第3話 ガシェーバの街

 ガシェーバの街に入ろうと列を成している者は、例外なく頭巾付きの外套を纏っていた。車を引く馬や牛も似たような恰好をさせられている。

 街の入り口に立つ門番が、クライトの外套姿を見回して頷いた。

「問題ありません。この街は初めてですか?」

「いえ、何度も来ています」

「そうですか。では、街の地側に行く際だけはくれぐれも格好にお気を付けてください。大体はこちらに飛ばされるだけで済みますが、運が悪いと世界の間に閉じ込められて帰ってこられなくなります」

 クライトのような天の世界の人間が地の世界に行くには、頭巾付きの外套を着ている必要がある。これは逆も同じだ。その恰好をしていなければ世界に弾き出され、どことも知れない場所に飛ばされる。

 それが、神隠しだ。

「では、ガシェーバを楽しんでいってください」

 クライトは頭を下げ、ガシェーバの街に入った。

 頭巾付きの外套は、天の世界と地の世界に跨るこの街の正装だ。外套姿を纏った雑踏を通り抜けて、人気の少ない路地に入る。客人は減って現地の人間ばかりになり、ほとんどは平服姿に変わった。

(シアルを置いてきて良かったの?)耳元を飛ぶイビが半笑いで言った。(クライトをシアルから引き離すのが本当の目的だったかもしれないのに)

 また始まった。

 街に着くまでの一日間、イビはずっとこの調子だった。答えても疲れるだけなのはもう分かっている。クライトは無言で古びた宿に入った。

 薄汚れた中年の女将が、勢い良く椅子から立ち上がった。

「いらっしゃい」

(油断してんじゃねえよ!)

 イビが女将の顔に蹴りを入れる。しかし、イビは誰にも触れられない存在だ。女将は反応を示さず、ぎこちない愛想笑いを浮かべている。

「とりあえず素泊まりで十日泊めてください」

 一瞬、女将の顔が歪んだ。イビが女将の顔面を乱打する。

「当然、前払いですよ」

(何様のつまりだこら!)

「それで構いません」

 要求された金を払い、奥に案内される。客室は二つしかなく、一つは扉が壊れていた。女将は言い訳をしながら無事な方の扉を開ける。

「何か用があれば、気兼ねなくおっしゃってくださいね」

 女将は逃げるように受付に戻っていった。部屋には埃が積もり、備品は布同然の寝具が一つしかない。それも補修の跡が縦横に走り、多くが解れていた。

(最悪、ほぼごみ箱)

 イビが顔を引きつらせて部屋を飛び回る。クライトは床に腰を下ろした。

 埃が、一斉に舞い上がる。宿は雨風を凌げれば十分だ。クライトは落ちてくる埃に包まれて、足腰に溜まった疲労が抜けていくのをぼんやり感じていた。

(あぁ! クライトが判断を間違ったから今頃シアルが大変な目にー)

 とうにイビの脅しは聞き飽きている。それでも胸が騒いだ。

(うるさい)

 イビが笑みを浮かべて、クライトの眼の前で止まった。

(同じこと思ってるくせにー)

 イビを睨みつけた。

(なら、どうしろって言うんだよ! 病弱のシアルを連れてくるわけにいかないし、連れて来たところで危険なことに変わりはない。それに村にはシアルの両親がいる。無防備ってわけじゃないだろ。これ以外に方法はなかった。そもそも、俺がシアルから離れるのなんて今まで何度もあっただろう。今更どんな危険がある?)

(最後のは、クライトが勝手に思ってるだけだけどねー)

 付き合っていられない。クライトは溜息を吐いて立ち上がった。

(どこ行くの?)

 黙って宿を出た。イビが小蠅のように飛び回る。

(ねえ、どこに行くの? 教えてってばー)

(俺の分身なら分かるだろ)

(だから自我は別なんだって。教えてくれたら大人しくしてるからさー)

 イビが視界に覆い被さってくる。話して静かになるとは思えないが、あまりにも鬱陶しかった。

(手掛かりは呪いの魔法を抑える薬だけだ。その移動経路を調べに行く)

 シアルに掛かった呪い魔法の効力を抑える為、クライトはレスダムールの指示に従って何度もガシェーバの街に来ている。

 しかしそもそもが、レスダムールの自作自演だった。

 あの薬に呪いの魔法を抑える効果があったのかは怪しいが、そこは問題ではない。このガシェーバとレスダムールを繋ぐ接点はあの薬だけだ。状況から考えても、レスダムールはあの薬を追えと言っている。それなら、薬を追う以外の道はないだろう。

(ふうん、がんばってね)

 つまらなそうに言い、イビは黙って視界から消えた。

 イビは気まぐれだ。行動に意味を求めても疲れるだけで良いことはない。クライトは路地をしばらく歩き、町外れの近くにある二階建ての民家を訪ねた。

「研磨さん、いますか」

 少しして、澄んだ男の声が返ってきた。

「ご自由にどうぞ」

 クライトは中に入り、大小無数の石が置かれた廊下を進んでいく。南に面した部屋の扉を開けると、丸まった厚い背中が見えた。

「お久しぶりです」

 物を置く音がして、厚い背中が振り返る。

「久しぶり、一年ぶりかな?」

 言いながら、ソーウィンは肉厚な手に付いた白い粉を落としていく。イビは首を傾げて卓に下り、卓に並んだ小さな石球を眺め始めた。

「話があるんですが、少し良いですか」

「良いよ。別に急いでないし」

「去年貰ったものについて聞きたいんですけど、あれは誰かから頼まれたんですよね。その相手を知りたいんです」

 ソーウィンは無精髭を撫でた。白い粉が、顎にうっすら広がっていく。

「ああ、あれね。悪いけど誰かは分からないよ。作業しながら適当に聞いてたし、相手は頭巾を深く被ってたから顔もほとんど見てない」

 ソーウィンはレスダムールの仲間かもしれない。その言葉は鵜呑みにできなかった。

「本当ですか」

 ソーウィンは微笑した。

「もしかして疑ってる? 何があったかは知らないし聞かないけど、かばう程の金は受け取ってないよ。仲介というよりはほとんど保管してただけだったしね。ただ、女なのは間違いない。声も身長も女のものだったからね」

 断言はできないが、ソーウィンは利用されただけだろう。というよりその女の方が怪しい。しかし、その女の情報は皆無に等しい。当初の予定通り薬を調べていくしかないか。

「研磨さんは、具体的にあの薬が何か知ってますか?」

「うん、ペナン花だよ。こっちにはないけど、地の世界じゃ当たり前のようにどこにでも生えてる花だ。需要は結構あるから街の地側に行けば簡単に手に入る」

「どんな効能があるんですか」

「口にすると軽い興奮作用がある。まあ、一種の麻薬だね」

「麻薬」

 胸が詰まった。自分は今まで、そんなものをシアルに飲ませていたのか。

(慣れって怖いねえ!)イビが弾かれたように飛び上がった。(最後は確かめることすらしなくなるんだから。馬鹿なクライトのせいで、可哀想なシアルは麻薬中毒に)

 イビが泣き真似する。ソーウィンは笑いながら手を振った。

「勘違いしてるみたいだけど、あれはかなり軽いものだよ。それなりの量を使わないと効果は出ない。あの時の量なら食事に好物が出て嬉しくなったとか、その程度かな」

 だからと言って安心できるわけがない。だが、自分を責めている場合でもない。自分自身への苛立ちを抑えて、クライトは口を開いた。

「そのペナン花に副作用とかはあるんですか」

「使い続ければ軽い依存症は出るだろうね。ただ、その程度だ。それも一年ぐらい毎日使ってようやく出る程度。ペナン花は俺も患者の痛み止めとして使うから信用してもらって良いよ」

 思い返せば、変化があったのはシアルの病状だけだ。おそらく、レスダムールが薬の投与に合わせて呪いの魔法の効力を弱めていたのだろう。

 ソーウィンの言葉は信じて良いか。イビが落胆したように卓に降りていく。

「他に聞きたいことはあるかな」

「いえ、ありがとうございました」

 ソーウィンは笑み、卓の上から小さい石球を取った。

「感謝するならこれを宣伝しといてよ。安心安全、手早く簡単に埋め込みますって。冷めた夫婦仲もこれで一発元通り。頼んだからね」

「暇があればそうします」

 愛想笑いを返してクライトは外に出た。イビが後ろ髪を引かれるように付いてくる。

(あんなのが男は好きなわけ? 女のウチには分かんなーい。いや、好きなのは女の方なのか。まあどっちでも良いや)

 ふと、気になった。イビは自分の分身と言うが、それにしては似ていない。焼き印に関しての説明も、レスダムールの嘘が混じっているのではないか。

(俺の分身なのに女なのか?)

(女だよー、一応。そもそも分身って言っても、根っこはクライトとは違う魂の寄せ集めなわけだし)

(それもそうか)

 考えて答えが出る問題でもないか。今は考えるだけ時間の無駄だろう。

(それで、これからどうするの? 手掛かりはなくなったけど。口にしてみると面白いね。笑って良い?」

 瞬間、イビが笑い始める。クライトは溜息を吐き、民家の壁に背を預けた。

 イビの言う通り、手掛かりらしい手掛かりは途絶えた。

 過去五度、レスダムールの指示に従ってガシェーバの街に薬と称する物を買いに来ている。その五度とも薬の原材料は違い、去年のペナン花以外は街の行商人から買っていた。四度目までの原材料は簡単に手に入るもので、探ったところで成果は出ないだろう。

 やはり明らかに、ペナン花を追え、と言われている。

 しかも、レスダムールはおそらく地の世界の人間で、ペナン花も地の世界産だ。罠であろうが街の地側に向かうしかない。

 クライトは街の中心部に歩を進めた。

 急速に喧噪が増していく。空気も地面も震えていた。建物の壁が人間の壁に変わっていく。大通りを走る馬車や牛車が騒音を撒き散らし、両端の商人が滅多矢鱈にがなり立てる。イビの興奮した声だけが明瞭に聞こえていた。

 騒々しいのはどうにも苦手だ。速足で街の境目に向かう。間もなく、街を貫く河が見えてきた。橋番に通行料を払って橋を渡り、地の世界に足を踏み入れる。

 直ぐに、人気の少ない路地に飛び込んだ。

(田舎者ー)

(うるさい)

 頭巾付きの外套が脱げないように調整して、クライトは大通りから離れていく。

 また、通りが見えてきた。中央の大通りと違って落ち着いた喧噪がある。ほとんどは頭巾付きの外套を纏っていたが、平服を着た子連れの女も歩いていた。

 売っているのは日用雑貨がほとんどだ。ところどころに並ぶ野菜を追っていく。

 不意に、歌声が聞こえた。

 色気のある低音が喧噪に染み渡っている。聞こえてくる方を見ると、裏路地の近くに人だかりが出来ていた。

「それは年の暮れのこと、みすぼらしい恰好をした女がガシェーバを訪れていた」

 旅の疲れを溜めこんだ足が、歌声に誘われていく。

「女は一晩の宿を求めていくつもの家を訪ねるが、ことごとくが断られてしまう。それでもめげずに続けていると、もう年が明けようかという時に女を受け入れようという家が現れた。女は家の主人に何度も礼を言って家の隅で一夜を明かす。そして次の朝、家の主人が目を覚ますと女の姿はどこにもなく、家の隅には黄金が山を成していた。家の主人はそれを元手に商売を始め、今では裕福な暮らしをしていると言う」

 一瞬、沈黙する。

 拍手が沸き起こった。途端に喧騒が膨れ上がり、小銭の跳ねる音が鳴り響く。その中にあっても良く透る色気のある声が、静かに礼を言っていた。

(凄いねぇ。でも、良いのかなー?)

 そうだった。休んでいる暇はない。クライトは人だかりから離れて行商人に眼を配っていく。ペナン花を手にした者は中々見つからない。

「ちょっと、そこの人」

 肩を叩かれた。振り返ると、露出の多い服に外套を纏った女が立っていた。女の薄い顔に笑みが浮かぶ。

「やっぱり。お兄さん、結構若いよね?」

「そうですけど、何の用ですか」

「どう?」

 唇を舐め、女はやせ細った躰をくねらせる。イビが女に突撃していった。

(男女のアバズレが何言ってやがんだ!)

 娼婦の客引きに構っている暇はない。今はとにかくペナン花の情報が必要だ。

「いえ、用があるんで遠慮します」

「そんなこと言わずにさぁ」

 女は外套に手を掛け、胸を見せるように捲くった。そこに、イビが潜り込む。

(乾物しか持ってない女が何調子こいてんだこら! これならまだウチの方があるぞ、えっ、おい! ……あ、あれ? 一緒か……)

 イビが恥ずかしそうに戻ってくる。クライトは娼婦から距離を取った。

「いや、本当に結構ですから」

「大丈夫だって。こう見えても私、二十一なんだよ。まあ、ちょっと栄養不足だから肌とかは良く見えないけど。それにこの仕事は始めたばっかりだから病気の心配もない。どう、お兄さん若いから安くしとくよ」

「いや、だから」

 娼婦がクライトの腕を掴んだ。素早く詰め寄り、薄い胸を押し付けてくる。

「分かった。なら薬も一緒にどう? 初めてなら軽いペナン花がお勧めだよ」

 ペナン花。

 クライトは娼婦の肩を掴んだ。

「ソーウィンは知ってるか」

 笑顔のまま、娼婦は口を開いた。

「誰それぇ。言っとくけどお金は前払いだから、その人に付けるとかなしだからね」

「違います。娼婦なら研磨さんと言えば分かりますか」

 さらに、娼婦が躰を寄せてきた。

「聞いたことはあるけど天側の人だからあまり知らない。医者だっけ?」

「そうです、その人です」

「残念だけど良く分かんない。それで、どこでする? 私は屋内の方が良いんだけど」

「俺はその人にペナン花を渡した女を探しているんです。何か知りませんか」

 少し、娼婦の口角が下がった。

「知らない」

「本当に知らないんですか」

 娼婦の肩を掴む手に力が籠る。ふっ、と娼婦の笑みが消えた。力を入れ過ぎたか。我に返り、クライトは手を離した。

「すみません」

「そうじゃないわよ」

 不機嫌そうに言い、娼婦はあごをしゃくった。それで、クライトは衆目が集まり始めていることに気付いた。

「何が用なのかは知らないけどこの状況じゃ嫌。そうね、ペナン花だけを買ってくれるなら話を聞いても良いよ」

 手掛かりを逃すわけにはいかない。クライトは急いで懐の財布に手を伸ばした。

「いくらですか」

「二万」

 消沈していたイビが、勢い良く飛び上がった。

(ぼったくりじゃねえか!)

 質素な一人暮らしなら十日は持つ金額だ。しかし、背に腹はかえられない。

 言われた通り、クライトは金を渡した。娼婦は額を確かめてから大事そうに懐に納めると、代わりに取り出した茶色の小瓶を投げ渡してきた。

「じゃあ、場所を変えましょう」

 路地に入って少し歩き、やや開けた日当たりの良い場所で止まった。

「それで、何が聞きたいの?」

「研磨さんにペナン花を渡した女の人は知らないんですよね」

 小さく嘆息して、娼婦は外套の下で腕を組んだ。

「知らない。ペナン花に関わる女がどれだけいると思ってるの?」

(ああん? 金貰ったら途端に良い気になりやがって。吐くもの吐いたら奪い返したって良いんだぞおら!)

 イビが殴る素振りを繰り返す。ここで苛立ちを見せて娼婦を怒らせてはいけない。クライトは穏やかに努めて言った。

「それならペナン花はどこで手に入れるんですか」

「業者から。その女がどうだかは知らないけど」

「その業者はどこにいるんですか」

 女の眼が細くなった。

「会いに行くつもり?」

「勿論です」

「そう。ならお金を貰った手前教えてあげるけど、私の名前は出さないでね。面倒に巻き込まれるのはご免だから」

「分かってます。それでどこですか」

「街の入り口、地側のね。基本は仕入れるだけだから朝しかいないけど、売れ残ったりしたら自分たちで店を開いたりもしてる。今日がどうだかは知らない」

「具体的な場所とか目印は?」

「定位置はない。ただ、店番とかの体格は良いからすぐ分かると思う」

「ありがとうございます」

 女は艶やかに笑い、唇をゆっくり舐めた。

「すっきりしたくなったら、また来てね。私はいつもこの辺りにいるから」

(二度と来ねえよ、男女!)

 イビが叫ぶ。クライトは身を翻した。

 今のところ幸先は悪くない。これならそう遠くない内に、レスダムールに辿り着けるかもしれない。

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