第49話


 由月がいるだろう2階部を窺えば、無用心にもドアが開け放たれた儘の部屋がある。

覗き込み、薄暗い室内に由月の姿が見つけると統也は怪顛顔で口調を強める。


「ぉ、大川サン、何をしているんですか!?

 今、どうゆう状況か分かってやってるんですか!?」


 由月は双眼鏡で外の様子を眺めている。

詰め寄る統也が双眼鏡を取り上げると、由月は僅かに眉を顰める。


「解かっているからこうしているのよ。それ、返してちょうだい」

「今は1階の食堂へ移動してください!

 あそこなら食料もあるし、バリケードも完成しています! 万一にも備えられますから!」

「お断りするわ。私はここで記録を取りたい」

「は、ぁ!?」


 死者の生態系についてデータが得られるのは生き延びる上で喜ばしいが、こんな事では由月の命が危ぶまれる。統也は由月の腕を取り、力任せに引っ張る。


「お願いします! 避難してください!」

「離しなさい、私は1人でいたいの!」

「駄目だ!!」

「!」


 向き直る統也が口調を荒げて一喝すれば、由月は言葉を失う。


「す、すみません……でも本当にお願いします、

 大川サン、俺に言ってくれましたよね? そのままそっくり返しますよ。

 アナタが守りたいと思っている人達は、アナタを必要としている。

 それだけで、アナタは死んではならないんです。解かってくれますよね?」


 こうも上手く言い纏められては、折れる他ないだろう。


「……解かったわ、」

「良かった。それじゃ、食堂へ。日夏達が待ってます」

「アナタは?」

「俺は屋上のライトを消してから向かいます」

「それなら私が行きます」

「心配してくれてるなら大丈夫ですから、明かりを消すだけなので」

「消すだけなのでしょ? それなら私にも出来ます。アナタは田島君の所へ」

「でも、」

「外を見ていても、松尾将補の姿が無い」

「あ、」

「木下サンが自殺したと言うけど、様子からして複雑な死に方だったのでは?」

「はい。投光機のコードで首を……」

「自殺者が、そんな凝った手を使うとは思えない」


 自殺者の手口は至ってシンプルだ。

木下が屋上にいたならば、飛び降りれば済む事。見せびらかす様な派手な演出はしない。


「じゃ、殺、され……」

「合理的に動きましょう。良いわね?」

「それなら犯人は屋上にいる可能性がっ、」

「時間が経っているのよ? 何処にいるかは分からない。急ぎましょう」


 由月は白衣を翻し、颯爽と屋上へ向かう。


(田島……)



『彼を死なせてはならない』



「ッ……待ってろ!」


 由月を1人で屋上へ向かわせるのは不本意だが、眠る田島を放って置く事も出来ない。

統也の足は1階の医務室へ。


 医務室前にいる筈の警備は、この騒動に銃を取って隊舎の外へ出てしまった様だ。

統也は焦燥の儘に飛び込む。



「田島!」



 そこで目にするのは、田島の肩を力任せに揺する松尾の背。


「何やってるんだ、アンタ!!」


 突き飛ばせば意外にも弱々しく倒れる松尾は、虚ろな目で以って宙を見やる。



「ね、眠い……」


「!?」



 松尾の瞼は強い眠気に上下している。

意識朦朧とする松尾は両足を踏んばって立ち上がり、もう1度、田島に掴みかかろうとする。


「眠り、から……回復する方法を……早く……」

「松尾将補、そんな事、田島に言ったってっ、」

「退くんだ、小僧ッ、この私が倒れる訳にはいかんッ、何としても……何としてもッ」

「いつからだ!? いつからそんな状態だったんだ!?」

「3日前、から……折角、眠りを解明する、良い実験体が、手に入ったと言うのに……

 あの小娘……何も分からないなどと……」

「実験体って、田島をちゃんと診てくれてたんじゃ無いんですか!?」

「この事は誰にも知られては、ならない……実験体に……この私が、実験体にされてしまう!」

「松尾将補……」


 由月の事だ、松尾の不自然さに勘づいていたのだろう。

だからこそ、自分の持つ見解を松尾に告げる事は無かったのだ。

松尾は寝惚け眼を必死に見開き、息を荒げて統也を睨む。


「知られたからには、お前も生かしてはおけん……」

「まさか、木下サンを殺したのは……」

「勘の良い男だ……目をかけていたが、それが裏目になった……」

「あんな事して、アンタの所為で騒ぎが大きくなって、アイツらが群がって来た!!

 ここを全滅させる気ですか!!」

「何だとッ、自分の身を守って何が悪い!?

 私は、お前達の実験体にされるかも知れんのだぞッ、これは正当防衛だ!」

「何を言ってるんだ……アイツらを集めて皆と無理心中でもしようって言うんですか!?」


 現実と夢の狭間、松尾自身、傍若無人な主張をしている事に気づいていないだろう。


「ぃ、何れ私は眠りにつく……化け物どもに食われる事になろうと何も感じや、せん……

 いや、然し、分からん……まずはこの小僧で、実験を、してみなければ……」


 目を血走らせる松尾は、有りっ丈の力を振り絞って田島のストレッチャーを押す。



「退けぇ!!」


「!」



 ストレッチャーのアームがガシャン!! と音を立てて統也の脇腹に直撃。

統也は悶絶の痛みと共に床に蹲り、這いつくばる。


「いッ、……ま、待てっ、」


 ストレッチャーは ザーーー! と風を切って廊下を一直線。

このまま裏口のドアを突き破り、田島を外にほっぽり出すつもりだ。


「た、田島ぁ!!」


 間に合わない。

統也の脳裏に諦観が過ぎるその寸暇、――タイヤの音が止まる。



 ガシャン!!



「!?」


 裏口のドアにぶち当たる寸での所、飛び出す由月がストレッチャーを受け止める。


「こ、小娘ッ」

「―― ッ、」


 ストレッチャーを間に力比べ。

然し、由月の細腕が松尾の様な大男に適う筈も無い。

由月は押され、足はズルズルと床を滑る。


「この役立たずがぁ! お前ごと外へ放り出してやる!」



 ダン!!



「あ、ッ!!」


 背は裏口のドアに押し付けられ、ストレッチャーは容赦なく由月の腹に食い込む。


「ドアが破れるのか先か、お前の胃袋が潰れるのが先か! それが嫌ならそこを退けぇ!!」

「ひ、人の言葉を喋るな、気色の悪い獣がッ、」

「小娘ぇえぇえぇえぇ!!」

「ッ!!」


 そこに、ヒタリ……と冷たい感触が、松尾の後頭部に突きつけられる。


「!」


 松尾はストレッチャーを押す手を弱め、ゆっくりと首を捻って後ろを見やる。

視界の中心には銃口。


「こ、小僧……その銃は、何処から……」


 統也が手に握るのはハンドガン。

全ての銃器は没収している。統也がそれを手にする事は出来ない筈だ。


「アンタの腰から借りたんですよ」

「あ、ぁ、ぁ……」


 黒目だけで腰ベルトを見やれば、空のホルスター。

一心不乱にストレッチャーを押す松尾には、統也が銃を抜き取った事には気づかなかったのだ。

その間抜けさに両手を挙げ、膝を突く。


 眠たげな松尾を哀れに見下し、統也は苦笑する。



「アンタはもう、寝ちまってください」


「!!」



 カチ……



 トリガーを引くも、弾は発射されない。

それでも、撃鉄の乾いた音に松尾はドサリ……と倒れ、眠りにつく。

もう起きる事は無いだろう。


 統也の片手には弾倉から抜かれた弾が握られる。



(殺せる筈が無いでしょう……)



 統也は銃を置き、ストレッチャーを退かす。

由月は裏口にズルズルと背を擦りながらペッタリと座り込む。


「大川サン、大丈夫ですか!? すみません、こんな目に遭わせてっ、」


 余力も失い立ち上がれない由月は、統也の困り果てた顔を見るや小さく笑う。



「噂どおりの人」


「え?」



 統也の疑問に答える間も無く、由月は意識を失う。



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