最終話

 まだ雪深い2月の初頭、僕は先輩の好物である林檎を持って病室まで足を運んでいた。いつも通りにコンコンコンとドアを鳴らし、先輩の返事を待ってから静かにドアをスライドさせて部屋へ入る。

「先輩、身体を起こしても大丈夫なんですか」

 先輩は上半身を起こして、病院着の上から肩にカーディガンを掛けて、本を読んでいた。その本から目を離し、僕の方をみて微笑みかけてくる。

「うん、今日は調子が良いんだ。だからそんな心配そうな顔しなくても平気だよ」

 どうやらまた、僕は分かりやすい態度を取っていたらしい。生徒会の面々と言い、女性というものはどうしてこうも些細な変化に気付くのだろうか。

 そうして僕が訝しんでいると、先輩はクスクスと笑って本を閉じる。

「そんなことより、センター試験の結果はどうだった?」

「そんなことって……まぁ、取り敢えずは合格しましたよ。これで落ちてたら先輩に合わす顔がありませんから」

 僕は先輩が学校で倒れてから、生徒会の業務を疎かにして足繁く病院に通っていた。生徒会の面々はそんな僕に文句の一つも言わずに、僕の穴を埋める様に業務に励んでくれた。

 先輩からは病院に通いすぎて、勉強はしっかりやってるのか、生徒会の方は大丈夫なのか、と逆に心配をかけてしまった。

 その結果、先輩と会ってる時間以外は学生らしい有意義な時間の使い方に充てていたため、成績の方は逆に上がってしまったくらいだ。

 僕は窓際に置いてある椅子を一脚ベッドの近くに持っていき腰を下ろす。そして鞄からクッキングナイフを取り出して、持ってきたスーパーのチラシの上に林檎を置く。

「君が初めて林檎を剥いてくれた時に比べて、随分と上達したよね。始めの時なんて林檎が可哀想な事になってたもんね」

 先輩が僕の失態を思い出してコロコロと笑う。僕はバツの悪い思いで居住まいを正すと、慣れた手付きで林檎の皮をスルスルと剥き始めた。

 先輩はそんな僕の手を薄く笑いながら見つめていた。普段はそこまで注視されることもないので、少々緊張したがいつも通り上手に剥けたと思う。

 どうぞと言って皿の上に乗っけた林檎を差し出すと、先輩は美味しそうに頬張ってくれる。

「やっぱり君の剥いてくれる林檎は美味しいね」

「林檎は誰が剥いても同じ味ですよ、先輩」

「私に対する気持ちが上乗せされてたりしないのかなぁ」

 冗談めかして言うと、先輩は2個目の林檎に手を出した。そしてその2個目の林檎を食べ終わると、やや俯き加減になる。先輩は指先を小さく捏ねながら訥々と話し始めた。

「私ね、多分高校卒業出来ないと思う。勿論通信の学校とかなら大丈夫かも知れないけど、君と同じ学校は卒業出来ないと思う。まぁ君なら薄々感じてると思うけど、私もどれくらい持つのか分からないんだってさ」

 えへへと笑いながら、髪の毛の毛先をくるくる回しつつ続ける。

「倒れるくらいまで無理して学校に行ってさ、結局学校にいれなくなっちゃうなんて馬鹿みたいだよね」

 自虐して笑っている先輩を見てて、胸が苦しくなったが、僕は何も言えなかった。先輩がどれくらい辛い思いで今話しているか、想像することは出来るがその気持ちを100%汲み取ってあげれるかと言うと自信が無かった。

 僕はまた、先輩がどこかに1人で走り去ってしまうのではないかと言う不安に駆られる。去年の春、僕からボタンと想いを持って走り去ってしまったあの時のように。

 もう二度とあんな思いをしたくない。生徒会のみんなも快く後押しをしてくれた。後は僕の勇気だけだ。

「先輩、受け取って欲しいものがあるんです。手を出してもらえますか」

 僕の不自然なほどの硬さに先輩は小首をかしげるが、素直に両手を差し出してくれる。その掌の上に、僕は学業成就のお守りをそっと乗せる。

「これって……私が君のために渡したセンター試験のためのお守り?でもこれ……」

 そう、僕が渡したものは、先輩から貰ったお守りだった。でもそのお守りは不自然に膨らんでいて、中に何かが入っているのが先輩にもすぐ分かったようだ。

「お守りって、一度開けてしまうと効果が無くなってしまうって聞いたことあるんです。だからもう学業成就の効果は無いかも知れませんね」

「……中身開けて見ても良い?」

 僕はどうぞ、と促す。

 先輩がおずおずとお守りの紐を解く。お守りを逆さにして軽く振ると、中から出てきたのは学生服のボタンだった。先輩はイマイチ要領を得ないようで、首を傾げている。

「本当は女の子の方から、男の方に要求するらしいですけどね、今回はまぁ特例ってことで見逃して下さい。それに今度は僕が卒業してしまうので、僕の方が先輩ってことになりますからね」

 先輩は察してくれたのか、薄っすらと涙を浮かべている。

「見た目は学業のお守りですけど、中身は僕の制服の第2ボタンなんで、言って見ればお手製の恋愛成就のお守りみたいな物ですかね」

 そういって僕は一呼吸置くと、意を決して言葉を紡ぐ。

「先輩、貴女の事が好きです。もし一緒にいられる時間が限られていたとしても、貴女の側に居たいです。だから今度は走って逃げないで下さいね」

 最後は何となく歯がゆくなってしまって、冗談を挟んでしまったけれどきちんと気持ちは伝えれた、と思う。後は先輩の反応待ちだったが、先輩はベッドから飛び降りて僕に抱きついてきた。

 ひくひくとしゃくりながら、言葉にならない声で泣いている。僕は先輩の頭を優しく撫でて、落ち着くまでずっとそうして居た。

 僕らにどれくらい時間があるか分からないけれど、1年がかりの返事を受け止めてくれた貴女となら、僕たちは一緒に歩んでいける、そう、貴女となら。

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