第8話

 岩塩をまぶした生の肝臓へ手をのばし、シュナイが背後をふりかえる。

「だが、何よりもアラートンの腕があってこそ。よくも少ない時間で三羽もとらえ、手際よく解体してみせたものだ」

 その賞賛を聞いて、アラートンがふりかえった。

「作った者としては嬉しい言葉です。獣罠と飯炊きの腕だけがとりえでございますから」

 笑みを浮かべるアラートンの前には、枝に兎の死体の残骸がぶらさがっている。

 血抜きが終わり、内臓はかきだされ、前足も後足も切断され、残るは肋骨周りの薄い肉だけ。

 アラートンは手際よく残った肉を骨からそいでいく。

「まったく、貴様は拾い物だよ。従者として予想以上にやってくれている」

 ふうっとシュナイが酒臭い鼻息を出す。

「そこの女奴隷、たしかエイダといったな。つい先まで我らを見て怖がっていたようだが、何もおそれることはない……むろん、我はジャニスとともに勇者として敵の領域に踏み込み、敵の命を奪いながら旅をしてきた。酸鼻きわまる風景をこの腕で作り出してきた」

 シュナイの瞳に写る焚き火の光がゆらめいた。

「だが、戦う術のない相手と戦ったことは一度もない。ジャニスも、もちろんアラートンもだ」

 エイダが暗がりからアラートンへ目をやった。

 シュナイが笑った。

「もっとも、旅のともをさせてまでアラートンを助けたのは、ほんの気まぐれのようなものだがな。そこの呪術師に感謝をしておけ」

 口もとを大きな葉でぬぐいながら、ジャニスは無表情で答える。

「無理やり戦わされようとした戦場から逃げてきたといい、額を土にこすりつける姿が、いささか哀れに思っただけです」

 広げた葉に兎の肉片を並べながら、アラートンがつぶやいた。

「俺は、そもそも戦いが苦手でしてね……人と獣、人と魔物、元から違う相手ならまだ話は別ですが、人と人の戦はどうもいけません」

 魔物は世界に広く棲息しているらしいが、今の欧州では人間に押されつつある。

 せいぜい人の住めない場所で集落が点在するように残り、散発的に襲ってくる程度だ。

 統率された戦力をもって魔物が人間を圧倒しているのは、今では大陸西端のイスパン半島だけ。

 その半島に魔王の出城があるという。

 シュナイ達はそこを目指していた。


 ジャニスが杖の先で焚き火を崩して、炎の勢いをつけようとした。

 地面の枯れ枝を集めただけなので、まだ乾燥が充分ではない。

 はじける音が何度も鳴り、さほど火は大きくならなかった。

「……まったく、旅をつづけていると人間が嫌いになるばかりです」

 口をとがらせるジャニスを見て、シュナイは目を細める。


 人を嫌うジャニスの言葉に、アラートンが応じた。

「そうですな。奴隷、紛争、虐殺、どれも昔から……魔物と人の戦いが始まるよりも前から……人間の国ではありふれとることです。エイダもそこの村で奴隷として囚われていたではないですか」

 そういってアラートンは暗がりのエイダを見つめ、すぐに目をそらした。

 シュナイが枷を外した直後は、赤い痣が喉元と足首に痛々しく残っていたが、今は痕も残っていない。


 魔物が人々の前に姿を現したのは、数百年ほど前のこと。

 それまでは伝説の中に、あるいは少数の人々の目撃談として知られているだけだった。

 現れた魔物は村や街を襲って勢力を広げ、こぼれた水が布へしみるがごとく、人間の住む世界へ浸透していった。


 しかし魔物が歴史にあらわれるよりも古くから、人々が互いに争っていたことも確かであった。

「同属同士の争いは、魔物も同じようなものだ。おそらく魔物と人間との間で行われた戦いより、魔物同士や人間同士で殺しあった数が多かろう」

 シュナイの言葉にアラートンもうなずく。

「ええ、きっと魔物がこの大陸へ来なかったとしても、人は人と戦い、悪くすれば滅んでいたでしょう。加護術が生まれずとも、別の強力な兵器が作られたでしょう。錬金術だか科学だかが生み出した、火薬なんてものを聞いたことがあります。火をつけると爆発する、特別な薬です。それが発展すれば、加護術がなくても……」

「そこまで悪くはいうまい。あるいは大海原に乗り出して、遠くの地に住む人間と金銀や香辛料を売り買いしたやもしれぬ」

「きちんと対価を支払わず、現地の住民から強奪して殺戮して支配したかもしれません」

 シュナイは苦笑を返し、またも一気にジョッキを飲み干して、つぶやいた。

「……それにしても、村にいた全てを殺す必要はなかったな」

 会話が止まって沈黙が降りると、夕刻に見た光景が思い出される。


 見えたのは、魔物と人の死体が散らばる地面。

 聞こえたのは、民家の柱や屋根板が燃える音。


 シュナイとジャニスは必死に戦ったが、同属を救うという目的ははたせなかった。

「それでもエイダは救われて感謝しとりますよ。そうでしょうが?」

 アラートンがいうと、エイダは首を縦に振った。

 しかしジャニスが、硬い声と冷たい視線をシュナイへ向けた。

「殲滅に、手間に見合う効果はないでしょう。しかし敵である以上は、根絶やしにすることに何の問題もないはずです」

 焚き火の明かりを正面から浴びている無表情の底に、暗い怒りがくすぶっている。

 アラートンも追従した。

「そう、歯向かってきたのはあちらです。しかたありません」

 シュナイは空を見上げた。焚き火からのぼる白い煙が糸杉の梢にさえぎられつつ、星空へ消えていく。

「人間と魔物……争わずにすめば、それがいいのだろうがな」

「無理でございますよ。御自身の手を、よく御覧になってください」

「ふふ、肉を食らったばかりで、血にまみれておるな。しかし、よりによって貴様がいう言葉か……」

 シュナイが鼻を鳴らす。強い酒の臭いがただよう。

「……酔ったかな。ついつい意味のない話をしてしまった」

 アラートンが応じる。

「いえいえ、たいへん面白いですよ。ぜひ続きも聞かせてください」

「なあ、アラートンよ……貴様は、あるいは我らの仲間となりうる者かと思うよ」

「いえ、俺だからこそ、人間と魔族は争うものだと断言できるわけでして」

 軟骨までシュナイにしゃぶられた大腿骨が地面へ落ちた。腰帯にさした剣をシュナイが鞘ごと抜き、杖のように地面へ突きたてて体を支える。

「うむ……力を使いすぎたかな。ひどく眠い……」

 そしてそのままシュナイはうなだれた。整った顔立ちがふせられ、ゆっくりと前後にかしぎ始める……

 そんなシュナイの様子を見つめながら、静かにアラートンは立ちあがった。

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