第57話


「ど、どうしたのっ? やっぱり……何かあったの!?」

「分かりません。坂本サンが車を降りてこっちへ向かって来るんですけど……」


 今の所この界隈に死者の姿は見られないが、フラフラと歩いていては的にされてしまう。

様子を窺っていると、坂本はジープにも岩屋のワンボックスカーにも目を向けず通り過ぎる。

誰もが呆ける中、由月はジープを飛び降りる。

そして、坂本に向かって走ると、腕を取って引き止める。


「坂本サン、確りしてくださいっ」


 普段は無表情な由月の表情が険しい。

ただ事では無い2人の遣り取りに不穏を感じ取れば、統也も遅れて車を降りる。


「大川サンっ、」

「統也君、彼を連れ戻すのを手伝ってちょうだい」

「は、はい!」


 先頭のセミトラックに坂本を連れ戻すより、直ぐ側にある岩屋の車に押し込んだ方が良さそうだ。統也は後部座席のドアを開けに戻る。

口調を神妙に、由月はゆっくりと坂本の腕を引きながら後ずさる。


「坂本サン、今日も暑いわね?」

「ぁ、暑い……暑い……」

「大川サン、もしかして 坂本サンは夏病に……」

「ええ。でも、落ち着かせれば きっと意識を取り戻すわ。そうよね? 坂本サン」

「聴こえる……」

「何が聴こえるのかしら? 話を聞かせてちょうだい」


 坂本の目は宙を漂い、何処を見ているのか分からない。



「聴こえる……嫌な音だぁ……」


 坂本の足はピタリと止まり、石化したかの様に動かなくなる。

次の瞬間、統也と由月は同時に目を見開く。



(銃を持ってる!!)



 坂本が腰にぶらさがるハンドガンに手を伸ばせば、由月はそれを制すべく身を乗り出す。


「駄目よ、坂本サン!!」

「大川サン、危ない!!」


 行かせて仕舞えば、由月は発砲に巻き込まれる。

統也が由月を抱き止めると同時、坂本は銃口を口に咥える。



 ――ダン!!



「ぁ……」


 由月は目を見開く。統也の背後で坂本がバタリ……と倒れる。

坂本がどうなったかは、振り返って確認する迄も無いだろう。

統也は由月の体をギュッと抱き締める。


(自殺者……今生き残っているからと言って、影響から逃げ切れたわけじゃない……

 タイムラグは、いつ俺達を指名するか分からない……)


 影響は継続。これが、今を生き延びる事の難しさ。


 由月の体は震える。

統也の肩越しに見た坂本の死の瞬間が目に焼きついて離れない。



「あ、ぁ、あ、あぁあぁあぁ!!」



 由月の叫びが響き渡る。

統也は由月を肩に担いで岩屋の車に駆け戻ると、声を荒げる。


「岩屋サン! 進んで! 進んでください!!」

「す、進めって言ったってッ」

「早く!! ヤツらが来る!!」

「ッッ、クソ!!」


 岩屋はクラクションを短く鳴らすと1度 ハンドルを切り返し、ジープとセミトラックを追い越して発進を煽る。

坂本とは付き合いの長い浜崎と吉沢からすれば、この場を見て捨てるには余りにも忍びない。

然し、死者達は血臭を嗅ぎつけ、何れはこの通りに群がるだろう。

1本道を塞がれる訳にはいかないのだ。

思いを振り払うようにジープが走り、その後をセミトラックがつく。


 岩屋の車中では由月が悲鳴を上げ続ける。


「あぁあぁあぁあぁ!! あああああああ!!」

「大川サン、しっかりしてください!!」

「な、何だよ、どうしちまったんだ、大川サンはぁ!?」


 暴れる由月に座席を占領される仁美は3列目シートに逃げ込み、成す術も無く縮こまる。


「そ、その人、大丈夫なの!? 普通じゃないって!」

「大丈夫、大丈夫ですからっ、」

「あぁあぁあぁあぁ!!」

「あぁクソ!! 前に着いてく気まんまんだったから、道が分からねぇ!!」


 岩屋はカーナビを起動。指を迷わせながらN県を設定する。

今頃は坂本の血の臭いに誘われ、死者が集い出しているに違いない。

そこに、中年女の発狂者が混戦する事を思えば逃げるが勝ち。


 統也は暴れる由月をシートに押さえ付ける。


(って、錯乱にしても、こんな暴れ方ってあるのか!?)


「大川サン、俺を見て! 声を聞いて!」

「うあぁあぁあぁあぁあぁ!!」

「もう済んだ! もう終わったんだ! 落ち着いください!」

「あぁあぁあぁあぁあぁあぁ!!」

「クソっ、」


 話にならない。こうなったら力ずくだ。

統也は由月の腹の上に馬乗りになると、両手で顔をガッチリと押さえ付ける。


「大川由月!! 良く聞け!! アンタは賢くて、論理的で、合理的なんだろ!!

 合理的に考えろ!! ここは何処で、今、アンタはどうすべきなのか!!

 アンタがそんなんじゃ、俺達が生き延びる事は出来ないんだ!!」


「ぁ……、――、……!!」


 由月の視点が合わさる。目と鼻の先に統也の顔が見える。

漸く冷静さを取り戻した様だ。



「―― 統也君、近いわ」


「!?」



 統也は慌てて由月の顔を離すと、勢い余って座席の下に転がり落ちる。

ついでにドアに頭を強打。


「イテッ、」


 明日には単瘤になっているだろう。



*



 N県。

先頭を浜崎の運転するセミトラックに任せ、3台は山道を走る。

予定では、もう揃々目的地に到着する頃合だ。

今日は何事も無く過ごせるかと思っていたが、突然、坂本が夏病に侵され、自ら命を絶ったのは3時間程前の事。

外は青空が広がっていると言うのに、車中の空気は曇天の様に重々しい。

1人でセミトラックを運転し続ける浜崎の傷心を思えば、かける言葉すら用意できそうにない。

岩屋はフロントミラー越しに後部座席の3人を見やる。


「あのさ、聞いて良いかな?」

「何ですか?」


 答えるのは統也ばかりだが、岩屋は続ける。


「坂本サンはぁ……何であんな事……」


 夏病に侵された自殺者だと言う事は解かっている。

然し、余りにも突然の出来事だったから、岩屋は問わずにはいられない。


「分かりません。昨日まではそんな様子、無かったのに……」


(いや、Y市を出てから異常な暑だったのは気になっていた。

 だからって気を緩める事は無かったし……

 でも、その所為で坂本サンは体調の変化に気づけなかったのかも知れない)


 車中はエアコンがかかっているから暑さは感じないが、日中の今、外は酷暑だ。

車のボンネットで目玉焼きくらいは簡単に焼けるだろう。


「一応 言っとくけど、俺が何かぁ……そのぉ、変な行動し出したら宜しく頼むな」

「ょ、宜しくって、何ですかっ?」

「どうゆう状態でも、何にしろ、兎も角だ。痛くないように頼む」

「よしてくださいよ、そんな縁起でも無い事っ、」

「だけどよぉ、今は無事でも、坂本サンみたいに次にはどうなるか分かんねぇだろ?

 俺だけじゃなく、全員さぁ」

「そうですけど……、」

「統也がラリったら容赦なくブッ飛ばしてやるから、直ぐに意識 取り戻せな?」

「それなら俺も痛くないようにお願いします」


 何の前触れも無くやって来るタイムラグの脅威。

変化の一旦を間近に見てしまうと、今正常でいられる事が却って不思議に思える。

2人は空笑いをして困惑を誤魔化す。


 由月は窓の外を見やる。

山々が連なり、こんな状況でも無ければ絶好の展望を楽しめた事だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る