第3話

 病院の待合室で、所在なさげに座っている僕の方に向かって、先輩が手を振りながら歩いてくる。まだ事態を把握出来てない僕は、ただ先輩の後ろをついて行き、今日は定期検診があるとかで、病院の待合室で先輩の診察が終わるのを待っていた。

 もうすっかり日も暮れ、人気の無くなった病院内で、病院独特の静寂さに包まれながらココアを啜っていた僕の隣に先輩が腰掛ける。

 静寂に次ぐ沈黙。色々聞きたい事があった筈なのに、いざ先輩を目の前にすると、口数が少なくなってしまうのは変わっていないらしい。

「本当はね」

 僕がまごついていると、先輩は救いの手を差し伸べるかの様に、先んじて言葉を紡いでくれる。僕は少し情けない気持ちになりながらも、先輩の言葉の続きを待った。

「君にも言っておかなきゃって思ってたんだけど、お手本となる先輩でいたいって思ったら何だか言い出せなくなっちゃったんだ」

「どういう事ですか?」

「私ね、生まれつき心臓が弱くて、小学校の時は殆どの学校に行ってなかったの。でも歳を追うごとに徐々には良くなっていたの。高校2年生までは」

 僕は初めて先輩の過去の話を聞けたことで、少しだけ特別になれた気がしたのと同時に、そんな素振りに全く気付けなかった自分に、心の中で叱責していた。1年間側で見ていて気付かなかったなんて。

 言葉も無く、空になった缶を手の中で遊ばせていた僕の方を見ずに、真っ直ぐ前を見据えたまま先輩は言葉を続ける。

「学校の成績は何にも問題無かったんだけどね。高校に入ってからまた心臓の方が悪い方に向かっちゃって。それで3年生になる頃には半分も授業に出れなかったの」

 僕は心底驚いた。何故なら先輩は、毎日の様に生徒会室に業務をこなしに来ていたからだ。その時の先輩は、側から見たら何も問題がある様に見えなかった。

 先輩がこちらを覗き込んで意地悪そうな笑みを浮かべる。

「やっぱり気付いてなかった。私ね、君にだけはバレない様に色々と頑張ってたんだよ?授業は休んでも生徒会だけには出る様にしたり、先生や後輩ちゃん達にも口裏合わせてもらったり。それでもよく1年間騙し通せたなぁって、自分でも驚いちゃった」

 他にも話を聞くと、症状が強く出ている時は、強めの薬を飲んで苦しさに耐えながら業務についたり。行事が近い時などはずっと保健室で寝ていたりしていたらしい。

「流石にもう1年間はバレずに過ごせるほど運は良く無かったみたいだけどね。授業日数が足りなかったから、1年間は保健室で授業を受けて、それでめでたく卒業、っていうつもりだったんだ」

「なんで僕には黙ってたんですか?」

 僕は知らず知らずの内に、言葉に怒気を孕んでいた。

 先輩には少なからずとも副会長として信頼して欲しかったし、辛い時があったなら仕事を変わってあげたかった。何より好きな人に頼られたかった。

 先輩は椅子から立ち上がり、ゆっくりと玄関に向かって歩き出す。僕も黙ってそれについていく。先輩は後ろを振り返らずに話を続け始めた。

「君はね、私の支えだったんだ。君が見てくれてるから頑張ろうって、君が側に居てくれるから辛くても耐えようって」

「そんなの詭弁です!僕は先輩の……先輩の……!」

 それ以上は言葉にならなかった。僕の声は嗚咽となり、目から涙が零れ落ちていた。僕は先輩のことを何も知らなかった。知らなさすぎたのだ。余りの悔しさに僕の怒りは方向性を変えて決壊していった。

「結果的には君を裏切る形になっちゃったんだよね……ごめんなさい」

 僕は別に貴女に謝って欲しい訳じゃない。ただ一緒にいられる時間が幸せだったのに。どうしてこんなにすれ違っているのか、ぶつけどころの無い感情が思考を邪魔してくる。

「それにね、君には幸せになって欲しかったんだ。知ってる?実は後輩ちゃん達……書記の子と会計の子、彼女たちも君の事が好きなんだよ?だから私みたいにもしかしたら死んじゃうかもしれない人間より、ずっと側に居てくれる人の方が……」

 僕はそこで先輩の言葉を遮って、こちらに無理やり振り向かせた。そして僕は腕を大きく振りかぶり、平手打ちをしようとした。しかしそれは既のところで止まった。そこには今まで一度も見たこともない、くしゃくしゃな泣き顔で嗚咽を漏らしている先輩がいた。

『彼女たち「も」君の事が好き』

『もしかしたら「死んじゃう」かもしれない人間』

 全てを知っている先輩の方がよっぽど辛い現実。それを飲み込んで居なくなろうとした先輩。僕はわなわなと震える腕をゆっくりと下ろすしか無かった。

 そして先輩は弾ける様に駆け出し、僕はそれを止めることが出来なかった。どんな言葉を掛けていいのか皆目検討もつかない、仮に言葉を掛けても止まってくれるとは思えない。

 僕は無力だった。

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