第4話 ペナン花

 街の地側の入り口は農作物が多く並んでいた。まだ陽は高いのに疲れた様子で帰り支度をしている店が多く眼に付いて、店の人間も買い物客もほとんどが平服姿を採っている。

 しばらく歩いていると、花屋のような屋台を見つけた。

 店頭には赤い花が並べられ、奥には茶色の小瓶や乾燥した赤い花弁が置かれている。二人いる店の関係者は、どちらも屈強な躰付きをしていた。

「すみません、少し良いですか」

 平服姿の禿頭の男が億劫そうに視線を上げた。

「どれが欲しいんだい?」

「いえ、人を探してるんです」

 男の眼に気力が戻った。その禿頭を、イビが奇声を上げて撫で回す。

「面白そうだし、この時間は暇だから付き合ってやるよ。誰を探してるんだい?」

「ソーウィンという人にペナン花を渡した女の人です」

「ソーウィンってあの、天側の変態医者か」

 変態かどうかは知らないが変人ではある。それにソーウィンという名の医者は、この街で一人だけの筈だ。

「そうです、そのソーウィンです」

「なるほどな。そいつならたまに買いに来るよ。手術用にとか言ってどかっと買っていく。でも、そいつにペナン花を渡した女が誰かは分からねえな」

「何故ですか」

「俺たちは基本、ペナン花を集めてこの街に持ってくるまでが仕事なんだよ。相手にするのは一部の好き者を除けば、また誰かに売ろうっていう連中だ。そいつらが誰に売ったかまでは、流石に把握してねえ」

 落胆はない。予想できていた答えだ。

「他にペナン花を売っているところはありますか」

「なくはない。ペナン花は地の世界じゃどこででも手に入る物だしな。ただ、商売敵を紹介するわけにはいかねえな。まあ、この街で出回ってるのはほぼうちの商品だけどな」

 禿頭の男が低い声で笑う。もう一人の男は退屈そうに通行人を眺めていた。

「そういうわけで協力はできねえ。それでも気になるっていうなら、明日の早朝ここに来な。その時間が一番人が集まるから、探してる奴も見つかるだろう」

(やっぱりハゲって凄えわ)

 イビが男の禿頭を叩く。これでまた一つ進展した。クライトは男に一礼する。

「分かりました、また明日来ます」

 翌日、クライトは夜が明ける前にペナン花の業者を訪ねた。

 辺りはまだ薄暗いが、活気は昨日より溢れていた。そこここから威勢の良い声が上がり荒々しく開店準備を整ている。ペナン花の業者にも屈強な男が十人近く集まっていた。

 クライトが屋台に近づいていくと、禿頭の男が笑顔で手を挙げた。

「よう、兄ちゃん。早く来てくれて良かったぜ。もう少し遅くなったら相手もできなくなってたところだ。奥に椅子を置いてるから、そこで勝手に人探ししてくれ」

(うむ、良きには計らえ、ハゲ)

「ありがとうございます」

「良いってことよ。ただ、誰も構ってやれねえからな」

 もう一度礼を言い、クライトは屋台の裏にある椅子に座った。

 程なくして、太陽が頭を見せた。

 俄かに騒がしくなってきた。水がしみ出すように辺りは客に満ちていき、ペナン花の屋台にも客がやってきた。その人数は周りより少ないが、一度に相当量のペナン花を買っていく。太陽が全身を現してからは小量のペナン花を買いに来る者が増えてくる。ほとんどは男の客だが、時折娼婦らしき女も訪れていた。

(ねえ、そもそも女って手掛かりしかないのに、何をどうするの?)

(だからって、ただ見てるわけにも行かないだろう)

 その時、一人の女がペナン花を買いに来た。

 頭巾を深く被り、片手は外套の首元を握り締めている。それは、異世界から弾き出されないように気を付ける人間特有の仕草だ。あの女は天の世界の人間なのか。初めに話を聞くのは、同じ天の世界の人間の方が都合が良いかもしれない。

 茶色の小瓶を一つ買い、女は屋台から離れていく。クライトは女の行先を注視して待ち、少ししてから後を追った。

 女の足取りは軽い。微かに鼻歌が聞こえてくる。人通りが少なくなった頃に声を掛けた。

「すみません、聞きたいことがあるんですが」

 鼻歌が止んだ。女は振り返り、訝しむようにクライトを見上げる。

「何、急いでるんだけど」

「ソーウィンという人に、ペナン花を渡した女の人を探しているんですけど」

「知らない」

 その化粧の濃い顔に、苛立ちが表れた。

「ソーウィンという人は知ってますか」

「知らないって言ってるでしょうが」

 舌打ちをして女は去っていく。イビが空中で地団太を踏んだ。

(厚いのは化粧だけにしとけよ!)

 一度目で成果が出るとは思っていない。クライトは来た道を戻った。

 それにしても、手掛かりが少なすぎる。

 今までペナン花を買いに来た女は娼婦風の女ばかりだった。目的の女が誰からペナン花を手に入れたのかは分からないが、娼婦たちに聞き込みをするのが賢明だろうか。とは言え、この広いガシェーバの街を歩き回るわけにはいかない。どこかに娼婦を管理している者がいる筈だ。

 ペナン花の屋台に戻ってくると、禿頭の男が屋台の裏で一息吐いていた。

「ちょっと良いですか」

 男は声を出そうとして、喉の調子を整えるように咳払いした。

「ちょっと喉を使い過ぎてな」

「大丈夫ですか」

「いつものことだ。で、何だ?」

 娼婦を管理する者の話を聞こうとして、見覚えのある女がクライトの視界に過った。

 あの時の少年のような躰をした娼婦だ。頭巾付きの外套で分かり難いが間違いない。

 まだ屋台にペナン花は残っている。例の娼婦は雑踏に消えようとしている。娼婦を管理する者は娼婦に聞いた方が早いだろう。

「すみません、また後で聞きます」

 返事を待たずに娼婦を追った。

 娼婦は雑踏を器用に縫っていく。クライトは人にぶつかりそうになりながら進んでいく。何度か呼びかけてもクライトの声は雑踏に呑み込まれ、娼婦に届いた様子はなかった。

 娼婦が街に入った。人通りが若干落ち着く。クライトは足を速めた。娼婦が路地に踏み入っていく。少し遅れてクライトも路地に飛び込んだ。

 人通りが極端に減った。娼婦が直ぐそこの角に消える。クライトは走って角を曲がろうとした。

 小さな悲鳴が上がった。

「突然何!」

 あの娼婦の声がした。クライトは角の手前で立ち止まる。

「つれないこと言うなよ、元商売相手だろう。元、な」

 男の笑い声が聞こえる。別の男が言った。

「そうそう。元、商売相手。つまり、気を使う必要のない相手ってわけだ」

「……脅そうってわけ?」

 娼婦の声は震えていた。クライトは角から顔を出す。

 服を着崩した二人の青年が、あの娼婦を壁際に追い込んで囲んでいた。

「脅すなんてそんなそんな。俺たちは、お前があいつらの薬を贔屓にするようになった理由を聞きに来ただけだよ。今後の商売の役に立てようってな」

「まあ、どこに聞くかは俺たちの気分次第だけどな」

 男たちが大笑いした。娼婦が視線を巡らせ始める。咄嗟に、クライトは身を引こうした。

「待って、あの時のお兄さんでしょ!」

 娼婦が叫んだ。男たちが険しい眼をクライトに向けてくる。一人が短剣を取り出した。

「何見てんだ、ガキ」

 娼婦が縋るように見てくる。イビが声を上げて笑った。

(見捨てちゃえ見捨てちゃえ。良い気味だざまあみろ。人の弱みに付け込んで金せしめてるからそんな目に遭うんだよ。ぼっこぼこにされちまえ!)

 助ける義理はなかった。他にも娼婦はいる。あの女である必要もなければ、面倒に巻き込まれている余裕もない。

 何も言わず、クライトは角に下がった。

「待って! 私はあんたの捜してる女を知ってる。それでも見捨てるの!」

 娼婦が叫ぶ。それを男が怒鳴りつける。娼婦の言葉に何一つ根拠はない。

 それでも、娼婦を見捨てることはできなくなった。

 クライトは角を飛び出した。男たちが振り返る。

「なんだやんのか! ガキが粋がってんじゃねえぞ!」

「ぶっ殺して飾んぞ!」

 男たちが向かってくる。娼婦が逃げようとする。クライトは右手を突き出した。

 魔法を発動する。

 男たちが、勢い良く壁に叩きつけられた。娼婦が足を止めて眼を丸くしている。

 ややあって、男の抑えた笑い声が聞こえた。

「……魔法使いなら、先に言ってくださいよ」

 卑屈な笑みを浮かべて、男の一人がゆっくり立ち上がった。もう一人は地面にうつ伏せて微動だにしていない。

「起きろ!」

 仲間の腹を蹴り上げた。呻き声を漏らし、蹴られた男が動きを見せる。蹴った男がクライトに眼を向けた。

「これで勘弁してもらえませんか。まだ手は出してませんし、ねえ?」

(殺しちまえよ)

 イビが上気した声で囁く。クライトは手は下ろした。

「早く消えてください」

「感謝しますよ」

 男は仲間に肩を貸して去っていく。それを娼婦は警戒してちらちらと見ながら、クライトに歩み寄ってきた。

「お兄さん、魔法使いだったんだ」

 そう言って伸びてくる手を、クライトは遮った。

「そんなことよりさっきの話を聞かせてください」

「知ってるとは言ったけど、教えるとは言ってないよねえ」

 娼婦は後ろで手を組み、上体を左右に揺らし始める。その顔面をイビが強打した。

(分かってたぜ糞女! 早く漏らして真っ当な女になれよ!)

 そんなことだろうと思っていた。この娼婦が本当に情報を持っているかも怪しい。だが、絶対とは言い切れない。クライトは微かに沸いた怒りを静める。

「俺が助けないと、大変な目に遭っていたんですよ」

「それはそれ、これはこれ。助けたのはお兄さんの判断でしょ?」

(拷問だ拷問、ひいひい言わせてやれ!)

 イビが娼婦を乱打する。娼婦は悠然と笑んでいる。主導権を持っている娼婦だ、従うしかない。クライトは息を吐いた。

「……何をすれば良いんですか」

 娼婦は後ろの組んだ腕を解き、胸に左手を置いた。

「私の名前はフォニー。お兄さんには私の借金を返してほしいの」

「いくらですか」

「百万は優に超えてる。多分だけど、お兄さんに払える額じゃないでしょう」

 所持金はその十分の一だ。後々のことを考えても払える余地すらない。

「無理です」

「でも、お兄さんは魔法使い。その力を使って戦ってほしいの」

 戦い。クライトは胃が縮むのを感じた。イビが娼婦を殴る手を止めて笑い出す。

「どういうことですか」

「さっき絡んできたのはアストリートのところの下っ端でさ。このアストリートってのが麻薬を扱ってる組織なの。それで、最近この街に来てペナン花を安く売り始めたあの業者と、一悶着起きそうな感じになってるってわけ」

「さっきのもその一環ですか」

「そう。売人を脅して売り上げを下げようって嫌がらせしてるの。馬鹿みたいでしょ?」フォニーは鼻で笑った。「まあそういうわけだから、近々争いになるかもしれない。それで業者の方でも戦える人間を欲しがってる。魔法使いのお兄さんにはそこで働いてもらって私の借金を返す。そうしたら私も情報を話す。これでどう?」

 百万ものを大金を短時間で稼ぐには、傭兵か盗みをするしかない。これは願ったり叶ったりの状況だ。クライトはそう自分に言い聞かせる。

「本当に、ソーウィンにペナン花を渡した女を知っているんですよね?」

「なら話はここまで。助けてくれてありがとう」

 完全に足元を見られている。フォニーが本当に女の情報を握っているかは分からない。しかし現状、手掛かりは皆無に等しい。

 多少怪しくても、フォニーを逃がすわけにはいかなかった。

「……分かりました。でも、向こうが俺を受け入れますか」

「ついて来て、私が話を通すから」

 ペナン花の業者のところに行くと、フォニーは禿頭の男と話し始めた。喧噪は少し落ち着いている。しばらくして、禿頭の男がクライトに言った。

「兄ちゃん、魔法使いなんだってな。ちょっと見せてもらえるか」

「何をすれば良いんですか」

 禿頭の男は隣の店から瓜を買ってきた。

「これに使って見せてくれ」

 瓜を投げてくる。クライトは魔法で受け止め、一瞬で握り潰した。水っぽい果肉が辺りに飛び散る。男は感心したように声を漏らした。

「発動が早いな。天法か? 地法か?」

「天法? 地法?」

 聞いたことのない言葉だった。気が逸れた拍子に魔法が解け、潰れた瓜が地面に落ちる。

「なんだ、魔法使いなのにそんなことも知らないのか」

 天法、地法、なんだそれは。魔法の分類なのか。

 そんなことレスダムールは何も言っていなかった。隠していたのか。ならば何故隠していた。それとも、必要がなかったから言わなかっただけなのか。

 禿頭の男が不思議そうに見てくる。今疑われるのはまずい。誤魔化さなければ。

「師匠が実技主義だったので」

 禿頭の男は唇の端で笑った。

「良い師匠だな、気が合いそうだ。要は魔法の分類だな。天の世界の人間が使うのが天法。地の世界の人間が使うのが地法。分かりやすいだろ? 俺は魔法使いじゃねえんで違いは知らねえけどな。まあ、同じことができるらしいから呼び方の問題だろ」

 それをレスダムールが隠す意味は思い浮かびそうにない。必要がないから口にしなかっただけか。シアルに呪いの魔法を掛けた理由に比べれば、気にするほどでもないか。

「なら俺は、天法使いということですか」

「そういうことになるな。天側の人間なら頭巾と外套が脱げないように気を付けてもらえば、こっちとしちゃ文句はねえ」

 そわそわと事態を見守っていたフォニーの顔色が、ぱっと明るくなった。

「ねえ、それはつまり」

「兄ちゃんがしっかり働いてくれればお前の借金はちゃらってことだ、フォニー。兄ちゃんと自分の強運に感謝するんだな」

「分かってるよ。じゃあお兄さん、仕事が終わったらまた会おうね」

 フォニーが手を振って雑踏に消えていく。その背中を一瞥し、禿頭の男は鼻を鳴らした。

「いけすかねえ奴だ。まあ良い。さて兄ちゃん、自己紹介といこうか」

「クライトです」

「俺はギブライド、ここの頭だ。よろしくな」

(頭ってどっちの意味かな)

 イビがギブライドの禿頭を叩く。クライトは頭を下げた。

「よろしくお願いします。それで、アストリートとはどんな感じになってるんですか」

「一応、話し合いで済ませようとはしてる。ただ、どうなるかは分からねえな。嫌がらせは続いてるし、血が流れる可能性は十分にある」

 胃の痛みがぶり返してくる。イビが嬉しそうに口笛を吹いた。

「とりあえずまた明日来てくれ。他にも二人、お前と同じ戦闘員がいる。まずはそいつらと挨拶してくれ」

「……分かりました」

 クライトは宿に戻ろうとして、ふと、疑問を覚えた。

 レスダムールは明らかにペナン花を追わせようとしている。そして、ギブライドはこの街のペナン花の流通を牛耳っている。この両者は果たして、無関係なのか。

「この街で商売を始めたのはいつ頃からなんですか」

 屋台の店頭に戻りかけたギブライドが振り返った。

「半年ぐらい前からだな。それがどうした」

「それまでペナン花の流通はどうなっていたんですか」

「どうもなにも、アストリートたちが仕切ってたんだよ。だからペナン花を安く売り捌く俺たちと、こうして衝突しそうになってるってわけだ」

 強ち、フォニーの約束を守るのも悪くないかもしれない。

 フォニーが嘘を吐いていたとしても、ここにいれば自ずとソーウィンにペナン花を渡した女の情報は集まってくるだろう。

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