第4話
もう夏も佳境に差し掛かり、僕は蒸し風呂状態の生徒会室で雑務に追われていた。他の面々も、暑さに茹だりながら文句の一言も言わずに、作業の方をこなしてくれている。そんな中、肝心の生徒会会長である僕は、作業の手は止まってはいないものの、頭の片隅では常に別のことを考えていた。それは勿論先輩の事だ。
先輩の噂はもうとっくに学校中に広まっており、あの優秀な元生徒会会長が留年して、保健室通いで授業を受けている、とのことだった。
僕は病院での一件以来、どんな顔をして会えば良いのか分からず、ずっと先輩のことを避け続けてきた。とはいえ保健室通いの先輩に会わないのは実に簡単な事で、会おうと思えばすぐ会えるが、自分から足を向けないと会うこともない訳だ。
先輩も顔を出し難いのか、生徒会室に来る様な事はなく、僕とすれば仕事に没頭することが出来て有難い話だった。
「会長、サッカー部の夏季合宿の申請についてなんですけど」
他の事に思考を持って行かれていた最中に、副会長が処理していた運動部の書類が机の上に置かれる。
僕はすぐさま頭を切り替えて書類に目を通す。特に不備は無さそうだし問題は無いことを確認し、書類を副会長に渡そうとした時、目が合った。
「……会長、大丈夫ですか?お疲れみたいですけど、あんまり根を詰めないでくださいね」
「うん、大丈夫だよ。みんなが頑張ってるのに僕だけ怠けてるわけにも行かないからね。仕事量もこの程度何ともないよ」
僕が笑顔を向けると、副会長は余計に顔を曇らせる。
「そんなんだから、みんな心配してるんだけどにゃぁ」
会計が頬杖を付きながら頰を膨らませて、ジト目で僕の方を睨んでくる。
書記の子はどうしていいのか分からず、オロオロとしている。しかし心配そうな目でこちらを見ているのが分かる。どうやら僕は知らず知らずのうちに、みんなに心配をかけていたらしい。
僕は椅子の背もたれに寄り掛かり、天井を仰ぎながら軽く伸びをする。みんなにはバレない様にやっていたつもりだったが、周りから見たら明らかに様子がおかしかったらしい。
「それじゃあちょっと休もうかな、ジュースでも買って来るよ。みんなは何がいい?」
そういって席を立つと、副会長も立ち上がり、僕の前に立ちはだかり進路を塞ぐ。俯きがちに彼女はぼそりと呟いた。
「貴方は馬鹿です」
僕は唐突な言葉に面を食らった。特段変な言葉を口走ったわけでも無いのに、いきなり馬鹿者呼ばわりされてしまい、動揺が隠せないでいた。
「貴方がどれだけ辛い思いをしているのか私には分かりませんし、分かろうとも思いません。だって貴方の苦悩よりもあの人の苦悩の方が何倍も辛いはずです、それを考えると貴方の今の姿勢は……逃げてるだけです。ただ辛いから目を逸らして仕事をしている、そんなのは卑怯者のすることです。生徒会なんて貴方がいなくても私たちだけで十分機能するんですから、毎日でも顔を見に行ってあげるべきだと思います。もし私が同じ立場だったら、毎日だって好きな人の顔を見ていたいです。現実の問題が解決しなくても、それだけで色んな不幸が取り払われるんですから。私が保証します。もうずっと今の状態の貴方を見てますけど、もうそろそろ我慢も限界なんです。貴方がうだうだしていたって何も事態は良くなりはしないし、誰も幸せになんてならないんです。もうはらわた煮え繰り返って何が言いたいのか分からなくなってきましたけど、要するにさっさとあの人の所に行って抱きしめるなりキスするなり、兎に角あの人のために何かしてあげてきてください。それじゃ無いと私そろそろ本気で貴方のことぶん殴りそうです。」
副会長が伏し目がちに一言でまくし立てると、手を振り上げて僕の頰に平手を喰らわせた。
何の勢いもないその平手打ちは、僕の頬に当たると弱々しくペチンと音を立てて止まった。僕はその手を取り、こちらには視線を向けない副会長のことを真っ直ぐに見据え一言。
「ありがとう……行ってきます」
小刻みに震える副会長の手を離すと、僕は彼女の想いに後押しされる様に生徒会室から静かに出て行った。
「ふえぇぇぇん…私、頭真っ白になっちゃって、あの人に酷いこととか色々言っちゃった…」
副会長がその場でへたり込んで、ボロボロと涙を零す。それを見た会計が後ろから副会長をぎゅっと抱きしめる。
「よしよし、よく最後まで泣かずに我慢出来たにゃぁ。好きな人が別の女のところに行くのを後押しするなんて、私にはそんな勇気無かったからにゃぁ」
「うぅぅぅ、この馬鹿猫女!あんたはいつもそうやって私のこと……うえぇぇぇん!」
今度は会計の胸に正面から抱きついて、鼻をグジグジ言わせている。それを見ていた書記の後輩が、貰い泣きしてハンカチを目に当てていた。
学校内には、生徒会室の3人の泣き声に呼応するかの様に、救急車のサイレンが鳴り響いていた。
暑い、暑い夏の日。蝉の声がピタリと止んだ。
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