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「ゴメン、なんかあんまり美味そうなのなくて。うちの母さん、安いオレンジジュース好きで買い置きしてるみたいなんだけど、嫌いじゃない?」
来澄君は喋りながら入ってきて、床の上にお盆を置いた。テーブルの上がパズルで占拠されているからか、彼はそのままお盆の上でコップにジュースをくんで、はいと私に差し出してきた。
「ありがとう。オレンジジュース、だいすき」
床に座って渡されたコップでゴクゴク飲むと、それまでのことが全部なくなっていく気がして、身体が軽くなった。
来澄君も、飲み終えるとスッキリした顔で、私が見ていたパズルの山を眺めていた。
「パズル、すごいね。たくさんある」
私が言うと、来澄君は得意げに、
「まあね。こういうの好きなんだ。時間忘れて没頭できる」
いつもは見せない力の抜けたような顔を見せてきた。
「それにさ。パズルは一人でもできる。何時間でも、やり続けられる」
静かに笑う来澄君は、教室では見ない。多分、こっちが本当の来澄君に違いない。
「来澄君が誰かと遊んでるの、見たことない」
ぽつり呟くと、来澄君はごろんと床に仰向けになった。
「友達なんて居ないから。どうせ俺、“嘘つき”らしいし」
「それ、さっきも言ってたね。でも来澄君、嘘、つかないでしょ」
「ハハッ、そう言ってくれるのは、うちの親とまっしくらいかな」
来澄君は寂しそうに笑う。
「俺、他人には見えない物が見えるらしいんだ」
「――え?」
驚きの声を上げた私を、来澄君は寝転びながらじっと見ている。
私の反応を探っている。
「嘘だと思うだろ。でもさ、何か、見えるんだ。まっしの周り、歪んでる。悩み事がある人の周りは、空気が歪んで見える」
ドキッと、激しく心臓が鳴った。
誰にも言わない、知られたくないと思っていたことを、眠れなくなるほど悩んでいることを、来澄君は見透かしていた。
「小さい頃から、変な夢を見る。行ったことのない外国の街を、何度も何度も歩いてる。そこがどこか知りたくて色々調べたけど、結局わからなかった。外国の写真を見てると、もしかしたら俺はそういうところに住んでいたことがあったのかもって思うようになって。それから、パズルにはそういう写真が多く使われてるのを知って、やるようになった。変わってるだろ。兄貴も俺のことを“嘘つき”って言う。うちの家族の誰も、海外旅行になんか行ったこともないのに、何言い出すんだって」
来澄君の部屋の前には、確かにもう一つ、部屋があった。それが、お兄さんの部屋。来澄君は、お兄さんと上手くいっていないらしい。
「他にもあるぜ。俺が見たことのある物を誰も知らなかったり、誰も知らない出来事を見てきたかのように喋ったり。外人が喋る言葉が日本語で耳に届くことがあるとか、車が空を飛ぶのを見たことがあるとか。夢……だったのかな。わからない。俺、自分の中にもう一人の俺がいるような気がして、怖くなるときがある。でも、嘘はついてない。見たこと、体験したことを喋ったつもり。それを誰も理解してくれなくて。俺の感覚は、皆と違う。だから、“嘘つき”だと言われる。それだけだ」
もし、私が空想好きでなかったら、本好きでなかったら、来澄君のことを気持ち悪いと思っていたかもしれない。小説の中に出てくる不思議な力を持つ子どもは、大抵いつも悩んでる。自分が皆と違うことに悩んで、苦しんでいる。
私は来澄君を、そんな登場人物たちと重ねてしまっていた。
「来澄君は、嘘つきじゃないよ。当たってる。私、今、めちゃくちゃ悩んでるんだもん」
教室では絶対に言えないことを、私はふと口走った。
「うちの親、離婚しそうなんだ」
言った後で、涙がにじんできた。誰にも言わないと誓っていたのに、来澄君に言ったことを後悔したのかもしれなかった。たった一言だったのに、溢れ出した涙がどんどん零れて、止まらなくなってしまった。
「そうか」
来澄君は相変わらずごろんと寝転んだまま。
私から目を逸らして、天井をじっと見つめている。
「だから、歪んだ上に変な色してたんだ。声かけて正解だったな」
静かに話す来澄君の声は、じわじわと胸に響く。
「ここで、全部涙流していけば? 家に帰ったら泣けないんだろ」
むくっと起き上がり、来澄君は私にハンカチを差し出した。それから、ボックスティッシュも。ゴミ箱も。
「俺、パズルの続きしてるから。落ち着いたら教えて。送ってく」
来澄君はそう言って、私に背を向けてパズルを組み始めた。
私はしばらく泣き続けて、ゴミ箱は使用済みのティッシュでどんどん埋まっていった。
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