第64話

 岩屋に呼び寄せられた由月と日夏が車に乗り込めば、仁美は3列目シートに食料と共に追いやられる。

遅れて浜崎と吉沢も駆けつけると、統也は通話をスピーカーに切り替える。


「緒方サン、ちょっと待っててください!

 大川サンっ、隊舎内に【例外】が発生した! 今、食堂に避難してるってっ」

「もしもし、大川です。直ぐ側に【例外】がいるのね?」

「レイガイ何て言われたって、オレにゃぁ良く分かんねぇよぉ、

 ただ、松尾が部下全員 食っちまったんだ!」

「隊舎に待機してる隊員全員となると、11人にもなるぞ……」


 浜崎の言葉に、一同は愕然。

例外である松尾と、11人の死者。分が悪すぎる。

ハッキリしている事は、戦う術を持たない以上、隊舎に留まり続けるのは危険。

由月は建物の見取り図を思い返しながら、食堂からの逃走経路を模索する。


「現在に於いて、彼等に生前程の身体能力は確認されていません。

 行動は食欲に集中し、例え力が強くとも、全ての反射は極端に鈍いものと思われます。

 脱出は可能です。最も安全なのは窓から。

 バリケードを解放し、速やかに その場を離脱する事を推奨します」


 窓に打ち付けた板を取り除くには手間もかかるが、正面突破するよりは死者との接触を減らす事が出来る。


「緒方サン、聞きましたね!? 全員でそこを出るんです! 車に、」


(駄目だ、全員は無理だ!)


 残っている車両では、全員が乗車する事は出来ない。


「クソッ……せめて車庫に籠城してください! 皆にそう伝えて!

 岩屋サン、今すぐ出発しましょう!」


 統也の言葉に、浜崎と吉沢は夫々の車両に戻り、帰路を急いでアクセルを踏む。

だが、岩屋は迷う。これから戻る場所は避難所の機能を失った、死者の巣窟だ。



「ゾ、ゾンビがいるって分かってるトコに行けってのか!?」



 駐屯地に戻るのは自殺行為でしかない。

蕩恐する岩屋に、統也は身を乗り出して言う。


「戻るんです! それから皆を連れて脱出する!」

「お前はそうやって、何で わざわざ寿命を縮めようとすんだよ!?

 ここ何処だと思ってんだ!? 今から行って間に合うわけねぇだろ!?」


「動き出さなきゃ いつだって間に合わない!!

 そんな事、岩屋サンだって とっくに気づいてるだろ!!」


「!」


 1歩を踏み出さなければ、1歩すら近づく事は出来ない。

浮かぶ諦観に任せて婚約者を救いに戻らなかった岩屋だからこそ、ヒーローに憧れるのだ。

同じ過ちを繰り返さない為には、この1歩が何よりも大事なのだ。

統也の言葉を、岩屋は強く噛み締める。



「ちくしょッ……その通りだよ!!」



 エンジンをかけ、前の車両に急いで合流。

統也は再び携帯電話を抱え込む。


「緒方サン、急いで戻りますから!」

「うぅぅ、すまねぇな、統也……オレたちゃ田島のヤツをよ、見捨てようとしたんだ……

 きっと、そのバチが当たったんだ……」

「その話なら後で聞きます、良いですか?

【例外】の松尾に限っては鼻が利く。隠れていても何れ嗅ぎつけられる」

「そ、そんなぁ……」

「ねぇ! 臭いを誤魔化す方法って無いワケ!?」

「ぇ、えっとぉ何でしょう……由月サン、何かありますかっ?」


 そんな疑問は ずっと以前から考量している。

だが、これと言った対策が用意できずにいるのだ。


「彼等の身体機能から、脳の活動領域を考察する限り、

 爬虫類の構造に酷似していると言えるけれど……」

「でしたら、忌避剤や殺虫剤を撒くのはどうでしょうか!?

 それなら食堂にあったと思います!」

「はぁ!? アンタなに言ってんの!? 量は!? どんだけ撒こうって!?

 あんなの人間にも有害じゃん! 大体ゾンビに殺虫剤って、フザケてるでしょ!?」

「だ、だって……す、すいません……、」


 仁美に叱責され、日夏は小さく身を丸める。

然し、由月の仮説を頼りにするなら、日夏の言う撃退法は試してみる価値はありそうだ。

ただ、仁美の言う様に、窓を締め切った食堂内で殺虫剤を撒いては人の匂いを誤魔化す前に昏倒する者が続出するだろう。

こうなると運を天に任せるしか無いのか、

一同が策を講じている間に、スピーカーの先が一層に騒がしくなる。



 ガタン!! ガタン!! ドン!! ドン!! ドン!!



「ぅ、うあぁ……来やがった、来やがったぁあぁあぁ!!」

「逃げるんだ!! 早く!! 緒方サン、田島も一緒にお願いします!! 緒方サン!!」

「と、統也、すまねぇ! オレは逃げる!! 1人だって逃げるぞ!!

 あんなバケモンに食われちゃ堪んねぇよぉ!!」

「緒方サン!!」



 ガチャン、ガタン、

 ―― カツン……



 緒方は携帯電話を投げ捨て、逃げ出した様だ。

然し、通話は繋がった儘。食堂内の惨劇が音として伝えられる。


「きゃぁあぁ!! ここから出してぇ!!」

「助けて!! 誰かぁ!! 誰かぁ!!」

「嫌だぁ、食べないでっ、食べないでっ、許して、ごめんなさいぃ!!」

「ぎゃぁあぁあぁ、……ッッ、が、ぁぁ……」


 繰り返される阿鼻叫喚の悲鳴。そこに混じる、死者達の唸り声と咀嚼音。

日夏は耳を塞いで座席の足元に小さく蹲り、仁美は顔を背け、声を尖らせる。


「もぅイイから! 電話、切ってってば!!」

「……」

「統也君……」


 動きを失う統也に代わり、由月が代わって通話を切る。

車内には日夏の啜り泣く声。慰める余力も無い統也は放心するばかり。


(どうして、いつも間に合わないんだろう……

 父サンも母サンも、雅之も、診療所の人達も、田島も……これからずっと間に合わないのか?

 1人残らず死ぬまで、殺されるまで、手を拱いて絶望させられるのか……?)


「何の為に……」


 統也が呟くと、由月は柳眉を逆立てる。


「まだ全員が捕食された訳じゃないのよ。結論を急ぐべきでは無いわ」

「はぁ? 殺虫剤ネタ投下した人がなに言ってんだか……

 あんなんで、どうやったら生き残れるって!?

 もう好い加減やめません? ……長生きするだけ損でしょ、」


 仁美の怒声は語尾には萎れてしまう。

あの時 死んでおけば良かったと、心から後悔しているのだろう。

岩屋はフロントミラーから落胆に静まり返る後部座席を見やり、怒鳴りつける。


「だからどうすんだよ!? それでも戻るのかよ!?

 ハッキリしろ、ガキ供! だからユトリは嫌い何だ!!」


 統也は両手で頭を抱え、項垂れる。


(田島……)


 眠りに落ちる前の田島が『1人は嫌だ』と、酷く怯えていた姿が思い出される。


(あぁ、何を迷ってるんだ、俺は……

 約束したじゃないか……絶対に起こす、置いていかないって……)



『ありがとな、統也。お前のお陰で生き延びた……』



(田島……)



「行きます……田島を、1人には出来ない……」


 目を背け、逃げ出す事は簡単だ。だが、それをやってしまえば最後。

現実に立ち向かう勇気を、永久に手放す事になる。今生きる全ての命を諦める事になる。

それ等は1度失ってしまえば、2度と取り戻す事は出来ない。


(状況は時間を追う毎に悪化する。

 僅かな希望を手繰り寄せては直ぐに綻び、向う場所も帰る場所も奪われる。

 ―― 絶望だ。絶望を迎える為に俺達は生きている。

 飲まれていきそうだ、狂った世界の波に……だから思う。

 後もう少し地球の心音に身を委ねる事が出来たら、楽になれるんじゃないかって……)


 ギュッと、統也の手が握られる。


「大川サン……」


 由月は統也に目を向けるでも無く、唱える様に言う。


「そんな顔、しないで……諦めてはいけない……アナタには、諦めて欲しくない……」


 表情はいつも通り冷静なものだが、由月の手は震えている。

統也は小さく頷く。



「―― はい、」



 その声は力ない。




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