第59話

 診療所内の安全が確認されると、浜崎は外で待機している全員を呼び寄せる。



「生存者はいなかった」



 この報告に岩屋と日夏はは首を傾げる。


「いなかったって……そりゃどうゆう事です?」

「み、皆サン、他の場所に移動しちゃったんですかっ?」


 残念としか言えない真実を、敢えて伝える必要も無いだろう。浜崎は言葉を選ぶ。


「いいや。それも分からないんだ。ただ、ここにはいなかった」

「何処に行ったか分からない以上、私達にはどうする事も出来ません。

 今の内に薬や医療器具を纏めて、明日の朝にはトラックに搬入できるよう準備しましょう」

「出発は明日の朝か……」

「我々も直ぐにでも戻りたいがね、夜間の走行は控えた方が良いだろう。仕方が無い」


 夏の日差しであっても、日照時間は日に日に短くなっている。

日暮れからの時間を使えない一同にとって、1日は極めて短い。

吉沢は駐屯地の看護師=清水から預かったメモを、言葉ない統也に手渡す。


「ここに田島君と松尾将補に必要な点滴の種類が書かれてるの。水原君に任せても良い?」

「はい……」

「元気を出して……って言うのは無理よね、私達も辛いわ……

 でも、今はこれからの事を考えましょう。生き延びる為に」

「はい、」


 “生き延びる為”。由月の言葉は吉沢の心にも響いている。

統也にも守るべき友がいる以上、立ち止まってはいられない。

そう激励する吉沢の厚意に、統也は深く頷く。


 浜崎と吉沢に連れられ、他の面々が診察室にて医療器具の梱包をする中、統也は小狭い院内薬局で作業をする。

メモに書かれているのは点滴だけで無く、様々な薬の銘柄。

今後、怪我をしたり病気になる者もいるだろうから、充分な備えを整える必要がある。


(俺達は生き延びなきゃならない。

 必要なら こうして物資を補給しに出て、少しでも安全な場所を探し続ける。

 そうまでして生きたいのかと問われれば良く分からないけど……

 ただ、そうしようと思う。今は、田島を救う事。

 田島を救えたなら、きっとそれは希望になる。俺達はもう1度生きられる)


 今は生きた心地もしないが、生きる望みが見せる世界を変えるだろう。


「点滴は……ソリタ、ラクテック、ポタコールR……初めて聞く名前ばっかりだ」


 薬剤は壁に備え付けられた棚に分類されて並んでいる。

どんな効果があるのか分からないが、医薬品名が書かれたシールが貼り付けられているから、

統也でも見分けられるだろう。

指先でシールをなぞって慎重に確認し、在庫の全てを空の段ボール箱に詰めていく。



 カタン……



 背後の物音に、統也は慌てて振り返る。


「!? ……ぉ、大川サンか……」

「驚かせたかしら? ごめんなさい」


 一声をかけてくれれば良いものを、黙って背後で作業されては統也で無くても驚く。


「どうしたんです? 何ですか、ソレ?」

「私物が無くなりそうだから、幾つか分けて頂くわね」


 由月が錠剤を手に取ると、統也は薬の銘柄を一瞥で確認する。

確か、メモに書かれていた物だ。


(安定剤?)


 精神安定剤の一種として、看護師の清水が求めている薬の1つ。

それを由月が私物として持ち歩いているとなれば気にもなる。


「安定剤なんて、どうして?」

「――」

「大川サン、」

「時々、混乱するのよ」


 そう言われて思い出すのは、坂本が死んだ直後の事。

由月は絶叫し、我をも忘れて暴れ、それは手が付けられない程だった。

凄惨な自殺現場を見たのだから取り乱すのも無理は無いが、普段は冷静沈着な由月からは想像も出来ない様子に、統也達は動揺を隠しきれずにいたのだ。


(大川サンはいつでも落ち着いている。

 駐屯地にアイツらが攻めて来た時だって……だから思い込んでしまった。

 何が起きても平気な人なんている筈が無いのに……

 ヤツらの観察をするにしたって、相当な精神力を使っていたに違いない)


「す、すみません、立ち入った事を、」

「良いのよ。関心を持ってくれて嬉しいわ」

「え!?」


 統也は狼狽え、段ボールを落とす。

由月はドサリ! と落下する段ボールを目で追った後、その視線を統也に戻す。

統也の顔は赤い。


「何か、誤解が生じているようです」

「え!?」

「リーダーの素養が備わっていると評価したのよ。

 それは私達にとって喜ばしい事。正しく伝わっていたかしら?」

「ぁ……あぁ! ええ、勿論です! はい! そ、そうですかっ、

 ありがとうございます!」


 統也は赤い顔を隠す様に段ボールを拾い上げ、棚に向かい合う。


(俺、からかわれてるのかな!? いや、俺が勘違いしすぎてるんだ!

 周りから褒められて調子に乗ってる! 本当、格好悪いぞ!)


 心中 叱責。

然し、由月の様な不思議な色香を持った年上の女を相手にするのは、統也の日常には無かった事。良い事を言われてしまえば、都合の良い誤解をしてしまうのだ。


「作業中、申し訳ないのだけど」

「は、はい!」

「上の棚にある湿布薬を取って頂けるかしら?」

「は、はい! 湿布ですね、えっと……あの、どうしてそんな物を?」


 やはり気になる事は聞いてしまう。

この質問に、猫の様に大きくて力のある由月の目がジッ……と向けられる。

『良いから早く湿布を渡せ』とでも言いたげだ。

統也は見つけた湿布を手渡す傍ら、苦笑する。


「ぁ、あの、リーダーの素養を養う為に聞いただけで……」

「―― 手首を捻ったようなの」

「いつです?」

「―― アナタが捻ったようなの」

「えぇ?」


 統也は黒目を上に、そんな覚えは無いのだが……と思量。そして思い出す。



(あの時!!)



 回想されるシーンは、岩屋の車中での出来事。

錯乱して暴れる由月を力任せに押さえつけたのが原因と思い知ると、統也は又も段ボールを落とす。


「ぉ、俺ですか!? 俺ですね!? ぁ、あの、見せて!見せてください!」


 目を反らす由月の腕を強引に掴み、白衣の袖を捲くる。

そこにはハッキリと統也の指の痕が痣になって残っている。これは痛そうだ。


(ヤバイ!俺、手加減無用だった!! こんな細い手首、下手したらヘシ折ってたぞ!

 ぃゃ、でも、だって、あの時は、……あぁ、言い訳はよそう……、)


「す、すみません……」


 まるで飼い主に叱られた小型犬の様に、統也は項垂れる。

 由月の白い肌に真っ赤に浮かぶ指の痕。これが消えるには暫く かかりそうだ。

 すると、統也の後頭部にクスクスと笑い声が降って来る。


「フ、フフフっ……」

「!」


 顔を上げると、口を押さえて、それでも堪え切れずに由月が笑っている。


(初めて見た、大川サンの笑顔……)


 統也は耳まで赤く染める。


「フフフ! 面白い人」

「ぉ、面白いって……」

「アナタは何も悪く無いのに、そんなに反省して。フフフ!」

「ど、どう考えても俺が悪いと思いますけどっ?」

「どう思うかはアナタの自由だけど、気にしないで良い事よ。私は一切気にしませんから」

「そう、ですか……?」


 笑って許してくれるのなら有り難い。然し、何処か物寂しい。


(気にしない……か、)


 どうせなら根に持たれたい気もする複雑な心境。

そこに横槍。

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