第58話

「少し、涼しくなって来たわね」


 車は坂道を登り続けている。標高が上がった事で外気が下がった様だ。

岩屋は『そう言えば』と零し、冷房を弱める。


「やはり、気象と影響は大きく関わっているのかも知れない」

「それは、どうゆう意味ですか?」

「大川センセ、もぉホント、アンタが頼りだわ。で、影響って何?」


 由月は口元に手を添え、考えを巡らせながら話し始める。


「Y市を出てK県へ入った辺りから、異常な気温上昇が感じられたわ。10度近い体感差」

「そうですね。俺も40度は超えているんじゃないかと思いました」

「普段からK県は雷雨の多い地域で、夏の気温に関しても全国上位」

「それが何? それで坂本サンは夏病になったって?

 そんなの考えるまでもねぇだろうよ、大川センセ」

「待ってちょうだい。今、分析していますから……

 気象に乱れが多いと言う事は、その分、大気中のイオンバランスが悪いと言う事で……」

「分からねぇぞ、大川センセぇ~~」

「イオンにはマイナスとプラスがあるでしょう? 電界があるのよ。磁場も発生する」

「はぁ……あ! 電界、磁場……16ヘルツ……」

「そうよ、統也君。

 地球の心音がより強く影響を齎す場所、それが気象変化の激しい土地。

 この関係がイコールなら、Y市も含めK県はそれ以上に影響を受け易い土地だと考えられる。

 それこそ、前触れも無く夏病を発症させる程の」

「って事はぁ……大川センセ、俺達は相当 運が良いって事か?

 暑いってくらいで、特に何も感じなかった」

「鈍感ってのもあるんじゃない?」


 仁美の愚痴っぽい言い草に、岩屋は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、由月は首を傾げる。



「影響を受けていない……」



 全てが変化してから今日に至るまで、タイムラグは続き、生存者の数は減少し続けている。

然し、由月が見る限り、明らかに それ等の影響を受けていない者達が目の前にいる。

これも個人差か、科学的見地で言うなら、影響を受けないなりの理由がある筈だ。

それが解かれば影響を取り除く一石になるに違いない。

由月は黙り込んだきり、考え耽る。


 何度か道を迂回させられはしたが、時刻は正午を迎える頃に診療所のある村に入る。

これまで以上に静かで山深い土地だ。道も汚れてはいないから、長閑な田舎の風景。

山裾に古い家屋が離れ離れに点々と見られるが、住人らしき人の姿は確認できない。

あの日の急変も静かに迎え、静かに収まったのだと想像できる。


 避難所である診療所は、鬱蒼とした木々の生い茂る山の中腹に位置する。

診療所前の石畳の駐車場に車を停車させると、岩屋は一息つくよりも先に顔を強張らせる。



「オイ、本当にここかよ……?」



 村の診療所と言うだけあってこじんまりとした平屋造りではあるが、外観は確りとしたコンクリートの佇まい。避難所にするには良さそうな環境だ。

然し、扉が開け放たれた儘。幾ら人数が少ない土地とは言え、出迎えにしても豪快すぎる。

統也はライフルを手に車を降り、静か過ぎる診療所を前に固唾を飲む。


(人の気配を感じない……)


 この異変に、浜崎と吉沢もライフルを構え、診療所の入り口へと足を運ばせる。


「浜崎サン、吉沢サン、気をつけてください」

「ああ。水原君、キミは後方を頼む」

「はい。日夏、そっちは頼んだぞ?」

「は、はいっ、」


 坂本の死の悲しみを分かち合う間も無く、3人は診療所の中へ。


「S県Y市の自衛隊駐屯地から連絡を受けてやって来た! 誰かいないか!?」


 浜崎が一声かけるも、診療所内は物音ひとつぜず静まり返っている。

正面ドアから入り、右手に受付け窓口と院内薬局。奥に進むと廊下は左右に分かれている。

浜崎は診察室のある右へ。病室のある左へは、統也と吉沢に向かうよう指示を出す。


 病室が3つ。スタッフルームが1つ。トイレが2つ。裏口へ続くドアが1枚。

統也は八方目で以って間取りを確認。病室とスタッフルームのドアも開けっ放し。

ポスターは破れ、待合席のベンチは乱れてはいるが、腐敗臭や血痕の類は見られない。


(ここには10人くらいの人が避難してるって聞いたけど、その人達は何処へ行ったんだ?

 襲撃されて逃げ出したんだろうか?

 だったら、ドアが開いたままなのは頷けるんだけど……)


 吉沢とアイコンタクトをしてスタッフルームに飛び込む。

誰もいない代わりに、中央に置かれたテーブルの上に1枚の置手紙を見つけ、統也は息を飲む。


「吉沢サン、コレ……」

「?」


 置手紙を目に、吉沢は忽ち愀然する。



【こんな生活はもう、1日たりと堪えられません。

 従業員も患者サン達も皆、生きる気力を失いました。

 今後、ここを訪れる生存者の方々にご迷惑がかからないよう、きっちり処理を致します。

 お許しください。―― 筒井博子】



 短い文章だが、書き手の絶望が弱々しい筆跡で窺える。

紙面に落とされた涙の痕はスッカリ乾いているが、これはいつ書かれたものなのか、

日付は記されていない。統也はスタッフルームを飛び出す。


「み、水原君、何処へ行くの!?」

「間に合うかも知れない! 止めなくちゃ!!」


 形振り構ってはいられない。忍ぶ事も忘れ、統也は診療所内を走り回る。


(いない! 誰もいない、いない、いない、いない!!)


 蛻の殻であるのは診察室も同じ事。統也の剣幕に浜崎は慌てて合流する。


「どうしたんだ、水原君!」

「早く生存者を保護しなくちゃ、でないと大変な事に!」

「吉沢! 生存者はどうした!?」

「こっちにはいません! 遺書が書かれているんです! でも、何処にもいません!」


 残すは裏口。統也は一直線の廊下を走り、外に飛び出す。


 裏口を出れば、沢山の落ち葉が敷き詰められた小さな裏庭。

手作りの柵に囲まれた その先は、急勾配の山の斜面。ここからの景色は絶景だ。

美しい山々の景観は これからの時季、紅葉も楽しめるに違いない。

然し今は、特等席に置かれたベンチが寂しげだ。


 視線を移すと、畳み二畳程の大きさになる物置が1つ。

その周りには、中から引っ張り出されただろう荷物が乱雑に置かれている。

それを目に、統也は愕然とする。



「何で……」



 この景色には不似合い。

物置には鎖がグルグルと巻きつけられ、戸が開かないように、棒で確り固定されている。

これがあの置手紙にあった、『迷惑がかからない為の処理』なのか、

統也は足音を殺し、そっと近づく。


 中からは腐敗し始めた臭いと、何人もの淀んだ唸り声が僅かに外に漏れている。

風が吹けば、木々の音に簡単に掻き消されてしまう程の小さな声だ。

然し、生きたソレとは違う事は聞き分けられる。


(俺達は幸せだった……全てに恵まれていて、不自由なんて無くて、

 そんな生温い世界で好き勝手に文句を言いながら生きて来た。

 それが、世の中が変化してからは、目にする全てが絶望だ……)


 物置の隣を見やれば、靴が一足、脱ぎ揃えられている。

遺書を書いた筒井博子の物だろう。

皆で話し合って心中したのか、変貌してしまった避難者全員を物置に詰め込んだのか、

どちらにしろ、鎖で閉じ込めた後、筒井博子は この急勾配から身を投げたに違いない。


 全身はバラバラになり、蘇える事の無い完璧な死。

こうして自らを完全決着させる様には、父親を思い出させられる。



「なぁ、一緒に生きるって選択は……そんなに難しい事だったのかよ……?」



 その問いに答える者はいない。




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