第2話 ヒツジと声優と
ライブバー『満天倶楽部 溜池山王店』での仕事は、双子にとって楽勝の日々となった。
何せライブをする顔ぶれは、ジャズバンド、ピアノ奏者、ギタリスト、ポエマー、オペラ歌手、ジャイアン(嘘)。
ライブの高揚感に同調して破壊活動に及んだり、酒に呑まれて異性に見境なく絡んだり、双子の美貌に目を付けて重度のセクハラに及ぶノリの客層ではない。
行儀良く座ってライブを堪能し、酒と料理を手頃に頼んで帰っていく。
サービス業にとって、理想的な客層なり。
大きなトラブルは発生せずに、二週間が過ぎた。
酒の肴のフライドポテトを用意しながら、美柑がカクテル製作中の中坂店長に充実感を伝える。
「チンするだけの料理を、コンビニの二倍の値段で売る行為にも慣れました」
「言い方が…まあ、いいや」
本当に慣れて仕事の環境を楽しんでいるようなので、店長は『一番忙しいライブの日』について説明しても逃げないだろうと判断する。
双子の片方、桃名の方は、客と自由闊達にオタ芸コマネチについて談笑している。ライブ開始前の料理注文ラッシュさえ乗り切れば、客と交じって暇を潰してもいい程に余裕がある。そういう隙に寛ぐ事を、桃名は躊躇わない。
(う〜ん、クソ忙しくなる日があると知れば、逃げるかもしれん、彼女は)
脳波を全て掌握された記憶は無くても、桃名への苦手意識を抱いてしまった中坂店長は、彼女に直接話し掛けない。美柑に話せば、桃名にも伝わるので、不都合は起きていないが。
(美柑が残れば、桃名も残る気もするし。たぶん大丈夫、かなあ)
人材確保の為に、中坂店長は時間外勤務を決めた。
閉店後の作業を済ませて、双子が店内を寝床仕様に換装(征服者として寝所にしている)し始めるタイミングで、店長は帰宅せずに美柑の正面に座る。
てっきり店長は帰宅すると決め付けていた美柑は、パジャマに着替えかけていた脱衣動作を途中でキャンセルする。
「な、なんでせうか?」
「ん、今週の土曜日だけど。いつもと違ってクソ忙しくなるから、説明しておきたくて」
半脱ぎの美柑を前に、店長はクールを装う。
視界に入る第二ボタンまで外れた白ブラウスから溢れた胸の谷間とか、腰から30センチ下がってしまった黒パンツを慌てて引き上げるモーションとかに、敢えて反応しない反応をする。
中坂源五郎、四三歳。
ラッキースケベで人生を誤る男ではない。
「先に風呂行くよ〜」
場の雰囲気を察して風呂場に行く桃名だが、相棒をからかう誘惑には勝てなかった。
「二十分は戻らないから。二十分なら、ふきふきまで余裕で進めるよね?」
二人は下ネタを無視して、お仕事の話に入る。
なんとなく敗北感を感じて、桃名は汗を流しにバスルームに去る。
「土曜日にライブをする
「声優さんの、ライブ?」
美柑の脳裏に、店内狭しと立ち並ぶアキバ系オタク達が、サイリュームを二刀流で振りかざしながら踊り狂うイメージが大画面で浮かぶ。
店の外には、ライブの予約が叶わずにゾンビと化したアキバ系オタク達が押し寄せ、客避けのクレイモア地雷で粉砕されていく。
ちょびっと偏ったイメージだ。
「戦場ですね」
「いや、世間一般で言う声優ライブではないです。この店で普通に行われているライブと変わりないです。ただ、作業量が多くなります」
「…それで、わざわざ?」
「前の従業員が、忙しさに挫けて辞めてしまいましたので」
「…本当に、忙しいだけで?」
美柑は、桃名に店長の脳波を検索させようかと考えて、打ち消す。
桃名が、悪戯心に負けて検索だけで済ませなかった場合、せっかく見付けた気安い仕事場が破壊される。
「大丈夫ですよ。忙しくても。私たちは」
「あー、うん。頼みます。一人だとキツいので」
「一人にはしません」
誤解されかねないラブコメ台詞であったが、店長は誤解しなかった。
「じゃあ、帰るよ。十分も時間外勤務をしちゃった」
「おやすみなさい」
「うん、おやすみー」
美柑は、隙のない笑顔で見送る。
店長が帰ってから更に十分後に、桃名は風呂場から髪をドライヤーで乾かしながら
「いや〜ん、店長に見られちゃ…いねえ?! 帰った?! 合体せずに?! ゴーホーム?? 桃名のサービス・ラッキースケベが、大不発!?」
「お前、何のつもりで
美柑が、桃名まで三メートルの距離で手刀を突き出す。
美柑の爪の間から噴出された柑橘系スプレーが、桃名の目に入って厳しい痛みを与える。
脳波を掌握出来る桃名の『
「目が〜! 目が〜〜!?」
桃名はムスカごっこをしながら、烏龍茶で目を洗い流して特殊攻撃を無効化する。
双子は、その程度の能力しか持っていない。
催涙スプレーのようなオレンジジュースを放出できる
この双子に改造手術を施した秘密組織は経営不振で他の組織に合併吸収され、責任者は雲隠れした。
ピーキーな能力を除去しようにも、コスパを理由に組織から断られた挙句、戦力外通知をされた。
一方はオレンジジュース飲み放題以外の特技がなく、一方は尋問に最適そうだが人格に問題が有り過ぎて、各方面から遠慮された。
ヒーローにもヴィランにもなれない双子の就活は、難航する。
二人とも美人ではあるので採用はされやすかったが、客からのセクハラを迎撃する度にやり過ぎて今に至る。
就寝前に、桃名はスマホで土曜日にライブする声優さんについて、ウィキペディア様に託宣を求める。
「ふむふむ、そろそろ中堅の実力派やの…うおうっ?!
桃名がエキサイティングする一方、美柑はカルチャーショックに襲われる。
「・・・あの歌が異様に上手いお姫様と、ギャグアニメのツッコミ入れてばかりのキャラが、同じ人って・・・」
「深いだろう、声優界」
「訳が分からない」
「歌手として来るから、その辺は気にせんでもオーケーっしょ」
深くは考えずに、桃名は真っ裸でソファ改造ベッドに潜り込んで寝に入る。
どんな突発的トラブルに見舞われても相手の脳波を掌握出来る能力で切り抜けてきた経歴を持つせいか、危機感が薄い。
「・・・何だろう・」
相棒のように便利なチート能力を持たない美柑は、店長の気配りの足りていない説明部分を気に掛けて、眠りに落ちるのが五分遅れた。
バーカウンター改造ベッドにミカン模様のパジャマ装備で寝静まった美柑の浅い夢の波長が、店内に溢れて桃名の寝顔まで流れ出る。
桃名は寝たまま、相棒の夢を鼻息で弾き返した。
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