ブルタックは店内に視線を巡らせる。しばし無言が続き、傭兵たちの野卑な歓声が場を満たした。
「最近、不穏な空気になっているのはご存知ですか」
ブルタックが声を抑えて言った。ギブライドは微かに眼を瞠る。
「いえ、知りませんでした。何分あまり街には入りませんから。今日は役人の姿を多く見かけますが、それが原因ですか」
「そうです。理由はまだ分かっていませんが、柄の悪い連中が増えているとか。噂ではアストリートの名やあなたの名前も挙がっています。本当に、何も知らないので?」
ギブライドは涼しい顔で大きく頷いた。
「はい、全く。おそらくうちとアストリート殿が商売で競っていることから、そのような噂が生まれたのでしょう。しかし知っての通り、アストリート殿との交渉は継続中です。一度目で決着しなかったもののお互いに歩み寄りの姿勢を見せました。それがどうして、いきなり暴力に訴えるんですか」
「理屈は結構です、こちらにはこちらの考えがありますから。ともかく、しばらくは見回りを強化するので商売仲間にもよく言っておいてください。身に覚えのない罪で詰問されるのも面倒でしょう」
フォニーのことが頭に浮かんだ。フォニーがもし捕まってしまえば、ソーウィンにペナン花を渡した女の情報は聞けなくなる。
ギブライドは微笑み、浅く頭を下げた。
「そういうことでしたか。忠告感謝します」
「くれぐれもお気を付けください」
最後にもう一度賭博に熱中する傭兵たちを見やって、ブルタックは店を出ていった。
「ちょっと外します」
クライトはペナン花売り場を後にした。フォニーが良くいるという路地に走っていく。
耳覚えのある歌芸人が役人に問い詰められている。他にも似たような光景がいくつも眼に入った。フォニーは無事だろうか。焦燥感がクライトの足を速くする。
程なくして、壁に背を預けて退屈そうにしているフォニーを見つけた。その身に纏う外套は薄汚れているが、乱暴を受けた形跡は見えない。
良かった。フォニーはまだ無事だ。クライトはフォニーの眼の前で足を止めた。
「役人が眼を光らせているのは知っていますか」
フォニーの視線が上がる。その瞳は、泥のように濁っていた。
「……知ってるから、ここで大人しくしてるんでしょうか」
(あぁっ、存在がむかつくんだよ!)
イビがフォニーを殴る。思ったより騒ぎにならない最近の鬱憤を晴らすように執拗に殴る蹴るを繰り返す。
「見回りはまだしばらくありそうなので気を付けてください」
フォニーが舌打ちした。
「分かってる。それで、何かないの?」
「何かとは?」
「何か持ってないかって聞いてんだよ!」
何故、こんな女の借金を返さなければならないのか。
苛立ったが、フォニーを殴り続けるイビを見て堪えた。フォニーから買ったペナン花を煮詰めたものを入れた小瓶を思い出して、懐から取り出す。
「それ私のだろ。まあいい、寄こせ」
小瓶を奪われる。フォニーは乱暴に蓋を開けて一息に呷った。深く息を吐き、小瓶を放り投げる。少し、その表情が柔らかくなった。
「もう行って良いよ、お兄さん」
フォニーはどう見ても麻薬中毒に陥っていた。依然からそうなのかは知らないが、この調子ではいつ役人に連れていかれるか。
「あまり何度も言いたくはないですけど、役人には気を付けてくださいよ」
「身の程は弁えてるから。それに役人が見てるのは男だけ。女の私はあいつらから距離を置いていればいつも通りだって」
(なら駄目じゃねえか男女!)
「……分かりました。気を付けてください」
不安は消えなかった。
しかし、念を押したところでフォニーが不機嫌になるだけだ。万が一フォニーの機嫌を損ねれば、約束を反故にされる恐れがある。それは絶対に避けなければならない。
忠告はこの程度に留めて退くしかないだろう。クライトはペナン花売り場に戻った。
あれだけ騒がしかった休憩室が、嘘のように静まり返っていた。
ナーノが独りで短剣を手入れしているだけで、ギブライドや傭兵たちは姿を消している。
「何かあったんですか」
ナーノは窓から入る光に短剣をかざし、様々な角度でためつ眇めつ具合を確認する。
「いつでも戦える準備をしておけ、だそうだよ」
「またですか」
「いや、今までとは違う。ギブライドさんは近日中にやると明言していた」
戦いが始まるのか。
胃を鷲掴みにされた感覚がした。イビが嬉しそうに飛び回る。
(やっぱりハゲって最高だわ! 毛を犠牲にした分他がしっかりしてやがる)
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