第56話 8日目。
吉沢は扼腕させて立ち上がり、恐怖に怯えた表情で由月を睨む。
今はN県の避難所に行き、食料と医薬品のトレードを済ませ、居慣れた駐屯地に戻りたい。
その一心だ。
さて、これできっかり3分。
由月はカップ麺の蓋を置け、割り箸を左手に持つ。
「それよ」
何が『それ』なのか、一同は首を傾げる。
由月はカップ麺にフーフーと息を吹きかけ、一口啜る。そこそこ美味い醤油味。
「吉沢サン、アナタ、震えているわ」
「!」
「そんなアナタの精神力はいつまで持つのかしら? 死ぬまで?
だとしたら優秀すぎるわ」
「!!」
熱くて食べられない。由月は1度、割り箸を置く。
「地域単位で見ても生存者は3割。内、発狂者を1割。残りの6割が蘇えり。
この現象は日本だけで起こっている事ではありませんから、
これを世界単位に拡大して計算してごらんなさい。
1人頭、何人仕留めれば蘇えりを駆逐できるのか。私の起算では不可能と出ているわ」
日本の人口だけでも1億3千人。その7割近くが敵と考えれば頭も痛くなる。
一生をかけても倒せる数とは思えない。
話を聞いているだけで恐ろしくなる仁美は、無意識にも統也の側に寄る。
「不可能って……」
「だ、だから戦闘を回避しろと言うのか、キミは!」
「数を減らす考えで彼等と対峙するのは合理的ではありません」
「馬鹿な!」
「何も、逃げ惑えと言っているのではありません。
アナタ方の言う戦闘を、自らが生き延びる範囲に留める事を推奨しています」
「そ、そんな事が、我々に許される訳が無い……」
自ら追って仕留めるのでは無く、追われたなら仕留めると言う考え。
そうする事で、身を危険に晒す確率を減らし、万一に備える事が出来る。
確かに、由月の言い分は理解できる。だが、隊員等に見えるのは葛藤。
自衛隊員の隊服を着ている以上、生存者を守る義務に駆られる。
生存者も又、隊員達にそれを課す。だからこそ、N県へ向かう覚悟を決めたのだ。
受け身ではいられない。
「圧倒的多数の彼等との戦いに挑むよりも、彼等から逃れる術を身に付けなくてはならない。
最低限の戦闘が、彼等との最低限の接触になる。私は、」
カップ麺は食べ頃の温度。
「アナタ方に生き延びて欲しい」
この言葉に全員が息を飲む。
戦っても戦ってもキリが無い。では、いつまで戦えるのか、と言う事。
体力や健康は日々衰えて行く。精神に限っては既に限界を見せている。
その中でも生き延びる為には、戦いの技術だけを磨いても意味が無いのだ。
静かに麺を啜る由月を、統也は見つめる。
(俺は、誰にも死んで欲しくないって、それだけを思って……
でも、この人はずっと俺達が生き延びる事だけを考えていたんだ。
どうしたら生き延びる事が出来るのか……足掻いて、足掻いて。
誰もが死なない事じゃない、誰もが生きる事……それが前提)
万事、死ななければ事勿れでは無い。
安息と静寂を獲得する為の回避は、逃げる事とも違う。
生きる事は、死なずにいる事では無いのだ。
元の生活を取り戻すよりも今は、状況に順応し、生存者の生息手段を確立し、その環境を守る事。そうでなくては、生き延びる事は出来ない。
*
――8日目。
迎える翌日も蒸し暑い。
時刻は早朝6時だと言うのに、炎天下と言っても過言では無い気温。
日中はどれだけ暑くなるのか、想像すれば肩を落とさずにはいられない。
昨晩の打ち合わせでは、車を止めず、只管N県入りを目指す事になっている。
夫々が車に乗り込み、出発。
統也は後部座席から運転席の岩屋を窺う。
「岩屋サン、ちゃんと休めましたか?
運転がキツくなるようでしたら、隊員の方に代わって貰えるよう連絡しますので
言ってくださいね?」
「爆睡したから大丈夫そうだ。床で寝たから体痛ぇけど。
それより、昨日の晩はお前らがオールで見張ってたんだろ?
今の内に寝といた方がイイぞ?」
「いえ、日夏と休み休みやれましたし、大川サンが途中代わってくれたので」
「大川サンがぁ? 何だ、あの人、意外に働くなぁ!」
「ええ、本当に。すごく助かりました」
今日は休憩無しで車を運転して貰わなくてはならない。
ドライバーである岩屋への負担は軽減したい。
然し、これと言った働きを見せていない仁美は肩身が狭い。
言葉無く窓の外を眺めるばかりだ。
道の左右は田んぼ。
数日 手入れがされていないだけで、スッカリ寂れた田園風景。
統也は黙り込んだ儘の仁美を気遣い、話しかける。
「平家サン、窓の外は余り見ない方が良いですよ? たまに嫌なものもありますから」
死者の姿は勿論、食事現場ともなれば強烈だ。朝から見たくは無いだろう。
仁美が顔を背けようとした所で、前方に人影。
田んぼから芝生の坂を上り、麦藁帽子を被った中年の女が顔を出す。
「ねぇ、統也クン、あれって……」
生存者だ。
動く車の音に助けを求めて現れたなら、対応を協議する必要があるだろう。
然し、中年の女は仁美の視線に気づくなり、満面の笑みで手を振る。
片手には鎌。片手には人の首。
「きゃぁ!!」
「平家サンっ、」
仁美は統也の胸に飛び込む。
車は速度を落とさず、そのまま通り過ぎ、岩屋は重い長息を吐く。
「あ~~、ヤなモン見たなぁ……あれ、発狂者か?」
「そうでしょうね……」
「あの生首、そのうち復活するぞぉ」
「ぅわぁ……」
脳を破壊しなければ、首と体を切断しても頭部だけは蘇える。
最も、体が無ければ行動は完全に制御されている状態だから、あの中年女はそんな生首コレクターなのかも知れない。
統也は腕の中で怯える仁美の肩をポンポンと叩く。
「大丈夫ですよ、平家サン。もういません」
「も、もぉヤダ、最悪……何でこんな目に遭わなきゃなんないのよッ、」
それは誰しもが思っている事だから、岩屋は溜息をつく。
その寸暇、ジープがハザードを焚いて停まる。
「あぁ!? 何だよ、どうしたんだよ、こんなトコで! さっきの見えなかったのかって!」
田んぼのド真ん中、1本道で車を停車させるとは何事か、岩屋はブレーキを踏む。
仁美は統也のシャツをギュッと握りながら、声を荒げる。
「こんなトコで止まられても困るんですけど!?
後ろの、あの変なおばサンが来たらどうすんの!?」
統也は仁美を宥めながらライフルを握る。
「降りて様子を見に行った方が良いかな、」
「ダ、ダメだって統也クン! 前が動くの待とう!」
そんな遣り取りをしている間に、バタン! とドアの開閉音が聞こえる。
どうやらセミトラックから浜崎か坂本かの どちらかが降りた様だ。
統也は後部座席の窓から大きく身を乗り出す。
「坂本サン?」
坂本が1人で歩いて来る。
慌てる様子は見えないが、一体 何処へ向かおうとしているのか、表情からは読み取れない。
浜崎はセミトラックの助手席から遅れて降りると、坂本の背を
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