スクリュードライバー&ナイトメア
九情承太郎
第1話 オレンジとヒツジと
【スクリュードライバー】
(1)ウォッカをオレンジジュースで割ったカクテル。
ベースの酒を何にするかで、名称のバリエーションは多岐に拡がる。
(2)工具。ネジをグルグル回す也。
全身黄色は、ヤバかろう。
「営業時間は、午後六時から十一時まで。開店前と閉店後の一時間が、勤務時間です。つまり七時間。休憩は一時間、トイレ休憩は十五分を二回。
時給は夜間手当込みで1500円。
勤務日は、週二日から五日までです。
他に聞きたい事は?」
「有休は使えますね?」
美柑は、隙のない笑顔で聞いた。
「勿論です」
「御仏に誓って、騙していませんね?」
美柑は、隙のない笑顔を保ったまま、強い口調で聞いた。
「勿論です」
(前の職場は、相当なブラック企業だな)
中坂店長がバイト面接者の過去を慮って履歴書を読み返そうとすると、職歴欄は空欄であった。
「これは、…就職は初めてという意味?」
「全て一ヶ月以内に離職したので、書くに及ばないという意味での空欄です」
美柑は、隙のない笑顔を保ったまま開き直った。
「離職の主な原因は?」
「守秘義務が有りますので、前の職場でのトラブル経緯は…言えません。無理にでもこの件を蒸し返すようでしたら、パワハラと認識して裁判所でトドメを刺しに行く展開へ、GO!」
美柑は、隙のない笑顔を保ったまま威嚇した。
「ああ、いいです。トラブルは好みません」
中坂店長は、和を重んじた。
伏せたい過去に拘泥わるような人物であれば、ライブバーの運営は出来ない(←注意・適当な発言)。
人並外れてトラブル回避に心砕く中坂店長の草食性は、外見の優男ぶりにもよく現れているが、もう一人の面接者は安心せずに就職活動の締めに入る。
「何? どこを見ているの?」
中坂店長は、水平の視線の高さに近付いた胸の谷間に視線を送らないよう留意しながら、面接者を見上げる。
双山
「天使の、輪」
犠牲者への礼儀として、嘘は言わないで済ませる。
警戒しながら見上げる中坂店長の頭の上に手を伸ばし、頭皮の外側から脳波を直接指に絡め取る。
その両手の毛穴からは光る細毛が叢雲のように生え、脳波を更に密接に絡めて掌握する。
二十歳に成るか成らぬかの美女二人が店内を見聞する様を傍観しながら、何も感じず何も記憶しない状態で、中坂店長は椅子に座り続ける。
相棒が就職先の責任者の脳波を全て掌握した頃合いで、美柑は背伸びをして緊張を解す。
「う〜ん。占領すると狭く見えるよね、この店」
美柑が勝手に冷蔵庫を開けてオレンジジュースを三人分用意する間に、桃名は中坂店長の脳波から必要な情報を得る。
「カウンター席 10
テーブル席 50
補助席 10
ライブを観賞しながら、ゆったりと飲み食い出来るレストラン&バーだから、回転率は気にしなくていい。テーブルチャージ料金だけで、店は黒字。
素晴らしいわ、黒字。愛のある単語よ」
桃名は店長の頭髪にキスしながら、黒字という単語を堪能する。
「黒字っ! 黒っ字っ! 黒っ! 字っ!」
「え? 席に着くだけで、料金が発生するの?」
危ない店ではないかと、美柑は店内を再三見渡す。
店内空間の清潔さは抜群だし、椅子・テーブル・食器・酒類は水準以上の品が用意されている。
小ぶりのグランドピアノを中央に、余裕のある席の間取り。
ライブ、レストラン、バーの役割を過不足なく果たせる店の間取りは、機能美すら醸し出している。
高い完成度の店に、美柑は却ってビビり始める。
生活の為に飲食店の占領を実行しても、不安材料にいちいち慄く美柑の心配性は、根深い。
「バックに変な団体はいないよね? 既に警察に通報されるようなお店じゃないよね? また逃亡先を探す展開??」
美柑のジタバタ焦燥に、桃名は安心させる情報を手繰る。
「ライブ料金とテーブルチャージ料金を併せて、二千円から三千円。推しのライブに来た代金としては、高くない」
「高くないの?」
推しているアーティストのライブに行くという経験のない美柑が得心に至らないので、桃名は店長の脳波から安心材料を追加する。
「この店の客層は、行儀良く振る舞ってくれるよ。客の目当ては、推しのライブだから、酒を飲んでも暴れる心配は低い。吐いて暴れるくらいなら、自決を選ぶ」
「おおう、私たちには無関心でいてくれると」
そこまで聞いて、美柑は都合よく納得する。
「じゃあ今回は、普通に従業員として、居つこうか。忙しくない上に、セクハラが無さそう」
「待て、早まるな、みかん星人。店長の性欲レベルを確認してから。私ら、着エロやAVにスカウトされるレベルのエロい美貌やぞ? 草食系に見えても、一緒に働いているうちに辛抱出来なくなれば、発情コンバイン・1-2-3。また同じパターンが繰り返される」
「うん。もうセクハラ者への天誅は、飽きた」
「助平な男の脳波を去勢するのにも、飽きた」
物騒かつ不穏な二人の美女が合意し、中坂店長の脳波から性欲の分野を添削する。
本人が一番気に病んでいるセクハラ行為が、頭の上に映像で再現される。
満員電車で、真後ろの女子高生の尻が、若き日の店長の尻に密着してしまっている。
若き日の店長はラッキースケベに甘えたりせず、何とか身をずらそうとする。
発情はしていない。
女子高生を気遣い、責任は無くても恥じている。
桃名は、中坂店長の脳波を手放す。
「この男、筋金入りの善人やぞ」
「じゃあ、しばらくは、従業員のままで」
美柑は、この店に入って初めて安心して微笑む。
中坂店長が意識の主導権を取り戻すと、目前のテーブルに三人分のオレンジジュースが乗っていた。
(???)
そこいら辺の記憶の辻褄合わせが付かないうちに、店長は美柑が自然体の笑顔を向けている事に意識をシフトさせる。
接客業経験の有無に関係なく、人を安心させるその笑顔が出来る美柑を、店長は信用する事に。
美柑の採用を決めた店長は、もう一人を決めかねる。
こういうイメージを抱くのは中坂店長も罪悪感を感じるが、双山
間を置く店長に、桃名は牽制球を投げる。
「大丈夫ですよう。私らモテるけど、振るの上手いから」
「上手い?」
「警察沙汰なし。ストーカーは更生。修羅場は殲滅」
最後の『修羅場は殲滅』に不穏さを感じつつ、店長は私らの部分を確認する。
「二人は、親しい友達?」
「双子です」
美柑にそう言われてから、顔立ちと体型に相似性があると気づく程度の双子だった。
「苗字が違うのは、親の趣味。お役所公認だから、採用に問題は無いですよ」
桃名の方は、オレンジジュースにウォッカをドっと垂らしてカクテル「スクリュードライバー」を作ってから、祝杯を促す。
「さあ、私らの就職祝いに。有能な美人二人を雇用出来る、店長の慶事に」
ライブバー『満天倶楽部 溜池山王店』の中坂店長は、営業前に酔うつもりは無いので、一口だけにしておく。
ウォッカが多めのスクリュードライバーだったが、酔いは全く回らなかった。
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