第63話

 N県から程なく迎えるK県は、やはり異常な蒸し暑さだ。

影響を受け易い土地の1つに、このK県が上がる事もあって一同の緊張は高まる。

行きと同様のガソリンスタンドで1度目の給油を済ませる間、由月は岩屋の車に顔を出す。


「失礼します、宜しいでしょうか?」

「あぁ、大川センセ、どうした?」

「問診に窺いました。体調に変化はありませんか?」


 この気象下では、坂本の様な急性的な変化が危惧される。

眠りに関しても然り、自殺ともなればロープで拘束してでも食い止めたい。

慎重な由月の問いに、岩屋は首を傾げる。


「うーん、暑いってくらいだな。眠気もねぇし。平家サンは?」

「別に」

「脈を測らせて頂いても?」

「ああ、頼んますよ、センセ」


 岩屋にとって由月は、既に【先生】の域。

当初は机『上の空論』だのと言って由月の主張を跳ね付けていた岩屋だが、研究以外にも存外 働き者の姿勢に見る目を変えたらしい。

由月は岩屋の手首に触れると、目を閉じて脈を測る。


「ど?」

「不問かと」

「正常じゃないヤツはいたかい?」

「彼、中では一番若いのに脈が速くて驚きました。でも、心配ありません」

「あぁ、靖田君ね。そりゃ、キミに手なんか握られたら心臓も跳ね上がるだろ。ハハハ!」

「誤解が生じているようです。私は手を握った覚えはありません」

「靖田君にとっては同じ事だって」

「繊細なのね。それじゃ、次はアナタ」

「私?」


 仁美に限っては、由月に対する苦手意識が払拭できない。

いちいち突っかかった物言いで返せば、由月は差し出した手を戻す。

無理意地するつもりは無い。


「分かりました。では、ご自身で計測してください」

「ハ? 計測って……」

「必要な事です」

「だから、やり方……」

「一般成人女性であれば、1分間に70回から80回程度。

 頻脈か徐脈の判断は私がしますので、回数をお知らせくだされば結構です」


 こんな事なら由月に任せた方が早い。仁美は渋々と腕を出す。


「あぁ面倒臭い! 適当にやってよ!」

「分かりました」


 由月にはどんな態度も通用しない。

これが愉快で堪らない岩屋はハンドルに額をつけ、憫笑を吹き出す。

言って良いなら『もっとやれ』と由月を嗾けたい程だ。


 さて、計り終えれば仁美の脈も正常。用が済めば由月は速やかに車を降りる。

そこに、給油を終えた統也が戻る。


「大川サン、どうしましたか?」

「丁度良かったわ。アナタにも問診させてください」


 由月は車を降りると、統也を後部座席に座らせ、車外から検診する。

額に汗が滲んでいるが、目立った変化は見られない。

雖も、由月にジッと見つめられては落ち着かない統也は、視線を散々泳がせた後に目を伏せてしまう。


「暑いわね。疲れが溜まっているのでは?」

「ぃ、いえっ、そんな事ありません。大川サンこそ、大丈夫ですか?」

「私の事は気になさらないで結構よ。それより、心身の不調は無いかしら?

 何処か痛むとか、痒いでもダルイでも」

「うーん……無さそうです。俺、健康だけが取り柄なので」

「そう。それは良い事ね。脈を測らせて頂いても良いかしら?」

「ぁ、はい、」


 汗ばんだ腕をシャツで拭き、由月に手を差し出す。

そんな統也の仕草に、由月は小さく笑って手首を取る。


「アナタの服、本当に便利ね」

「ハ、ハハハハ、タオルなので、」


 手首に触れる由月の指先は細く柔らかい。

か弱さが伝わるも何処か安心するのは、心から由月を信頼しているからだろう。

だからこそ、白衣の両袖口から覗ける包帯に、統也は愁眉してならない。


「手首、大丈夫ですか……?」

「言ったでしょう? アナタが気にする事では無いと」


 由月は統也の手首を解放する。


「結構よ。異常は見られません」


 由月が直ぐにも踵を返してしまえば、その背を目で追い、統也が無意識にも溜息を零す。


「ホラ、暑いからドア閉めて!」

「ぁ、すみません」


 仁美にパシン! と肩を叩かれ、車に乗り込むも、由月の診察は浜崎と吉沢を残しているから、直ぐには出発できない。

岩屋はフロントガラス越しに由月を眺め、シミジミと言う。


「働くなぁ、あの人ぉ」

「そうですね」

「大川センセ、昨日、何処で寝てたと思う?」

「何処って、隣の部屋じゃないんですか?」

「それがさ、俺、トイレ行きたくて早く起きたんだけど、あの人、待合席に転がって寝てたぞ。

 死んでんのかってビックリしたわぁ」


 どうやら由月は意識が落ちるまでパソコンと睨めっこしていた様だ。

働き者と言うよりは働きすぎだろうに、統也と仁美は揃って口を開ける。


 そこに、統也の携帯電話がバイブする。

画面の表示を見るや、統也は慌てて受話ボタンを押す。



「もしもし、緒方サン!?」



 統也が焦燥のまま応答すると、受話器からは緒方の震えた声が返って来る。


「と、統也かっ、今、何処だっ? 何処にいるんだっ?」

「まだK県です、どうしたんですか? 田島に、」

「ち、違うんだ、違うッ……死んでたんだ、ちっと目ぇ離した隙にぃ!」


「え? ――死? ……田島、が……?」


「ォ、オイ! 田島君がって、嘘だろ!?」


 岩屋が運転席から手を伸ばし、統也の肩を掴むと同時、

受話器からは緒方の訥々とした、それでいて噪蝉の様な声が聞こえる。



「松尾だッ、松尾が死んでやがったんだよ!!」



 田島では無かった事にはホッとするも、松尾が眠る者となって まだ2日だ。

それが、今日には『死んだ』と言うから、驚きを隠せない。


「田島じゃなく、松尾将補が? どうして……」

「分かんねぇよぉ、田島と病室分けた方がイイって……

 そぉしてる間に、戻って来たらいねぇ……

 ベルトでよ、ふん縛っておいたのによ、見張りの兵隊サンも死んでてっ、

 違うじゃねぇかぁ、ありゃ非力なんじゃねぇのかッ?

 あのヤロ、見つけた時には兵隊サンぶっ飛ばして、皆 食っちまってやがってぇ、」

「今、隊舎の何処にいるんですか!?」

「食堂だ、この前と同じ、静かにしてりゃ……なぁ、そうだろ? 統也ぁ」

「田島は!?」

「た、頼むよぉ、勘弁してくれぇ……自分守るのが精一杯でよぉ、」

「田島はどうしたんだ!」

「うぅ……置いて来ちまったぁ……医務室の隣の部屋にそのまんまぁ……」


 田島だけが避難していない状態。。

更に言えば、ストレッチャーに革ベルトで固定されていたにも関わらず、それを自力で抜け出したとなれば、松尾は強い力を持つ【例外】に当たる死者だと考えられる。


(大川サンは、『長く眠れば眠った分、脅威が増すんじゃないか』って言ってたけど、

 松尾将補はたった2日 眠っただけだ……

 それで あの拘束を解けるだけの力を備えたって言うなら、田島はどうなるんだ!?)


 縋る緒方は戦々恐々。岩屋は運転席を飛び出し、由月の元へ走る。

統也は頭を抱えて悶える。


(落ち着け! 松尾は【例外】だ!

 隊員の人達が歯が立たなかったって事は、食堂のバリケードでやり過ごせるとは思えない!)


「緒方サン、銃を扱える人は!?」

「いねぇよぉ、残ってるのは俺ら民間人だけだっ、

 統也、どうしたらイイっ? ここに立て篭もってりゃイイんだよなっ?」

「そこを逃げられませんかっ?」

「逃げる!? 何処に逃げりゃイイんだ! 外に出たって同じじゃねぇか!」

「今までのタイプとは違う! 逃げなきゃ駄目です! 車がまだ残ってる!

 それで早く脱出してください! 移動し続ければヤツらは追いつけない!」

「車庫へ行けってのか!?

 皆ぁ蘇えって、食堂の周りをウロウロしてやがるのに、出られやしねぇよぉ!!」

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