第60話

「こんな時に、どーしてサボってられるかなぁ?」


 院内薬局の出入り口に寄りかかって不満を聞かせるのは仁美だ。

統也はギョッと目を丸め、慌てて由月の手首を離す。


「ぁ、あぁ、平家サン、そっちは片付いたんですかっ?」

「まだ。大川サンがいないから見て来いって、浜崎サンに頼まれただけ」

「そ、そうですか! 大川サン、薬が欲しかったみたいでっ、」

「ふーん」


 仁美の顔には“不愉快”と書かれている。

然し、気に留めるでも無い由月は、手に入れた安定剤と湿布を持って踵を返す。


「だからぁ、大川サン、何処行くのッ?」


 仁美の苛立たしげな声に、由月は立ち止まって振り返る。


「スタッフルームにも備品はあるでしょうから、取りに行って来ます。

 診療所を出る事はしませんから、私の事は気になさらず結構と、

 浜崎サンにお伝え頂けると助かります」

「はぁ? 自分で言えばぁ?」

「そうですね。分かりました」


 頷くも、由月の足は浜崎達がいる診察室では無く、スタッフルームへ。

行動を改める気の無い由月の態度に仁美は呆れ返って露骨な溜息をつくと、次には統也を睨む。

なに食わぬ顔をして作業を再開しているから、また腹立たしい。


「統也クンは、あの人の事が気になってるんだ?」

「別に、気にしてるってわけじゃ……

 俺の所為でケガをさせてしまったから、謝っただけですよ、」

「あの人、結構キレイだもんね?

 あぁゆぅ細っこいの、男は守りたいとか思うもんだしね?

 靖田クン何か、あの人にゾッコンで、まぁ、ちょっとあそこまでいくと引くけど」


 妙に悟った口振りの仁美に統也は怪訝する。


「そう言えば平家サン、恋人はいらっしゃらないんですか?」

「はぁ? 何で今その話?」

「この前は、俺の話だけで終わっちゃいましたから」

「……イナイよ、そんなの」

「そうですか、」


 仁美は俯き、口を尖らせる。


「好きな人はいたけどね」


 言及。

仁美らしからぬ力ない言葉に、統也はバツが悪そうに視線を泳がせる。


「本当にすみません、余計な事を……」

「別にイイって。大した事じゃ無いから。

 会社のセンパイで、優しくて落ち着いたのがいて、それがイイなって思ってただけ」

「告白はしなかったんですか?」

「はぁ? するワケないじゃんッ、

 別に、どーにかなりたかったわけじゃないし、気づいたら彼女できてたしッ」

「そうですか」

「世の中って弱肉強食じゃんッ、

 私みたいな一般人が どーこーしようとしても、元々才能あるヤツに勝てるワケないし、

 そぉ思ったら、色々 面倒臭くなっちゃうじゃん!」


 どうやら仁美は、自分自身に強い劣等感を持っている様だ。

負けっぱなしの人生に愛想を尽かしているとでも言いたげに、肩を落とす。


「俺は、そうは思いませんよ?」

「えぇ?」

「言えば良かったのに。その先輩に」

「だから!」

「きっと喜んだと思いますよ? 平家サンだって、充分 可愛いから」

「!!」


 そんな事を言われたのは初めてだろう仁美の顔は瞬く間に紅潮。

ヨロヨロと後ずさる。


「な、何!? はぁ!? 頭おかしいんじゃないの!?」

「え? 何でです?」

「もぉイイ! じゃぁね!」


 仁美は走って診察室へ戻って行く。

ポツンと残される統也は、瞬きを繰り返す。


「俺、何かマズイ事言ったのかな?」


 無自覚。



*



 荷造りが終わる頃、空は夜の色に移り変わる。

一同は待合室のベンチに座り、揃って食事を始める。


(向こうの皆は ちゃんと食べれてるかな?

 バリエーション多めに補給できたと思うから、喜んで貰えると良いな)


 中には白米もあるから、これに限っては絶賛されるに違いない。

Y市に戻り、皆で食卓を囲うのを楽しみに、今はカップ麺に胃袋を助けて貰おう。

浜崎は食事を続けながら明日の予定を告げる。


「食料を残しておく必要が無くなってしまったから、明日は給油のみで駐屯地へ戻ろう。

 上手くすれば、明日中に到着できるかも知れない」


 行きに使ったガソリンスタンドを利用すれば危険は軽減できる。

明日は車に荷物を搬入する事も考え、今日は一層 早く休むとしよう。

有り難い事に、病室が3室。ベッドも1つずつ配置されている。

予備の布団もスタッフルームで発見できたから、体を伸ばして眠る事が出来る。


「何処で休んでくれても構わないが、出来るだけ纏まっていた方が良いだろう。

 病室が3つあるから、男女で分かれて2部屋使うんで良いかな?」


 食事を終えると、夫々で布団を持ち込み、病室に敷き詰める。

柔らかい布団に腰を下ろすと、壁に寄りかかって携帯電話を取り出す。


(田島は大丈夫かな……

 何かあれば連絡を貰えるよう、行きがけに緒方サンに頼んで来たけど……)


 心配事は尽きない。

統也が溜息を落とすと、日夏が不安気に顔を出す。


「大丈夫ですか、統也サン……」

「ああ、大丈夫だよ。少し疲れただけだから」

「田島サンの事、心配ですね……」

「うん……、」


(田島が眠って、今日で8日目。

 点滴で繋ぐにも難しい事くらい、俺にだって解かる……)


 診療所の医療器具を持ち出しても、延命に貢献できる程の物では無い。

大病院にでも行けば それなりの設備は揃っているだろうが、医師で無ければ扱えない複雑な代物ではどうにもならないのだ。今は、田島の心臓の強さに期待するしかない。


 日夏は下唇を噛む。


「すいません……僕、何の役にも立てなくて……」


 ここに至る道中も『頑張る』と言うばかりで統也達に頼りきりの日夏は、自分の不甲斐なさを猛省している。雖も、立ち向かう勇気が湧くでも無い。ただただ恐怖が募るばかりだ。


「俺は日夏がいてくれて、すごく心強いよ?」

「そ、そんなの、嘘だ、」

「嘘じゃない。本当は怖いのに、日夏は一所懸命 立ち向かおうとしてる。

 そうゆう姿を見ると、俺も負けられないって思うんだ。勇気を貰ってる。本当だよ」

「と、統也サン、うぅぅ……、」


 やはり泣き出す。だが、その分強くなろうと、日夏なりに思うのだ。

統也はボロボロと泣く日夏の肩をポンポンと叩き、穏やかに笑う。


(本当だ。全部本当だ。

 皆がいてくれる。それが俺にとっての生き延びる意味なんだ。でないと……)


 統也は目を伏せる。



(父サンと母サンに顔向け出来ない……)



 母親を殺してしまった罪の意識は 日に日に深まるばかり。

そして、父親に真実を伝える事が出来なかった自身の弱さがシクシクと痛む。


(母サンを置き去りにして、その事実を隠し続けながら俺は生きている。

 俺は、ヒーローでも無ければ英雄でも無い。単に、ズルくて弱い男だ)


「日夏、コレからも頑張ってくれ。そうしたら俺も、頑張れるから」

「は、はい!」


 今はまだ、ヒーローでいなければならない。



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