一幕 運命の印

第2話

 アラートンが勇者シュナイの従者となって半月がたった。


 煉瓦づくりの小さな住居が、壊れた窓や木の柱から炎を上げ、夕空をさらに赤々と染めていた。この小さな村で動く影は、今は勇者とその従者のみだった。


 シュナイは細身の肉体を軽い皮鎧でつつみ、炎の熱をあびながら押し黙っている。その中性的で非人間的な表情からは、心情をおしはかることは難しい。

 握る細身の剣からは血がしたたり落ち、皮鎧にも泥や血のしぶきが点々とはねていた。

 周囲には何頭もの馬の死体が倒れている。一見すると、巨躯なだけで普通の馬と違いはない。しかし、その脚は八本もあった。


 北方の神話に伝わる獣から名をとった魔物、多脚馬スレイプニルだ。その死体から流れる血は道のみぞへそそぎ、朱色の線が蜘蛛の巣のように広がっていた。

 スレイプニルは、教会の奇跡とされる技「加護術」で手なずければ家畜にもなる。しかし本性は凶暴で、野生にかえれば人を襲うことも多い。

 この村の村長も、スレイプニルの強靭な蹄で蹴られ、頭蓋骨を砕かれ、背骨を折られ、ぐにゃぐにゃ曲がった死体となって地面に転がっていた。

 さらに周囲には村が雇った用心棒の死体も倒れている。


 シュナイの背後から、若い女の声がかけられた。

「遅すぎたのです。シュナイ様の責任ではありません」

 うなり声をもらしながらシュナイがふりかえった先には、漆黒の僧服を身にまとう若い女の姿があった。

 ともに旅をしてきた呪術師のジャニスだ。

 ゆったりとした服装のため身体の線ははっきりせず、素肌が見えるのはフードの下にある顔と、手首から先だけ。

 赤々とした炎の光をあびながら、ジャニスの頬は石像のように白く青ざめている。それは死者の顔だった。


 フードからこぼれているジャニスの銀髪に、炎の赤が照り映えた。

「もう行きましょう。ここは熱すぎます」

 若い男の声がジャニスに賛同した。

「そうです、旦那様。全滅させたとはいえ、いつ敵が気づいて兵を送ってくるかわかりません」

 村のそばまでせまっている森の影から従者が顔を出した。背負った荷物がこずえにふれて、乾いた音をたてた。

 アラートンは従者になっても農奴服しか着ていない。戦いにくわわれる格好ではないからと、近くの森に隠れながら、すべての行く末を見守っていた。


 うなり声をやめてきびすを返したシュナイは、しかしすぐに足を止めた。

「どうなさいました?」

「いる……」

 ジャニスの問いに短く答え、シュナイは爛々らんらんと光る双眸そうぼうで周囲を見わたした。

「人間の、娘の気配だ」

 焦げ臭い煙がただよう風景から、シュナイは気配の正体をさぐろうとする。

「俺には、何も感じませんが……」

 村落内に足を進めたアラートンが、シュナイへよりそうように近づいて、周囲を見わたす。

 倒れたスレイプニルの奥には、村長と用心棒達が死体となって転がっているだけ。

 シュナイが村についた時、すでに他の村人は逃げ出していた。

「……そこだ」

 目を細めたシュナイが走り出し、村落で最も大きな三階建ての家屋にふみこんでいった。


 後を追いながらアラートンが建物を見あげてつぶやく。

「たぶん村長の屋敷ですね、こりゃあ」

 この村では頭抜けて大きく、屋根は木の板でなく赤い瓦を重ねている。柱も厚く漆喰が塗られていて、まだ燃え落ちるまでには余裕があった。

「アラートンはそこで待っていなさい」

 そういいのこしてジャニスもシュナイの後から炎へとびこんでいった。。

 アラートンはジャニスをしばらく目で追った。そして左右を見わたし、自分一人しかいないことを確かめ、あわてて従者らしくシュナイとジャニスを追った。

「俺を置いていかないでくださいよ」

 アラートンは情けない声をあげて、崩れかけた屋敷へふみこんでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る