第41話 私のできること
ベッドに座り、隣接する壁に背中を預けると、チヒロも隣に腰掛けた。
隣り合わせ、攻撃するつもりはないらしい。
「君が記憶を失っているのは、自分で消してしまったからだって、ゼノさんはそう言ってたよ」
記憶を消す能力もないし、そんな魔法も使えない。
しかし俺には心当たりがあった。それは俺の能力の副作用。
感情を壊す力に付属されたタチの悪い、余計なオマケ。
「どうして消しちゃったの?私や日本の記憶なんて、無くなったほうが良かったの・・・?」
「そうじゃない、逆だ。大事だったから、忘れたくなかったから、消えたんだ」
「どういうこと?」
「その様子だと、ゼノの野郎から全部を聞いてるってわけじゃなさそうだな」
「うん・・・ゼノさんもあまり話したそうじゃなかったし」
『仲間なんだ。どんな些細なことでも、情報は共有すべきだろ。いつどこで役に立つかわからないからな』
なんて言ってたくせに。どんなに些細なことやくだらないこと、それでも知っていることは何でも話す、そういうやつだったはずだが・・・今じゃ俺は敵だろうに、肝心なことをお仲間に伝えてないとは。甘くなったもんだな。
「過去に俺の能力で記憶が消えた奴がいた。それも、かなり部分的な記憶を、だ。おそらくその時と同じことが俺にも起きたんだろうな」
「自分自身に能力を使ったってこと?人の心を壊す、そんな危険な力を、自分に?」
「ハッキリ覚えてないけど、おそらく、テュポーンと戦った時だろうな。そうでもないとしないだろうし」
「なんでそんなことを?戦うときに心を壊すなんて、不利になるだけじゃない?」
「そんなことはない。自分の感情でも、壊したほうがいい時もある。戦うのに必要ない感情だってあるし、いや、むしろそういう感情のほうが多いんだよ」
「そんなことないでしょ、そんなわけ・・・」
「痛みに対する恐怖、強大な存在と対する絶望・・・生への執着。本当に負けられないとき、そんなのは邪魔でしかない。『迷い』は、戦闘で最も邪魔なんだ」
「君は自分を壊してまで、何のために戦っていたのよ」
「残念ながらそれも忘れたよ。どんな願いを抱いて戦っていたんだろうな・・・まぁ今はソフィアのために戦ってるし、もういいんだ」
「私はやっぱり嫌。そんな君と戦うなんて、できない」
「戦えないって、はは、俺はお前のこと殺すつもりだけど、それでもか?」
「嘘ばっか。もしもそうならもうやってるでしょ?全身の傷も常人とは思えない勢いで治ってきてるし、すでに私を殺すぐらいには動けるんじゃないの」
「さすがにこれだけ拘束されてたら何もできねぇよ。この、よくわからん針も邪魔だしな」
「でも多分、そんな物なくても君は私を殺せない」
「命を狙われてんのに、悠長なこった」
「私は信じてるだけだよ。記憶がなくなっても、どこかで私を覚えてるって。ヴィークであの女の子から助けてくれた時から、君の目が、昔に戻ってる気がするもん」
「・・・なんのことかさっぱりだな」
「ふーん、そう」
急に詰め寄るチヒロに、体をベッドに押し倒される。
そんな少しの衝撃ですら、傷がうずき、全身にズキズキと痛みが走った。
突飛な行動に思わず一瞬警戒してしまったが、真正面の紅潮させた頬を見る限り、やはり攻撃の意思はないのだろう。
「なにすんだ」
「・・・どうしても、記憶は戻らないの?」
「戻ることは難しいだろうな」
そう簡単にはいかない。俺自身としても、忘れてしまった記憶に固執するつもりはないけど、記憶が戻ればどうなるのだろうかという興味が、なくはない。
チヒロが何者で、どういう存在だったのか。それをはっきりさせることができる・・・だけど一方で不安も同じぐらいにあった。チヒロや過去のことを思い出せば、ソフィアや今のことを忘れることに繋がるのではないのか。
チヒロを守り、ソフィアを殺そうとするんじゃないか。
「そんなのってないよ・・・」
「ゼノから聞かなかったか?どうあがいても無理だ。記憶も心も、失ったなら新たにつくるしかない」
「記憶が失くなったとき、取り戻そうと思わなかったの?」
「・・・思わなかった。大事な記憶だったことすら覚えてなくてな。失ったものが大事な記憶だったと理解ができるだけで、過去の記憶を失った悲しみすら、沸き上がってこない」
「そう、なんだ・・・」
がっかり、と、チヒロは肩をおとした。
なにがチヒロをそこまで思わせるのかはわからない。
わからない、いや、確証がないというべきか。
ここまで言われればいくら俺でも気付く。チヒロにとって、俺はなにか特別だったのだろう。それは、俺がチヒロに何かを思うのと同じように。
「でも、うん。よし、わかった」
すこし冷えた両手が俺の頬を滑る。
そのまま首の後ろへと流れ、身体は重力になされるがまま、覆い被さる。
やんわりとホールドされ、妙な後ろめたさがこみ上げた。
「方法は・・・あるよ」
すぐ耳元で囁くチヒロの声はこころなしか、嬉しそうだった。
霧が晴れたような、そんな声で、
「魔王を倒せば、願いが叶う。君の記憶をとり戻せる」
チヒロは身体を起こし、眼をまっすぐ見つめ優しく微笑んだ。
その表情は、たまらなく気味が悪い。
何かに取り憑かれているようで、本人とは別の何かのようだ。
「君が言うことが本当なら、私は諦めない。こんなに遠回しな言い方させない・・・直接言わせてやるから」
「ちょっとなに言ってるかわからないんだけど。なんのことだ?」
「自分で言ったでしょ?今忘れているものは、大切だから忘れたって」
「それで、俺にとってお前が大事だったと?自意識過剰じゃない?」
「私は君のことを信じてるし、私自身のことも信じてるの。それに、その事に一番気付いてるのは君でしょ?」
「めちゃくちゃおめでたいやつだな、お前」
「忘れてるみたいだけど、私はそういう女よ?今の君が私のことをどうも思ってなくても、必ず取り戻してみせる」
「俺はそんなこと望んでない。記憶を取り戻す必要もないし、そのせいでソフィアを失うことなんてもっての外だ。それにお前じゃ絶対無理だろ。魔王城には魔王軍もいる。そいつらの中には俺より強いやつだっているんだぞ?馬鹿なこと考えるな。このお屋敷でゆっくり過ごしてろ」
一人で魔王軍の相手をするなんて無謀通り越して自殺。いくら人間とうまくやろうと考えていても、王を狙う輩に手を抜くほど魔王軍は優しくない。
「私は、私のできることをする!レギオンのみんなだっているし、私たちは負けない」
「勘違いすんな、レギオンの連中は仲間なんかじゃない。イニエスがソフィアを殺せば、イニエスしか願いは叶えられない。知ってるだろうが、願いを叶えられるのは一人だけなんだぞ」
「それでもやるしか無いじゃん。それしか方法が、見つからないんだから・・・」
「だから諦めろって言ってんだろ。記憶は戻らないほうが、俺にとってはいいかもしれないし、そもそもお前だって無駄に命を捨てることはないだろ。この世界で何もせず平和に生きろ、それでいいじゃねぇか」
存在するだけで、こいつもゼノも、殺さなきゃいけない。天使の制約が消えてなくなれば・・・だけどそれこそあり得ない。
いつかは、どうしても戦わないといけない時がきてしまう。
「私のために、自分のためだけに戦う。君のためじゃない」
決意や覚悟。今まで見たことのない、そういった眼が貫く。
強い意志をもって、チヒロは俺と敵対する宣言をした。
転生者はだれであろうと魔王を狙う。そんなこと当たり前で、分かっていたはずなのに・・・
心がひたすらに拒み、揺れ動く。
「きっと記憶を失う前、君だってそうやって戦っていたはず。大切な何かのために、命をかけていたんでしょ」
「そうかも知れない。だけど俺とお前は違う。覚悟だとか信念だとかは関係ない、どう努力しても不可能なんだよ!」
なぜそこまでしてチヒロを止めようとしているのか。
なぜチヒロを殺せないでいるのか。
なぜ、こんなに腹が立つのか。失うのが怖いのか。
それも、失った記憶の中に答えがあるのだろう。だからこそ、俺は過去の記憶なんていらない。
そうわかっていても、
「俺は、お前を殺したくない・・・!」
「私だってそう。君と戦いたくない・・・けどやらなきゃ、君を取り戻せない」
「なんでわからないんだよ、お前なんかじゃどうあがいても叶いっこないんだって。お前が魔王を狙う限り、俺もお前を殺さなきゃいけないんだ。俺にすら勝てない、ゼノやレギオンの連中にも勝てない。魔王軍にも、ソフィア本人にだって勝てやしないんだ!」
「でも私は、君には負けてない。今だってこうして生きているんだから」
目の前にいたチヒロは一瞬にして牢屋の外に出ていた。
音もなく、気配もなく、まさに瞬間移動。
「この力があれば、私にだってチャンスはある。君こそそこでじっと待ってて」
「待て!おいチヒロ!」
叫ぶ声は、どこまで続いているのかもわからない廊下に、チヒロの後ろ姿とともに消えていった。
届かない。声も、言葉も。
殺せない相手、出られない牢屋、どこかわからない場所。
何もわからない、何もできない。
俺は少しも、強くなっていなかったのか?
レベルも上がった。武器も強くなった。戦い方も、魔法も、鍛えてきた。
それでも、今の現況を少しも変えられない。俺は弱いままだった。
悔しくて、虚しくて、歯痒くて・・・懐かしい感覚だ。
ゼノもアルマもいなくなって、一人で魔王城を目指した時。
同じような感覚だ。この嫌になる無力感。弱者だと、思い知らされる瞬間。
「それでいいの?」
「よくな・・・は?誰だ?」
辺りを見回すが、誰もいない。当たり前だ、牢屋前方にしか向かっていない廊下を誰かが歩いてきたなんてこともない。そもそも気配もない。
女の声だったけど・・・
「まさか、幽霊?」
「間違いでは、ないかも」
~~~~~
私は服が好きだ。
好みは広く、似合うかどうかは別として、様々な服を着てきた。
職場でのスーツですら私の気に入りだった。もちろんヴィークでのお役所の時の物だ。
まぁお気に入りの服はほとんどヴィークに置いてきたわけだが。まぁそれは今いいとして。
「うーん、あまりかわいくはない、かな・・・」
だんだんと中心街から離れていく道中、綺麗に磨かれたお店の窓に映る自分を評価する。
ハッキリ言って好みではない。
ゴテゴテしててダボダボしてて、ファスナーを開けていないと胸元もキツイ。
数ある服というジャンルで、作業着は、私には全然合っていない。
「まぁ、今回は仕方ないか。お仕事だし・・・いや、お仕事ではないか。ボランティア、かな?」
地味なキャップを目深にかぶり直し、道を進む。
「まったく、今回だけだからね、フィロちゃん」
ため息を深くつきながら、ふと考える。
そういえば、人を助けるなんて、医者の時以来だなぁ、なんて。
「ふふ、次に会えたときはどんなお礼をしてもらおうかなぁ?」
~~~~~
「フィルさん、わざわざ待たないでこっちから出向いて誘拐したほうが早いんじゃねぇですか?」
朽ちかけている教壇によりかかり、部下のレイクはナイフをくるくると回す。
危ない。
「だめだ。最近は衛兵がざわついているだろう?昨日なんか、セルビア邸に怪盗が現れて、館を破壊していったそうだ。そんな時に、目立つマネはするべきじゃない」
今日はまともな話し合い。怪しいことや妙なことは一切ない。
ただ、荒らされた長椅子や、頭のない女神像、壁一面の落書きに、ガラの悪い部下達。見上げると高い屋根までも一部が朽ち果てて、夜空が見えてしまっている。
そんなどちらかというとネガティブな印象を与えるであろう場所を選んだのは、いくらか妙であったかもしれない。
ここはもはや祈りに来る者も、修復しようと思う者もなく、俺たちのようなろくでもないやつらにしか扱われないのだろう。哀れな教会だ。
「せめていい話し合いになるよう、祈りの一つでも捧げようかな」
頭の無い女神に、頭を垂れてみる。
「俺達みたいなのに、神様が手を貸してくれますかねぇ?」
「ただの挨拶でもいいんだ。お邪魔してますってね」
「律儀ですね」
時間は夜の8時。
この時期の夜は少し冷える。コートを羽織っていても冷えるぐらいだ。
「来ないのかな、あの獣人は」
半壊した長椅子、隣に座る子に話かけてみるが、
「どっちかというと、来ないでほしい。だって私と交換するんでしょ?」
「そうだな。白いワーウルフなんて、ボスが喜ばないわけがない」
「でも、私を逃していいの?」
「良くはない、が、彼女の価値はそれだけ高い。白いワーウルフなんてな、そう何匹もいるわけじゃない・・・むしろいないはずなんだ。こんな話を君にしてもしょうがないだろうがな」
「そのボスって人は、そんなこと許すの?私を連れて行くのもボスの司令なんでしょ」
「それなりに文句も言うだろうが、俺が思うにこれも正解なんだよ」
「ふーんそう・・・あのお姉さん、こないといいな・・・」
「こういう時は助けに来てくれって祈るもんだろ?ちょうど神様も見てくれてることだ。見てるってもまぁ、おめめはついてないがな」
縄で拘束された12歳の少女はそれでも祈らない。
むしろ祈ると言っても、これから来るであろう人物が来ないことを内心で祈っているんだろう。
だが、その祈りが通じることはなかった。
ガチャ
「君の期待はどうやら外れたみたいだぞ」
片方が傾いた両開きの扉が不気味な音を立ててゆっくりと開く。
ただでさえ冷える中、ひんやりとした風が教会へ流れ込み、作業着に身を包む人物がそこに立っていた。
「あのぉ・・・」
だれだ?
恐る恐る教会中を見回す・・・声と身長から察するに、若い女性・・・いや少女?
こいつは少なくとも一昨日のワーウルフじゃない。作業着を着て、帽子が顔を隠しているが、明らかに人違いで、場違いだ。
「おいおい嬢ちゃん、来るところ間違えてんじゃねぇか?」
部下の男、レイクが入り口に向かい、作業着に身を包む少女に絡む。
全くそのとおり、来るところを間違えているとしか思えない。
「あのぉ、私、この教会を取り壊す予定の業者なんですけど・・・」
「ははは、変なこと言うなぁ嬢ちゃん。こんな時間に一人で下見にでも来たっていうのか?もう夜だぜ?」
「そ、そうです。その、すいません、お邪魔でしたよね?すぐ出ていきますから」
そこで、レイクはナイフを握る。先ほどクルクル舞わしていた刃渡り20センチほどのそれを、少女の首元に突きつけた。
「い、いや!やめ!」
「・・・とぼけてんじゃねぇぞ?外には見張りもいたはずだ。なぁに当たり前のような顔して入ってきてんだよ」
「・・・っ!」
少女は健気にも帽子の下から強い視線でレイクを睨む。なるほど、あのワーウルフの仲間か。
ずぶずぶの設定で乗り込んできたが、残念ながら見破られたってわけだ。
ということは、もうここに来てはいるんだな。
「油断させて何をする気だったか知らねぇけどよ、甘すぎんだろぉ考えがよ?」
「い・・・命だけは助けて・・・!」
首元に腕を絡められ、バタバタと暴れているが、ほどけそうにない。
育ちの悪そうな男が、18にもならないであろう少女を捕まえてナイフを突きつける。まったくもってよろしくない絵面だ。
「お?帽子の下はかわいいお顔だ。胸もでけぇし髪もきれいじゃねぇかあぁん?へへ、いいぜ、命だけは助けてやるよ。俺のおもちゃとしてかわいいがってやる」
下品に舌なめずりしながら、レイクは作業着の胸元に手を突っ込もうとする。
やれやれ見ていられない。
「あーやめろやめろ、品がないぞ。こんな小さな子が見てる前でそういうのはよくない。裏でやってこい」
「へい。フィルさんも後で使いますか?こいつぁなかなかの上玉ですよ」
「結構だ。いいからさっさと消えろ」
周りにいたゴロツキどももニヤニヤと見つめる中、レイクは少女を半ば引きずりながら、俺の隣を過ぎ、教会の奥の部屋へと消えていった。
どうせ胸糞悪いことに興じようというのだろう。悪党め。
「おいお前らは、外の連中を見てこい。メインディッシュが来てるはずだ」
「はい」
命令に敏感に反応し、入口に近い二人が外へ出ていく。
「悪いな、気持ち悪かっただろう。さすがに君ぐらいの子はあんな目には合わせることはない」
「ひどい・・・」
「あぁ、ひどいな。俺もそう思う。お揃いだな」
あと一時間待ってこないなら、この子供を連れて引き上げるか。
あんな目立つ奴なら、しっかり捜せば見つかるだろうし、別に後日でもいいんだ。
しかし俺は約束は守る男。待っててやるのが筋だろう。
そもそも時間を指定はしなかったしな、気長に待つか。
~~~~~
連れ込まれた部屋は倉庫のような場所だった。中に何が入っているかわからない木箱や、中身が空の大きな壺、くたびれた棚にはクモの巣が張っている。
「それじゃ、お嬢ちゃん。楽しもうか?」
筋肉と脂肪で武装された男は、嫌らしい笑顔のままズボンのベルトをはずす。
待ちきれないといわんばかりに、私の身体から目をそらさずに、慌ただしく、醜い下半身を晒した。
「ここじゃ、さっきの人たちに聞こえませんか・・・?」
「もしかして恥ずかしがってんのか?ますますいいぞ!」
男はさらに興奮して鼻息を荒げる。
見るに堪えない情けない姿がじわじわと接近。こんな様で恥ずかしくないんだろうか。
身も心も引きながら、ポケットに入れておいた布手袋を取り出し、背後に隠して距離をとる。
が、この部屋も広くはない。すぐに壁に触れてしまった。
「へへ、逃げられないぞぉ?」
「こないで・・・」
足元の床がバキッという音が鳴った瞬間、男は踏み込んできた。
狙っていたわけではないが、丁度いい。対する私も、男の方へと踏み込んだ。
「がっ!?」
持っていた手袋を、半開きだった下品な口に手ごと突っ込む。
喉の奥まで突き刺すように入れると、手首までもが口の中へと滑り込み、舌の感触や意外とゴツゴツしている口の中に不快感を覚えた。
キモチワル・・・
「おごっ、おっ!」
手を引き抜くと、男は喉を押さえてうずくまってしまった。手袋を吐き出そうとしているんだろう。
「辛いでしょう?すぐ取り出してあげますからねぇ」
男が持っていたナイフを拾い、苦しそうにしている男の喉をしっかりと横一文字に切り裂く。
首の半分以上が切断され、頭が背中の方へとだらしなく垂れ下がると、血まみれの手袋が喉の中から現れた。
「苦しかったですよね。大声出さなかったのは偉いですよぉ」
さて、ここまではおおよそ予定通り。
中に入れればなんでもいい。正面からぶつからなければ、それでいい。
死体を部屋の角にある大きな箱の中へと仕舞い、そばに落ちていた板で蓋をする。
裏口だろうか、外に出られるであろうボロボロの扉がちょうどよく見つかったので、鍵を開けて準備完了。
私は死体が残した血溜まりに、うつ伏せで倒れる。
「ふぁぁ・・・このまま寝ちゃいそう」
あとはタイミングを見計らって行動するのみ。
礼拝堂のフィルベルト達は今頃、いもしないフィロちゃんを探し回っているんじゃないかな。
あとは、その時が来るのを待つだけ。
それまで私は死体。
そう言い聞かせて、べチョリ、と床で寝返りをうった。
~~~~~
外の様子を見てきた部下は、神妙な面持ちで礼拝堂へと戻ってきた。
状況は案外面倒なことになっていのか?
「やはり外の見張りは殺されてるみたいです。あのガキ、あんななりしてなかなかの腕みたいですね」
「そうか。レイクのやつも、まさかやられたりしてねぇだろうな?二人きりになるのは危険かもな」
振り返った先にある扉の奥は、シンと静まっている。
なにかが行われている様子はない。
「奇妙なのが、グェルはすぐそこで死んでたんですが、一緒に入口をはってたジルドの死体が無いんですよ」
「・・・二人残して、他連れて周辺さぐれ。白い獣人がコソコソなにかやっているんだろう、まったく、待ち合わせにも来ないでなにやってんだか」
「了解です、お前ら、いくぞ」
そう言って部下のチャングは若い衆を連れて再び教会を出ていった。
やれやれ、面倒なことを。さくっと人質交換するだけが、なんでできないのか?
「はぁ、このままだと、オジサンとまた帰らないといけないよ。それなりに覚悟決めておけ」
「それならもう引き上げたらいい。こんなの時間無駄よ」
「そうはいかない。ここで帰っちゃって入れ違いになったら、相手さんも可愛そうだ。そうは思わないか?それとも君は、約束を守れない子なのか?」
「なにが可愛そう、よ。人でなしのクズのくせに」
「こんなちっちゃい子に、人でなしだのクズだの言われるとは・・・親御さんはどんな教育してんだまったく」
悲しい世の中だ。
あと30分ぐらいは待ってやろう。こんな寂れた場所、どうせ誰も来やしない。いくら待っても問題はないしな。
眠くなるからあまり待たせないでほしいが。
「おい、そこの・・・お前。裏にいったレイクと女を見てこい」
「でも、お楽しみ中じゃ?」
「お楽しみにしてはなにも聞こえてこない。こんなボロ屋なんだ、声ぐらい漏れそうなもんだろ」
「わかりやした」
名前も知らん部下はニヤニヤと笑いながら、俺の隣を抜けて教会の奥へと向かう。
そして、扉を開けた音がすると、そのまま戻ってきた。
「フィルさん、女死んじまってますわ」
「なんだって?あいつには我慢とか理性とかってものはないのか?おいレイク!」
「あーそれが、レイクさんもいないんです・・・どこ行っちまったのか、多分裏から外にでてるんだと思います。扉があるんで」
どういうことだ?女を殺して、裏から出ていった・・・?なんでそんなことを?
妙だ、普通じゃない。
「ちょっと見てみるか。お前らはこの子を見張っとけ」
レイクがどうなろうと知ったことではないが、異様なことが起きているのは困る。
腰を上げ、殺人現場へと足を進め、先程部下がそうしたように、扉を開けた。
「なんだこれは」
かび臭い部屋には女の死体とナイフ。凄まじい量の血から察するに、刺されてしばらくたったのだろう。
腹部を一刺しか・・・服も脱がしてないし、行為に及ぶ前に、なにかしらレイクの怒りにふれて殺された、か。
外に通じる扉も鍵が開けられている。これじゃあ裏から入れって言ってるようなもんだ。
「違和感だらけだな。奇妙としか言いようがない」
部屋を、ぐるりと回り、一言。俺以外には、誰もいないので誰も反応はしない。
壺も箱ももちろん返事はない。
それでも続ける。
「謎はいくつかある。なぜ、レイクは姿を消した?それに、殺しを働いたにしては、静かすぎたんじゃないか?それと最後に。外の見張りの連中をあっさり殺してきたような女が、レイク一人に簡単に殺されるか?」
レイクは戦闘能力が特別高いわけではない。チンピラに毛が生えた程度の男。そんな男が、女とはいえ戦闘に長けたやつを、ろくに拘束もしていない状態で、簡単に殺せるわけがない。
「そろそろ返事ぐらいしないか?部下に変なやつだと思われるだろ」
・・・・
それでも返事はない。まるで一人芝居。
「・・・バーストフレア」
右手から放たれた火球はまっすぐに少女の死体へと向かい、派手に、その身や床をも巻き込み激しく燃え上がる。
「ぐ・・・くぅ・・・!」
壁にまで吹き飛んだ死体が、身体を崩しながら喘ぐ。顔もよく分からないほど激しく炎上しているが、教会に火が移ることはない。
魔力をコントロールしないと、こんな廃屋は倒壊するからな。そんな自爆はしたくない。
「おっと失礼。燃やして供養しようと思ったんだが、まだ生きていたのか。これは悪いことをしたな」
何回か転げ回ったあと、それは動かなくなり、次第に火も消えた。
死んだふりだったのか気絶していただけなのかは定かではないが、しつこいやつだった。この様子だと、回復魔法も使えなかったのだろう。少々、女性に対して品のない始末の付け方をしてしまったな。
やれやれ。ワーウルフを連れてさっさと帰りたいだけなんだが、こうもうまくいかないものか。
「すまないな。こんな物でよければ、差し上げよう」
黒こげではあるが、丸裸の遺体に羽織っていたロングコートをかけ、部屋をあとにする。
ボロボロの部屋に焼死体を置き、礼拝堂に戻ると、相変わらず少女が長椅子にちょこんと座り、こちらを見ていた。
いや、違う。それだけじゃないな。
男だ。礼拝堂の入り口に、男が立っている。
先ほどまでいなかった、少しいい材質のコートを着た中年の男が、仁王立ちでこちらを睨む。ワーウルフどころか女性ですらない、意外な来客。
足元には伸び切った部下が二人。礼拝堂に残した奴らか。
「・・・ん?お前は・・・知っているぞ。小さな事件をちまちま追ってるアンス所属のディレック氏じゃないか」
「ご名答、だ。俺はディレック・ベルモンド、二位捜査官をしている」
「そうか。おれは」
「フィルベルト・ブロンズだな?自己紹介は必要ない。有名人だって自覚はないのか?予定とは違うが、お前はここで捕まえる」
「謙虚だと、とらえてほしいものだ」
なぜここにアンスが、なんて疑問は浮かばない。十中八九またワーウルフの仕業だろう。
次々とお呼びでない人物が現れるな・・・嫌になる夜だ。
~~~~~
おいおいおいおいどうなってる?
俺はメアリーを捕まえようと思ってここに来たんだが、外はゴロツキがウロウロしているし、それどころか、教会の中にはネガジオの幹部がいた。
正直な話、俺一人でどうにかなる気がしない。
くそ、前もって知っていれば応援も呼べたものを・・・そもそもあいつは、メアリーはどこにいる?
「外の部下たちは、あっさりやられたのかな?二位捜査官の力量は伊達じゃないな、感心した。俺もここが年貢の納め時か」
「大人しくそうしてくれるとありがてぇんだが」
外の連中は大したことなかったが、こいつは明らかに格が違う。
名のあるほかの組織を一人で潰したこともある、ネガジオの2番手。なんでこんなやつがここに?
それだけじゃない、あの子供は何だ?縛られている様子を見ると、奴らに誘拐されいているのか?
気にしだすとキリがないが、とにかく、今はこの男を捕まえるのがすべての解決につながる。
またとないチャンスだといえなくもないが・・・いや、言えないな。
むしろピンチだろこれ。
「アクアランス!」
だが死ぬわけにもいかない。
即座に向けた右手から、2メートルほどの水の槍を2本発射。
「いよっと」
しかし、フィルベルトは垂直に飛び上がり、簡単にそれを避けた。
目標を失った、アクアランスはフィルベルトの背後にあった扉を貫き、消える。
「恐ろしい男だ。突然攻撃魔法とは・・・俺は戦いに来たんじゃないぞ」
「問答無用。少女縛って何する気だ馬鹿野郎」
「この子は人質だよ、どうこうしようってわけじゃない」
「それがすでに怪しいっつってんだ、アクアバレット!」
水のつぶてが弾丸となり、着地したフィルベルトを狙う。
が、それらはすべて弾き落された。革手袋をはめた手で、虫を叩き落すように、簡単と。
「話を聞けよ、ベルモンド捜査官。俺はある女性を待っているだけだ。そいつが来れば、この子は開放される。まぁ信用してもらえなかったんだろうけどな、君が来たのがその証拠だ」
「なにか勘違いしてるようだが、俺が捕まえに来たのはお前じゃない、おそらくそのお前の言うある女性とやらだ」
「ほう。あのような正義感の溢れる女性も警察に厄介になる時代か。わからんもんだな。だが、渡すわけにはいかない。彼女は俺が連れて帰る」
「正義感溢れるだと?お前はあいつの本性を知らないからそんなことが言えるんだよ。それをなしにしても、お前みたいな大物を簡単に逃がすわけねぇだろ」
こいつの狙いはメアリーか?しかしなんであんな殺人鬼を?
まさかネガジオ、メアリーを組織に引き込もうとしてる・・・?いや、そんなはずはない。アイツは組織で、わざわざ群れで動くようなことはしないはずだが。
「交渉決裂だな。非常に残念だが死んでもらうとしよう」
ほぼ一瞬と言っていい。
ブロンズは爆発音と同時に、右腕を振り上げて俺の目の前に現れた。
「表に出ろ」
耳元でそう聞こえたときには、俺は教会の壁を突き破って外のコンクリートを転げ回っていた。
ラリアット。
「ボルケーノ」
休ませてはくれねぇか・・・!
すぐさま後方に飛び退くと、足元に現れた魔法陣から5mを超える火柱が立ち上る。
それだけではない。バックステップした箇所が次々と同じく燃え上がった。
止まれば死ぬ・・・!
「その歳にしてはフットワークが軽いな」
「こちとら必死なんだよっ・・・!流し清め奪い取れ、ディープブルー!」
出し惜しみしている場合じゃねぇ。
ブロンズを囲むようにして現れた7本の水柱。それぞれから水の弾丸が凄まじい勢いで狙い撃ち、次第に頭上で膨れ上がっていく水の塊が隕石のようにブロンズを押しつぶした。
「いまのでキメたかったんだがな・・・!」
・・・ように見えただけだった。
地面は大きくえぐれている。が、その中心、近づくことも
「驚かされてばかりだな。一人の人間相手にそこまでするか?危うく死ぬところだったぞ」
「死んでくれとまでは言わねぇがよ、もっと辛そうにしてほしかったぜ」
額の汗を袖で拭いながら、フィルベルト・ブロンズは何事もなかったかのように、姿を現した。
ブロンズは炎の魔法を得意とする。それは有名な話だ。
知っていたからこその水魔法による猛攻だったが、この有様。一応、俺の使える水属性最強魔法なんだが、まるで効いていない。
「さて、と。こちらの番だな」
ブロンズは、グローブをはめた右手を空に向けた。
「ファイアーボール」
仰いだ手のひらに、直径にして2メートルはある小さな太陽が出現、そしてそれは、なぜか半分ほどの大きさに縮んだ。
何が、おきているんだ・・・?わからんが、嫌な予感がする。
「アクアウォール!」
相手の使う炎属性最弱魔法に、反射的に防御の判断。身を守るように、水の壁が立ち上がった。
透けて見える壁の向こう、縮んだ火球から別れてさらに小さい火の玉が2つ、こちらへ向かってくる。
これは、防御だけじゃだめだ。
水の壁を残し、後退。4度地面を蹴った。
パッスゥゥ
奇妙な音がして、壁はすぐさま消された。
『パッ』でファイアーボールは接触し、『スゥゥ』で壁は一瞬にして蒸発した。
炎属性は水属性に勝る。そんな常識は、この男には通じない。
あんなモノ身体に受けたらどうなるか・・・考えたくもない。
噂通りの怪物だ。クールな振る舞いとは裏腹に、異常なまでの暴力。
打つ手がことごとく潰されていく。
「エアプレッシャー!」
動きさえ止めればと、風圧で抑え込む。
対してブロンズは、何を考えているかわからない無表情で、両手を地面に向けた。
「ファイアーボール」
ブロンズの両手から放たれた火球は、地面に接触するなり炸裂し、衝撃波を生んだ。その衝撃波で、俺のエアプレッシャーを簡単に打ち消したようだ。
自身に一切ダメージも衝撃もない。大雑把に見えてかなり魔法の調整が精密なのだろう。
焦りすぐて、敵ながら褒めることしかできない。
「ベルモンド捜査官、君からはやる気が感じられないよ。殺す気が全く感じられない。まさかこの期に及んで俺のことを生かして捕まえようとしてるなんて言うんじゃないだろうな?」
「あんたらと違って、殺しじゃ給料もらえないんでね」
問題はあの爆炎。
普通のファイアーボールは爆発などしない。
あれはフィルベルト・ブロンズが得意とする技術の一つ。
炎魔法を極め、その力を瞬間的な発火、つまりは爆発魔法へと昇華させた。
詳しい原理はわからんが、凝縮された魔力が火力を底上げし、炎の性質にまで影響し破壊力を増すらしい。
「まぁいい。気の毒だが、こちらも時間がないのでね。少し早いが終幕といこうか」
ブロンズは右手の皮手袋は深くはめ直し、ギラついた視線を突きつける。
完全に俺の息の根を止めるつもりなんだろうか、凄まじい殺気が全身に刺さり、ゾワっと震える。
「エミリ・・・!」
無意識的に娘の名前が口をついた。
本能的に感じている、突きつけられた死の現実。このままだと確実に殺される。
だが、諦めるわけにはいかない。為す術もないが。
そうこう考えているうちに、ブロンズが爆音とともに消えた。
教会から出たときと同じ、爆発による瞬間移動。
「アクアウォ・・・っ!」
防御魔法を唱えるより早く、突如身体が、背中から地面に打ち付けられた。
正面から衝撃を受けたと言うより、後ろに身体が引かれたようだ。
ブロンズの攻撃ではない・・・?
後頭部へ痛みに耐え目を開けると、続けざまに、顔面に大量の血がぶちまけられる。
「あれほどのダメージで、生きていたのか」
起き上がった俺の鼻の先に、俺を仕留めそこなった血まみれの掌底。
それは、突如目の前に現れたメアリーの胸を無茶苦茶に貫通して止まっていた。
「なんだと・・・!?」
「なに呆けてるんですか・・・はやく、あの子を助けて、あげてください・・・!」
傷口からだけでなく、口からも滝のように吐血し、それでも貫通したブロンズの手を強くにぎって離さない。
思いもよらなかったメアリーの必死な姿に、頭の中が、なぜか不気味なほど、すっと冷静になる。
「わかった・・・!」
今は、あの教会にいた子を助けて逃げるしかない。
立ち上がり、ブロンズとメアリーの横を抜け、駆ける。
全身に溢れる汗がベタつき、なぜか四肢は力を抜こうとしている。
だめだ、今止まるわけには行かない。今しかチャンスはない。
「はぁ、はぁ・・・待ってろよ・・・!」
今持ってる中で使える魔道具は、警棒と魔封じの腕輪ぐらいか・・・警棒は殴る分にはいくらか役に立つだろうが、今は攻めるより、あのイカれた火力を防ぐものがほしい。
かといって魔封じの腕輪をブロンズにつけるチャンスもない。
「どうしようもねぇ」
万策尽きる。ただしそれは戦うなら、だ。
できる限りの魔力による肉体強化で走り、教会に戻ると、少女は拘束が解かれた状態でそこにいた。
「よし、今助ける」
「あのおねぇさんは!?」
「アイツは・・・」
そのまま抱え、再び教会の外へと向かう。
が、やはり、そう簡単にはいかないようだ。
今しがた入ってきた扉を含め、教会の全体の3分の1が、まるで風にさらわれるかのように、爆炎に消し飛ばされた。
あと2メートルでも前にいたら、俺達も一緒に骨になっていただろう。
「無茶苦茶しやがる・・・」
もう追ってきたのか。
なんとか逃げねぇと・・・この子だけでも・・・!
「メアリーは・・・多分助からねぇ。相当なダメージだった」
「外傷・・・?大丈夫、それなら、多分生きてる」
ボソリと少女は俺に聞こえるようにつぶやいた。
生きてる?どういうことだ?
「そんなはずはねぇ。しゃべるのもギリギリだったぞ」
「あの人は特別な力を持ってる。だから大丈夫」
「特別な力だと?」
「おじさん、今はそれより逃げないと!またあの男が追ってくる。私を抱いたまま、走って。私が密着してれば、魔法で攻撃できないはず」
この子の言う通り、メアリーが生きているかは、今は気にしていられない。
それに今の攻撃も、この子を傷つけないように、教会全てではなくわざと一部にしたのだろう。
感心する。こんな状況でも冷静に判断できる子だな・・・
「自分の娘ぐらいの子を人質にするみたいで気分はよくないが、それしかないか・・・!」
教会を囲っている森を抜けさえすれば、住宅街。そこまで行けばブロンズも簡単には手を出してこないはず。民間人を守る側のアンスが、民間人を盾に逃げるとはなんとも情けないが、今はこれしか無い。逃げるしか方法が無い。
だが現実に、逃げ道はなかった。
「鬼ごっこは終わりだ」
『ドン』という音が3回鳴ると、ブロンズが目の前に出現した。
速すぎだろうがよ・・・!
「待って!!私は逃げないから、この人は助けて・・・!」
少女は、現れたブロンズに言葉をぶつける。
「駄目だ。君には戻ってきてもらうが、その男は邪魔になってしまったものでな」
ブロンズはゆっくりと右手を引いた。
「ここまでだ。ベルモンド捜査官」
こちらの全魔力の集中。すべてを、右手の拳に集める。
訓練生のとき、俺はどんな攻撃魔法よりも肉体強化魔法が得意だった。
爆炎使いだろうがなんだろうが、これだけは負けるわけにはいかねぇ。
勝てなくていい、相打ちでも大手柄。
こいつはここで止める・・・!
「うおぉぉぉお!」
左腕で抱きかかえた少女を手放すと同時に引き、反対の右手の拳を、放たれたブロンズの掌底に合わせて放つ。
触れ合った瞬間、すぐに分かった。
もう右手は、いや右腕ごと使えなくなる。
拳の先から肘にかけて槍で刺されたかのように、鋭い激痛が走る。
「うぐ!!うおぉぉぉぉ!」
痛みなんてもんじゃねぇ・・・!
それでも拳をすすめる。行けるところまで、ブロンズの腕を引き裂きながらも押し込む。
ぐちゃぐちゃに潰れ、いたるところから骨のはみ出したもはや拳とも言えない右手がブロンズの掌底を砕き、肘まで至ったところで、衝突はとまった。
「ぐあぁ!!!き、貴様・・・!」
ブロンズはすかさず無事な左手に魔力を込める。
が、そうはさせない。
「へへへ、ざまぁねぇな。余裕ぶっこいてるからだ」
「確保、だ。フィルベルト・ブロンズ」
まさか魔封じの腕輪をこんなふうに使うことになるとは思わなかったが、これで、終わり。応援を呼んで、それで終わりにしよう。
「面白いことをするなぁ。だが、激痛で意識も曖昧だろう?俺もそうだ・・・」
汗だくの顔面に獰猛に光る眼。まだ諦めないのか・・・!
ブロンズは魔法を放つはずだった左手を腰に回し、怪しく紫に光るナイフが顔を見せた。
この期に及んで、まだなにかしようってか!?
逆手に握ったナイフが頭上に掲げられ、間髪入れずに振り下ろされた。
「ウィンドランス!!」
少し遠くから聞こえた魔法の発動。
ナイフはピクリと止まり、ブロンズは背後に迫る風の槍を確認すると、すぐさま俺を盾にしようと腕を引いた。
「させるかぁ!」
軸足を払い、バランスを崩したブロンズの首を掴む。
このままこいつを魔法に突っ込めば・・・
いや、殺すわけにはいかない。俺はこいつを捕まえるのが仕事だ。
殺しなんてのは、コイツらのやることだ。
「迷っ・・・たな!」
ブロンズは胴体を狙って蹴り繰り出すが、ダメージはほとんどない。
しかし、その一撃は俺がブロンズの首を手放すのに十分な衝撃だった。
身体が、離される・・・!
ほとんど麻痺していた、繋がれた手に再び激痛が走る。お互いが腕を引き合い、絡み合った手が、ちぎれようとしているためだ。
瞬間。
放たれた風の槍は、両者の腕の結合部に器用に命中し、絡んだ糸が切れるように、互いの腕は離れる結果となった。
先程以上に血が溢れ、噴水のように散る。
「は、ははは、さすがに・・・」
開放された反動で転げ回るブロンズは不敵に笑うが、地に伏したまま立ち上がろうとしない。
俺も俺で2回ぐらい後転して倒れ、痛みや疲労、血の流し過ぎで意識は曖昧。眠気と寒気、吐き気が押し寄せる。
「よく頑張りました。やるじゃないですかディレックさん、見直しましたよ」
魔法が放たれた方向から、悠然と歩み寄る人物。服は破れているが、先程の状態からは考えられないほどに余裕が漂っている。
「メアリー・・・?」
メアリーが肩に触れると、そこから温かいものが全身に流れた。
少しずつ痛みが引いていく。吐き気は引かないが。
「お前・・・生きていたのか」
「死んだなんて言いましたっけ?」
「あんな派手に身体ぶち抜かれて、無事なわけねぇだろ」
「私はもともと医者ですし、回復魔法ももちろん得意なんです。ほら、ご自身の傷も治っていっているでしょう?」
「こんなに効く回復魔法あるのかよ・・・」
ありえない。メチャクチャになっていた右手はきれいに元通りになっている。
ジンジンと痺れは残るが、すでに動かすこともできる。
「言ったでしょ?その人は特別な力を持っているって」
歩み寄ってきた少女の、柔らかい手が俺の治った手をモミモミと握る。
「すごい・・・ここまできれいに治せるんだ」
「お嬢さん、なにか知っている風ですね?」
「私はルカ。お姉さんと同じ、特別な力を持っているの。お姉さんの力のことがわかる、そういう眼を持っているの」
よくよくしっかり見てみると、たしかにルカの目は、鮮やかで透き通った美しい目だった。
まるで人形の、ガラス玉のような瞳。本来の身体の一部というより、はめ込まれた宝石のようだ。
「ついていけねけぇ、つまりどういうことだ」
「・・・後で話します。それより彼はどうするんですか?私がやっちゃってもいいんですか?」
「ダメに決まってんだろ」
胸ポケットに入れた通信用の魔具を取り出し、ゴルトニアにつなぐ。
「応援よこしてくれ。場所は、町外れにあるコルスタ教会の」
言いかけたところで、グラっと視界が揺れ、いつの間にか地面に頬がついていた。
急にめまいが・・・血が抜けたからか?
「お疲れ様ですディレックさん、ゆっくり休んでください」
「メアリー、てめぇ何しやがった・・・」
メアリーの手には、どこから出したのか注射器が。
それだけ確認できたが、すぐ急激な眠気に襲われ、沈むように意識を失った。
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